学位論文要旨



No 118282
著者(漢字) 斉,悦
著者(英字) Qi,Yue
著者(カナ) チイ,ユエ
標題(和) 変異型プレセニリン1及び2が細胞内アミロイドβタンパク42を増加させる機序の検討
標題(洋) Distinct mechanisms by Presenilin 1 and 2 leading to increased intracellular levels of amyloid β-protein 42 in Chinese hamster ovary cells
報告番号 118282
報告番号 甲18282
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2089号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease、AD)は進行性の痴呆疾患であり、その神経病理学的特徴は、多数の老人斑、神経原線維変化の出現と神経細胞の脱落である。老人斑は、アミロイドβ蛋白質(amyloid β-protein、Aβ)とよばれる分子量約4000の凝集性の高い蛋白質が細胞間隙に蓄積したものであり、早期に見られる病理学的変化であると考えられている。

 Aβは、アミロイド前駆体蛋白質(β-amyloid precursor protein、APP)がβおよびγセクレターゼと呼ばれる2種類のプロテアーゼにより切断されて産生される。APPは695-770アミノ酸残基からなる膜1回貫通型蛋白質である。βセクレターゼが、まずAPPの細胞外領域にあるAβのN末端側を切断し、99アミノ酸からなるC末端断片(C99)を生じる。このC99がさらにγセクレターゼによって膜内で切断され、Aβが産生、分泌される。γセクレターゼの切断により生じるAβのC末端には多様性がみられ、主要なAβ分子種として、第40番目のバリン(Val40)で終わるAβ40と第42番目のアラニン(Ala42)で終わるAβ42が存在する。Aβ42はAβ40よりはるかに強い凝集性を示し、老人斑に最初に蓄積することが知られている。さらに、これまでに明らかにされた家族性アルツハイマー病(familial Alzheimer's disease、FAD)の三つの原因遺伝子、APPとプレセニリン(Presenilin、PS)1及びPS2に見られる変異が、いずれもAβ42の産生を増加させることが判明したことから、Aβ42はADの病因と密接に関連すると考えられている。

 1995年にFADの原因遺伝子として同定されたPS1及びPS2遺伝子は、アミノ酸の相同性が高い8回膜貫通型蛋白質をコードしている。現在までにPS1には分子全体に分布している80種類以上の点突然変異が、またPS2には6種類の変異が報告されている。PS変異はAβのC末端を生じるγ切断に影響を及ぼし、凝集性の高いAβ42の産生を特異的に上昇させる。

 PS1/2のダブルノックアウトマウス由来の細胞では、Aβが検出されなくなり、γセクレターゼの基質であるC99が蓄積し、γセクレターゼ活性がなくなっていることが示唆された。このことから、PSがγセクレターゼ活性に必須の要素であると考えられるようになった。さらに、活性部位に対する遷移状態を模倣したγセクレターゼ阻害剤にて、PSのN末端断片とC末端断片がアフィニティー標識されたことから、PSがγセクレターゼそのものであろうと考えられるようになってきた。しかし、PSの変異によってなぜAβ42の産生が特異的に増加するのかについてははまだ分かっていない。

 本研究では、PS1及びPS2依存性γセクレターゼの特徴を明らかにするために、APPと野生型またはFAD変異をもつPS1あるいはPS2を安定的に発現するChinese hamster ovary(CHO)細胞を作製し、PS1及びPS2の変異がAβ産生に及ぼす影響を調べた。

 本研究では、野生型または複数の変異型PS1あるいはPS2 cDNAを含む発現プラスミドを、ヒトAPP751を過剰発現するCHO細胞(7WD10)に導入し、薬剤処理により目的蛋白質を安定的に発現する細胞を選択して実験に用いた。

 まず初めに、APPと野生型あるいはN141I変異をもつPS2を安定的に共発現する複数のCHO細胞株を作製した。得られた細胞株のPS2の発現レベルをウェスタンブロット法により定量し、発現量の一致する野生型と変異型の3ペアを選んでその後の実験に用いた。外因性PSを過剰発現させると、内在性のPSの発現が著しく抑制されること(displacement)が知られている。これらの3ペアではいずれも内在性PSのdisplacementが観察され、その程度はPS2の過剰発現の程度に依存していた。次に、これらの細胞から培地中に分泌されたAβの量をサンドウィッチELISA法を用いて定量した。その結果、N141I変異型PS2では、野生型PS2と比べてAβ42の量が増加していると同時にAP40の量が減少していることがわかった。また、細胞内のAβについては、APPとのcrossreactivityを避けるためにウェスタンブロット法により調べた。回収した細胞をクロロフォルム:メタノール処理により脱脂し、残渣を70%ギ酸で抽出してウェスタンブロット法を行い、ルミノイメージアナライザーを用いてAβを定量した。その結果、培地内のAβと同様に、細胞内でもAβ42の増加とAβ40の減少が見られた。また、Aβ42の増加の程度は内在性PSのdisplacementの程度に依存しており、これらの変化は導入した変異型PS2によるものであると考えられた。以上の結果から、PS2のN141I変異はAβ42のレベルを増加させるだけではなく、Aβ40のレベルを減少させることが分かった。

