学位論文要旨



No 118270
著者(漢字) 小川,道永
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ミチナガ
標題(和) 赤痢菌のIII型分泌機構依存的に分泌される新規病原因子IcsBの機能に関する分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 118270
報告番号 甲18270
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2077号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 俣野,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

 赤痢菌は腸管侵入性大腸菌(EIEC)と共に細菌性赤痢の原因菌として知られている。細菌性赤痢の起因菌である赤痢菌は、経口的にヒトの体内に取り込まれた後、腸管下部においてM細胞から侵入し、その下部に常在するマクロファージに感染する。赤痢菌の感染を受けたマクロファージはアポトーシスあるいはオンコーシスにより死滅する。死滅したマクロファージから離脱した菌は吸収上皮細胞に側底面より侵入する。上皮細胞へ侵入した赤痢菌は細胞内を運動しながら隣接上皮細胞へ漸次感染を行い、最終的に血性下痢を惹起する。赤痢菌の感染過程を分子レベルで明らかにすることは、ワクチンを含めた細菌性赤痢の予防法、さらには治療法を開発する上で非常に重要である。

 赤痢菌のIII型分泌機構を通じて分泌される病原性蛋白質は宿主細胞の高次機能に様々な方法(促進、修飾、抑制等)で影響を及ぼし、感染に促進的に働くことから「エフェクター蛋白質」と呼ばれている。赤痢菌感染において重要な役割を果たす病原因子は、主に赤痢菌の保有する220kbの病原プラスミド上の31kbにわたる病原遺伝子塊にコードされている。その病原遺伝子塊には細胞侵入に関わるIpa蛋白質群と、その分泌に必要なIII型分泌機構の構成蛋白質であるMxiおよびSpa蛋白質群等の遺伝子がコードされている。icsB遺伝子はipaオペロンとmxi-spaオペロンの中間に位置し、さらipaオペロンの最も上流に位置することから、その病原性への関与が予想されてきた。しかしIcsBはDNAおよびアミノ酸レベルで既存の蛋白質との相同性が全く認められないことからIcsBのエフェクター蛋白質としての機能は現在までに全く不明であった。

 そこで、本研究ではicsB遺伝子非極性欠失変異株を作製することにより、赤痢菌のIII型分泌機構によるIcsBの分泌性を調べ、またその安定性と分泌に必要なシャペロン分子を同定することを目的とした。その結果、コンゴレッド色素によるIII型分泌機構誘導実験、および培養細胞を用いた感染実験によりIcsBは赤痢菌のIII型分泌機構を通じて分泌される蛋白質であることが明らかになった。また、III型分泌機構によるIcsBの分泌にはIcsBのN末端領域に存在する15アミノ酸が必要であることを示した。グラム陰性菌のIII型分泌機構により分泌されるエフェクター蛋白質の多くは固有ののシャペロン分子を有していることから、IcsBに対するシャペロン分子を化学的な性質をもとに検索した。その結果、病原プラスミド上においてicsB遺伝子の直下に位置しているipgA遺伝子にコードされているIpgAがIcsBに対するシャペロン分子であることが明らかになった。ipgA遺伝子非極性欠失変異株では菌体内および分泌物中のIcsB量が検出限界以下にまで減少した。さらに詳細な解析によりIpgAはIcsBのIII型分泌機構による分泌および菌体内での安定化に必須であることを明らかにした。また、IcsBとIpgAは菌体内において結合性を示し、その結合にはIcsBの171から247番目のアミノ酸領域が必要であることを示した。興味あることに、icsB遺伝子の終止コドンTAGは特定の環境下において他のアミノ酸に置換されるアンバーサプレッシブコドンで、赤痢菌ではicsB遺伝子からipgA遺伝子へ「リードスルー」されて、その結果下流に位置するIpgAとの融合蛋白質が発現される可能性を見いだした。この融合蛋白質もIH型分泌機構から分泌されることが明らかになったが、その病原性に果たす役割は明確にはできなかった。いずれにしても、これらの結果は、IcsBが赤痢菌のIII型分泌機構により分泌されるエフェクター蛋白質であることを強く示唆するものである。

 次に、動物実験モデル、培養上皮細胞、繊維芽細胞、酵母を用いて赤痢菌の感染におけるIcsBの役割を解明するために多角的な機能解析を試みた。まず始めに、IcsBが真核細胞に与える影響を、培養上皮細胞および酵母にIcsBを発現させて解析をおこなった。その結果、IcsBは上皮細胞に対し細胞傷害性を示し、酵母に対しては生育を阻止することが明らかになった。さらに、赤痢菌感染におけるIcsBの役割を明らかにするための一次検索として、モルモットを用いた角膜結膜炎惹起試験をおこなった結果、野生株投与群と比較して、ΔicsB株投与群では赤痢菌感染による結膜炎の発症が顕著に抑制されていた。また、繊維芽細胞であるBHK細胞を用いた実験の結果、ΔicsB株感染細胞では野生株感染細胞と比較して、菌体の周囲へのアクチン凝集環の形成率が大幅に上昇していた。次に、細胞間拡散能を、上皮細胞であるMDCK細胞を用いたプラーク形成試験により調べた結果、野生株感染細胞と比較してΔjcsB株感染細胞では形成されたプラークの直径が有意に低下した。そこで、透過型電子顕微鏡を用いた観察をおこなった結果、ΔjcsB株感染細胞では多層のラメラ構造を持ったリソソームが菌体の周囲を取り囲んでいることが明らかになった。蛍光色素を用いてリソソームを染色した結果、菌体の周囲にリソソームが局在するものが観察された。実際に、リソソーム膜上に存在するv-ATPase阻害剤であるバフィロマイシンA1を培地に添加することにより、ΔicsB株の細胞問拡散能は野生株と同程度にまで回復した。さらに、オートファゴゾームに特異的なマーカー分子であるLC3を発現させたMDCK細胞を作製し、赤痢菌とGFP-LC3との局在性を調べた結果、ΔicsB株感染細胞では菌体の周囲へのGFP-LC3の局在が認められたのに対し、野生株感染細胞ではこのような局在性は認められなかった。オートファゴゾーム形成阻害剤であるワートマニン処理をおこなった細胞では、菌体の周囲へのGFP-LC3の局在は消失した。以上の結果から、IcsBは赤痢菌の上皮細胞への侵入後、宿主細胞内でオートファジーによる菌の捕捉を抑制していることが強く示唆された。

