学位論文要旨



No 118253
著者(漢字) 栗田,良
著者(英字) Kurita,Ryo
著者(カナ) クリタ,リョウ
標題(和) ゼブラフィッシュを用いた眼の発生過程の研究
標題(洋) Analysis of mechanism of eye development using zebrafish
報告番号 118253
報告番号 甲18253
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2060号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 井上,貴文
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 客員助教授 西中村,隆一
内容要旨 要旨を表示する

 眼は,水晶体,神経網膜,角膜,毛様体,虹彩,血管及びその他の間葉系組織など,多くの組織が正確かつ密接に相互作用することにより構築される。眼の形態形成は中枢神経系と共通点も多く,眼の発生・分化機構の分子レベルでの解析は,より高度で複雑な脳の形態形成機構の解明につながることが期待できる.本研究では,(1)ジフテリア毒素を用いた水晶体破壊実験による水晶体の眼の他の組織(特に神経網膜)へ及ぼす影響,(2)神経網膜に発現特異性の高い新規遺伝子のクローニング及びその機能解析,という2つのテーマで研究を行った.

(1)ジフテリア毒素を用いた水晶体破壊実験による水晶体の眼の他の組織へ及ぼす影響

 水晶体は頭部外胚葉の陥入により形成された眼胞からの誘導を受け表皮外胚葉から派生し,いくつかの組織を介して非常に正確でかつ統制のとれた過程を経て分化を行っている.一方で,水晶体は角膜を含む前眼房の形成や神経網膜の発生・分化に重要な役割を果たすことが,ニワトリやBlind cave fishを用いた水晶体除去・移植実験によって示されている.このように,水晶体は眼の発生過程において様々な組織と相互作用し,他の組織と同調して器官形成を行っているが,これらの詳細なメカニズムやその分子的基盤についてはほとんどが明らかになっていない.そこで本研究ではこれらを解明する一環として,まずゼブラフィッシュの眼の発生過程において水晶体を特異的に破壊し,眼の他の組織へ及ぼす影響を検討した.分子レベルでの詳細な解析を行うことを考慮して,まず水晶体特異的に発現を誘導するαA-クリスタリンプロモーターをクローニングし、その制御下でジフテリア毒素を発現させることを計画した.

 まず当研究部にて既に単離されていたゼブラフィッシュαA-クリスタリン遺伝子の一部をプローブとして,上流のゲノム領域のクローニングを行った.続いて単離できたゲノム断片を用いてEGFPレポーター遺伝子を作製し、ゼブラフィッシュ受精卵にインジェクションしたところ、水晶体特異的にEGFPの蛍光が検出されたことから、目的とするαA-クリスタリンプロモーターが単離出来たことが示唆された。さらに、プロモーターの特異性をより詳細に調べるために、EGFPを発現させた個体を二つのグループに分け、その一つからは水晶体を外科的に除去し、残りの一つからは水晶体を除去せず、RNAを抽出し、EGFPを検出するRT-PCRを行った。その結果、水晶体を除去したグループからは全くバンドが検出されず、このことから単離したαA-クリスタリンプロモーターは厳密に水晶体特異的に発現を誘導していることが明らかとなった。

 以上のように単離・確認されたαA-クリスタリンプロモーターの制御下でジフテリア毒素遺伝子を発現させることにより、水晶体の破壊実験を行った。受精後54時間において,ジフテリア毒素を発現させた個体では,眼全体の大きさが非常に小さくなり,水晶体の構造が完全に擾乱していた.このことから,ジフテリア毒素により確実に水晶体を破壊できたことが示唆された.さらにこの水晶体の擾乱は,神経網膜にまでその影響を及ぼしていることが明らかになった.正常発生個体における,受精後54時間の神経網膜では,構成する各細胞群(神経節細胞,アマクリン細胞,双極細胞,水平細胞,視細胞)の分化はほぼ終了しており,形態的に非常に美しい層構造を成している.しかしながら,水晶体を特異的に破壊させた眼の網膜においては,この層構造が完全に崩れ,一部に死んだ細胞が凝集しているのが観察された.以上のことから,水晶体の形成は,神経網膜の発生あるいは分化に重要な影響を及ぼすことが示唆された.続いて,この現象を詳細に検討するため,電子顕微鏡解析を行った.その結果,網膜を構成する各細胞の位置や形態にはそれほど大きな異常は見られない一方で,神経節細胞の軸索の数が減少し,通常の網膜内ではよく発達している樹状突起群がほとんど観察されないことが明らかになった.このことを分子レベルで確認するために,次に抗体染色法を行った.まずzn-5(神経節細胞とその軸索), islet-1(初期神経細胞),及びzpr-1(視細胞)抗体を用いた実験から,先と同様に各細胞群は本来位置する場所に正しく存在していることが判明した.一方で, zns-2(樹状突起群)及びsyntaxin(アマクリン細胞とその樹状突起)抗体を用いた染色では,正常網膜の場合と比較して,染色パターン及びその強度に明らかな異常が観察された.このことは電子顕微鏡解析から得られた結果とよく一致しており,水晶体が網膜内の樹状突起形成・伸張に関与している可能性が示唆された.この事実は,先述したBlind cave fishの系を含めこれまでに報告例がないことから,新しい知見であると言える.

