学位論文要旨



No 118281
著者(漢字) 林,周宏
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,カネヒロ
標題(和) 神経細胞の突起形成におけるPak1の関与
標題(洋) Pak1 is involved in the regulation of neurite growth in the cortical neurons
報告番号 118281
報告番号 甲18281
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2088号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

【序論】神経細胞における樹状突起(dendrite)形成は、神経細胞が成熟し、神経回路網を形成していく過程に不可欠である。最終分裂を終えた神経細胞はそれぞれの定められた位置に移動した後、即座に複数の樹状突起と1本の軸索を適切な標的に向かって伸ばし始める。樹状突起と軸索の選択的結合・再構成により、脳は徐々にその神経回路網を形成していく。大脳皮質における錐体神経細胞の樹状突起は皮質表層へと伸びる1本のapical dendriteと、細胞体の基部から水平に伸びる複数のbasal dendriteからなり、これらの樹状突起は他の神経細胞から様々な情報を得るために複雑にはりめぐらされる。この樹状突起形成を制御する分子メカニズムについてはまだよく分かっていないが、近年、RhoファミリーGTPaseが樹状突起形成に関与しているという報告がなされている。

 RhoファミリーGTPaseは真核生物においてアクチン骨格形成を制御する分子群として知られており、RhoA、Rac1、Cdc42がよく研究されている。培養細胞においてRhoAはストレスファイバーやそれがアンカーする細胞接着斑の誘導に関与することが知られている。また、Rac1は細胞膜ラッフルやラメリポディアの形成、Cdc42はフィロポディアの形成に関与している。神経細胞においてもRhoファミリーGTPaseは樹状突起形成、成長、分枝、突起棘形成に関与しているという報告があり、RhoAは樹状突起を退縮させ、一方、Rac1、Cdc42は樹状突起形成を促進させる方向に働いていると考えられる。RhoAの下流分子の一つにRho-kinase/ROCKが報告されており、脳スライス培養において海馬の錐体神経細胞の樹状突起を退縮させる。一方、Rac1/Cdc42の下流分子としても培養細胞でいくつかの分子が候補として同定され解析されているが、神経細胞における下流分子はいまだわかっていない。

 Rac1/Cdc42の下流分子候補の1つ、p21-activated kinase1(Pak1)は脳に多く存在するセリン/スレオニンキナーゼとして同定された。哺乳動物においては、6つのPakメンバー-Pak1(αPak)、Pak2(γPak)、Pak3(βPak)、Pak4、Pak5、Pak6-が別々の遺伝子にコードされている。Pak1はN末側の制御ドメインとC末側のキナーゼドメインからなり、活性型Rac1/Cdc42のN末ドメインヘの結合により、その構造変化が起こり、自己リン酸化、活性化へと続くと考えられている。培養線維芽細胞においてPak1はアクチン骨格制御に関与しており、活性型Pak1を発現させることによりフィロポディアの形成、細胞膜ラッフル、細胞動態の活発化などが誘導される事が報告されている。また、活性型Pak1はストレスファイバーの消失も引き起こし、その効果は活性型Rac1、Cdc42により引き起こされる表現型と類似している。

 しかしながら、Pak1は脳に多く存在する分子として発見されたにも関わらず、神経細胞における機能解析は未だなされていない。神経培養細胞PC12においてPak1は突起伸長を促進するという報告がされており、神経細胞でのPak1の樹状突起形成への関与も示唆されている。そこで、本研究においては、神経細胞における突起(neurite)形成の分子メカニズムを明らかにすることを目的に、Pak1の機能解析を行った。

【結果・考察】はじめに、生後0日マウスの脳、肺、心臓、肝臓、腎臓における、Pak1及びRhoファミリーGTPase(Rac1、RhoA、Cdc42)の蛋白質の発現を調べたところ、Pak1は脳において多量の発現が認められ、腎臓でも少量ながら発現していた。その他の臓器ではPak1の発現はほとんど認められなかった。次に脳内でのPak1の局在を調べるため、胎生16日、生後0日、成体マウスを用いIn situ hybridizationを行った。Pak1はいずれも大脳皮質、海馬で発現しており、特に胎生16日、生後0日のマウス大脳皮質では皮質原基に強い発現が認められた。次いで、大脳皮質の発生過程でのPak1及びRac1、RhoA、Cdc42の発現変化を調べた。すると、これら4つの分子はいずれも調べた期間(胎生14日から生後5日及び成体)で発現が認められ、Pak1の発現量は胎生期から生後早期では少しずつ減少していたが、成体では胎生期に比べ約二倍の発現量であった。さらにPak1とRac1の細胞内局在を免疫組織学的手法で調べると、初代神経細胞培養1日目、5日目ともPak1、Rac1は細胞質中に存在しており、両者の局在はほぼ一致した。興味深いことに、活性型Pak1はgrowth coneの基部に集積しており、Pak1が突起形成に関与していることが示唆された。

