学位論文要旨



No 118290
著者(漢字) 王,岩
著者(英字) Wang,Yan
著者(カナ) ワン,イエン
標題(和) ラット一過性全脳虚血モデルにおける遅発性神経細胞死および虚血耐性発現過程における遺伝子発現情報の網羅的解析
標題(洋) Global Analysis of Gene Expression in Delayed Neuronal Death and Induced Tolerance after Transient Global Ischemia in Rat
報告番号 118290
報告番号 甲18290
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2097号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 中福,雅人
内容要旨 要旨を表示する

背景:

 海馬CA1領域の神経細胞は虚血に対して脆弱であり、短時間の一過性全脳虚血後に遅発性(2-4日後)に細胞死に陥ることが知られている。一方、数日前に非致死的な短時間虚血を加えることで、致死的な虚血に対する耐性現象が誘導されることも知られるようになり、虚血耐性と呼ばれている。これらの細胞死、および虚血耐性の背景には遺伝子発現の変化が重要であることがわかり、個別遺伝子のレベルで解析が精力的に行われてきたが、その機序は未だに不明である。近年、DNA microarray法が開発され、一回で数万の遺伝子の発現情報解析が可能となってきた。本手法は、最近種々の病態のmRNAの発現プロフィールからその背景にある分子機構に迫ることを可能にするものとして、急速に発展を遂げてきている。

目的:

 本研究では、遅発性神経細胞死および虚血耐性をモデルに、新規開発されたOligonucleotid emicroarrayを用い、異なる虚血侵襲に対する遺伝子発現情報を網羅的に解析して、両病態の差異を比較検討することを目的とした。

方法:

 実験系として雄性Wistar ratを用い、2分ないし6分の一過性全脳虚血(4血管閉塞+低血圧)を作成した。虚血耐性実験では、3日前に2分虚血ないし偽手術を前負荷した。7日後に脳を灌流固定し、海馬CA1領域の生存神経細胞数を計測した。また偽手術、2分、6分虚血の3群にて、虚血後1、3、12、24、48時間で脳を取り出し凍結後、海馬CA1領域を-16℃にてmicrodissectionし、RNAを抽出した。得られたtotal RNAより、Affymetrix社製のhigh-density oligonucleotide synthetic array(GeneChip)を用いて約8,800個の遺伝子の発現を解析した。Genechipの再現性を見るために各群でのGAPDH、beta actinの比較を行った。各時間で独立に2回の測定を行い、遺伝子発現変化の判断基準としては、正常対照群、同一時間での偽手術群より2回ともに2倍以上の上昇ないし低下を示したものとした。本基準を満たしたものについて、階層的クラスター分析を行い類似した発現変化を示したものを類型化した。一方、データバンクから推定した各遺伝子の機能に基づいて、各変化群内での機能分類を行い、2分虚血後と6分虚血後の発現変化の比較検討を行った。

 最後に発現上昇を認めた5個の遺伝子についてin situ Hybridizationを行い、GeneChipの結果の信頼性を検討した。

結果:

 虚血後の海馬CA1の神経細胞数は、2分虚血では有意な変化はなく6分虚血後には10%に低下していた。また、2分虚血の3日前の前処置により6分虚血後の生存細胞数は89%となり、2分虚血でいわゆる虚血耐性が誘導されることが示された(各群n=6-10)。

 8,799個遺伝子の中で3,518個(40.0%)が正常対照群で発現していた。遺伝子発現変化として有意な上昇を示したものは246個(2.8%)である。一方、有意な低下を示したものは213個(2.4%)と、ほぼ同数の遺伝子で発現が低下していた。

 階層的クラスター解析では、発現パターンを7型に類型化することができた。特に、24時間以上の経過で上昇ないし低下を示す型は6分虚血で特徴的に認められ、致死的虚血負荷により、遅発性かつ長時間の遺伝子発現変化がみられた。

 2分虚血後と6分虚血後の発現変化の比較検討では、6分虚血群の遺伝子総数(348個)は2分虚血群(95個)のほぼ五倍であった。機能分類による解析では、nuclear protein、apoptosis、ribosomal RNA/protein、antioxidant及びmembrane proteinに属する遺伝子群が6分虚血で特徴的に発現亢進を示した。個別遺伝子としては、heat shock蛋白(特にHsp70)の強い発現亢進が、両虚血群で認められた。2分虚血の特徴としては、mitogen activated protein kinase情報伝達系での発現変化が特徴のひとつであった。6分虚血では、phosphatidyl inositol 3 kinase、diacylglycerol/protein kinase C pathwayの遺伝子の発現低下と、細胞死に関連した遺伝子群の発現亢進が特徴的であった。

