学位論文要旨



No 118265
著者(漢字) 八下田,美佳
著者(英字)
著者(カナ) ヤゲタ,ミカ
標題(和) 新規がん抑制蛋白質TSLC1と結合する分子群の同定とその腫瘍抑制における役割の解明
標題(洋) Proteins binding with a novel tumor suppressor TSLCI : Their identification and analysis of their role in tumor suppression
報告番号 118265
報告番号 甲18265
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2072号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 助教授 渡邊,すみ子
 東京大学 助教授 仁木,利郎
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 新規癌抑制遺伝子TSLC1は肺非小細胞癌(NSCLC)細胞株A549を用いたヌードマウスの腫瘍原性抑制活性を指標とした機能的相補法により同定された。TSLC1の片アレルの欠失変異ともう一方のアレルのプロモーター領域のメチル化による2ヒット不活性化が40%のNSCLC、20-30%の肝臓癌、膵臓癌等で認められている。TSLC1は細胞外に3つの免疫グロブリン様C2ドメインを持つ膜貫通型糖蛋白質であり、細胞接着分子として機能することがすでに示されている。一方47アミノ酸から成る細胞内ドメインは、肺がんの手術材料で欠失変異が認められたことから腫瘍抑制に重要な機能を果たしていると考えられる。TSLC1の細胞内ドメインは、glycophorin C、ショウジョウバエのneurexin IVに高い相同性があるが、いずれの蛋白質もprotein4.1郡への結合モチーフを持つ。Protein4.1群はFERMドメインとスペクトリン-アクチン結合ドメインを介して膜蛋白質とアクチン細胞骨格とを架橋する細胞の裏打ち蛋白質として機能することが知られている。膜蛋白質glycophorin Cはprotein4.1に結合し赤血球膜の形態維持に働き、neurexin IVはprotein4.1のショウジョウバエ相同体であるCoracleに結合し、細胞接着維持に重要な機能を果たすことが示されている。TSLC1もProtein4.1群との結合が推定されるが、特にProtein4.1群のDAL-1/4.1Bは、TSLC1と同様に肺癌での発現低下を指標に癌抑制遺伝子の候補として単離された因子であり、肺癌以外に60%の髄膜腫で発現の減少が報告されていることから、TSLC1,DAL-1という2つの癌抑制蛋白質の結合と腫瘍抑制における役割について検討した。

 さらにglycophorin Cはprotein4.1の他に、PDZ結合領域を介して膜結合型グアニル酸キナーゼ相同体(MAGuK)ファミリーの一つであるMPP/p55とも結合し、三量体を形成する。MAGuKファミリー分子は、Dlg-like,ZO-1-like,Lin-2-like,MPP-like MAGuKの4つのサブファミリーで構成されるが、いずれもPDZ、SH3、非触媒的グアニル酸キナーゼ(GuK)の3ドメインを有しており、複合体形成の足場(scaffold)分子としての機能が示唆されている。神経細胞ではneurexinがprotein4.1NとLin-2-like MAGuKであるCASKと、上皮細胞ではSyndecan-2がprotein4.1とCASKと三量体を形成することがすでに報告されている。これらの膜蛋白質およびTSLC1には、Lin-2-1ike、MPP-like MAGuKが持つclassII PDZドメインに結合するモチーフ;X-φ-X-φ(X:任意のアミノ酸、φ:疎水性アミノ酸)が存在する。そこで次にTSLC1、DAL-1複合体とこれらのMAGuK蛋白質との結合について解析を行った。このようなTSLC1の細胞内領域に形成される複合体およびその機能の解析がTSLC1を介した腫瘍抑制経路の解明につながると考えられる。

【結果および考察】

1)二つの肺がん抑制因子:TSLC1とDAL-1複合体形成と腫瘍抑制における機能

 TSLC1の細胞内領域には、10アミノ酸からなるprotein4.1群結合モチーフが存在することから、TSLC1とprotein4.1群の一種であるDAL-1との結合について解析を行った。HEK293細胞にV5 tagを付加したDAL-1を導入し、抗TSLC1抗体で免疫沈降を行った。抗V5抗体でウエスタンブロットを行うことにより共沈したDAL-1が検出され、in vivoでTSLC1とDAL-1が結合することが明らかになった。次に様々な欠失変異を持つTSLC1の細胞内領域をGSTとの融合蛋白質として大腸菌内で発現させ、in vivoで合成したDAL-1蛋白質との結合を調べた。細胞内領域の全長およびPDZ結合領域に欠失のあるGST融合蛋白質はDAL-1に結合するのに対して、protein4.1結合領域に欠失のあるそれではDAL-1に結合は見られず、TSLC1はprotein4.1結合モチーフを介してDAL-1に結合することが示された。

