学位論文要旨



No 118305
著者(漢字) 辻,多恵子
著者(英字)
著者(カナ) ツジ,タエコ
標題(和) ヒト腹部大動脈分岐部におけるwall shear rateのMR velocity mappingによるベクトル解析
標題(洋)
報告番号 118305
報告番号 甲18305
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2112号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 講師 宮田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

 背景、目的

 Wall shear stressは、粥状動脈硬化病変の発生に血行動態の面で関与すると考えられている。ヒトの動脈硬化病変は、wall shear stressの低いところに発生すると言われているが、最近の実験から、病変が好発する血管分岐部では、wall shear stressが低いだけでなく、血流の停滞、剥離、乱流が生じ、shear stressの方向や強さが、時間的、空間的に不安定であることもわかってきている。

Wall shear rateとは、血流速度勾配であり、血管壁からの垂直距離方向への速度勾配で表わされ、Wall shear stressは、Wall shear rateと血液粘性の積である。

動脈硬化病変の好発部位である血管分岐部の血管壁では、複雑な血行動態が予想され、生体内のWall shear rateを正確に評価するには血流の三次元的把握が不可欠である。MR速度マッピングを用いれば、いかなる血流速度ベクトルも互いに直交する3方向の血流ベクトルの和として表わせる。

今回の研究では、このMR速度マッピングを用い、腹部大動脈の分岐部におけるwall shear rateを三次元的に評価し、血管分岐部におけるwall shear rateの正確な評価と、wall shear rateと血管分岐部の解剖学的構造との関連について検討した。

対象と方法

対象とMR imaging technique

対象は、検査の説明により同意が得られた、7例の健康男子成人で、平均年齢は28.4±10.0歳であった。全例無症状で、血圧は正常範囲内であった。また、心疾患の既往はなく、心電図は正常範囲内であった。

Wall shear rateを計測するために用いたMR imagerは、Magnetom Visionであり、撮影条件は、TR/TE=80/6ms、フリップ角30°とした。撮像方法は、非呼吸止めMR速度マッピングを用いた。ピクセルごとの血流速度ベクトルを三次元的に把握するため、3つの互いに直交する方向、撮像断面に垂直な方向(through-plane)、撮像断面上で直交する2方向(右から左方向のin-planeと頭側から尾側方向のin-plane)-の速度ベクトルを3回のマッピングにより求めた。撮像断面は、腹部大動脈血管分岐部とし、腹部大動脈と左右の総腸骨動脈の分岐で形成される角度をA(<90°)とした。

Wall shear rateの計測

Wall shear rateの計測は、8時相(心電図R波より0msec,80msec,160msec,240msec,320msec,400msec,480msec,560msec)で行なった。計測した解剖部位は、腹部大動脈からの分岐直後の左右総腸骨動脈、それぞれ内側と外側につき計4箇所の血管壁近傍とした。

Wall shear rateを三次元的にベクトル解析するために、血流速度ベグトルをaxial component,nonaxial component,normal componentの3方向へ分解した。Wall shear stressの形成には、axial componentとnonaxial componentの2つの血流速度ベクトルが関与するため、axial component{(wall shear rate)axial}とnonaxial component{(wall shear rate)nonaxial}の2つのベクトルを求めた。

3回のマッピングにより得られた互いに直交する3方向の血流速度ベクトル(Vright-left,Vhead-caudal,Vperpendicular)のうち、(wall shear rate)axialはVright-leftとVhead-caudalの2方向のベクトルが、(wall shear rate)nonaxialはVperpendicular)の1ベクトルが関与するため、2つのcomponentは次式で表わされた。

右の総腸骨動脈に関しては (wall shear rate)axial=4096/Dx{150xcosAx(I2-I1)head-caudal-75xsinAx(I2-I1)right-left}

左の総腸骨動脈に関しては (wall shear rate)axial=4096/Dx{150xcosAx(I2-I1)head-caudal+75xsinAx(I2-I1)right-left}

nonaxial componentの場合は、左右の総腸骨動脈共通となり(wall shear rate)nonaxial=75/4096/DxsinAx(I2-I1)perpendicular

