学位論文要旨



No 118292
著者(漢字) 池谷,博
著者(英字)
著者(カナ) イケガヤ,ヒロシ
標題(和) JCウイルスによる行旅死亡人の出身地域推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 118292
報告番号 甲18292
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2099号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 助教授 石川,昌
 東京大学 講師 鈴木,誠
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 科学捜査の発達にも関わらず、我が国のみならず欧米諸国でも近年多くの身元不明死体発生し、問題になっている。しかしながら、個人識別に決定的な役割をはたしているヒトDNAの検査を用いても、その人の出身地域を明らかにすることはできず、身元の判明のための出身地などの地理的情報を得る方法として実用可能なものは知られていない。そこで私はポリオーマウイルス科のJCウイルス(JCV)に着目した。健常人の大部分がJCVに不顕性に感染しており、尿中にJCVを排出している。世界各地の健常人の尿中JCVが調査され、このJCVの各ゲノム型が地理的に異なって分布していることが明らかにされた。ヒトは子供の頃に感染した同じJCV株を保持しつづけるという特徴から、身元不明死体からこのJCVを検出し、そのゲノム型を明らかにすることができれば、そのゲノム型の分布する地域から身元不明死体の出身地域を推定できると考えた。

2.目的

 実際にJCVが法医学の分野に応用できるか否かを調べることを目的として、以下の研究を行なった。1)身元の明らかな法医解剖体から得られた尿や腎臓からのJCV DNAの検出(ゲノム型の決定に必要な塩基配列の検出)を試みた。2)遺体から検出されたJCV DNAの塩基配列からゲノム型を決定し、ゲノム型から推定される遺体の出身地域が実際の出身地域に符合しているのかを検討した。3)解剖で摘出された健常人の凍結保存、ホルマリン浸漬、パラフィン包埋で保存されている腎組織を用いてそこから検出されるJCVDNAの配列を比較することにより、保存臓器においても本法が利用可能であるかを検討した。4)世界各地ではJCVゲノム型の分布の解明されていない地域や集団が残っている。未調査の集団のうちの一つである、北欧のサーミ人のJCVゲノム型の調査もあわせて試みた。

3.方法

 出身地域が明らかな104例の司法解剖体から採取された腎臓または尿を用いた。年令は0歳から92歳。死後経過時間は5時間から10ヶ月であった。サーミ人の尿はフィンランド北部で収集した27例を用いた。DNAを抽出後、ウイルスゲノムのIG領域(長さ610塩基対)をPCRを用いて増幅した。増幅断片のクローニング、シークエンスを経て、塩基配列を決定した。得られた配列を近隣結合法で分子系統解析し、ゲノム型を同定した。検出ゲノム型の分布地域と出身地域が符合するかどうか検討した。日本のゲノム型分布を既報のデータをロジスチック解析して得られた曲線から出身地域を確率的に推定した。

4.結果

(1)JCV DNAの検出

 尿でのウイルスの検出率は42%であった。生体尿からの検出率と有意差はなかった。死後72時間まで検出率の低下は認められなかった。死後10日の遺体から採取された尿からも検出された。

 腎臓でのウイルスの検出率は46%で、生体腎からの検出率とほぼ同じであった。左右腎臓の各3か所から試料を採取したが、全ての部位で陽性であることは少なかった。死後72時間まで検出率の低下は認められなかった。死後10ヶ月の遺体からも検出された。高度に焼棄されたり、高度に腐敗した遺体からも検出された。

(2)ゲノム型と出身地域との相関

 日本人陽性例35例のうち、18例でCY、17例でMYが検出され、他のゲノム型は検出されなかった。出身地域との関係は、既報のウイルスのゲノム型の分布領域に、完全に合致し、矛盾は認められなかった。

 外国人12例からは多彩なゲノム型(CY、MY、B1-a、SC、B2、B1-c)が検出された。死体の出身地域とJCVゲノム型との関係は、報告されているJCVゲノム型の世界的分布に完全に合致し、矛盾は認められなかった。

(3)日本人死体の出身地域の確率的推定

 日本列島における2つのJCVゲノム型(CY、MY)の分布データを解析することによりゲノム型ごとに南北に分布するきれいな曲線が得られた。この曲線を用いて、北緯35.5度の南北でどちらの出身地域か、また別の見方をすればどのぐらいの確率で当該地域の出身かを具体的な確率的数字で示すことができた。

(4)保存組織の利用

 8例において、凍結保存、ホルマリン保存、パラフィン包埋の3条件で保存した腎臓からJCV DNAの検出を試み、塩基配列を比較検討した。通常2週間程度の固定の後パラフィン包埋されたものでは塩基置換が部分的におきるものの、ゲノム型の判定は十分可能であると考えられた。しかし、1年にわたるホルマリン固定では、塩基置換の頻度が高く、ゲノム型の判定は困難であるうと結論された。

