学位論文要旨



No 118256
著者(漢字) 岡村,浩司
著者(英字)
著者(カナ) オカムラ,コウジ
標題(和) 種特異的刷り込み遺伝子の比較ゲノム解析
標題(洋) Comparative Genomic Approach Toward Species-Specific Imprinting
報告番号 118256
報告番号 甲18256
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2063号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 哺乳類のゲノム上で一部の遺伝子は、いずれの親に由来するかによって発現量が著しく異なるゲノムインプリンティングという独特の発現制御を受け、細胞の増殖・分化や個体の発生、さらには行動の制御に重要な役割を果たしている。このインプリンティングの喪失は、新しい発癌の機構として注目されているばかりでなく、糖尿病、アトピー、躁鬱病との関連も指摘されているが、発病の詳細や治療法の確立に向けた成果は上がっておらず、分子機構の解明が求められている。さらに最近では、ヒツジ、マウスをはじめとして各種哺乳類で体細胞クローン動物が作成され、インプリンティングの重要性が再認識されつつあるが、それを司る共通の機構は依然として不明のままである。その原因として、系統的検索法がなく新規インプリント遺伝子の同定が進まず、解析が特定のインプリント遺伝子に集中したこと、また染色体ドメインとしての制御の検討に必須の広領域にわたる詳細な構造解析が行われてこなかったことの2点が挙げられる。

 そこで本研究では、系統的検索法によって単離されたマウスの父性発現インプリント遺伝子Impactおよび両アレル性に発現するそのヒトホモログIMPACT周辺領域の構造を塩基配列レベルで決定した。これを基盤にマウスおよびヒトの遺伝子構造の解明、隣接遺伝子の同定とインプリンティング領域の解明、比較解析による制御領域候補同定の3点を行い、これらを通してゲノムインプリンティングの分子機構の理解を深めることを目的とした。

【方法】

 マウスImpactおよびヒトIMPACTそれぞれのcDNA塩基配列からゲノムライブラリをPCR法によりスクリーニングし、単離されたBACクローンをサブクローニングして、DNA塩基配列を段階的欠失法により決定した。さらに、日々明らかにされつつある両種のドラフトシークエンスデータも利用して隣接遺伝子の同定を行い、ImpactおよびIMPACTを含む広領域にわたるゲノム比較解析を行った。マウス遺伝子のアレル別発現は、B6およびJF、2近交系の相互交雑マウスを用い、両系統間のDNA多型を利用してRFLP法またはダイレクトシークエンス法で調べた。ヒト遺伝子のアレル別発現は、成人末梢血からDNAとRNAを抽出して検討した。RT-PCRに用いたプライマーは、ゲノムDNAからの増幅を防ぐために全て別々のエキソンに設計した。アレル別DNAメチル化状態は、メチル化感受性制限酵素、またはメチル化シトシンを含むDNAを消化するエンドヌクレアーゼで処理した後にPCRを行う、メチル化特異的PCR法で解析した。

【結果】

 マウスImpactおよびヒトIMPACTは、それぞれゲノム上で25 kbおよび35 kbにわたり、ともによく保存された11のエキソンから成ることが分かった。比較解析の結果、両遺伝子がそれぞれ1つずつ待つCpGアイランドに大きな違いが見出された。Impactでは第1イントロン内に存在するのに対し、IMPACTでは第1エキソンを含む領域がCpGアイランドとなっていた。さらにマウスのCpGアイランドはインプリント遺伝子に特徴的であるタンデムリピートを多く含むが、ヒトにはこのような構造は見出されなかった。両CpGアイランドに対してメチル化特異的PCR法でDNAメチル化状態を調べたところ、ヒトIMPACTは通常のCpGアイランドと同様、両アレルともメチル化を受けていないにもかかわらず、マウスImpactでは、母性アレルが高メチル化、父性アレルが低メチル化状態にある(図1)ことが分かった。Impactのプロモータ領域に関しても解析を行った結果、CpGアイランドと対応して、発現が抑制されている母性アレルが高メチル化、転写される父性アレルが低メチル化であり、それ以外の領域に関しては、この遺伝子全体にわたって高メチル化状態であることが判明した。