 神経細胞におけるPak1の機能を調べるため、Pak1の活性型(CA-Pak1)と機能阻害型(DN-Pak1)を初代培養神経細胞に発現させることを試みた。遺伝子導入手段として、in utero electroporation法を用いた。まず胎生15日目のマウス子宮内胎仔の脳室帯の細胞内に上記のPak1を発現させるプラスミド溶液をelectroporationにより導入した。遺伝子導入された胎仔をそのまま24時間、母体内で発生させ、その後、再び摘出した。導入したプラスミドはGFP遺伝子も同時に発現するように設計しているため、遺伝子導入24時間後には遺伝子導入部位は蛍光を発している。Electroporationしたマウス胎児大脳皮質より、蛍光を指標に遺伝子導入部位を切り取り、分散・懸濁した。コントロールとして用いたβ-galactosidaseも同様に、遺伝子導入し、推定導入部位を切り取り、分散・懸濁した。これら2種類の細胞群を同量混ぜ、培養皿にまき、培養を行った(図1)。この方法は従来の遺伝子導入に比べ、以下の利点を持つ。第一に、遺伝子導入効率が安定している点、第二に、培養前に遺伝子導入する為、導入した遺伝子の効果を突起形成開始時から観察できる点、第三に、コントロール遺伝子を導入した細胞と目的遺伝子を導入した細胞を同じ培養皿にまくため、同じ培養条件下でこれらの細胞を比較できる点である。

 この方法を用いてPak1発現プラスミドをマウス胎児大脳皮質に導入し、培養、固定・免疫染色(導入Pak1はFITC、β-galactosidaseはTexas Redで検出)を行った。その結果、CA-Pak1を導入した神経細胞(図3)では、コントロール(図2)に比べbasal neuriteの数とsecondary apical neuriteの数の増加を確認した。一方、DN-Pak1を導入した神経細胞(図4)では、basal neuriteの数とsecondary apical neuriteの数が減少していた。また、CA/DN-Pak1ともに突起の長さ、分枝には影響を与えなかった。これらの結果は、Pak1が神経突起の数の制御に関与している事を示唆している。次にPak1の上流因子の1つとして知られているRac1の効果を調べるため、CA-Rac1、DN-Rac1についても同様に実験を行った。その結果、CA-Rac1を導入した神経細胞では突起の数に変化は見られなかったが、DN-Rac1を導入した神経細胞では突起の数の減少が観察された。Pak1とRac1の上下流の関係を調べるため、CA-Rac1とDN-Pak1及びDN-Rac1とCA-Pak1の組み合わせを神経細胞に共発現させ、その効果を検討した。実験の結果、CA-Rac1とDN-Pak1を共発現させた神経細胞ではbasal neuriteの数とsecondary apical neuriteの数においてコントロールに比べ有意に減少していた(図5)。一方、DN-Rac1とCA-Pak1を共発現させた神経細胞ではbasal neuriteの数とsecondary apical neuriteの数の増加が確認された(図6)。これらの結果は神経突起の数の制御においてRac1がPak1の上流に位置していることを示唆している。また、CA-Pak1を導入した神経細胞とCA-Rac1を導入した神経細胞における突起数の結果の違いから、突起数制御におけるRac1-Pak1経路には他の分子の関与も考えられる。

【結論】本研究において、まず大脳皮質の発生過程におけるPak1の発現変化及び局在を調べた。次に、in utero electroporation法を用いて神経細胞へPak1遺伝子を導入し、Pak1が神経突起の数の制御に関与しており、突起の長さ・分枝には影響を与えないことを明らかにした。また、突起の数の制御機構でPak1がRac1の下流として機能していることを明らかにした。今回の検討によりRac1-Pak1経路が突起の数の制御に関与していることが示されたが、今後は、それ以外の神経突起形成因子とPak1の関わりについての解析が必要であると考えられる。