 このようなAβの変化がN141I変異型PS2に特異的なものであるかどうかを調べるために、他のFAD変異であるM239V、T122P変異をもつPS2と、野生型PS1、PS2のN141I、M239V変異に相同な部位に変異をもつN135D、M233T変異型PS1をAPPとともに安定的に発現する細胞株を作製し、細胞内のAβレベルをウェスタンブロット法により定量した。その結果、これらの変異型PS細胞でも、野生型PS細胞と比べて細胞内Aβ42の量が増加し細胞内Aβ40の量が減少していることが分かった。

 次に種々のFAD変異PSの細胞内Aβに対する影響を調べるために、M146L、H163R、G384A変異を持つPS1をAPPとともに安定的に発現する細胞株を作製して、同様の検討を行った。すると、これらの変異型PS1細胞では、野生型PS1細胞と比べてAβ42のレベルが増加したが、Aβ40のレベルには変化が見られなかった。

 細胞内のAβレベルは定常状態のそれであり、産生、分解、分泌、取り込みなどの総合的な結果をあらわしている。そこで、変異PS依存性γセクレターゼの性質をさらに調べるために、無細胞系を用いてAβの産生に対するPS変異の影響を検討した。全ての細胞株から膜画分を調製し、37℃でインキュベートした。Aβ産生のtime courseを調べたところ、Aβの産生は少なくとも10分までは直線的に増加し、30分以降になると産生速度が著しく低下した。

 野生型PS細胞の膜画分では、Aβ40がAβ42よりはるかに多く産生され、約70%を占めた。変異PS2あるいはこれに相同な変異をもつPS1を発現する細胞の膜画分では、Aβ42の産生が著しく増加しAβ40の産生量が減少した。従ってこれらの変異型PSでは、無細胞系によるAβの産生が細胞内Aβレベルの変化と一致した。一方、M146L、H163R、G384A変異型PS1を発現する細胞は、細胞内Aβレベルに共通の変化(Aβ42の増加)が見られたが、その膜画分では多様なAβ産生様式が見られた。M146L変異型PS1細胞膜画分では、Aβ42の産生が増加したがAβ40の産生は野生型と比べて変化がなく、Aβ産生様式が細胞内のAβレベルの変化と一致した。ところがG384A変異型PS1細胞膜画分では、Aβ42の産生が大きく増加すると同時にAβ40の産生の減少が見られた。また、H163R変異型PS1細胞膜では、野生型PS1と比べてAβ42の産生の増加が見られず、Aβ40の産生が全体の約80%を占めた。従って、これら二つの細胞株では、細胞内Aβレベルと無細胞系によるAβ産生結果が一致しなかった。殊に、H163R変異型PS1細胞では両者の結果が全く異なったことから、膜以外の細胞質画分にAβの産生に影響を及ぼす因子が存在するのではないかと考えられた。

 野生型または変異型PS1及びPS2細胞の膜画分を用いて、γセクレターゼの阻害剤であるDFK-167のAβ産生への影響を検討した。いずれのPS膜画分でも、高濃度のDFKで処理することによりAβ40とAβ42の産生が抑制されたが、低濃度のDFK存在下では、Aβ40の産生は抑えられたがAβ42の産生は一時的に増加した。この結果から、低濃度のDFK-167処理によりAβ40を産生するγセクレターゼの活性が抑えられ、基質がAβ42を産生するセクレターゼに運ばれてAβ42の産生が増加すると推測される。