 比較解析の領域を拡大し隣接遺伝子を同定する目的でヒトゲノムのデータを参考にし、第18番染色体にマップされているIMPACTの3'側下流には、IMPACTと同転写方向にHRH4遺伝子が、5'側上流には逆向きにOSBPL1遺伝子が存在する(図2)ことを確かめた。両遺伝子のアレル別発現を調べるため、何人かの日本人のDNAを採取し、転写される領域に多型を持つ個体(前者1例、後者2例)に関して成人末梢血のmRNAを調べた結果、ともに両アレル性に発現することを示すデータが得られた。OSBPL1に関しては転写開始点の異なる2つの転写産物が報告されている。末梢血での発現はともに少なく、また今回見つかった多型では両者を区別することができないが、後述するメチル化解析からも、両者がともに両アレル性に発現していると推測される。OSBPL1BはOSBPL1Aと共通のOSBPドメインだけでなく、N末端にPHドメインを持つタンパクをコードする長い転写産物で、転写開始点がOSBPL1AよりもIMPACTのプロモータ領域に近い。

 次にマウスゲノムのデータおよびBACクローンの断片的な配列から、両隣接遺伝子のマウスホモログHrh4遺伝子とOsbpl1遺伝子を同定した。転写方向と遺伝子の位置関係がヒトと対応しており、またゲノム構造もよく保存されていることは、これらがオルソログである有力な証拠であると考えられる。相互交雑マウスを使い、RFLP法でアレル別発現を調べたところ、Hrh4およびOsbpl1ともに両アレル性に発現していることが分かった。さらに今回、これまでマウスでは報告されていなかったOsbpl1の長い転写産物Osbpl1bの存在も明らかにした。これらのプロモータは互いに約100 kb離れており、発現する組織も異なる。発現を調べた脳において、短いOsbpl1aはOsbpl1bの20倍の発現量があり、両アレル性発現の結果はOsbpl1aによる寄与が大きい。そこでOsbpl1b特異的な塩基配列でアレル別発現解析を行ったところ、RFLP法およびダイレクトシークエンス法の双方で、父性アレルがやや優勢的に発現する傾向が認められた。この傾向はB6の代わりにICRを用いた相互交雑マウスでも確認された。

 最後に隣接遺伝子のDNAメチル化解析を行った。HRH4およびHrh4はCpGアイランドを持たないため、プロモータ領域を調べたところ、両アレルともに高メチル化状態であった。OSBPL1およびOsbP11は長短それぞれの転写産物が、転写開始点近傍にCpGアイランドを持つため、これら4つのメチル化状態を調べたところ、そのどれもが通常のCpGアイランドと同様に低メチル化状態でアレル間に違いは認められなかった。またこれらの領域内にタンデムリピートはなく、さらに今回解析を行った全領域にわたり、Impactを除いてそのような構造は見出されなかった。

【考察】

 本研究はマウスImpact周辺領域のゲノム構造を初めて明らかにし、ヒトの対応する領域と比較しながら解析を行って今まで盛んに研究が進められていた他のインプリンティング領域とは異なる、極めてユニークな特徴を明らかにした。まず、親由来によって発現量が異なるマウスの遺伝子Osbp11bを同定した。Impactと転写方向を逆に約20 kb隔てて向かい合って存在するOsbp11bはメチル化状態の解析から基本的には両アレル性に発現する遺伝子であると思われるがImpactプロモータ領域のアレルによるクロマチン構造の差異を反映して父性アレルの優勢発現傾向が観察されたと考えられる。これを除けばImpactはヒトホモログがインプリンティングを受けずまた周辺領域にインプリント遺伝子を持たない数少ない孤立型インプリント遺伝子である。さらに、インプリント遺伝子のイントロンに関して、数やサイズの小ささが指摘されていたが、Impactは必ずしもそうでないことの一例となった。その一方で、このような遺伝子周辺にしばしば見出される特徴的なタンデムリピートがImpactの第1イントロンにあるCpGアイランド内に見つかり、しかも親由来によってアレルのメチル化状態が異なっていた。IMPACTのイントロンと比べると、マウスImpactのイントロンは概してサイズが小さいにもかかわらず、第1イントロンだけは例外で、しかもこの特徴的なCpGアイランドに対応する領域がヒトでは欠けていた。

 これらの事実から、マウスImpactのCpGアイランドが、この遺伝子のインプリンティング成立維持に関与している制御領域である可能性が強く示唆された。本研究で得られた以上の成果は、ゲノムインプリンティングの分子機構を考える上で、重要かつ新たな知見であり、これまでにあまり例のない孤立型インプリント遺伝子の貴重な解析例である。