図1

図2;培養5日目の神経細胞、

図3;CA-Pak1を導入した神経細胞、

図4;DN-Pak1を導入した神経細胞、

図5;CA-Rac1とDN-Pak1を共発現させた神経細胞、

図6;DN-Rac1とCA-Pak1を共発現させた神経細胞。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、脳の神経回路網形成において基礎となる神経細胞の樹状突起形成の分子メカニズムを明らかにするため、マウス大脳皮質の初代培養神経細胞を用いて、Pak1タンパク質の突起形成における機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ウエスタンブロットにより生後0日のマウスではPak1は脳に多量の発現が認められ、腎臓でも多少の発現が観察された。また、大脳皮質におけるPak1の発現量は、胎生期から生後初期では発生が進むにつれ徐々に減少していたが、成体では胎生期の約2倍であった。さらにin situ hybridizationにより、胎生16日、生後0日のマウスでは、Pak1は大脳皮質原基、海馬、視床でシグナルが認められた。また、成体マウスにおいては大脳、海馬においてシグナルが認められ、特に、大脳の第五層の錐体神経細胞と海馬の錐体神経細胞層で強い発現が観察された。これらの結果より、Pak1が神経細胞で何らかの機能を担っていることが示唆された。

2.免疫組織化学を用い、初代培養神経細胞におけるPak1とRac1(培養線維芽細胞においてPak1の上流に位置している分子)の細胞内局在を調べたところ、培養1日目、5日目ともPak1、Rac1ともに細胞質中に存在しており、両者の局在は一致した。さらに活性型Pak1の局在をリン酸化Pak1を認識する抗体で調べたところ、活性型Pak1は突起のgrowth coneの基部に集積しており、Pak1が突起形成に関与していることが示唆された。

3.次に、神経細胞におけるPak1の機能を調べるため、Pak1の活性型(CA-Pak1)と機能阻害型(DN-Pak1)をマウス大脳皮質の初代培養神経細胞に発現させ、培養した。遺伝子導入方法はin utero electroporation(子宮内電気穿孔法)を流用した。また、変異Pak1を導入した神経細胞と、コントロールとして用いたβ-galactosidaseを導入した神経細胞を同じ培養皿上にまき、培養を行った。この遺伝子導入・培養法は従来の方法に比べ、いくつかの利点を持つ。第一に、遺伝子導入効率が安定している点、第二に、遺伝子導入が培養前に行われる為、導入した遺伝子の効果を突起形成開始時から観察できる点、第三に、コントロール遺伝子を導入した細胞と目的遺伝子を導入した細胞を同じ培養皿にまくため、同じ培養条件下でこれらの細胞を比較できる点である。この方法により、神経細胞の突起形成におけるPak1の効果をより正確にコントロールと比較することが可能となった。

4.上記に示した方法により、変異Pak1遺伝子を神経細胞に導入し、5日間培養、固定した。その後、遺伝子導入された神経細胞を観察し、突起(neurite)の形態について計測、統計処理を行った。その結果、CA-Pak1を導入した神経細胞においては、basal neuriteの数と、2次apical neuriteの数の増加が観察された。突起の長さ、分枝には変化が見られなかった。一方DN-Pak1を導入した神経細胞においてはbasal neuriteの数と、2次apical neuriteの数の減少が観察された。また、突起の長さ、分枝には変化が認められなかった。突起の数の変化は、培養3日目、7日目の神経細胞でも観察されており、突起形成期においてPak1が突起の数の制御に関与していることが示唆された。また、Pak1は突起の長さ、分枝には影響を与えないことも示された。

5.Pak1の上流因子の1つとして知られているRac1の神経細胞における効果を調べるため、CA-Rac1、DN-Rac1についてもPak1と同様の実験を行った。その結果、CA-Rac1を導入した神経細胞では突起の数に変化は見られなかったが、DN-Rac1を導入した神経細胞では突起の数の減少が観察された。次にPak1とRac1の上下流の関係を調べるため、CA-Rac1とDN-Pak1及びDN-Rac1とCA-Pak1の組み合わせをそれぞれ神経細胞に共発現させ、その効果を検討した。実験の結果、CA-Rac1とDN-Pak1を共発現させた神経細胞ではbasal neuriteの数と2次apical neuriteの数がコントロールに比べ有意に減少しているのを確認し、CA-Rac1の効果をDN-Pak1がうち消しているのが示された。一方、DN-Rac1とCA-Pak1を共発現させた神経細胞ではbasal neuriteの数と2次apical neuriteの数の増加が確認され、DN-Rac1による阻害をCA-Pak1が回復していることが示された。これらの結果により、神経突起の数の制御においてPak1はRac1の下流に位置していることが示唆された。

 以上、本論文はマウス大脳皮質の錐体神経細胞において、Pak1がRac1の下流で突起の数の制御に関与している事を明らかにした。本研究は、樹状突起形成の分子メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値する。

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