学位論文要旨



No 118247
著者(漢字) 鄭,智尹
著者(英字) Jung,Ji Youn
著者(カナ) ジョン,ジーユン
標題(和) マウスの塩化ピクリル誘発接触皮膚炎に関する実験病理学的研究
標題(洋) Experimental Pathologic Study on Picryl Chloride-induced Contact Dermatitis in Mice
報告番号 118247
報告番号 甲18247
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2636号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 接触皮膚炎は作業環境中の化学物質によって誘発される病態の一つとして重要視されており、ハプテンとして作用する化学物質に感作された個体が再び同一化学物質に皮膚暴露されることによって生じるが、接触皮膚炎の発症には個体差が大きいとされている。近年、接触皮膚炎患者は増数しており、また、接触皮膚炎の原因となるであろうと推測される化学物質の種類と量も増加している。一方、接触皮膚炎の発現機序については、基本的に細胞性免疫が関与する複雑な過程を経て発症すること、表皮細胞、抗原提示細胞、肥満細胞、Tリンパ球等多くの細胞種がサイトカイン網を介して関与すること、IgEの上昇を伴うこと等が報告されているが、詳細については未だ不明な点が多い。従って、ある化学物質が接触皮膚炎を起こすか否かを的確に評価する適切な試験系の開発と、その系を利用した接触皮膚炎の発現機序の解明が急務である。

 本研究では、その手掛りを得る目的で、日本で開発され、塩化水銀投与による抗核抗体産生、胸腺におけるB細胞の存在等を特徴とし、老齢雌性動物群で皮膚炎の自然発症がみられるIQI/Jicマウスの接触皮膚炎モデルとしての有用性について検討するとともに、本系統マウスを用いて塩化ピクリル(Picryl Chloide;PCL)誘発接触皮膚炎の発現と進展機構について検索した。本論文は下記の3章からなる。

第1章 IQI/JicおよびBALB/c雌マウスにおけるPCL誘発皮膚炎の性状の比較

 PCL誘発接触皮膚炎の性状を、上記のIQI/Jicマウスと従来から接触皮膚炎誘発に良く利用されているBALB/cマウスとの間で比較した。すなわち、腹部皮膚に5%のPCLを150μl塗布してマウスを感作した後、4(1st)、11(2nd)、18(3rd)および25日目(4th)に、左耳介皮膚に0.8%のPCLを20μl惹起塗布した。各惹起塗布後Oから24時間後(h)にかけて経時的に左耳介の腫脹の程度を計測するとともに、1stおよび4thの惹起塗布後には経時的に血中のIgEレベル、左耳介皮膚の組織学的変化、肥満細胞数、および免疫組織化学的手法による浸潤細胞数(CD4+,CD8+,CD19+,Mac-1+,MHC classII+細胞)の推移を検索した。その結果、両系統共に耳介腫脹のピークは炎症細胞浸潤と水腫を主徴とする組織学的変化のピークと一致しており、両者ともに惹起塗布の回数の増加に伴い増強した。また、IQl/Jicマウスでは、4th惹起塗布後には耳介腫脹反応は遅延型から即時型に移行し、同時に血中IgEレベルの顕著な上昇、肥満細胞、CD4+細胞およびMac-1+細胞の顕著な増数、ならびにCD8+細胞およびMHC classII+細胞の中等度の増数が認められた。CD19+細胞は実験期間を通じてほとんど認められなかった。一方、BALB/cマウスでは、耳介の腫脹、組織学的変化ならびにCD4+細胞およびCD8+細胞の増数はIQI/Jicマウスに比べて明らかに軽度で、また、IQI/Jicマウスで見られたような耳介腫脹の遅延型から即時型への移行は認められず、常に即時型の反応を示した。さらに、BALB/cマウスではIQI/Jicマウスに比べて、元々耳介皮膚のMHC classII+細胞数が有意に少なく、惹起塗布後の増数の程度も軽度であったことから、皮膚における抗原提示能に系統差があることが示唆された。本章の結果から、IQI/JicマウスはPCL誘発接触皮膚炎に感受性が高く、接触皮膚炎のモデルとして極めて有用であることが明らかとなり、また、PCL誘発接触皮膚炎の発現にはCD4+細胞に加えてCD8+細胞も関与していることが示唆された。