図1.マウスImpactのCpGアイランドのメチル化特異的PCR法によるアレル別DNAメチル化解析。

B6、JF、およびそれらの相互交雑マウスのゲノムDNAを、1:酵素処理せずに、2:メチル化感受性酵素Hha lで処理し、3:メチル化感受性酵素Hpa IIで処理し、4:メチル化非感受性酵素Msp Iで処理し、それらを鋳型にPCRを行い、両系統間の長さの多型を利用してアレル間で対照的なメチル化状態を明らかにした。

図2.アレル別発現解析およびアレル別DNAメチル化解析のまとめ。

マウスImpact(上)およびヒトIMPACT(下)周辺のゲノム領域約300-400 kbを模式的に示した。それぞれの上側が母性アレル、下側が父性アレルで、転写を矢印、弱い転写は波線矢印、高メチル化状態は黒丸、低メチル化状態は白丸で、またCpGアイランドの位置をそれぞれの下に太線で示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、細胞の増殖分化や個体の発生などに重要な役割を果たしているゲノムインプリンティングの分子機構の理解を深めることを目的に、今まであまり報告例のない種特異的インプリント遺伝子の一つであるマウスImpactについて、その周辺ゲノム領域を、ヒトの対応する領域と比較して解析を行い、以下の結果を得ている。

1.既知のcDNA塩基配列から単離したマウスおよびヒトのBACクローンを用いて、Nested Deletion法で塩基配列を決定し、Impactとインプリンティングを受けないヒトホモログIMPACTの詳細な比較解析を行った。その結果、それぞれ25kbと35kbにわたって、11のエキソンから成るよく保存された遺伝子であることが分かった。インプリント遺伝子には一般にイントロンが少ないことが指摘されているが、Impactはこれに当てはまらないことも明らかとなった。ヒトでは第1エキソンを含む領域がCpGアイランドとなっているのに対し、マウスでは第1イントロン内にCpGアイランドが存在し、インプリント遺伝子に特徴的なタンデムリピートが見出された。このような構造の差異が両遺伝子の発現の相違に影響を与えている可能性が示された。

2.マウスImpactでのみ見つかったこの領域に対し、長さの多型を巧みに利用してDNAメチル化状態を調べたところ、発現が抑制されている母性アレルは高メチル化、転写される父性アレルは低メチル化状態にあることが明らかとなった。このアレル別メチル化状態はプロモーター領域にまで広がっているものの、それ以外の領域に関しては、両アレルともに高メチル化状態であることが分かり、ImpactのCpGアイランド周辺のDNAメチル化が、インプリンティングの成立維持に関与している可能性が示された。

3.インプリント遺伝子はしばしば染色体上でクラスターを構成するため、ヒトの対応する領域と比較しながら、周辺遺伝子のアレル別発現解析およびDNAメチル化解析を行い、インプリンティングを調べた。その結果、両種でよく保存されているどの遺伝子も両アレル性に発現しており、またDNAメチル化状態にアレル別の違いは見られず、Impactは孤立型インプリント遺伝子であることが明らかとなった。しかし、Impact上流に位置する、本研究で単離されたマウスOsbpl1bに関しては、父性アレルが、母性アレルに対してやや優勢的に発現する傾向が認められた。DNAメチル化状態はアレル間に違いはなく、Osbpl1bは基本的に両アレル性に発現する遺伝子であると思われるが、Impactプロモーター領域のアレルによるクロマチン構造の差異を反映して、父性アレルの優勢発現が観察されたと考えられる。孤立型インプリント遺伝子も距離によっては近傍遺伝子の発現に多少の影響を及ぼす可能性が示された。

 以上、本論文はマウスImpactについて、インプリント遺伝子に特徴的な構造を見出すとともに、他に見られないユニークな特徴をも明らかにした。この遺伝子は、クラスター内に存在して染色体ドメインとしての一括の制御を受ける他の多くのインプリント遺伝子とは異なり、孤立型であることが分かった。孤立型インプリント遺伝子は、これまで2例の報告があるが、そのどれもがレトロトランスポジッションによりインプリンティングを獲得したと考えられている。一方、Impactはそのゲノム構造から、これらの例とは明らかに異なり、全く違った機構によりアレル別制御を受けているものと思われる。さらに、孤立型であるということは制御に重要なcis領域が、この限られたゲノム領域に存在することを意味し、種特異的であることを利用した比較解析により、制御領域候補を同定するに至った。これらのことから本研究は、理解が進んでいない哺乳類ゲノムインプリンティングの分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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