 続いて, BrdUの取り込み実験、anti-phospho Histone H3を用いた抗体染色及びin situ TUNEL法により,網膜細胞の細胞増殖・細胞死の検討を行った. BrdUの取り込みを指標とした細胞増殖に関しては,網膜の発生・分化の過程におけるどの段階においても異常は見られなかった.また、anti-phospho Histone H3を用いた抗体染色においても同様に顕著な違いは見られなかった。一方で,アポトーシスを起こし死んでいる細胞は網膜の分化初期(受精後36時間)では非常に少ないが,分化後期(受精後54時間)においてはその数が著しく増大することが明らかになった。これまでに得られた知見とこれらのことを合わせて考慮すると,水晶体破壊によりもたらされた形態異常の網膜では,各細胞の特異化及び初期分化までの過程は正常に行われているものの,最終分化の過程が阻害されているということが示唆された.

(2)神経網膜に発現特異性の高い新規遺伝子のクローニング及びその機能解析

 神経網膜に発現特異性の高い新規遺伝子をクローニングし、その機能解析を行うことにより、網膜の発生・分化に関与する新しい分子機構の解明を試みた。

 ゼブラフィッシュ成魚の網膜由来ESTデータベースよりunknown配列をランダムに75クローン選択し、網膜の形態が大きく変化する受精後24時間と48時間の2ステージにおいて、頭部と体部とに分けたRT-PCRを行った。いずれかのステージで頭部特異的な発現を示した20%(15/75)のクローンは網膜で特異性高く発現している可能性があると考慮し、全長cDNAのクローニングを行った。同時にホールマウントin situハイブリダイゼーション法を用いてより詳細な発現場所を同定した。

 これらのクローンのうち、#61について解析を行った。#61は、全長cDNAの配列解析よりN末端側にロイシンジッパーモチーフ、C末端側にアクチン結合ドメインを有した新規のアクチン結合タンパク質であることが示唆された。#61の発現は、受精後12時間より体部中央の側方中胚葉から開始し、数時間で前方、後方へとその発現が広がるが、受精後24時間以降においては側方中胚葉における発現は著しく減少し、網膜の眼裂部及び前脳、中脳の一部に発現が推移する。#61は網膜特異的ではないものの、発現パターンがユニークな新規遺伝子であると考えられることから、引き続いてモルフォリノオリゴ(MO)を用いた機能阻害実験を行った。MOをインジェクションしたノックダウン胚では、受精後30時間において、眼裂部と体部の腹側中胚葉系組織に形態の異常が観察され、受精後32時間からは網膜や脳の一部で出血を起こす表現型が観察された。

 まず眼裂部に着目し、組織切片を用いてより詳細な解析を行った。その結果、受精後30時間において眼裂部は正常発生胚と比べて大きく開きその中を通る血管の形態に異常が観察された.眼裂部の正しい形成・閉塞は視神経の正常な投射及び硝子体血管の包埋に重要であることから、#61の視神経投射及び血管形成に及ぼす影響を検討した。

 まず、視神経の投射に関与し、眼柄、眼裂のマーカーでもあるpax2.1及びnetrin-2の発現をMO胚で確認した。その結果、両遺伝子ともにコントロールと比べて顕著な違いは見られなかった。さらに受精後54時間において組織切片を作製し解析を行ったところ、正常発生胚と同様に眼裂部は完全に閉塞・融合しており、視神経の投射も正常であった。また神経網膜はきれいな層構造を形成しており、神経細胞の分化にも大きな異常は見られなかった。以上のことから、#61は視神経の投射及び神経網膜の分化に大きな影響を及ぼさないことが明らかとなった。

 続いて、#61の血管形成に及ぼす影響について検討を行った。#61MO胚では、先記したように眼裂部の血管に構造異常が観察され、網膜や脳の一部に出血する表現型が得られた。体部中央の血管構造も同様に大きく崩れており、これらの構造異常及び出血部位が#61の発現部位と一致していることから、#61は血管の形態形成に関与していることが示唆された。さらに、#61の血管ネットワーク形成への影響を考察するために、デキストランーFITCを用いたangiographyを行った。その結果、出血部位を除く他の部分においてはコントロールとMO胚において顕著な違いは見られなかった。さらに、初期の血管マーカーであるFli-1の発現にも大きな差は見られなかったことから、#61は初期の脈管形成及び血管の走行には関与せず、形成された血管構造の維持に重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

