学位論文要旨



No 118241
著者(漢字) 藤野,泰人
著者(英字)
著者(カナ) フジノ,ヤスヒト
標題(和) 猫白血病ウイルスの組み込みとリンパ系腫瘍発生に関する細胞遺伝学的研究
標題(洋) Cytogenetic studies on feline lymphoid tumors associated with the integration of feline leukemia virus
報告番号 118241
報告番号 甲18241
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2630号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

 近年、染色体分析に高精度分染法が導入されてから、ヒトのリンパ・造血系腫瘍において病型特異的な染色体異常が数多く報告され、これらの部位から次々と腫瘍発生に関わる遺伝子が同定されている。現在では、同定された遺伝子の機能解析を通して、腫瘍発生の分子機構の解明および新しい診断・治療法の開発が進められている。小動物臨床においても腫瘍性疾患は最も大きな問題の一つであり、とくにネコにおいてはネコ白血病ウイルス(feline leukemia virus,FeLV)感染によるリンパ・造血系腫瘍の発生が高頻度に認められる。これまでFeLV感染によって発生するリンパ・造血系腫瘍においては、FeLVのlong terminal repeat(LTR)に存在するプロモーターおよびエンハンサーの働きによって組み込み部位近傍の細胞遺伝子の発現が増強され、それが細胞の腫瘍化に重要な役割を果たすことが見い出だされてきた。一方、近年の研究によりネコの詳細な染色体上の座位命名法が確立され、ネコにおける詳細な細胞遺伝学的解析が可能となった。このような背景を基に、本研究ではネコの腫瘍性疾患の病理発生機構解明を目的として、ネコの腫瘍発生に関連する遺伝子の染色体マッピング、ネコのリンパ系腫瘍細胞株の樹立および性状解析、およびネコのリンパ系腫瘍細胞におけるFeLVプロウイルスの染色体上組み込み部位の同定、といった一連の研究を行った。

 第一章では、ネコの細胞遺伝学的解析の基盤的研究として、アポトーシス関連遺伝子であるネコFasおよびFasリガンド(FasL)遺伝子のネコ染色体上の座位を特定した。プラークハイブリダイゼーション法によりそれぞれの遺伝子のゲノミッククローンを単離し、それらをニックトランスレーション法によりジゴキシゲニン標識してプローブとして用いた。正常ネコの末梢血単核球を用いて正常ネコ染色体標本を作成し、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)を行ったところ、Fas遺伝子はD2p13-p12.2、FasL遺伝子はFlq12-q13に座位していることが明らかとなり、それら遺伝子のネコ染色体上の座位は比較細胞遺伝学的にヒトおよびマウスの染色体座と相同であった。アポトーシスはヒトと同様にネコにおいてもさまざまなウイルス性疾患、腫瘍性疾患、免疫介在性疾患などの病態に関与しているものと考えられている。ネコFasおよびFasL遺伝子の染色体上の座位の特定は、今後ネコにおける各種疾患の病理発生を研究する上で有用な情報を提供するものと考えられた。

 第二章では、ネコの自然発生リンパ腫症例から株化細胞を樹立し、その性状解析を行ったところ、本細胞株に特徴的な所見が認められた。血液中FeLV抗原陽性で胸腺型リンパ腫を発症したネコの胸水浮遊細胞を採取し、初代培養を試み、株化細胞樹立に成功した。この細胞株(KO-1)は、サザンブロット解析によってT細胞受容体β鎖遺伝子の再構成を有するTリンパ芽球様細胞株であり、染色体DNAにFeLVプロウイルスが組み込まれていた。しかし、その培養上清中には逆転写酵素活性が検出されず、KO-1細胞はFeLV非産生腫瘍細胞株であることが示された。ウェスタンプロット解析では、KO-1は細胞内にFeLVの構成蛋白を産生しているものの、その分子量は通常のFeLVタンパクとは異なっていることから不完全な蛋白であることが推測され、また培養上清中にはFeLVの構成蛋白は検出されなかった。これらの結果よりKO-1はFeLVの組み込みがあるにもかかわらず、FeLV非産生腫瘍細胞株であることが明らかとなった。このような性状を有するネコの腫瘍細胞株はこれまでに報告がなく、レトロウイルスに起因した腫瘍発生を研究する上で非常に有用な細胞株であると考えられた。また、KO-1の染色体核型分析を行ったところ、染色体数は2n=41(正常ネコの染色体数は2n=38)であり、B2、F2、X染色体のトリソミーがそれぞれ認められた。B2およびF2染色体のトリソミーについては、染色体ペインティング法によって確認された。これまでの研究より、B2染色体にはfit-1、pim-1、F2染色体にはmycといったFeLV共通組み込み部位である腫瘍関連遺伝子が座位しており、それら腫瘍関連遺伝子がKO-1の腫瘍化に関連している可能性が考えられた。