ここで、Aは腹部大動脈からの左右総腸骨動脈の分岐魚度、V1は血流速度-距離関係曲線上の血管壁に最も近いピクセルの持つ速度、V2は血管壁に2番目に近いピクセルの持つ速度、Dはピクセルの大きさ、I1は血管壁に最も近いピクセルの信号強度、I2は血管壁に二番目に近いピクセルの信号強度とした。

 Wall shear rate計測の再現性

Wall shear rate計測の再現性は、任意の5例における4心時相につき、右の総腸骨動脈の内側壁と外側壁における計40回の計測を、同一検者が2回計測を繰り返すことにより得た対をなす2計測値の差の絶対値を両者の平均値で除して表現した。

Wall shear rateの分析

Peak wall shear rateは、収縮期から拡張期に至る8心時相の各時点で得られた値のうち、絶対値が最大のものと定義した。Axial componentとnonaxial componentのそれぞれに対し、peak wall shear rateを算出した。

Wall shear rateの変動の程度を示す指標であるoscillatory shear indexは、axial componentとnonaxial componentにつき以下の通り定義した。

(oscillatory shear index)=|Arecessive|/(|Adominant|+|Arecessive|)

ここで、|Adominant|は、wall shear rate-時間曲線下の順行方向の流れにより惹起された正の値の和とし、|Arecessive|は、同曲線下の逆行方向の流れにより惹起された負の値を取ったwall shear rateの絶対値の和とした。

腹部大動脈が総腸骨動脈に分岐する角度Aに注目し、(peak wall shear rate)axialおよび(oscillatory wall shear rate)axialとの相関を求めた。

結果

計測の再現性

Wall shear rate計測の再現性は、内側壁で10.4%±10.1%であり、外側壁で10.1%±8.9%であった。全体としての再現性は、10.3%±9.5%であった。

内側壁と外側壁の比較

Axial componentのpeak wall shear rateは、内側壁で196.0±53.7sec-1、外側壁で120.6±37.2sec-1であり、内側で有意に大きかった(p<0.01)。Nonaxial componentのpeak wall shear rateは、内側壁で27.8±9.6sec-1、外側壁で26.4±16.2sec-1と両者に差は認めなかった。

 Axial componentのoscillatory shear indexは、内側壁で0.15±0.08、外側壁で0.24±0.11であり、内側で有意に小さかった(p<0.01)。Nonaxial componentのoscillatory shear indexは、内側壁で0.55±0.31、外側壁で0.52±0.40と両者に差は認めなかった。

血管の分岐角度とwall shear rateの関係

腹部大動脈から右の総腸骨動脈が分岐する角度は26.7±9.5°、左の総腸骨動脈が分岐する角度は15.6±8.10であり、右で大きかった(p<0.01)。外側壁では、分岐角度は、(peak wall shear rate)axialと正相関し(r=0.577,p<0.05)、(oscillatory shear rate)axialとは逆相関を呈した(r=-0.603,p<0.05)が、内側壁に関しては、相関は認められなかった。(p=0.92)(p=0.11)

考察

MR速度マッピングによるWall shear rateのベクトル解析

Wall shear rateを求めるためには血管壁のごく近くの血流速度を評価する必要があるが、血管壁近傍における血流速度の測定は大変困難である。MR速度マッピングは、3方向のベクトルを設定することにより、どのような複雑な流れをとる血流速度により惹起されるwall shear rateをも三次元的に把握できた。

