学位論文要旨



No 118262
著者(漢字) 藤原,明子
著者(英字)
著者(カナ) フジワラ,アキコ
標題(和) 小脳プルキンエ細胞の長期抑圧とカルシウムシグナル関連因子についての研究
標題(洋)
報告番号 118262
報告番号 甲18262
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2069号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 講師 長谷川,功
内容要旨 要旨を表示する

背景

 小脳プルキンエ細胞には登上線維と平行線維が興奮性シナプスを作っており,平行線維-プルキンエ細胞間のシナプス伝達効率が長期間にわたって抑制される現象-長期抑圧(LTD)-は,運動学習のシナプスレベルでの基礎過程であると考えられている.LTDはプルキンエ細胞のAMPA受容体を介する電流が低下することで表現され,LTD形成にはプルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇が必須であることが知られている.LTDは登上線維入力と平行線維入力の同時入力を受けたときにのみ生じるが,2種類の線維の入力を必要とする理由や,プルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇がAMPA受容体を介する電流を低下させる機構も不明である.登上線維の活動はプルキンエ細胞内へCa2+の流入を引き起こし,平行線維の活動はシナプス後膜の代謝型グルタミン酸受容体(mGluR1)を活性化し,ホスフォライペースC(PLCβ)を介してIP3の産生を引き起こす.プルキンエ細胞は,Ca2+とIP3の両因子によって活性化されるIP3受容体が大量に発現している細胞であり,細胞内Ca2+ストア(小胞体)からのIP3受容体を介するCa2+放出がLTDに関与するという仮説が提唱されている.そこで,本研究では1:「プルキンエ細胞におけるIP3受容体の基本性質の解析」,2:「細胞内Ca2+がAMPA受容体を介する電流を低下させるメカニズムの解析」を行った.

第一章 「プルキンエ細胞におけるIP3受容体の基本性質の解析」

 プルキンエ細胞にはIP3受容体(1型)が高密度で発現しているにもかかわらず,Ca2+放出のために高濃度のIP3が必要であることが示唆されていた.しかし,その原因については明らかではなかった.そこで私は,プルキンエ細胞の細胞膜を透過性にし,制御された細胞質環境における小胞体内腔のCa2+濃度をリアルタイムイメージングすることでIP3受容体の性質をより正確に調べることにした.

 材料はICRマウスの胎児小脳から調製したプルキンエ細胞初代培養系(培養3週目)を用いた.低親和性Ca2+蛍光指示薬(Furaptra)を細胞質および小胞体に負荷し,次に,細胞膜を界面活性剤で透過性にして,細胞質の色素を除去すると共に,細胞質のCa2+およびIP3濃度を制御できるようにした.このように制御した細胞質濃度条件下において,Furaptraの蛍光強度変化をCCDカメラでイメージングすることによって小胞体内腔のCa2+濃度変化をリアルタイムで測定できるようにした.この手法を用い,小胞体からのCa2+放出がどのような外的条件によって制御されているのかを解析した.

 その結果,小脳プルキンエ細胞におけるIP3受容体のIP3に対する感受性は,他の組織に発現している同じサブタイプの受容体や,精製した小脳由来の受容体よりも約20倍低い(EC50=25.8μM)が,Ca2+感受性については差がない,ということが分かった.また,IP3受容体の密度は細胞体よりも樹状突起のほうが1.5倍高いことも分かった.以上のような性質は,拡散性の高いシグナル分子であるIP3の効果を局所に限ることができ,シナプス可塑性に局所性を持たせることに貢献していると考えられる.

第二章 「細胞内Ca2+がAMPA受容体を介する電流を低下させるメカニズムの解析」

 登上線維入力と平行線維入力よって誘導されたプルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇がどのように作用してLTDを形成するのかは未だに明らかになっていない.近年,小脳LTDにはクラスリン依存性エンドサイトーシスによるAMPA受容体の細胞体内への取り込みが関与することを示唆する報告があった.クラスリン依存性エンドサイトーシスを誘導する分子メカニズムは未だに不明な部分が多いが,脱リン酸化酵素の働きによって促進されるという報告もある.そこで私は,Ca2+依存的に活性化され,かつ,プルキンエ細胞に多く発現している脱リン酸化酵素カルシニューリンに注目した.カルシニューリンのLTDに対する役割を明らかにすることで,細胞内Ca2+濃度上昇とLTDを結びつけることができると考えたからである.