 第三章では、分子細胞遺伝学的解析によりネコのリンパ系腫瘍細胞におけるFeLVの組み込みについて解析を行った。FeLVに起因した腫瘍発生機構の一つとして、プロウイルスが宿主ゲノム内の腫瘍関連遺伝子近傍に組み込まれ、その遺伝子の転写活性を制御するinsertionalmutagenesisが考えられている。このような背景を基に、本研究ではFISH法を用いてFeLVの染色体上組み込み部位を同定することにより、FeLVに起因した腫瘍発生の分子機構を検討した。FeLVプロウイルスゲノムが挿入されたプラスミドDNAをニックトランスレーション法によりビオチン化しプローブとして用いた。正常ネコ末梢血単核球およびFeLV感染ネコリンパ系腫瘍細胞株であるFL-74、FT-1およびKO-1細胞株の染色体標本を作製しFISH法を行った。その結果、正常ネコ染色体標本では特異的なシグナルは検出されなかったが、腫瘍細胞株から作製した染色体標本では、3種類の細胞株のいずれにおいても6カ所の陽性シグナルが検出された。DAPI重染色によるネコのQバンド解析に基づいて解析したところ、FL-74ではB2p15-p14、B2q11、Dlp14、Elp14-p13、Elq12、およびF2q16の座位に有意なシグナルが観察された。FL-74は核型解析によりD1単腕に異常が認められており、D1におけるシグナルはその異常座位に認められた。また、FT-1では、A2p23-p22、B2p15-p14、B4p15-p14、D4q23-q24、Elp14-p13、およびE2p13-p12の座位に、また、KO-1ではA2p22、A3q22、Blp13、Blq13、Dlp13、およびD3p15-p14の座位に有意なシグナルが観察された。外来性FeLVプロウイルス特異的なLTR U3プローブを用いたサザンブロヅト解析を行った結果、FL-74、FT-1およびKO-1細胞にはそれぞれ6コピーのFeLVプロウイルスが組み込まれていることが示され、FISH法によって同定された座位の数と一致していた。これまでのネコにおける細胞遺伝学的研究成果と本研究における成果を比較した結果、FISH法によってFeLVプロウイルスゲノムが検出された染色体には、多くの腫瘍関連遺伝子が座位しており、それらが腫瘍発生に関与している可能性が考えられた。A2染色体にはFT-1およびKO-1の2細胞株において、またB2染色体にはFL-74およびFT-1の2細胞株において同じ座位のシグナルが認められ、それらの部位にFeLVの共通組み込み部位が存在していることが予想された。今後、これらの座位に存在する遺伝子を特定することにより、リンパ系腫瘍発生の分子機構解明の進展が可能となったものと考えられた。

 本研究によって得られた知見は、ネコにおける細胞遺伝学的な基盤を作り、それをウイルス学的および免疫学的知見と融合させることによって発展させたものであり、リンパ系腫瘍の分子機構解明に有用な所見を提供するものである。また、比較細胞遺伝学的観点から、ネコのリンパ系腫瘍における本研究成果は、動物の腫瘍発生機構の解明に役立つばかりでなく、ヒトの疾患モデルとしても重要な知見を提供するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 申請者は小動物臨床において最も大きな問題の一つであるネコのリンパ・造血系腫瘍の発生機構に着目し、ネコの腫瘍発生に関連する遺伝子の染色体マッピング、ネコのリンパ系腫瘍細胞株の樹立および性状解析、およびネコのリンパ系腫瘍細胞におけるネコ白血病ウイルス(FeLV)の染色体上組み込み部位の同定といった一連の分子細胞遺伝学的研究を行った。

 第一章では、ネコの細胞遺伝学的解析の基盤的研究として、アポトーシス関連遺伝子であるネコFasおよびFasリガンド(FasL)遺伝子の染色体座位を特定した。それぞれの遺伝子のゲノミッククローンをジゴキシゲニン標識し、正常ネコの末梢血単核球(PBMC)から染色体標本を作成し、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)を行ったところ、Fas遺伝子はD2p13-p12.2、FasL遺伝子はFlq12-q13に座位していることが明らかとなり、それら遺伝子のネコ染色体座は比較細胞遺伝学的にヒトおよびマウスの染色体座と相同であった。ネコFasおよびFasL遺伝子の染色体座位の特定は、今後ネコにおける各種疾患の病理発生を研究する上で有用な情報を提供するものと考えられた。

