学位論文要旨



No 118273
著者(漢字) 水谷,壮利
著者(英字)
著者(カナ) ミズタニ,タケトシ
標題(和) レトロウイルスの発現維持に必須な宿主蛋白質、Brmの同定と長期発現型レトロウイルスベクターの設計
標題(洋) Identification of Brm protein as a host factor maintaining proviral gene expression and design of retroviral vectors that achieve long-term transgene expression.
報告番号 118273
報告番号 甲18273
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2080号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,泉
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 客員教授 服部,成介
 東京大学 助教授 菅野,純夫
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 レトロウイルスは宿主細胞に感染後、白身の持つ逆転写酵素の働きにより、ウイルスゲノムをRNAからDNA型にし、宿主染色体内に組み込むことによりプロウイルスとなる。そしてこのプロウイルスからの遺伝子発現は宿主の細胞分裂を経ても維持される。このようなレトロウイルスの長所をヒト遺伝子治療や再生医療に利用するためにいくつかのベクターが開発されてきたが、一つの問題点としてレトロウイルスの発現が動物個体内ではもとより培養細胞においても次第に抑制されていく現象(ジーン サイレンシング;gene silencing)が知られている。特にこの現象が胚性幹(ES)細胞や造血幹(HS)細胞で顕著に見られるために、遺伝子治療、再生医療へのレトロウイルスベクターの応用を大きく制限している。このジーンサイレンシングの分子機構としてLTRのエンハンサー領域が幹細胞などでは働きにくいことが知られている。DNAのメチル化も報じられているが、これがサイレンシングの主要原因かどうかは未だはっきりしていない。

 本研究では、レトロウイルスベクターの発現維持に関わる宿主側因子を同定し、ジーンサイレンシングの主たるメカニズムを解明することにより、レトロウイルスベクターの問題点であるジーンサイレンシングを克服できるようなウイルスベクターを設計することを目的として研究を行なった。

結果および考察

 VSV-G pseudotyped retrovirus vectorはそのエンベロープの特性により導入効率が高く、種々の細胞株に対し一回の導入でほぼ全Populationに遺伝子導入可能なウイルスベクターである。外来遺伝子としてLacZ遺伝子を持ったVSV-G pseudotyped retrovirus vectorを細胞株に感染後、感染細胞を薄くまき直しシングルコロニーを形成させてみたところ、30種類近くの細胞株のうちほとんどの細胞株では、形成する一つ一つの細胞すべてがLacZで染まるコロニーとなる。ところがSW13、C33A細胞株ではほとんどのコロニーがLacZで染まる細胞と染まらない細胞の混合(モザイクコロニー)となり、これらの細胞株では感染後に不連続で偶発的にジーンサイレンシングが起きているのではないかと考えた。このようなモザイクコロニーの出現頻度を他の細胞株でも検討したところ、SW13、C33A以外にSaos2、G401のあわせて4種類の細胞株でモザイクコロニーの出現頻度が高いことが明らかとなった。この原因を考えてみたところ、SW13、C33Aの両細胞株はともにクロマチンリモデリング複合体の構成成分の一つBrmの発現が見られないという報告があるため、このことがジーンサイレンシングに関係があるのではないかと考えた。これらモザイクコロニーの出現頻度の高い細胞株においてRT-PCR、Western Blottingを行なってみたところ、これら4種類の細胞株には共通してBrmの発現が見られないということがわかり、Brmの発現がないことと、急激なジーンサイレンシングを起こすことの間に強い相関が見られた。

 これまでDrosophiraの遺伝学から遺伝子の発現維持には大別してPolycomb-Group(Pc-G)とtrithorax-Group(trx-G)の2つの遺伝子群による制御が必須であることが知られている。 抑制状態の維持に関わるのがPc-Gであり,活性化遺伝子の発現維持に関わるのがtrx-Gである。これらはその遺伝子の転写開始には関わらないが、両者は互いに拮抗して働き、それ以前に確立した染色体上の各ドメインの活性化の状況を細胞分裂を経ても長期間維持することにより、細胞の固体発生の記憶を担っているものと考えられている。これらの遺伝子のホモログはマウスやヒトからも単離されており、Brmはtrx-Gに属するBrahma(ショウジョウバエ)の哺乳動物のhomologueであり、DNA依存性ATPaseサブユニットとしてSWI/SNFというクロマチン構造変換をひきおこす複合体を構成していることが明らかにされている。この複合体はBrmまたは同じくコアサブユニットであるBRG1を含む2種類の複合体があり、両者が共存する複合体は存在しない。

 これらの知見を踏まえ、以下のような仮説を立てた。レトロウイルスのLTRからの発現の維持にはtrx-Gとして転写を正に制御するBrmを含むSW1/SNF複合体が必要で、Brmの発現が無い細胞株のように機能的な複合体の非存在下では発現維持が不安定となり、急激なジーンサイレンシングが誘導される。そこでBrm遺伝子を持ったレトロウイルスベクターならば、このような状況下においても自らBrmを発現し、Brmを補い、機能的なSWl/SNF複合体を作り出すことによりLTRからの発現を維持しつづけることが出来るのではないかと考えた。Brmを発現するレトロウイルスベクターをC33A細胞株に導入後、薄くまきなおしシングルコロニーを形成させ、7日後にレトロウイルスのmRNAの発現をin situ hybridizationによって検出した。その結果、外来遺伝子を持たないコントロールベクターではジーンサイレンシングを起こしているのに対し、Brmベクターではレトロウイルスの発現維持の顕著な回復がみられた。ところがBRG1発現ベクターでは回復がみられない事から、レトロウイルスの発現維持にはBrmを含むSWI/SNF複合体が重要な役割を果たしていることが示された。また、このジーンサイレンシングはウイルスベクターを感染後、HDACの阻害剤を添加して培養することによりかなり解除されるが、DNAメチル化の阻害剤によっては全く解除されないことから、このジーンサイレンシングにはメチル化非依存的に起きている事が考えられる。