 以上の結果から、PS1及びPS2の変異は二つのサブタイプに分けられると考えられる。一つのサブタイプは、野生型PSと比べて、細胞内のAβ42の量が増加していると同時にAβ40の量が減少していた。無細胞Aβ産生系では、細胞内のAβレベルの変化と一致して、Aβ42産生量の増加とAβ40産生量の減少が見られた。PS2変異またはそれに相同のPS1変異がこのタイプに相当する。もう一つのサブタイプはそれ以外のPS1変異であり、細胞内のAβは、Aβ40の量は変化せずにAβ42の量のみが増加した。ところが無細胞Aβ産生系では、細胞内のAβレベルと異なり多様なAβ産生様式が見られた。

 従って、変異型PS1及びPS2はいくつかの機序によりAβ42を増加させると考えられる。今後は、H163R変異型PS1細胞で見られた膜以外の画分に存在すると考えられるAβ産生に影響を及ぼす因子について研究を進めていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、アルツハイマー病の病因に密接に関連するアミロイド蛋白質(Aβ)を産生する酵素であるプレセニリン(PS)1及びPS2依存性γセクレターゼの特徴を明らかにするために、アミロイド前駆体(APP)と野生型またはFAD変異をもつPS1あるいはPS2を安定的に発現するChinese hamster ovary(CHO)細胞を作製し、PS1及びPS2の変異がAβ産生に及ぼす影響を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.APPと野生型あるいはN141I変異をもつPS2を安定的に共発現する複数のCHO細胞株を作製した。得られた細胞株のPS2の発現レベルをウェスタンブロット法により定量し、発現量の一致する野生型と変異型の3ペアを選んでその後の実験に用いた。外因性PSを過剰発現させると、内在性のPSの発現が著しく抑制されること(displacement)が知られている。これらの3ペアではいずれも内在性PSのdisplacementが観察され、その程度はPS2の過剰発現の程度に依存していた。

2.これらの細胞を用い、分泌されたAβと細胞内のAβを検討した所、同様のAβ変化が見られた。その結果、N141I変異型PS2では、野生型PS2と比べてAβ42の量が増加し、予想外にAβ40の量が減少していることがわかった。さらに、Aβ42の増加の程度は内在性PSのdisplacementの程度に依存していることから、これらの変化は過剰発現する変異型PSによるものであると考えられた。

3.また、野生型または他の種々のFAD変異PS2及びPS1遺伝しををAPPとともに安定的に発現する細胞株を作製し、細胞内のAβレベルをウェスタンブロット法により定量した。その結果では、全ての変異型PS細胞において細胞内Aβ42の量が増加することが示された。

4.細胞内Aβを定量したところ、FAD変異であるM239V、T122P変異をもつPS2と、野生型PS1、PS2のN141I、M239V変異に相同な部位に変異をもつN135D、M233T変異型PS1を発現する細胞では、野生型PS細胞と比べて細胞内Aβ42の量が増加し、細胞内Aβ40の量が減少していることが示された。無細胞系を用いてAβの産生を検討した所、これらの変異型PS細胞の膜画分では、Aβ42の産生が著しく増加しAβ40の産生量が減少した。従ってこれらの変異型PSでは、無細胞系によるAβの産生が細胞内Aβレベルの変化と一致したことが分かった。

5.種々のFAD変異PSの細胞内Aβに対する影響を調べるために、M146L、H163R、G384A変異を持つPS1をAPPとともに安定的に発現する細胞株を作製して、同様の検討を行った。これらの変異型PS1細胞では、野生型PS1細胞と比べてAβ42のレベルが増加したが、Aβ40のレベルには変化が見られなかった。一方、その膜画分では多様なAβ産生様式が見られた。M146L変異型PS1細胞膜画分では、Aβ42の産生が増加したがAβ40の産生は野生型と比べて変化がなく、Aβ産生様式が細胞内のAβレベルの変化と一致した。ところがG384A変異型PS1細胞膜画分では、Aβ42の産生が大きく増加すると同時にAβ40の産生の減少が見られた。また、H163R変異型PS1細胞膜では、野生型PS1と比べてAβ42の産生の増加が見られず、Aβ40の産生が全体の約80%を占めた。従って、これら二つの細胞株では、細胞内Aβレベルと無細胞系によるAβ産生結果が一致しなかった。殊に、H163R変異型PS1細胞では両者の結果が全く異なったことから、膜以外の細胞質画分にAβの産生に影響を及ぼす因子が存在するのではないかと考えられた。

 以上、本論文はCHO細胞において、PS1及びPS2の変異がAβ産生に及ぼす影響を検討した結果から、変異型PS1及びPS2はいくつかの機序によりAβ42を増加させることを明らかにした。本研究はアルツハイマー病の病因に密接に関連するアミロイド蛋白質(Aβ)を産生する機序の解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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