学位論文要旨



No 118245
著者(漢字) 米田,美佐子
著者(英字)
著者(カナ) ヨネダ,ミサコ
標題(和) 牛疫ウイルスにおける宿主特異性と病原醗現に関わるウイルス構成蛋白の解析
標題(洋) Analysis of roles of rinderpest virus proteins in determining species specificity and pathogenicity
報告番号 118245
報告番号 甲18245
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2634号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 講師 小原,恭子
内容要旨 要旨を表示する

 牛疫ウイルス(RPV)は牛に致死性の全身疾患を引き起こし、現在でもアフリカ、中近東、南アジアで経済的損失を与え飢餓の原因の一つにも数えられており、FAOの根絶計画の最重要疾病にあげられている。RPVは麻疹ウイルス、イヌジステンパーウイルスなどとともに、パラミクソウイルス科(Paramyxoviridae)、モービリウイルス属(Morbillivirus)に分類されている。牛疫は呼吸器症状、出血性腸炎などの劇症症状の他に激しい免疫抑制、耐過後の自己抗体産生など多様な病原性を示すが、その病原性発現機構はほとんど解明されていない。また、牛でのRPV感染実験は特別な隔離施設を持つ世界でもまれな機関か牛疫常在地域でしか行なえないが、我々は、ウサギ馴化によって牛での牛疫の病態を再現する世界で唯一の優秀な実験感染モデル系を確立してきた。

 これまでRPVの属する一本鎖(-)鎖非分節型RNAウイルス群では、cDNAから感染性ウイルスを獲得することができなかったため、遺伝子からの機能解析研究は不可能であった。モノネガウイルス群には、重篤な病気を引き起こすウイルスが多く、最近問題となっているエマージングウイルスの中にも、ヒトのエボラウイルスをはじめ馬のヘンドラウイルス、ブタとヒトのニパウイルスなど多くのウイルスが含まれている。その出現の主要因は種を越えた伝播によると推察されている。しかしウイルス学における重要な命題である宿主特異性決定機構も、本ウイルス群では手法の困難さのためほとんど研究が進められていなかった。しかし、1994年に初めてcDNAクローンから感染性ウイルスを産生する系(リバースジェネティックス系)が開発されて以来、モノネガウイルスの研究が飛躍的に進展している。本研究では、新しいリバースジェネティックスの手法をRPVにおいても確立し、ウサギに病原性を持つRPV-L株と牛で増殖しウサギには病原性を全く持たないRBOK株の両者、またL株の中からウイルスクローニングによって得た極めて近縁な遺伝的背景を持つ病原性の強い株と弱い株の両者の各々の遺伝子を組み換えたウイルスを作製し、RPVの宿主特異性決定機構および病原性発現機構の解明を試みた。本論文は以下の5章より構成される。

第1章:組換え牛疫ウイルスを用いたH蛋白質の宿主特異的病原性発現機構における役割

 種を越えた病原性発現には感染が成立することが必須であり、他のウイルスではこのステップが必要十分であると報告されている。そこで他の動物種へ侵入するための最初のステージである細胞への吸着を担うH蛋白に注目しその種特異的病原性発現への関与を調べた。牛のワクチン株でありウサギに病原性のないRPV-RBOK株のクローン化cDNAにウサギに強い病原性を有するRPV-L株のH遺伝子を組換えたプラスミドを作製した。このプラスミドを、ウイルス再構成に必要なN、P、L蛋白を発現するサポーティングプラスミドとともに細胞に導入し、これらプラスミドからRNAを転写するT7 RNAポリメラーゼを発現するワクシニアウイルスを感染させ、3日後にB95a細胞と共培養することにより組換えウイルスの獲得に成功した。この組換えウイルスrRPV-lapHと、RBOK株、L株を用いてウサギの感染実験を行ない、感染成立の有無、臨床症状、臓器でのウイルス増殖性、病理組織学的検索を行なった。その結果、L株接種ウサギでは臨床症状や臓器でのウイルス増殖が顕著であり、リンパ組織において広範な壊死巣を認めた。RBOK株接種ウサギではこれらの変化は全く見られなかった。rRPV-lapH接種ウサギでは臨床症状は認められなかったが、病理組織学的検索によりリンパ組織に反応性変化を認めた。さらに各ウイルス接種2週間後の抗体価を測定したところ、L株、rRPV-lapHでは抗体価の顕著な上昇をみとめた。これらの結果より、H蛋白は細胞への侵入に重要であり、これをウサギ馴化株に変えたことによってウサギの細胞内への侵入は成立したと考えられるが、その後の増殖能を規定するのは他のウイルス蛋白の影響が大きく、宿主内でのウイルス増殖が起こらないために病原性発現に至らなかったと推察された。