 実験には,マウス(C57BL/6,生後18-25日目)から傍矢状断小脳スライス標本を作製してホールセルパッチクランプ法によりプルキンエ細胞の電気生理学的記録を行い,カルシニューリンを抑制することがLTD形成にどのような効果を与えるかを調べた.

 はじめにカルシニューリン抑制薬であるサイクロスポリンAが平行線維-プルキンエ細胞シナプスの興奮性後シナプス電流(EPSC)に与える影響を調べた.通常の細胞外液中でEPSCを測定し,その振幅が10分間以上安定したことを確認した後,細胞外液を1μMサイクロスポリンAを含む細胞外液と置換した.EPSCの振幅はサイクロスポリンAを入れた前後で変化せず,その振幅の安定は置換後少なくとも1時間は持続した.従って,この薬物が平行線維-プルキンエ細胞間のEPSCの振幅に直接の影響は及ぼさないことが確認できた.

 次に,1μMサイクロスポリンAを含む細胞外液に1時間以上浸しておいた小脳スライス標本上で,平行線維刺激とプルキンエ細胞の脱分極(登上線維刺激の代用)が同期した反復刺激を1Hz,300秒間(以下,LTD誘導刺激)行った.この刺激を行ってから20-30分後において,薬物なしの対照実験ではEPSCが約30%低下するLTDが観測されたが,サイクロスポリンA中ではEPSCの低下は約15%にとどまり,LTDの形成が有意に抑制された.また,別のカルシニューリン阻害薬であるFK506を用いても実験をおこなったが,全く同じ結果が得られ,FK506でもLTD形成が抑制された.

 カルシニューリン阻害薬を細胞外液中に入れたことでLTD形成が抑えられる原因には,(1)シナプス前終末(平行線維側)からのグルタミン酸放出が薬物により増強されたため,後膜側(プルキンエ細胞側)のグルタミン酸に対する応答の低下が打ち消されたこと,(2)シナプス後膜側でのLTD形成経路が妨げられたこと,の2点が考えられる.(1)の可能性を確かめるため,次のような実験を行った.パッチ電極内にBAPTA20mMを入れ,プルキンエ細胞内Ca2+をキレートしてシナプス後膜側でLTDが起きない状態にし,LTD誘導刺激をサイクロスポリンA投与群と非投与群に対して行った.刺激後のEPSCの振幅は両群ともに刺激の前後で有意な変化はみられず,両群間にも有意な差は見られなかった.この結果は,カルシニューリンを抑制した条件下におけるLTD誘導刺激がシナプス前終末からのグルタミン酸放出を増強させないことを示し,(2)の機序の関与を示唆している.(2)の可能性をさらに確かめるため,今度はカルシニューリン阻害ペプチドを含んだパッチ電極内液でプルキンエ細胞をパッチクランプし,シナプス後膜側のみでカルシニューリンを阻害した条件下にてLTD誘導刺激を行った.この実験の対照実験には,阻害ペプチドの特異的配列をスクランブルしたペプチドをパッチ電極内液に含んだものを用いた.

 対照実験ではEPSCが約30%低下するLTDが観察されたのに対し,カルシニューリン阻害ペプチド入りの内液でパッチクランプした細胞では刺激前のものに比べてEPSCがむしろ数%上昇し,LTD形成が有意に抑えられた.

 以上の結果は,LTD誘導刺激に引き続くプルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇が少なくともカルシニューリンを活性化することでLTDを形成していることを強く示唆している.

 第一章ではこれまでにない精度の高い方法を用い,プルキンエ細胞におけるIP3受容体のIP3に対する感度が非常に低いことを明らかにし,第二章では脱分極・平行線維同時入力に引き続くプルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇とLTDを結びつける因子を初めて同定した.これらの結果は運動学習の基礎過程であるLTD形成を解明するための研究に新たな糸口を提供すると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、小脳プルキンエ細胞における長期抑圧(LTD)形成に主たる役割を担うカルシウムシグナル経路を明らかにするため、マウス小脳を題材に、新しい生理活性測定法と電気生理学的方法を用いて進められた。プルキンエ細胞に発現するカルシウム放出チャネルであるIP3受容体の基本性質の解析と、カルシウムシグナルと長期抑圧を結ぶ因子の同定を試み、下記の結果を得ている。