第2章 IQI/JicマウスにおけるPCL誘発接触皮膚炎の性差

 第1章と同様な方法で雌雄のIQI/JicマウスにPCL誘発接触皮膚炎を誘発し、第1章と同様な観察項目について性差を検索するとともに、雌マウスについてはTh1(IL-2,IFN-γ)およびTh2関連(IL-4,IL-10)サイトカインのmRNAの発現の動態についてRT-PCR法で検索した。耳介腫脹反応、血中IgEレベル、耳介皮膚の組織学的変化、肥満細胞数ならびにCD4+、CD8+、Mac-1+およびMHCclassII+細胞数の推移は本質的に雌雄間で同様であったが、4th惹起塗布後の耳介腫脹、血中IgEレベルの上昇および肥満細胞の増数の程度は雄よりも雌で強かった。サイトカインの発現については、1st惹起塗布後にはIFN-γおよびIL-4のmRNAの発現が早期から上昇し、耳介腫脹がピークに達する24hにピークに達した。一方、4th惹起塗布後には、IFN-γmRNAレベルはOhから耳介腫脹がピークに達する9hにかけて上昇し、その後耳介腫脹が軽減に向う18hにかけて急速に低下した。IL-4mRNAレベルは早期に高値を維持した後、9hに軽度に低下し、ついで再び上昇に転じて18hにピークを示した。このように、耳介腫脹の動向との関連で、1st惹起塗布後にはIFN-γとlL-4のmRNAの発現が同様な動向を示したのに対し、4th惹起塗布後の両者は逆の動向を示した。こうしたTh1およびTh2関連サイトカインの動態がPCL誘発接触皮膚炎における耳介腫脹反応の遅延型から即時型への移行と関連については今後より詳細な検討が必要である。

第3章 IQI/Jicマウスの耳介皮膚のPCL誘発接触皮膚炎における肥満細胞の微細形態

 肥満細胞は接触皮膚炎等のアレルギー性疾患の発現に深く関与しており、IgE依存性の肥満細胞の活性化はそうした疾患の発現機序に中心的な役割を果たしているとされており、IQI/JicマウスのPCL誘発接触皮膚炎でも同様なことが推察される。また、肥満細胞はアレルギー性疾患の進展過程で脱顆粒を起こし、多様なメディエーターやサイトカインを放出するが、接触皮膚炎における脱顆粒等肥満細胞の微細形態学的変化の推移に関する詳細な報告は少ない。そこで、本章では第1章と同様に処置したIQI/Jic雌マウスを対象に、PCL誘発接触皮膚炎を起こした耳介皮膚における肥満細胞の微細形態の変化を検索した。耳介腫脹、血中IgEレベルおよび肥満細胞数の推移は第1章のそれと同様であった。電顕的検索では、1st惹起塗布後には肥満細胞と好中球とが空間的に密接に関連しており、好中球による肥満細胞顆粒の貧食像が高頻度に観察された。肥満細胞の多くは電子密度の低い物質を容する腫大した顆粒を有しており、ごく少数の被膜を持たない顆粒が細胞膜の孔から細胞外に放出されている像が観察された。加えて、興味深いことに、ごく少数の肥満細胞では、被膜を持った顆粒が細胞膜を損傷することなく細胞外に放出されている像が観察された。4th惹起塗布後には血中量IgEレベルは高度に上昇し、肥満細胞数も顕著に増加しており、早期から典型的なアナフィラキシー型脱顆粒を示す肥満細胞が観察された。また、やや遅れて、脱顆粒からの回復過程にあると考えられる多数の肥満細胞に混じって、良く発達したゴルジ装置と多数のリボゾームを容し、細胞質の辺縁部に少数の高電子密度の分泌顆粒を有する未熟肥満細胞が観察された。このように、本章では、PCL誘発接触皮膚炎の進展過程および血中lgEレベルの推移に伴う肥満細胞の脱顆粒の微細形態学的特徴の推移が明らかになった。