 GeneChipで発現レベルが上昇していると判断された遺伝子の中から5個を任意に選択し、別途にRNAプローブを作成して、in situ hybridizationを行って、その発現を検討した。その結果、5個中4個の遺伝子はGeneChipの結果と同様の発現亢進がCA1領域で確認された。

考察:

 本実験にて用いた網羅的遺伝子発現情報解析は、発達、老齢化などの生理的変化や、心筋梗塞、発癌や転移などの病態解析に広く用いられてきている。脳虚血においても、脳梗塞モデルを用いて部分的な解析が近年報告されたが、網羅性という観点からは不十分である。本研究では、全脳虚血後の神経細胞死と虚血耐性の誘導機構を多数の遺伝子について同時解析する試みを行い、神経細胞死や虚血耐性機構の病態解析を行った。特に、本研究にて抽出された412個の遺伝子の中で、その機能が既知のものは311個であり、これらのうち60個は虚血関連遺伝子として報告されているが、他の251個は虚血関連以外の情報しか従来記述されていない。このことは今後の虚血関連の研究に新たな情報を提供したと考えられる。本研究は遺伝子発現レベルの研究であることから、虚血耐性と遅発性神経細胞死の分子機構について確実な結論を得るのは難しい。しかし、本研究ではいくつかの遺伝子機能群について特徴的変化が示されており、これらの結果は虚血神経細胞死の機構解明に向けての研究に大きく貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は遅発性神経細胞死および虚血耐性をモデルに、新規開発されたOligonucleotide microarrayを用い、異なる虚血侵襲に対する遺伝子発現情報を網羅的に解析し、両病態の差異を比較検討し、下記の結果を得ている。

1.虚血後の海馬CA1の神経細胞数は、2分虚血では有意な変化はなく6分虚血後には10%に低下していた。また、2分虚血の3日前の前処置により6分虚血後の生存細胞数は89%となり、2分虚血でいわゆる虚血耐性が誘導されることが示された(各群n=6-10)。

2.8,799個遺伝子の中で3,518個(40.0%)が正常対照群で発現していた。遺伝子発現変化として有意な上昇を示したものは246個(2.8%)である。一方、有意な低下を示したものは213個(2.4%)と、ほぼ同数の遺伝子で発現が低下していた。

3.階層的クラスター解析では、発現パターンを7型に類型化することができた。特に、24時間以上の経過で上昇ないし低下を示す型は6分虚血で特徴的に認められ、致死的虚血負荷により、遅発性かつ長時間の遺伝子発現変化がみられた。

4.2分虚血後と6分虚血後の発現変化の比較検討では、6分虚血群の遺伝子総数(348個)は2分虚血群(95個)のほぼ五倍であった。機能分類による解析では、nuclear protein、apoptosis、ribosoal RNA/protein、antioxidant及びmembrane proteinに属する遺伝子群が6分虚血で特徴的に発現亢進を示した。

5.個別遺伝子としては、heat shock蛋白(特にHsp70)の強い発現亢進が、両虚血群で認められた。2分虚血の特徴としては、mitogen activated protein kinase情報伝達系での発現変化が特徴のひとつであった。6分虚血では、phosphatidyl inositol 3 kinase、diacylglycerol/protein kinase C pathwayの遺伝子の発現低下と、細胞死に関連した遺伝子群の発現亢進が特徴的であった。

 以上、本論文は、全脳虚血後の神経細胞死と虚血耐性の誘導機構を多数の遺伝子について同時解析する試みを行い、神経細胞死や虚血耐性機構の病態解析を行った。特に、本研究にて抽出された412個の遺伝子の中で、その機能が既知のものは311個であり、これらのうち60個は虚血関連遺伝子として報告されているが、他の251個は虚血関連以外の情報しか従来記述されていない。このことは今後の虚血関連の研究に新たな情報を提供したと考えられる。本研究ではいくつかの遺伝子機能群について特徴的変化が示されており、これらの結果は虚血神経細胞死の機構解明に向けての研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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