学位論文要旨



No 118304
著者(漢字) 吹野,恵子
著者(英字)
著者(カナ) フキノ,ケイコ
標題(和) 成体の血管新生能に与える遺伝的背景と老化抑制遺伝子の影響の検討
標題(洋)
報告番号 118304
報告番号 甲18304
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2111号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 谷口,茂夫
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

 成長因子を用いた血管新生療法は、近年、臨床的にもその効果が認められ、比較的低侵襲で、観血的治療法の適応にならない患者に応用できる新しい治療法として注目されてきている。しかしながら、これまでの報告で、患者によって血管新生療法に反応する者としない者があり、個体差があることが明らかになってきた。また、虚血に反応した生理的な側副血行路の発達にも個体差があり、特に、高齢の患者では側副血行路の発達が悪く、血管新生療法に対する反応も悪い場合があること、また、高血圧、高脂血症、糖尿病、喫煙などの危険因子がなくても、虚血性疾患を発症し得ることが臨床的に知られてきた。これらのことから、私は成体における生理的血管新生能、および外来成長因子に対する反応には遺伝的背景の相違が影響しており、さらに、加齢による血管新生能の低下には老化を制御している遺伝子が関わっている可能性があると考え、この2点について検討した。

 一連の検討に先立ち、基礎検討として、有効な遺伝子導入手技を確立するために、electroporationを用いた遺伝子導入がアデノウィルスに替わり得る有効な遺伝子導入法であることを示した。

次に、遺伝的背景の違いが血管新生能に与える影響について、3系統の遺伝的に異なるマウスを用いて検討した。マウスは虚血性疾患も含め、人間の様々な病態のモデルとして汎用されている実験動物であり、最近では、遺伝子操作技術の進歩により、遺伝子操作マウスを作成することで、生体内での様々な生理的現象におけるある特定の遺伝子の役割を検討することも可能になってきた。従って、血管新生のような生理的現象に、遺伝的要因の違いが影響し得るか否かを検討するための動物モデルとして、適当であると考えられた。

 今回の検討では、30〜35週齢の雄のBALB/c、C3H/HeJ、およびC57BL/6Jマウス(それぞれn=10)の3種類の遺伝的に異なるマウスを用いた。血管新生能の検討のために、それぞれのマウスを用いて下肢動脈結紮モデル(マウスの右大腿動脈を結紮切離し、下肢虚血を作成したマウス)を作成し、その血流の回復をレーザードップラーイメージングシステムで5週間に渡り評価した。血流の回復の評価は、レーザードップラーシステムで測定した患側肢の血流と健側肢の血流の比で表した(患側肢/健側肢)。手術直後は全てのマウスで有意な血流の低下が認められたが、術後1週間目よりC57BL/6JマウスではBALB/cマウスに比べ、有意に良好な血流の回復が認められた。C3H/HeNもBALB/cに比べて有意に良好な血流の回復を示したが、C57BL/6Jマウスの方がより良好な血流の回復を示した(Fig.1)。術後5週目に下肢筋肉を採取し、新生血管生成の指標である微少血管密度を測定したところ、C57BL/6Jマウスが最も高い微少血管密度を示した(Fig.2)。微少血管密度は、免疫染色により新生内皮細胞の指標であるCD31陽性の微少血管の1mm2当たりの数を計測することで測定した。

 さらに、この血管新生能の違いと内因性の成長因子の発現量の関係を検討するため、血管新生において中心的な役割を果たすと考えられているVEGFの発現量をそれぞれのマウスで検討した。3種類のマウスに前述の方法で下肢虚血を作成し、術後0時間、6時間、24時間の時点で虚血下肢の筋肉を採取し、RT-PCRで虚血に反応したVEGFの発現量の増加を検討したところ、3種類とも虚血による速やかなVEGFの発現誘導が認められたが、その発現量は、最も血管新生能の高かったC57BL/6Jマウスで最も高く、BALB/cマウスで最も低かった。これより、VEGFの発現量の低下がBALB/cマウスにおける血管新生能低下の原因と考えられたが、VEGFの単独投与では、BALB/cマウスでは反応が認められなかった。そこで、下肢虚血モデルを用いてVBGFの受容体の発現量をウェスタンブロッティングで検討したところ、BALB/cマウスにおいてKDR/Flk-1の発現、誘導が他の2種に比べて明らかに低下していることが示された。さらに、血管新生において重要な役割を果たしていると言われている炎症細胞の関与を検討するために、術後5週めのマウスの虚血下肢筋肉を用いて、T細胞および、マクロファージの浸潤を免疫染色にて検討したところ、BALB/cマウスにおいて、他のマウスより浸潤量が少なくなっていることが示された。以上の結果より、血管新生能の決定因子としてVEGF以外に、VEGF受容体、炎症細胞の浸潤能などが重要な役割を果たしており、遺伝的背景が違うことで血管新生能が大きく異なることが示された。この結果は、新しい血管新生療法の治療戦略を考える上で有用であると考えられる。