 #61の発現は網膜・脳を含め局所的かつ局時的であることから、ある特定時期の一部の血管発生に関与するユニークで新しい遺伝子と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、眼の発生過程における各組織間の相互作用及び眼の形態形成に関与する新たな分子的基盤を明らかにするため、ゼブラフィッシュをモデル系として用い、(1)水晶体破壊実験による水晶体の眼の他組織へ及ぼす影響の検討、(2)神経網膜に発現特異性の高い新規遺伝子のクローニング及びその機能解析、を試みたものであり、下記の結果を得ている。

(1)水晶体の眼の他組織へ及ぼす影響の検討

1.ゼブラフイッシュαA-クリスタリン遺伝子をプローブとしてゲノミックライブラリースクリーニングを行い、上流4.4kbのゲノム断片をクローニングした。この断片の一部とEGFP遺伝子とをつないだレポーター遺伝子を作製し、ゼブラフィッシュ受精卵にインジェクションしたところ、水晶体特異的にEGFPの蛍光が検出された。このことから目的とするαA-クリスタリンプロモーターが単離されたことが示された。さらにEGFPを検出するRT-PCRを行った結果、単離したαA-クリスタリンプロモーターは厳密に水晶体特異的に発現を誘導することが示された。

2.上記のαA-クリスタリンプロモーターの制御下でジフテリア毒素遺伝子を発現させることにより、水晶体の破壊実験を行った。その結果、水晶体の擾乱は,神経網膜の発生・分化に影響を及ぼすことが明らかになった.水晶体を特異的に破壊させた眼の網膜においては,層構造が完全に崩れ,ところどころに死んだ細胞が凝集しているのが観察された.電子顕微鏡解析及び抗体染色を行った結果,神経網膜の各細胞群は本来位置する場所に正しく存在している一方で,神経節細胞の軸索の数が減少し,通常の網膜内ではよく発達している樹状突起群がほとんど観察されないことが明らかとなった.以上のことから水晶体が網膜内の樹状突起形成・伸張に関与していることが示唆された.

3.BrdUの取り込み実験、anti-phospho Histone H3を用いた抗体染色の結果、網膜の細胞増殖に異常は見られなかった.一方で,アポトーシスを起こし死んでいる細胞は網膜の分化初期では非常に少ないが,分化後期においてはその数が著しく増大することが明らかになった.これまでに得られた知見とこれらのことを合わせて考慮し,水晶体破壊によりもたらされた形態異常の網膜では,各細胞の特異化及び初期分化までの過程は正常に行われているものの,最終分化の過程が阻害されているということが示唆された.

(2)神経網膜に発現特異性の高い新規遺伝子のクローニング及びその機能解析

4.ゼブラフィッシュの網膜由来ESTデータベースよりunknown配列をランダムに選択し、網膜の形態が大きく変化する受精後24時間と48時間の2ステージにおいて、頭部と体部とに分けたRT-PCRを行った。頭部に発現特異性の高いクローンについて、全長クローニング及び詳細な発現パターンの検討を行った結果、受精後24時間以降において眼裂部や脳の一部に発現が限局する新規の遺伝子#61が単離された。

5.全長cDNAの配列解析より、61はN末端側にロイシンジッパーモチーフ、C末端側にアクチン結合ドメインを有した新規のアクチン結合タンパク質であることが示唆された。#61をCOS7細胞に過剰発現させ免疫沈降を行った結果、アクチンの共沈が確認されたことから、#61のアクチンとの結合能が示された。

6.モルフォリノオリゴ(MO)を用いた#61のノックダウン胚においては、眼裂部と体部の腹側中胚葉系組織に形態の異常が観察され、さらに網膜や脳の一部で出血を起こす表現型が観察された。眼裂部は正常発生胚と比べて大きく開きその中を通る硝子体血管の形態に異常が観察された.一方で、眼裂部の閉塞・融合・神経網膜の分化及び視神経の投射には顕著な異常は見られなかった。

7.#61の血管形成に及ぼす影響について検討を行った結果、#61の発現部位と一致して出血及び血管構造の異常が観察された。このことから、#61は血管の形態形成に関与していることが示唆された。次に、#61の血管ネットワーク形成への影響を考察するために、デキストラン-FITCを用いたangiographyを行った。その結果、出血部位を除く他の部分においては正常にネットワークの形成が確認された。さらに、初期の血管マーカーであるFli-1の発現にも大きな差は見られなかったことから、#61は初期の脈管形成及び血管の走行には関与せず、形成された血管構造の維持に重要な役割を果たしている可能性が示唆された。

 以上、本論文はゼブラフィッシュにおいて、水晶体特異的なαA-クリスタリンプロモーターをクローニングし i),その制御下でジフテリア毒素遺伝子を発現させることにより,水晶体の正しい形成が,網膜中の各細胞の最終分化,特に,樹状突起群の形成・伸張に重要な影響を及ぼすことが明らかとした ii)。また本論文において新たに単離された#61は、これまでに同定された他の血管形成に関わる遺伝子群と比べて眼や脳に特異性が高く、限られた領域(眼、脳)の血管構造維持に重要な役割を果たしていることが示唆されたiii)。これらの研究成果はいずれも眼の発生過程の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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