No | 118271 | |
著者(漢字) | 豊留,孝仁 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | トヨトメ,タカヒト | |
標題(和) | 赤痢菌タンパク質IpaHの分泌および宿主細胞内動態に関する研究 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 118271 | |
報告番号 | 甲18271 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第2078号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 病因・病理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 細菌性赤痢の脅威は日本をはじめとする先進国では衛生環境の向上と化学療法剤の普及によって無くなったが、発展途上国では年間1億5000万人以上が罹患し、乳幼児を中心に100万人以上が死に至っており、依然として公衆衛生上の大きな問題となっている。また、ニューキノロン剤などを用いた治療の普及と同時に化学療法剤に対する耐性を獲得した赤痢菌も増加しており、抗生物質による治療を困難なものにしている。このような背景から赤痢菌の感染機構を分子レベルで解明することは、途上国でも広く使用できるようなワクチンの開発やこれまでの抗生物質に頼らない新規治療法の開発、更には新規薬剤の開発に重要と考えられる。 赤痢菌は数種のIpaHを産生することが報告されている。これまでに報告されている5つのipaH遺伝子から推定されるアミノ酸の一次構造上の特徴として、N末端近傍にロイシンリッチリピート(LRR)を持つことが挙げられる。LRRは真核生物に広く存在し、一般的にタンパク質間相互作用を担うことが知られている。IpaHが持つLRRは20アミノ酸の繰り返し単位からなり、この繰り返し単位は今まで知られているLRRの中で最も短いものである。また、C末端側にはおよそ300アミノ酸からなる高度に保存された領域が存在する。IpaHホモログダンパク質以外でこの領域と相同性を持つ遺伝子は見つかっていない。 近年、モルモットを用いた角結膜炎惹起試験で、ipaH遺伝子を欠損した赤痢菌株の感染において野生株感染時と比べ強度の角結膜炎が惹起されるという報告がFernandez-Pradaらによってなされた。このことからIpaHが赤痢菌感染に随伴する炎症反応を調節する因子であるとFernandez-Pradaらは示唆している。これまでに報告されているipaBCD遺伝子欠失株などは角結膜炎惹起試験において角結膜炎の発症が認められなくなるが、ipaH遺伝子欠失変異株は遺伝子の欠失によってより強度の炎症反応が惹起される点で非常に特徴的である。 病原菌のゲノム解析が進むにつれ、サルモネラやペスト菌などのグラム陰性病原細菌からもipaHと相同性のある遺伝子が単離されており、赤痢菌と同様に複数コピーのipaH類似遺伝子をもっていることが明らかとなっている。 このようにLRRを有するIpaHホモログタンパク質がグラム陰性病原細菌に広く存在するだけでなく、これら病原細菌がipaHと相同性のある遺伝子をゲノム上に複数コピー保有している事実から、IpaHホモログタンパク質がこれらのグラム陰性病原細菌にとって欠かすことのできない重要な因子であることが示唆される。特にIpaHタンパク質は赤痢菌感染における炎症反応の調節因子と考えられることから、赤痢菌の感染成立に重要な役割を果たしていることが示唆される。IpaHの機能が詳細に解明されることにより、赤痢菌以外のIpaHホモログタンパク質を持つグラム陰性病原細菌の感染機構の解明の一助となり、更には新規標的分子としての新規薬剤、新規治療の開発にも大きな知見を与えると期待できる。しかし、IpaHの赤痢菌感染における機能や役割、また分子としての挙動は全く不明であった。 第1章ではIpaHがIII型装置から分泌されるか否かを解析した。赤痢菌ではジアゾ系色素コンゴレッドの存在下において哺乳類細胞接触時と同様にエフェクターが分泌される事が知られている。そこでコンゴレッド存在下でIpaHの分泌について解析した結果、IpaH4.5、IpaH7.8、IpaH9.8はいずれも菌体外へ分泌されることが明らかとなった。一方コンゴレッド非存在下では菌体外への分泌は認められなかった。更にIII型分泌装置を破壊した株ではコンゴレッド存在下において分泌は全く行われなかった。