1.低親和性Ca2+蛍光指示薬(Furaptra)をマウスの胎児小脳から調製したプルキンエ細胞初代培養系(培養3週目)の細胞質および小胞体に負荷した。次に、細胞膜を界面活性剤で透過性にして、細胞質の色素を除去すると共に、細胞質のCa2+およびIP3濃度を制御できるようにした。このようにして、プルキンエ細胞の小胞体内腔のCa2+濃度を制御された細胞質環境においてリアルタイムイメージングすることに初めて成功した。

2.上記の解析系を用いた結果、小脳プルキンエ細胞におけるIP3受容体のIP3に対する感受性は、他の組織に発現している同じサブタイプの受容体や、精製した小脳由来の受容体よりも約20倍低い(EC50=25.8μM)が、Ca2+感受性については差がない、ということが示された。また、IP3受容体の密度は細胞体よりも樹状突起のほうが1.5倍高いことも示された。以上のようなIP3受容体の性質は、拡散性の高いシグナル分子であるIP3の効果を局所に限り、シナプス可塑性に局所性を持たせることに貢献していると考えられた。

3.LTD形成に必須である細胞内Ca2+濃度上昇の下流の一つにCa2+依存性脱リン酸化酵素カルシニューリンがあると仮説を立て、これを検証した。マウスから小脳スライス標本を作製してホールセルパッチクランプ法によりプルキンエ細胞の電気生理学的記録を行なった。始めに、カルシニューリン抑制薬であるサイクロスポリンAが平行線維-プルキンエ細胞シナプスの興奮性後シナプス電流(EPSC)に与える影響を調べた。通常の細胞外液中でEPSCを測定し、その振幅が10分間以上安定したことを確認した後、細胞外液を1μMサイクロスポリンAを含む細胞外液と置換した。EPSCの振幅はサイクロスポリンAを入れた前後で変化せず、その振幅の安定は置換後1時間以上は持続した。従って、この薬物が平行線維-プルキンエ細胞間のEPSCの振幅に直接の影響は及ぼさないことが確認できた。

4.1μMサイクロスポリンAで1時間以上処理した小脳スライス標本上で、平行線維刺激とプルキンエ細胞の脱分極(登上線維刺激の代用)が同期した反復刺激を1Hz,300秒間(以下、LTD誘導刺激)行った。刺激後20-30分後において、薬物なしの対照実験ではEPSCが約30%低下するLTDが観測されたが、サイクロスポリンA中ではEPSCの低下は約15%にとどまり、LTDの形成が有意に抑制された。また、別のカルシニューリン阻害薬であるFK506を用いても全く同じ結果が得られ、LTD形成が抑制された。

5.カルシニューリン阻害薬を細胞外液中に入れたことでLTD形成が抑えられた原因を解明するため、シナプス前終末(平行線維側)からのグルタミン酸放出が薬物により増強されたため、後膜側(プルキンエ細胞側)のグルタミン酸に対する応答の低下が打ち消された、という可能性を検証した。パッチ電極内にBAPTA20mMを入れ、プルキンエ細胞内Ca2+をキレートしてシナプス後膜側でLTDが起きない状態にし、LTD誘導刺激をサイクロスポリンA投与群と非投与群に対して行った。刺激後のEPSCの振幅は両群ともに刺激の前後で有意な変化はみられず、両群間にも有意な差は見られなかった。

6.シナプス後膜側でのLTD形成経路が妨げられた可能性を検証するため、カルシニューリン阻害ペプチドを含んだパッチ電極内液でプルキンエ細胞をパッチクランプし、シナプス後膜側のみでカルシニューリンを阻害した条件下にてLTD誘導刺激を行った。この実験の対照実験には、阻害ペプチドの特異的配列をスクランブルしたペプチドをパッチ電極内液に含んだものを用いた。対照実験ではEPSCが約30%低下するLTDが観察されたのに対し、カルシニユーリン阻害ペプチド入りの内液でパッチクランプした細胞では刺激前のものに比べてEPSCがほとんど変化せず、LTD形成が有意にに抑えられた。以上の結果は、LTD誘導刺激に引き続くプルキンエ細胞内Ca2+濃度上昇が少なくともカルシニューリンを活性化することでLTDを形成していることを強く示唆している。

 以上本論文はLTD形成に必須であるというプルキンエ細胞内のカルシウムシグナル系を担うIP3受容体の機能解析を行うことで、新たなIP3受容体の生理的役割を示し、また、これまで未知であったLTD誘導刺激後に生じる細胞内Ca2+濃度上昇の下流には少なくともカルシニューリンがあることを示した。これらの結果はLTD形成におけるカルシウムシグナル経路網の解明に重要な貢献を示すと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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