 次にBrmベクターのLTR上に動員されてくる宿主因子群やヌクレオソームの構成タンパク質をクロマチン免疫沈降法によってコントロールベクターと比較したところ、Brmベクター導入細胞では転写を負に制御するYY1、HDAC1/2といった因子やリンカーヒストンのH1タンパク質の5'LTRへの動員が減少していた。さらに5'LTR近傍に存在するヌクレオソーム中にあるヒストンH4のLys5、Lys8のアセチル化を特異的に増強していた。これらの結果を総括すると『プロウイルスからの転写が開始した後、それが維持されるためには、一般にこれを正に制御している「Brmを含むSWI/SNF複合体」(trx-G)が、負に制御している「YY1を含むPc-G複合体」と拮抗する必要がある。』というモデルが考えられた。両複合体は5'-LTRのU3領域への結合をめぐって競合し、それぞれヒストンアセチル化酵素(HAT)とHDACを直接的または間接的に動員し、クロマチン構造変換やヒストンのアセチル化・脱アセチル化を介して転写のON、OFFの制御に関わるものと考えられる。

 レトロウイルスによるジーンサイレンシングは胚性幹(ES)細胞でよくみられる現象であるが、近年興味深いことにマウスES細胞において、Brmの発現が見られないという報告がされた。そこでヒトのEmbryonic CarcinomaであるPA-1細胞株を用いBrmの発現の検証をしたところ、RT-PCR,Western blotting共に検出限界以下であった。また上述してきた方法により、PA-1細胞株におけるレトロウイルスベクターの発現の維持効果を調べたところ、この細胞株においても高頻度にモザイク状のコロニーを形成することを確認した。この結果よりES細胞においても上述してきたようなメカニズムでジーンサイレンシングが起きていることが示唆された。これらの考察を踏まえ、幹細胞などの未分化な細胞においても長期的に発現を維持するウイルスベクターの開発を目的として、この問題を克服できるようなウイルスベクターの設計を試みた。転写を負に制御する因子が優勢であると考えられるこのような細胞内の環境下においてはレトロウイルスの発現を長期的に維持する為には転写を負に制御する因子群をLTRに動員させないようすることが重要であると考えた。そこでMLVのLTR中にあるYY1結合配列を壊したΔYY1ベクターを構築し、Pc-Gによる発現抑制を受けにくいベクターの作成を行なった。このベクターに外来遺伝子としてLacZ遺伝子を乗せ、Brmの発現が見られない癌細胞株やPA-1細胞株に導入しその発現維持効果を検討したところ、改良前のベクターに比べ完全な回復は得られないものの、顕著な発現維持の回復が見られた。

 以上の結果からEC細胞においてΔYY1ベクターが顕著な発現回復を示すことから上述してきたような概念に基づくベクターは今後、長期的な発現維持を担うベクター開発の一助となることが期待される。この機構はこれまで指摘されてきたDNAメチル化に依存した機構とは異なる新規のものであり、このように宿主細胞のエピジェネティクスの機構の解明によりさらに新しい概念に基づく新しいベクターが開発されるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、レトロウイルスの発現維持に関わる宿主蛋白質を同定し、レトロウイルスベクターのジーンサイレンシングの問題に対し、下記の結果を得ている。

1. レトロウイルスは、Brmを発現しない細胞株へも侵入し、逆転写、挿入、及び遺伝子発現を開始することができるが、その遺伝子発現は急速なジーンサイレンシングを受ける。一方BrmはあるがBRG1を欠失する細胞ではこのようなジーンサイレンシングを受けないことを明らかにした。

2. Brmの欠失によるジーンサイレンシングは不連続にかつ確率論的に(stochastic)におこる。すなわち個々の細胞の発現量が低下していくのではなく、発現細胞の比率が減少していく (variegation)ことを明らかにした。

3. Brmを発現しない細胞株にBrm発現ウイルスを感染すると、その発現は長く維持されるがこれは、BRG1発現ウイルスでは代替えできないことを示した。

4. Brmを含むSWI/SNF複合体subfamilyは、YY1,ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)を含むPc-G複合体がプロウイルス上の5'-LTRへと動員されることを抑制している。またこの複合体subfamilyの存在は、5'-LTR近傍に存在するヌクレオソーム中にあるヒストンH4のLys5,Lys8のアセチル化を特異的に増強することを明らかにした。

5. このジーンサイレンシングはHDACの阻害剤によりかなり解除されるが、DNAメチル化の阻害剤によっては全く解除されないことを示した。

6. MLVのLTR中にあるYY1結合配列を壊したΔYY1ベクターを構築し、Pc-Gによる発現抑制を受けにくいベクターの作成を行なった。このベクターをBrmの発現が見られない癌細胞株やhuman embryonic carcinomaであるPA-1細胞株に導入しその発現維持効果を検討したところ、改良前のベクターに比べ完全な回復は得られないものの、顕著な発現維持の回復を確認した。

 以上、本論文は、レトロウイルスの発現維持には宿主因子Brmが必要であることを明らかにした。また、この発見に基づき構築したΔYY1ベクターがEC細胞において顕著な発現回復を示すことから、今後の長期的な発現維持を担うベクター開発に大きく貢献することが考えられ、学位の授与に値するとものと考えられる。

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