これらの結果からIpaHはIII型分泌装置を介して分泌されることが強く示唆された。更にIpaH9.8がIII型分泌装置から分泌されるために必要な領域について解析した。欠失変異体の解析からN末端60アミノ酸が分泌に必須であると考えられたが、174位以降のC末端領域も効率的な分泌に関与することが考えられた。また、N末端60アミノ酸の大部分をフレームシフトさせ、アミノ酸配列のみを大きく変化させた変異IpaH9.8はIII型分泌機構による分泌が認められなかった。このことからIII型装置からの分泌にN末端60アミノ酸配列が重要と考えられた。更に欠失変異体を構築して解析した結果、IpaH9.8ではN末端の12アミノ酸がIII型装置を通じて分泌されるために必要な領域であることが示された。 また、赤痢菌の細胞侵入に関わるIpaBCDはコンゴレッド添加後速やかに菌体外液へ分泌されるが、IpaHタンパク質はコンゴレッド添加2時間後に初めて分泌が認められた。この結果からIpaBCDが細胞侵入に伴い分泌されるのと異なり、菌が上皮細胞侵入後にIpaHが分泌されることが強く示唆された。 第2章ではIpaHの一つ、IpaH9.8に焦点を絞り、宿主細胞内動態を解析した。IpaH9.8高発現赤痢菌を利用して感染した宿主細胞で分泌されるIpaH9.8を蛍光顕微鏡下で観察した結果、IpaH9.8は赤痢菌から分泌後、細胞の核内に局在する様子が観察された。更に細胞内にIpaH9.8を大量産生させた場合やIpaH9.8を直接細胞内に注入した場合も同様に核への移行が観察された。これらの結果からIpaH9.8は宿主細胞質内で赤痢菌から分泌された後、細胞核へ移行する核移行性タンパク質であることが強く示唆された。 上述のようにIpaH9.8は核へ移行する以外に細胞質内で核周辺の一極へ集まる様子が観察された。この現象を解析した結果、IpaH9.8が微小管形成中心へ集積することが示された。この集積は微小管重合阻害剤ノコダゾールで処理することにより消失するとともにIpaH9.8の効率的な核内局在が起こらなくなった。これらの結果からIpaH9.8は微小管に依存した系により微小管形成中心へ集積し、IpaHg.8の核内移行を効率的なものとしていることが示唆された。 核内への移行を解析するためにジギトニン処理細胞を用いたin vitro核移行アッセイを行った。この実験からもIpaH9.8の核内移行能が確認された。IpaH9.8はこれまで知られているような核局在化シグナル(NLS)を持つタンパク質と異なり、核内移行反応で宿主細胞質の可溶性画分やエネルギー再生系成分を必要としなかった。また、ATP要求性は部分的に認められた。更に核膜孔通過を阻害する小麦胚凝集素により核内移行が阻害されたことや4℃で核内移行が認められなくなったことから、IpaH9.8の核内移行は非特異的な拡散によるものではなく、核膜孔を通じた選択的な核内移行であると考えられた。これらの核移行様式はNLSを持つタンパク質と異なり、むしろβ・カテニンの核内移行様式と類似していることが示された。 次にIpaH9.8の核内移行に関与する領域について解析する目的で、種々のipaH9.8部分欠失遺伝子を宿主細胞で強発現させ、IpaH9.8の局在を調べた結果、N末端60アミノ酸を欠失した変異体では核移行が認められなくなった。また、ipaH9.8遺伝子のフレームシフトによりN末端60アミノ酸配列が大きく変化したIpaH9.8変異タンパク質も核移行が認められなかった。更にジギトニン処理した細胞を用いた核移行アッセイによりIpaH9.8の核内移行に関与する領域の同定を進めた。N末端66アミノ酸を融合したGFPタンパク質は核移行が認められた。これらの結果から、IpaH9.8のN末端60アミノ酸が核膜孔を通じた選択的な核内移行に必要な領域であることが明らかとなった。 以上の結果からIpaH9.8は感染細胞中で赤痢菌からIII型分泌装置を通じて分泌され、微小管に依存した系を通じて核近傍の微小管形成中心へと向かい、更に核膜孔を通過して核内に入るという挙動を示すことが明らかとなった。 | |