第2章:牛疫ウイルスN蛋白およびP蛋白の種特異的病原性発現機構への関与

 第1章で、H蛋白はRPVの宿主細胞への侵入に重要であるが、侵入後の増殖能は他のウイルス蛋白により規定されると考えられた。そこで、さらに病原性への関与が示唆されるP蛋白およびウイルスゲノムRNAに結合しウイルスの複製に関与するN蛋白の病原性発現への関与を調べた。第1章で述べたのと同様にして、RBOK株のN、P蛋白をL株のものに組換えたウイルスlapHP、lapNHPを作製した。この2つの組換えウイルスとRBOK株、L株、lapHをウサギに接種し、病原性を比較した。その結果、lapHP、lapNHPを接種したウサギでは、L株を接種したウサギほど顕著ではないものの、一過性の激しい発熱がみられ白血球数も減少傾向を示した。さらにリンパ系臓器から高力価のウイルスが検出され、病理組織学的検索においても、lapHを接種したウサギでは見られなかった壊死像を認めた。また臨床症状、ウイルス増殖、病理組織学的解析で、lapHPとlapNHPの病原性に差は認められなかった。これらの結果より、種を越えた病原性発現に、P蛋白が大きく関わることが示唆された。

第3章:yeast two-hybrid法による牛疫ウイルスP蛋白と結合する細胞内蛋白の同定

 第2章でP蛋白が牛疫ウイルスの種を越えた病原性に関与することが示唆された。種を越えた病原性発現にはウイルス蛋白と宿主因子との相互作用が必要と考えられることから、著者は、yeast two-hybrid法を用いて、P蛋白との結合能を持つ宿主蛋白の探索を試みた。その結果、MDM2 binding protein(MTBP)が候補蛋白として同定された。MDM2はp53の機能を阻害し、細胞周期を亢進することが知られている。MTBPは近年、MDM2に直接結合してその機能を抑制する蛋白質として同定された。現在、哺乳類細胞内でMTBPがRPVのP蛋白と結合するか否か、またその結合によってもたらされる機能について解析を行なっている。

第4章:RPV-L株のリバースジェネティックス系の確立とV蛋白の病原性への関与

 RPVの多様な病原性の研究のためには、ウサギに強い病原性を持つL株のリバースジェネティックス系を開発し、個々の蛋白遺伝子に改変または欠損を与えたウイルスによる感染実験を行なう解析系が極めて優れていると考えられる。以前我々のチームは、L株からのウイルスクローニングによって、ウサギに対し強い病原性を持つウイルスクローン(RPV-Lv株)を得た。そこで著者は、Lv株の全ゲノム配列(約16kb)の決定と、全ゲノムcDNAクローンの作製を行ない、新たなリバースジェネティックスによる独自の感染性クローンウイルス(rRPV-Lv)のレスキューに成功した。レスキューされたrRPV-Lvがウサギにおいて親株であるRPV-Lvと同様の病原性を保持していることを確認した。さらに確立したLv株ののリバースジェネティックス系を用いて、センダイウイルスや麻疹ウイルスで病原性への関与が示唆されているV蛋白を欠損させたウイルス(rRPV-Lv(V-))の作出にも成功した。V蛋白のin vitroでの増殖、in vivoでの病原性を解析した結果、rRPV-Lv(V-)の、in vitroでの増殖およびin vivoでの病原性は、rRPV-Lvとほとんど変わらなかった。すなわち、RPVにおいてはV蛋白は病原性に関与しないことが示された。

第5章:RPV-L株におけるN、P、L遺伝子中の変異がその病原性に与える影響

 RPV-L株のウイルスクローニングによって、病原性の強いクローンウイルスRPV-Lv株が得られたのと同時に、病原性の弱いクローンウイルスRPV-La株も得られた。Lv株については、第4章で全塩基配列を決定した。そこで、La株の全ての蛋白翻訳領域の塩基配列を決定しLv株のそれと比較した。その結果、塩基配列では、Nに1ヶ所、Pに2ヶ所、Fに1ヶ所、Lに2ヶ所の変異が認められたのみで、さらに推定アミノ酸配列の変異はN、P、C、L蛋白中に1ヶ所ずつしかないことがわかった。この変異が病原性の違い関与している可能性が高いと考えられたので、第4章で確立した、Lv株のリバースジェネティックス系を用いて、N、P、L蛋白をそれぞれ、あるいは同時にLa株のものに組換えたウイルス7種を作製し、ウサギでの病原性を調べた。その結果、N蛋白をLa株のものに組換えたウイルスを接種したウサギにおいてのみ臨床症状が軽減され、また病理組織学的解析でも、Lv株および他の組換えウイルスと比較して病変は軽度であった。これらの結果から、この変異株Laにおいては、N蛋白中に存在する1つのアミノ酸変異が、病原性の減弱に強く関わっていることが示された。