 本研究により、赤痢菌感染によって起こるオートファジーは、動物細胞への細菌感染時に起きることが報告されている「マクロオートファジー」ではなく、リソソームが直接菌体を飲み込む「ミクロオートファジー」であることが示唆された。現在までに、細胞内に侵入した細菌がミクロオートファジーにより消化殺菌される例は報告されていない。さらに、現在までに動物細胞でのミクロオートファジーの意義は明らかになっておらず、分子機構もほとんど不明である。。しかし近年、酵母を用いた研究からマクロオートファジーとミクロオートファジーは一部の分子装置を共有している可能性が示唆されている。MDCK細胞におけるΔicsB株のミクロオートファジーにおいて、マクロオートファジーにおいて形成されるオートファゴゾームに局在する分子として報告されているLC3の関与が示唆されたという本研究の結果は、この仮説を裏付けるものであると同時に、動物細胞におけるミクロオートファジー研究の発展にも貴重な情報を提供するものであると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は赤痢菌の病原プラスミド上にコードされているIcsBのIII型分泌機構による分泌性および赤痢菌の病原性における役割を明らかにするために、分子遺伝学的、細胞生物学的および実験病理学的解析により、下記の結果を得ている。

1.非極性欠失変異株を作製し、IcsBの分泌性をウェスタンブロッテインクにより解析を行った結果、IcsBが赤痢菌のIII型分泌機構依存的に分泌されることが示された。

2.icsB遺伝子相補株、およびipgA遺伝子非極性欠失変異株におけるIcsBの分泌性および安定性の解析から、IcsBに対するシャペロン分子IpgAを同定した。さらにIpgAの有無によるIcsBの分泌性および菌体内での安定性を解析することによりIpgAがIcsBの分泌および安定化に必須であることが示された。

3.アフィニティーカラムを用いた解析の結果、IcsBとIpgAが相互作用し、さらにIpgAに対するIcsBの結合領域が171から247番目のアミノ酸領域であることが示された。

4.TOF-MSおよびサプレッサーtRNAを用いた解析によりicsB遺伝子の終止コドンであるUAGがサプレッサーtRNAによりリードスルーされ、IcsBとその下流にコードされているIpgAとの融合蛋白質が発現する可能性が示された。

5.培養上皮細胞におけるIcsBの発現解析により、IcsBが哺乳類細胞に対して細胞傷害性を有しており、この細胞傷害性にはIcsBの1-125番目のアミノ酸が関与していることが示された。さらに、酵母を用いたIcsBの発現解析により、IcsBが酵母の生育を完全に抑制することが示された。

6.モルモットを用いたセレニー試験により、icsB変異株投与群では赤痢菌感染による角膜結膜炎の発症が顕著に抑制されることを見出し、赤痢菌の病原性においてIcsBが重要な役割を果たしていることが示された。

7.繊維芽細胞であるBHK細胞を用いた感染実験の結果から、icsB変異株感染細胞では、野生株感染細胞と比較して菌体の周囲へのアクチン凝集環の形成率が大幅に上昇することが示された。

8.MDCK細胞を用いプラーク形成試験を行った結果、icsB変異株では細胞間拡散能が有意に低下していることが示された。また、バフィロマイシンA1により、icsB変異株の細胞間拡散能が回復することが示された。

9.透過型電子顕微鏡を用いた観察をおこなった結果、icsB変異株は宿主細胞侵入後に多層のラメラ構造を持ったリソソーム(ミクロオートファゴソーム)により捕食されることが示された。

10.オートファゴソームに特異的なマーカー分子であるLC3を安定発現させたMDCK細胞株を作製し、赤痢菌とLC3との局在性を解析した結果、icsB変異株感染細胞では菌体の周囲へLC3が集積することが示された。したがってicsB変異株では菌体がオートファゴゾームに捕食されるために細胞間拡散能が低下している可能性が示された。

 以上、本論文は赤痢菌の保持している新規病原因子IcsBに関して、分子生物学的および細胞生物学的解析から、IcsBの分泌性およびその機能を明らかにした。本研究は赤痢菌の感染メカニズムの解明および動物細胞におけるミクロオートファジー研究の発展にも重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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