 上記の結果より、IQI/Jicマウス、特に雌マウスは、PCLによる感作と惹起塗布により高度の接触皮膚炎を起こし、耳介腫脹反応が惹起塗布の回数の増加に伴い遅延型から即時型に移行することから、化学物質による接触皮膚炎誘発の危険性を評価する試験系として極めて有用であること、また、接触皮膚炎の発現機序、特にCD4+およびCD8+細胞の関与ならびに肥満細胞の役割を解析し、さらには遅延型反応から即時型反応への移行のメカニズムを解明する上で重要な試験系であることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 接触皮膚炎は化学物質により誘発される病態の一つとして重要視され、ハプテンとして作用する化学物質に感作された個体が再び同一化学物質に皮膚暴露されることによって生じるが、その発現機序の詳細については未だ不明な点が多い。従ってある化学物質が接触皮膚炎を起こすかどうかを的確に評価する適切な試験系の開発と、その系を利用した接触皮膚炎の発現機序の解明が急務である。本研究では、胸腺でのB細胞の存在等を特徴とし、老齢雌性動物群で皮膚炎の自然発症がみられるIQI/Jicマウスの接触皮膚炎モデルとしての有用性について検討するとともに、本系統マウスを用いて塩化ピクリル(PicrylChloride;PCL)誘発接触皮膚炎の発現と進展機構について検索した。得られた結果は以下の通りである。

(1)IQI/JicおよびBALB/c雌マウスにおけるPCL誘発皮膚炎の性状の比較

 従来から接触皮膚炎誘発に繁用されているBALB/cマウスとIQI/Jicマウスとの間でPCL誘発皮膚炎の性状を比較した。腹部皮膚にPCLを塗布した後、4(1st)、11(2nd)、18(3rd)および25日目(4th)に、左耳介皮膚にPCLを惹起塗布した。両系統共に耳介腫脹のピークは炎症細胞浸潤と水腫を主徴とする組織学的変化のピークと一致しており、惹起回数の増加に伴い増強した。また、IQI/Jicマウスでは、4thには耳介腫脹反応は遅延型から即時型に移行し、同時に血中IgEレベルの顕著な上昇、肥満細胞、CD4+、Mac-1+、CD8+およびMHCclassII+細胞の中等度の増数が認められた。一方、BALB/cマウスでは、上記の因子のレベルはIQI/Jicマウスより明らかに軽度で、耳介腫脹は、常に即時型の反応を示した。さらに、IQI/Jicマウスでは元々耳介皮膚のMHCclassII+細胞数が多く、抗原提示能に系統差があることが示唆された。以上の結果から、IQI/Jicマウスは接触皮膚炎のモデルとして有用で、PCL誘発皮膚炎の発現にはCD4+細胞に加えてCD8+細胞も関与していることが示唆された。

(2)IQI/JicマウスにおけるPCL誘発接触皮膚炎の性差

 (1)と同様の観察項目について性差を検索するとともに、Th1(IL-2,IFN-γ)およびTh2関連(IL-4,IL-10)サイトカインの動態についてRT-PCR法で検索した。1stでは反応に雌雄差はなかったが、4thでは耳介腫脹、血中IgEレベルの上昇および肥満細胞の増数の程度は雌でより強かった。サイトカインの発現は、1stにはIFN-γおよびIL-4のmRNA発現が早期から上昇し、耳介腫脹がピークに達する24hにピークに達した。一方、4thには、IFN-γmRNAレベルは耳介腫脹の程度に伴って9hまで上昇し、その後18hにかけて急速に低下した。IL-4mRNAレベルは9hに軽度に低下するものの常に高値を維持した。

(3)IQI/Jicマウスの耳介皮膚のPCL誘発皮膚炎における肥満細胞の微細形態

 肥満細胞はアレルギー性疾患発症に深く関与している。本章では肥満細胞の微細形態の変化を検索した。1stには肥満細胞と好中球とが直接接し、好中球による肥満細胞顆粒の貧食像が高頻度に観察された。肥満細胞の多くは電子密度の低い物質を容する腫大した顆粒を有しており、被膜を持たない顆粒が細胞膜の孔から細胞外へ放出される像や被膜を持った顆粒が細胞膜を損傷せずに細胞外に放出される像もわずかに観察された。4thには早期から典型的なアナフィラキシー型脱顆粒を示す肥満細胞が観察され、やや遅れて、回復過程にあると考えられる多数の肥満細胞に混じって、未熟肥満細胞が観察された。このように、PCL誘発接触皮膚炎の進展過程に伴う肥満細胞の脱顆粒の微細形態学的特徴の推移が明らかになった。

 上記の結果より、IQI/Jicマウス、特に雌マウスは、PCLにより高度の接触皮膚炎を起こし、耳介腫脹反応が惹起塗布の回数の増加に伴い遅延型から即時型に移行することから、化学物質による接触皮膚炎誘発の危険性を評価する試験系として極めて有用であると考えられた。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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