 本研究は、リバースジェネティックス系と優れた動物実験系を組み合わせることにより、RPVを含むモノネガウイルス群の宿主特異性決定機構や病原性発現機序という基礎的命題の解明に大きな知見を与えたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 牛疫ウイルス(RPV)は反芻獣に伝播力の強い致死性感染症を引き起こす。牛疫は呼吸器症状、出血性腸炎などの劇症症状の他に激しい免疫抑制、耐過後の自己抗体産生など多様な病原性を示すが、その病原性発現機構はほとんど解明されていない。ウシでのRPV感染実験は特別な隔離施設を持つ機関でしか行なうことができないが、著者らのグループはウサギ馴化によってウシでの牛疫の病態を再現できる世界で唯一の実験感染モデル系を確立してきた。RPVは麻疹ウイルス、イヌジステンパーウイルスなどとともにパラミクソウイルス科、モービリウイルス属に分類される、一本鎖(-)鎖非分節型RNAウイルス群のウイルスである。このウイルス群では、人為的に遺伝子を組換えたウイルスを作出することが不可能であったため、ウイルスの分子生物学的機能解析を行なうことは困難であった。1994年に、モノネガウイルスのリバースジェネティックス系が開発され、現在本ウイルス群の研究は飛躍的に進展している。本研究では新しいリバースジェネティックス系の手法をRPVにおいて確立し、ウサギの感染モデル系と合わせて、RPVの宿主特異性決定および病原性発現に関わるウイルス構成蛋白の解析を試みた。本論文は以下の5章より成る。

 第1章で、RPVの膜蛋白であるH蛋白の宿主特異的病原性発現における役割を調べた。ウシのワクチン株でありウサギに病原性のないRPV-RBOK株のクローン化cDNAにウサギに強い病原性を有するRPV-L株のH遺伝子を組換えたプラスミドを作製し、これを用いて組換えウイルスの獲得に成功した。この組換えウイルスrRPV-lapHとRBOK株、L株を用いてウサギの感染実験を行なったところ、L株接種ウサギでは臨床症状や臓器でのウイルス増殖が顕著であったが、RBOK株およびrRPV-lapH株接種ウサギではこれらの変化は全く見られなかった。しかしrRPV-lapH接種ウサギでは、リンパ組織での反応性変化と血清中の抗RPV抗体の上昇が認められた。この結果より、H蛋白は細胞への侵入には重要であること、しかしその後の増殖能を規定するのは他のウイルス蛋白の影響が大きいことが推察された。第2章ではさらに、P蛋白およびN蛋白の種特異的病原性発現への関与を調べた。第1章と同様にして、RBOK株のN、P蛋白をL株のものに組換えたウイルスlapHP、lapNHPを作出し、病原性を調べた。その結果、lapHP、lapNHPを接種したウサギでは一過性の激しい発熱がみられ白血球数も減少傾向を示した。さらにリンパ系臓器から高力価のウイルスが検出され、病理組織学的検索においても壊死像を認めた。lapHPとlapNHPの病原性に差は認められなかった。これらの結果より、種を越えた病原性発現に、P蛋白が大きく関わることが示唆された。これを受けて第3章ではyeast two-hybrid法を用いて、P蛋白との結合能を持つ宿主蛋白の探索を試みた。

 第4章では、RPVの多様な病原性の研究のためにはウサギに強い病原性を持つL株のリバースジェネティックス系の開発が不可欠であると考え、L株からクローニングによって得たLv株の全ゲノム配列の決定と全ゲノムcDNAクローンの作製を行ない、新たなリバースジェネティックスによる独自の感染性クローンウイルスrRPV-Lvの獲得に成功した。確立したLv株のリバースジェネティックス系を用いてセンダイウイルスや麻疹ウイルスで病原性への関与が示唆されているV蛋白欠損ウイルスの作出にも成功した。V蛋白欠損ウイルスはin vitroでの増殖およびin vivoでの病原性とも非欠損ウイルスと変わらず、RPVにおいてはV蛋白は病原性に関与しないことが示された。第5章では病原性の弱いクローンウイルスRPV-Laの塩基配列を決定しLv株と比較した。その結果、推定アミノ酸配列でN、P、C、L蛋白中に1ヶ所ずつしか変異が無いことが分かった。これらのうちどの変異がLv株とLa株との病原性の違いに関与しているかを明らかにするため、Lv株のリバース系を用いて、La株との組換えウイルスを作出してそれぞれの病原性を比較した。その結果N蛋白をLa株のものに組換えたウイルスの病原性が低下することがわかり、N蛋白中に存在する1アミノ酸変異が病原性の減弱に強く関わっていることが明らかになった。

 本研究は、リバースジェネティックス系と優れた動物実験系を組み合わせることにより、RPVを含むモノネガウイルス群の宿主特異性決定機構や病原性発現機序という基礎的命題の解明に大きな知見を与えたと考える。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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