 第二章では、ネコの自然発生リンパ腫から株化細胞を樹立し、その性状解析を行ったところ、本細胞株に特徴的な所見が認められた。血液中FeLV抗原陽性で胸腺型リンパ腫を発症したネコの腫瘍細胞を採取し、株化細胞(KO-1)樹立に成功した。KO-1は、サザンブロット解析によってT細胞受容体β鎖遺伝子の再構成を有するTリンパ芽球様細胞株であり、染色体DNAにFeLVプロウイルスが組み込まれていた。しかしウェスタンプロット解析では、KO-1は細胞内にFeLV構成蛋白を産生しているが、その分子量は通常のFeLV蛋白とは異なっていることから不完全な蛋白であることが推測され、また培養上清中にはFeLV構成蛋白および逆転写酵素活性が検出されなかった。これらの結果よりKO-1はFeLVの組み込みがあるにもかかわらずウイルス粒子を産生しない細胞株であり、このようなネコの腫瘍細胞株はこれまでに報告がなく、FeLVに起因した腫瘍発生を研究する上で非常に有用な細胞株であると考えられた。また、KO-1は細胞遺伝学的に染色体数がB2、F2、X染色体のトリソミーを含む2n=41であり、B2およびF2のトリソミーは染色体ペインティングによって確認された。これまでの研究より、B2染色体にはfit-1、pim-1、F2染色体にはmyc。といったFeLV共通組み込み部位である腫瘍関連遺伝子が座位しており、それらがKO-1の腫瘍化に関連している可能性が考えられた。

 第三章では、分子細胞遺伝学的解析によりネコのリンパ系腫瘍細胞におけるFeLVの組み込みについて解析を行った。FeLVに起因した腫瘍発生機構の一つとして、プロウイルスが宿主DNA内の腫瘍関連遺伝子近傍に組み込まれ、その遺伝子の転写を制御するinsertional mutagenesisが考えられている。申請者はFISH法を用いてFeLVの染色体上組み込み部位を同定することにより、FeLVに起因した腫瘍発生の分子機構を検討した。FeLVプロウイルスDNAをビオチン化し、正常ネコPBMCおよびFeLV感染ネコリンパ系腫瘍細胞株であるFL-74、FT-1およびKO-1細胞株の染色体標本を作製しFISHを行った結果、正常ネコ染色体には特異的なシグナルは検出されなかったが、腫瘍細胞株の染色体標本ではそれぞれ6カ所の有意なシグナルが検出された。DAPI重染色によるネコのQバンド解析に基づいて解析したところ、FL-74ではB2p15-p14、B2q11、Dlp14、Elp14-p13、Elq12およびF2q16の座位に、FT-1ではA2p23-p22、B2p15-p14、B4p15-p14、D4q23-q24、Elp14-p13およびE2p13-p12の座位に、KO-1ではA2p22、A3q22、Blp13、Blq13、Dlp13およびD3p15-p14の座位に有意なシグナルが観察された。外来性FeLV特異的なLTR U3プローブを用いたサザンプロット解析を行った結果、FL-74、FT-1およびKO-1細胞にはそれぞれ6コピーのFeLVプロウイルスが組み込まれていることが示され、FISHによって同定された座位の数と一致していた。これまでのネコにおける細胞遺伝学的成果と本研究における成果を比較した結果、FISHによってFeLVプロウイルスが検出された染色体には腫瘍関連遺伝子が座位しており、それらが腫瘍発生に関与している可能性が考えられた。また、A2染色体にはFT-1およびKO-1の2細胞株において、B2染色体にはFL-74およびFT-1の2細胞株において同じ座位のシグナルが認められ、それらの部位にFeLVの共通組み込み部位が存在していることが予想された。今後、これらの座位に存在する遺伝子を特定することにより、腫瘍発生の分子機構解明の進展が可能であると考えられた。

 本研究によって得られた知見は、ネコにおける細胞遺伝学的な基盤を作り、それをウイルス学的および免疫学的知見と融合させることによって発展させたものであり、リンパ系腫瘍の分子機構解明に有用な所見を提供するものである。また、比較細胞遺伝学的観点から、本研究成果は動物の腫瘍発生機構の解明に役立つばかりでなく、ヒトの疾患モデルとしても重要な知見となり得ると考えられ、審査委員は申請者を博士(獣医学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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