 またTSLC1とDAL-1の細胞内局在を免疫染色法により解析した。V5 tagを付加したDAL-1を導入したHEK293細胞を、抗TSLC1抗体、抗V5抗体およびアクチン結合性のファロイジンで3重染色し共焦点顕微鏡による観察を行った。飽和密度状態ではTSLC1,DAL-1はアクチンと同様に細胞の接着面に共局在し、ハチの巣状の染色パターンを示した。一方、細胞密度が低い細胞接着の初期の状態では、アクチンは細胞の接着面を含む辺縁部全体に局在したが、TSLC1とDAL-1は接着面に強く共局在した。以上の結果とDAL-1の機能から考えてTSLC1はDAL-1を介してアクチン細胞骨格に結合すると推測されるが、この仮説を証明するために、上記の細胞をアクチン重合阻害剤であるサイトカラシンDで処理し同様の染色を行った。飽和密度状態にある細胞はサイトカラシンDの処理によって局所的にアクチン骨格が崩壊し細胞どうしの接着が失われたが、それらの部位ではTSLCl,DAL-1とも消失しており、未だ接着が残っている部位ではTSLC1,DAL-1とも共局在することからTSLC1とDAL-1の共局在はアクチン骨格依存的であることが示唆された。さらに細胞骨格との関連を調べるためにDAL-1を導入した神経膠腫細胞株U251を、タンパクキナーゼCの活性化剤であるホルボールエステル(TPA)で処理し同様の染色を行った。TPAで処理しない場合にはTSLC1,DAL-1とも細胞の辺縁部に部分的に共局在し、アクチンは細胞全周囲への局在および細胞内でのストレスファイバーの形成が見られた。一方、TPAで処理した場合には、アクチンの再構成が誘導されストレスファイバーは消失し細胞膜のせり上がり(ruffling)が観察されたが、このときTSLC1,DAL-1は新しく形成されたruffling部位に共局在した。このような動的な局在の変化から、TSLC1とDAL-1の複合体は細胞接着からの刺激を細胞骨格へと伝え、細胞の運動能へも影響している可能性が示唆された。このような細胞運動にはRhoファミリーGTPaseが関与すること、TPA処理による細胞膜のせり上がりはRhoおよびRacの協調的な制御で起こることがすでに報告されていることから、TSLC1,DAL-1の複合体の動的変化もRhoファミリーGTPaseによって制御されている可能性がある。

 次にノーザンブロット法によりTSLC1とDAL-1の発現を12のNSCLC細胞株で比較した結果、DAL-1の発現はTSLC1の発現が抑制されている6つの細胞に加えて、他の3細胞株でも抑制が見られた。さらにTSLC1とDAL-1の発現が共に正常である3つのNSCLC細胞株は、いずれもinvivoでの転移能が低いという報告がある。ヌードマウスにおける脾臓から肝臓への腫瘍の転移能を調べた実験から、TSLC1単独でも転移抑制効果はあるが、先の結果と合わせると、TSLC1とDAL-1は肺癌の形成、転移の抑制において相乗的に働く可能性ある。細胞接着因子で癌抑制蛋白質として機能する他の分子、E-カドヘリンやその結合蛋白質はいずれも癌の進行における変異の標的になっていることから考えても、TSLC1,DAL-1の不活性化は肺癌の進行の標的となっていることが示唆される。

2)細胞膜直下でのTSLC1,protein 4.1,MAGuKによる三量体形成

 TSLC1はそのC末端部にglycophorin Cと同様のPDZ結合モチーフ(アミノ酸配列:EYFI)を持つことから、TSLC1とMPP-like MAGuK蛋白質の結合をGST pull down法によって調べた。V5 tagを付加したDAL-1およびHA tagを付加したMPP蛋白質を導入した。cos-7細胞抽出液を、TSLC1の細胞内領域のGST融合蛋白質と混合し結合を抗V5抗体、抗HA抗体によって検出した。その結果、MPPl,MPP2,MPP3あいずれもTSLC1-DAL-1複合体に結合することが示された。次にTSLC1とMPPおよびDAL-1とMPPの直接の結合を、GST pull down法、免疫沈降法それぞれで調べたところ、TSLClはPDZ結合モチーフ依存的にMPP蛋白質と結合すること、DAL-1も直接MPP蛋白質に結合することが示された。

 次にHEK293細胞におけるこれらの蛋白質の局在を、それぞれの特異抗体を用いた免疫染色によって調べた。飽和密度状態では内因性のMPP1,MPP2,MPP3,CASKはTSLC1,DAL-1と同様に細胞の接着面に共局在し、ハチの巣状の染色パターンを示した。また細胞接着の初期の状態では、MPP2のみがTSLC1とDAL-1と同じく接着面に強く共局在したことから、TSLC1-DAL-1-MPP2複合体が細胞接着に関与する可能性が示唆された。さらにヒト大腸がん由来細胞Caco-2を極性状態で培養した場合には、TSLC1およびprotein4.1N(この細胞でDAL-1に代わって発現するprotein4.1)はタイトジャンクションのマーカーであるZO-1より下のラテラル面に局在した。同様に3つのMPP蛋白質、CASKもラテラル面に局在したが、MPP1,MPP3はZO-1より上のアピカル面にもその局在が見られた。またこの細胞におけるTSLC1,4.lN,MPP2の結合を抗TSLC1抗体で免疫沈降することにより確認できたことから、細胞内における三量体形成が明らかにされた。