 最後に、加齢による血管新生能の低下に着目し、老化を制御する遺伝子と血管新生能の関係について検討した。最近、我々の研究室では老化の抑制と制御に関わる遺伝子としてklotho遺伝子を同定した。klotho遺伝子は、その機能を阻害したマウスにおいて、活動性の低下、寿命の短縮、不妊、動脈硬化、骨粗鬆症、皮膚の萎縮、および異所性石灰化など、加齢現象に類似した表現型を示すことが知られており、老化を抑制する遺伝子であると考えられている。また、klotho遺伝子の機能を阻害することで、NOの産生低下にともなう内皮機能の低下が起きることが知られており、これらの現象が、加齢による内皮機能の低下の際におこる現象と類似していることから、私は、klotho遺伝子が、血管新生能の制御に関わっている可能性があると考えた。今回、私は、klotho遺伝子と血管新生能の関連を検討するために、klotho遺伝子のノックアウトマウス(klothoマウス)を用いて、下肢動脈結紮モデルを作成し、血管新生能の検討を行った。

 klothoマウスのホモ接合体は体が小さく、10週齢以降の生存が難しいため、実験には、35〜40週齢のklothoマウスのヘテロ接合体を用いた(n=9)。コントロールとしては、遺伝的要因の影響を最小限にするために同週齢の同胞の野生型マウスを用いた(n=5)。遺伝的背景の検討と同様に、血流回復をレーザードップラーイメージングシステムを用いて5週間モニターし、術後5週目に下肢筋肉を採取し、CD31の免疫染色により、微少血管密度を測定した。今回の検討で、klothoマウスでは、血流の回復、微少血管密度ともに野生型マウスより低下していることが示された(Fig.3,4)。今回、血流の回復は術後2週間目の時点までは、klothoマウスは野生型マウスに比べて有意な低下を示したものの、それ以降は有意な差はなくなっていた。これは、klotho遺伝子が血管新生誘導の初期の段階で作用している可能性も考えられるが、実験に用いたマウスが高齢であり、もともと血管新生能が低下していることも原因の一つと考えられた。

 今回の結果は、klotho遺伝子が加齢にともなう血管新生能の低下に関与している可能性を示したものと考えられた。klotho遺伝子の作用機序に関しては、さらなる検討が必要であるが、klotho蛋白には膜型と分泌型の2種類が存在しており、血管新生においてはシグナル伝達の仲介役として働くインテグリンのような膜蛋白や、また、成長因子のように液性因子として直接関与する分泌型蛋白の双方が重要であることが知られており、klotho遺伝子もその2種類の産物により、血管新生に間接的、または直接的に関与している可能性が考えられた。今回の検討は高齢者に対する血管新生療法を考える上で、老化抑制遺伝子klothoの応用の可能性を示唆するものと考えられた。

 以上、遺伝的背景および老化抑制遺伝子の機能が血管新生能に関与していることを示した。今回の研究は、VEGFに反応しない患者においても、より有効な治療的血管新生を得るために、VEGF以外の因子を応用し得る可能性を示唆したものと考えられる。さらに、electroporationを用いれば、プラスミドベクターで、ウィルスベクターと同等またはそれ以上の遺伝子導入効率を得ることができることも示した。さらなる検討が必要ではあるが、今回の研究結果は今後、血管新生療法の新しい戦略を考える上で、大変有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、虚血性疾患における側副血行路の形成に、臨床的に大きな影響を与えると考えられている加齢および遺伝的要因の違いに着目し、マウスを用いて老化抑制遺伝子および遺伝的背景の相違が血管新生能に与える影響とそのメカニズムを検討し、より有効で安全な血管新生療法の可能性を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.外来導入遺伝子による血管新生療法として、ウィルスベクターを用いた場合の安全性が必ずしも確立されてはいないため、プラスミドを直接筋肉内に注射する投与方法が安全で、かつ安価な方法として広く用いられているが、遺伝子導入効率が低く、また発現効率が個体間で大きく異なることが問題となっていた。本研究ではこれまでに遺伝子導入効率を上昇させるとの報告のあるelectroporationとプラスミド筋注の併用により、ウィルスベクターに匹敵する遺伝子導入効率を得ることができることをβ-ガラクトシダーゼアッセイおよびルシフェラーゼアッセイを用いて2つの方法を直接比較することで示した。