(5)サーミ人のゲノム型

 JCV DNAが陽性だった8例全てからヨーロッパに分布するゲノム型EU-aが検出された。サーミ人が現在の他のヨーロッパ人と同一起源であることが示唆された。

5.考察

(1)法医学材料からのJCV DNAの検出とそのゲノム型の決定

 尿では死後10日経過した試料からもJCV DNAが検出され、尿が検出材料として使用できることが示された。瘢痕などの試料も使用すれば応用範囲が広がると考えられた。

 腎臓からの検出には左右の複数箇所を調べる必要があると結論された。高度に腐敗した遺体や焼棄された遺体の腎臓からもJCV DNAが検出された。これらの知見は法医学的観点から非常に貴重であると考えられた。

 従来の方法は、死体の出身地域を大陸規模でおおまかに限定するだけだった。本研究で提案したJCVゲノム型は出身地域を狭い範囲で推定できた。捜索において対象地域が狭ければ、捜査の時間や費用が著しく縮小されるであろう。

(2)保存組織の利用

 組織がホルマリン処理されると組織中のDNAの塩基はホルマリンに修飾され、PCRに影響を与えることが知られている。retrospectiveな研究でホルマリン処理された検体しか利用できない場合が想定される。本研究により2週間程度のホルマリン固定後パラフィン包埋された腎組織はJCVゲノム解析に十分使用できると結論された。

(3)サーミ人のゲノム型

 サーミ人の言語はインドヨーロッパ語族とは異なるアジア言語であると考えられている。遺伝学的研究からも他のヨーロッパ人とは区別されている。しかし、本研究によってサーミ人は現在のヨーロッパ、地中海沿岸の人々と極めて近い関係にあることが示唆された。今後のウイルスゲノムの全長解析により詳細に検討する予定である。

6.まとめ

 最近、身元不明死体の数が増加し、また外国人の身元不明死体の割りあいも増えているが、今まで身元不明死体の出身地域を推定する有効な方法は知られていなかった。私は(1)法医学材料からJCVが問題なく検出されること、(2)検出されたJCV DNAのシークエンジングと系統解析によって、遺体が保有するJCVゲノム型が決定されること、(3)遺体のJCVゲノム型は遺体の出身地域に分布する主要なJCVゲノム型と一致することを示した。このような知見を元に私はJCVゲノム型を用いて身元不明死体の出身地域を特定する方法を提案した。科学警察研究所では現在、本法を実際の捜査に取り入れるための具体的検討がなされている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、近年数多く発生している身元不明死体の出身地域を、JCウイルス(JCV)を用いて推定しようとしたものであり、下記の結果を得ている。

1、法医学材料からのJCV DNAの検出とそのゲノム型の決定

 尿でのウイルスの検出率は42%であった。生体尿からの検出率と有意差はなかった。死後72時間まで検出率の低下は認められなかった。死後10日の遺体から採取された尿からも検出された。

 腎臓でのウイルスの検出率は46%で、生体腎からの検出率とほぼ同じであった。左右腎臓の各3か所から試料を採取したが、全ての部位で陽性であることは少なかった。死後72時間まで検出率の低下は認められなかった。死後10ヶ月の遺体からも検出された。高度に焼棄されたり、腐敗した遺体からも検出された。

2、ゲノム型と出身地域との相関

 日本人陽性例35例のうち、18例でCY、17例でMYが検出され、他のゲノム型は検出されなかった。出身地域との関係は、既報のウイルスのゲノム型の分布領域に、完全に合致し、矛盾は認められなかった。

 外国人12例からは多彩なゲノム型(CY、MY、B1-a、SC、B2、B1-c)が検出された。死体の出身地域とJCVゲノム型との関係は、報告されているJCVゲノム型の世界的分布に完全に合致し、矛盾は認められなかった。

3、日本人死体の出身地域の確率的推定

 日本列島における2つのJCVゲノム型(CY、MY)の分布データを解析することによりゲノム型ごとに南北に分布するきれいな曲線が得られた。この曲線を用いて、北緯35.5度の南北でどちらの出身地域か、また別の見方をすればどのぐらいの確率で当該地域の出身かを具体的な確率的数字で示すことができた。

4、保存組織の利用

 retrospectiveな研究でホルマリン処理された検体しか利用できない場合が想定される。組織がホルマリン処理されると組織中のDNAの塩基はホルマリンに修飾され、PCRに影響を与えることが知られている。本研究により2週間程度のホルマリン固定後パラフィン包埋された腎組織はJCVゲノム解析に十分使用できると結論された。

3、サーミ人のゲノム型

 未調査の地域の一つであるラップランドのサーミ人の陽性8例全てからヨーロッパに分布するゲノム型EU-aが検出された。サーミ人が現在の他のヨーロッパ人と同一起源であることが示唆された。

 以上本論文は、JCVを用いて身元不明死体の出身地域を推定する方法を提案した。身元不明死体の出身地域を推定する有効な方法は知られておらず、本研究が身元不明死体の身元解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものである。

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