審査要旨 | 本研究では赤痢菌の病原因子と想定されるタンパク質IpaHがIII型装置を通じて菌体外へと分泌されているかを解析し(第1章)、そしてIpaHの一つ、IpaH9.8についてその宿主細胞内での動態の解析を試みた(第2章)ものであり、下記の結果を得ている。 (i)コンゴレッド存在下における赤痢菌からのIpaHの分泌について解析した結果、IpaH4.5,IpaH7.8,IpaH9.8はいずれも菌体外へ分泌されることが明らかとなった。一方コンゴレッド非存在下では菌体外への分泌は認められなかった。更にIII型分泌装置を破壊した株で解析を行った結果、コンゴレッド存在下においても分泌は全く観察されなかった。これらの結果からIpaHはIII型分泌装置を介して分泌されることが強く示唆された。 (ii)IpaH9.8がIII型分泌装置から分泌されるために必要な領域について解析した。欠失変異体の解析からN末端60アミノ酸が分泌に必須であると考えられたが、174位以降のC末端領域も効率的な分泌に関与することが考えられた。また、N末端60アミノ酸の大部分をフレームシフトさせ、アミノ酸配列のみをこのことからIII型装置からの分泌にN末端60アミノ酸配列が重要と考えられた。更に欠失変異体を構築して解析した結果、IpaH9.8ではN末端の12アミノ酸がIII型装置を通じて分泌されるために必要な領域であることが示された。 (iii)赤痢菌の細胞侵入に関わるIpaBCDはコンゴレッド添加後速やかに菌体外液へ分泌されるが、IpaHタンパク質はコンゴレッド添加2時間後に初めて分泌が認められた。この結果からIpaBCDが細胞侵入に伴い分泌されるのと異なり、菌が上皮細胞侵入後にIpaHが分泌されることが強く示唆された。 (iv)IpaHの一つ、IpaH9.8に焦点を絞り、宿主細胞内動態を解析した結果、IpaH9.8は宿主細胞内において赤痢菌から分泌された後、宿主細胞核内に局在する様子が観察された。更に細胞内にIpaH9.8を大量産生させた場合やIpaH9.8を直接細胞内に注入した場合も同様に核への移行が観察された。これらの結果からIpaH9.8は宿主細胞質内で赤痢菌から分泌された後、細胞核へ移行する核移行性タンパク質であることが強く示唆された。 (v)IpaH9.8は核へ移行する以外に細胞質内で核周辺の一極へ集まる様子が観察された。この現象を解析した結果、IpaH9.8が微小管形成中心へ集積することが示された。この集積は微小管重合阻害剤ノコダゾールで処理することにより消失するとともにIpaH9.8の効率的な核内局在が起こらなくなった。これらの結果からIpaH9.8は微小管に依存した系により微小管形成中心へ集積し、IpaH9.8の核内移行を効率的なものとしていることが示唆された。 (vi)核内への移行を解析するためにジギトニン処理細胞を用いたin vitro核移行アッセイを行った。この実験からもIpaH9.8の核内移行能が確認された。IpaH9.8はこれまで知られているような核局在化シグナル(NLS)を持つタンパク質と異なり、核内移行反応で宿主細胞質の可溶性画分やエネルギー再生系成分を必要としなかった。また、ATP要求性は部分的に認められた。更に核膜孔通過を阻害する小麦胚凝集素により核内移行が阻害されたことや4℃で核内移行が認められなくなったことから、IpaH9.8の核内移行は非特異的な拡散によるものではなく、核膜孔を通じた選択的な核内移行であると考えられた。これらの核移行様式はNLSを持つタンパク質と異なり、むしろβ・カテニンの核内移行様式と類似していることが示された。 (vii)IpaH9.8の核内移行に関与する領域について解析する目的で、種々のipaH9.8部分欠失遺伝子を宿主細胞で強発現させ、IpaH9.8の局在を調べた結果、N末端60アミノ酸を欠失した変異体では核移行が認められなくなった。また、ipaH9.8遺伝子のフレームシフトによりN末端60アミノ酸配列が大きく変化したIpaH9.8変異タンパク質も核移行が認められなかった。更にジギトニン処理した細胞を用いた核移行アッセイによりIpaH9.8の核内移行に関与する領域の同定を進めた。N末端66アミノ酸を融合したGFPタンパク質は核移行が認められた。これらの結果から、IpaH9.8のN末端60アミノ酸が核膜孔を通じた選択的な核内移行に必要な領域であることが明らかとなった。 以上、本論文はIpaH9.8が感染細胞中で赤痢菌からIII型分泌装置を通じて分泌され、微小管に依存した系を通じて核近傍の微小管形成中心へと向かい、更に核膜孔を通過して核内に入るという一連の挙動を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった赤痢菌タンパク質IpaHに関して初めて詳細に解析が行われたものであり、IpaHを赤痢菌の新規病原因子として位置付けると共に、今後の赤痢菌感染機構の解明に大きく貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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