 2.遺伝的背景の異なる3系統のinbredマウス(C57BL/6J、C3H/HeN、BALB/c)を用いて下肢虚血モデルを作成し、血流の回復をレーザードップラーシステムを用いて経時的に検討したところ、血流の回復が3系統のマウスで著しく異なっていることが示された。さらに、それぞれのマウスで形成された新生血管をCD31に対する免疫染色で検出し、1mm2当たりの新生血管密度を計測したところ、血流の回復に相関して新生血管密度も各系統のマウスで異なっていることが示された。

 3.3系統のマウスを用いて下肢虚血モデルを作成し、虚血刺激に暴露された下肢筋肉を採取し、血管新生において中心的な役割を果たすと考えられているVEGFの発現量をRT-PCRにて検討したところ、マウスの血管新生能とVEGFの発現量が相関していることが示された。しかしながら、VEGF遺伝子をelectroporationを用いて導入した実験では、血管新生能の高いマウスでは外来VEGFの投与に良く反応したが、最も血管新生能の低かったマウス(BALB/cマウス)ではほとんど反応が見られないことが示された。さらに、各系統のマウスにおける2種類のVEGF受容体、すなわちVEGFR-1(Flt-1)およびVEGFR-2(Flk-1/KDR)の発現量を下肢筋肉を用いたウェスタンブロッティングで検討したところ、血管新生能が低下しているマウスでは、VEGFのみならず、血管新生において重要であると言われている受容体VEGFR-2(Flk-1/KDR)の発現誘導が著しく低下していることが示された。以上より、有効な治療的血管新生を得るためにはVEGF単独投与では不十分である可能性が示された。

 4.血管新生能と関連が深いと言われている炎症細胞の浸潤について免疫染色を用いて各系統のマウスで検討したところ、T細胞およびマクロファージの浸潤が、血管新生能の低いマウスでは低下していることが示された。

 5.血管新生能に関する形質の遺伝形式を調べるため、最も血管新生能の高かったマウス(C57BL6/J)と最も血管新生能の低かったマウス(BALB/c)のhybridマウスを作成し、その血管新生能を同様の方法で検討したところ、F1マウスではC57BL6/Jに近い形質を示すことが示された。このことから、この形質が優性遺伝する可能性が示唆された。

 5.加齢動物における血管新生能低下のメカニズムの一つであると言われている、加齢による内皮機能の障害を制御すると考えられる老化抑制遺伝子klothoの血管新生能に与える影響を、挿入突然変異によりklotho遺伝子の発現を低下させたklothoマウスのヘテロ接合体を用いて検討した。他の実験と同様に下肢虚血モデルを作成し、血流の回復および新生血管の形成を検討したところ、klotho遺伝子の発現が低下したマウスでは血流の回復、新生血管の形成ともに野生型マウスより低下していることが示され、klotho遺伝子が直接的、または間接的に血管新生能の制御に関与している可能性が示唆された。

 以上、本論文は成体における血管新生能の違いが遺伝的に規定されていることを3系統の遺伝的に異なるマウスを用いて虚血刺激に対する血流の回復および新生血管の形成を解析することで明らかにし、その血管新生能の違いが成長因子の発現量のみでなく、その受容体システムの発現にも大きく影響されていることを明らかにした。また、ウィルスベクターを用いずに外来遺伝子を導入する方法としてelectroporationの有効性を検討し、ウィルスベクターに匹敵する遺伝子導入効率が得られることを示した。さらに、加齢現象を制御すると考えられるklothoの発現が低下したマウスを用いて血管特異的にAMを過剰発現する遺伝子改変マウスでその血管新生能を検討し、klotho遺伝子が血管新生能の制御に関わる可能性を明らかにした。以上の結果は血管新生の病態整理の解明に寄与するものであり、今後、有効な血管新生療法を考える上で臨床応用につながる科学的貢献度の非常に高い研究であり、本学の医学博士論文として学位の授与に値するものと考える。

UTokyo Repositoryリンク