 以上の結果から、glycophorin Cやneurexinと同様にTSLC1,protein4.1とclass II PDZドメインを持つMAGuK蛋白質は三量体を形成することが示された。さらに複合体中の各分子の機能から、その複合体は細胞接着と細胞骨格、細胞内シグナル伝達を共役する場となり腫瘍の形成および転移の抑制に関与することが示唆された。このようなTSLC1複合体を介した腫瘍抑制のメカニズムとしては細胞の接触阻害による増殖および運動の抑制が考えられるが、これらを実証するためにはさらなる研究が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、がん抑制蛋白質として同定され、細胞接着因子として機能するTSLC1による腫瘍抑制のメカニズムを明らかにするために、その細胞内ドメインに結合する分子群の同定を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.TSLC1の細胞内ドメインは、protein4.1群結合モチーフを持つが、このファミリーに属する4分子のうちDAL-1/4.lBは、TSLC1と同様に肺がんの抑制遺伝子の候補として単離されたことからTSLC1とDAL-1の結合を免疫沈降法とGST pull-down法により検討したところ、両者は直接結合し、細胞内で複合体を形成することが示された。

 2.HEK293細胞を用いた免疫染色法により、TSLC1,DAL-1はアクチンと同様に細胞の接着面に共局在することが示された。またDAL-1は膜蛋白質とアクチン細胞骨格を連結する分子であることから、細胞をアクチン重合の阻害剤であるサイトカラシンDで処理し同様の染色を行ったところ、アクチン骨格が崩壊し細胞どうしの接着が失われた部位ではTSLC1,DAL-1はともに消失したことから、両者の共局在はアクチン細胞骨格依存的であることが示唆された。

 3.神経膠腫細胞株U251をタンパクキナーゼCの活性化剤であるホルボールエステル(TPA)で処理し免疫染色を行ったところ、処理前に見られたストレスファイバーは消失し、一方で細胞膜のせり上がり(rufflin)が観察された。このときTSLC1,DAL-1は新しく形成されたruffling部位に共局在したことから両者の複合体はアクチン細胞骨格の再構成を伴う細胞の運動にも関与する可能性が示唆された。

 4.多くの肺非小細胞がんでTSLC1とDAL-1の発現抑制が見られることから、がん化と進展の標的になることが示唆される。またヌードマウスにおける脾臓から肝臓への腫瘍の転移能を調べたところTSCL1単独でも転移の抑制効果が示された。

 5.TSLC1はそのC末端部にclass II PDZ結合モチーフを持つことから、このドメインを持つMPP-like MAGuK蛋白質とTSLC1-DAL1複合体との結合をGST pulldown法によって調べた結果、MPP1,MPP2,MPP3のいずれもこの複合体に結合することが示された。同様にTSLC1とMPPs、DAL-1とMPPsの直接の結合も示されたことから、TSLC1-DAL-1-MPPの三者複合体の存在が示唆された。

 6.HEK293細胞を用いてそれぞれの特異抗体により免疫染色を行ったところ、飽和密度状態では内因性のMPP1,MPP2,MPP3,CASK(Lin-2-like MAGuK)はTSLC1,DAL-1と同様に細胞の接着面に共局在するが、一方で細胞接着の初期の状態では、MPP2のみがTSLClとDAL-1と同じく接着面に強く共局在し、TSLC1-DAL-1-MPP2複合体が細胞接着形成に関与する可能性が示唆された。

 7.ヒト大腸がん由来細胞Caco-2を極性状態で培養し上と同様の免疫染色を行ったところ、TSLC1およびprotein4.1NはタイトジャンクションのマーカーであるZO-1より下のラテラル面に局在し、同様にMPPs,CASKもラテラル面に局在したが、MPP1,MPP3はZO-1より上のアピカル面にもその局在が見られた。またこの細胞におけるTSLC1,4.1N,MPP2の結合を抗TSLC1抗体を用いた免疫沈降法により確認できたことから、細胞内における複合体形成が示された。

 8.上皮細胞におけるTSLC1-protein4.1(DAL-1,4.1N)-MAGuK(MPP1-3,CASK)複合体に相当するものとして、血球細胞ではglycophorin C-4.1R-MPP1複合体、神経細胞ではNeurexins-4.1N-CASK複合体が同定されており、細胞膜直下に形成される三量体は進化的に保存されていることが示唆された。

 以上、本論文はがん抑制蛋白質TSLC1の細胞内ドメインに結合する分子としてprotein4.1およびMAGuK蛋白質を同定し、これらの分子が細胞接着、細胞骨格および細胞内シグナル伝達を共役すると考えられる三者複合体を形成することを明らかにした。本研究は細胞接着分子を介した腫瘍の形成や転移の抑制のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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