今回の研究で計測されたwall shear rateを考察してみると、分岐した血管の外側壁で測定されたwall shear rateが、有意に小さく、変動性が大きかった。このことは、分岐後血管の外側壁は、動脈硬化発症の危険性が高いことを示している。さらに、分岐する血管の分岐角度とwall shear rateの関係を考察してみると、外側壁では、分岐角度はwall shear rateに正の相関をしており、変動性に負の相関をしている。つまり、分岐角度が小さい血管で、wall shear rateが小さく、変動性が大きかった。このことは、分岐後血管の外側壁では、分岐の角度が小さいと動脈硬化発症の危険性が高いことを示している。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒトの動脈硬化病変の局荘性において重要な役割を演じていると考えられるwall shear stressを明らかにするため、動脈硬化病変が局在し易いといわれているヒトの腹部大動脈分岐部において、MR velocity mappingを用いてwall shear rateの三次元的解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1、左右いずれの総腸骨動脈においても、TR=80msの設定にて得た心時相-血流速度曲線から求められる正、負の最大血流速度は、TR=40msでの設定の心時相-血流速度曲線の精度と同等であるためTR=80msで与えられる時間分解能で十分であり、wall shear rate計測はTR=80msの精度で得ることができることが示された。

2、血流速度の大きい頭側から尾側方向のin-planeでは、最大血流速度は86.2cm/s、撮像断面上右から左方向のin-planeと撮像断面に垂直な方向のthrough-planeでは、最大血流速度はそれぞれ46.7cm/s、16.7cm/sであった。したがって、VENChead-caudal=150cm/s、VENCright-left=75cm/s、VENCperpendicular=75cm/sの設定により折り返り現象は回避されwall shear rateを得ることができることが示された。

3、血流速度は、axial componentでは外側壁においても内側壁においても、小さな値から始まり、160ms付近で最大値、400ms付近で逆流となり、560ms以降は3cm/sを超えることはなかった。Nonaxial componentもでは外側壁においても内側壁においても、10cm/s以下の低い値となり、特に560ms以降は3cm/sを超えることはなかった。左右総腸骨動脈外側壁、内側壁のどちらにおいても、axial component、nonaxial componentともに心時相560ms以降の血流速度は3cm/sより小であった。したがって、TR=560ms以降の心時相に対してはwall shear rateの解析は不要であった。また、TR=80msは上述の結果より時間分解能として十分であるためwall shear rate計測のための心時相は、TD=0ms、80ms、160ms、240ms、320ms、400ms、480ms、560msの8心時相で得ることができることが示された。

4、Wall shear rate計測を目的とするMR velocity mappingのための撮像断面上で、腹部大動脈および左右総腸骨動脈のそれぞれが直径に相当する最大径として描出されている範囲は分岐点より計測して、腹部大動脈5.6±1.5cm、右総腸骨動脈2.2±0.5cm、左総腸骨動脈2.6±0.5cmであった。最小の描出範囲は右総腸骨動脈における1.6cmであった。したがって、3血管分岐点より左右総腸骨動脈末梢側へ1.5cm以内の範囲では、同血管は直径に相当する血管径として描出されており、同範囲内を計側部位としてwall shear rateを得ることができることが示された。

5、Axial componentのpeak wall shear rateは、内側壁で196.0±53.7sec-1、外側壁で120.6±37.2sec-1であり、外側に比較し、内側で有意に大であった。Nonaxial componentのpeak wall shear rateは、内側壁で27.8±9.6sec-1、外側壁で26.4±16.2sec-1と両者に差は認めなかった。Axial componentのoscillatory shear indexは、内側壁で0.15±0.08、外側壁で0.24±0.11であり、外側に比較し、内側で有意に小であった。Nonaxial componentのoscillatory shear indexは、内側壁で0.55±0.31、外側壁で0,52±0.40と両者に差は認めなかった。動脈硬化病変は、wall shear rateが小でかつ変動性が大である局所で発生しやすく、このことから、内側に比較し分岐した血管の外側壁では、動脈硬化発症の危険性が高いことが示された。

6、腹部大動脈から右の総腸骨動脈が分岐する角度は26.7±9.5°、左の総腸骨動脈が分岐する角度は15.6±8.1°であり、分岐角度は左に比較し、右で大であった。外側壁では、分岐角度は、(peak wall shear rate)axialと正相関し、(oscillatory shear index)axialとは逆相関を呈した。内側壁では、分岐角度と(peak wall shear rate)axial及び、(oscillatory shear index)axialとの間に相関は認められなかった。動脈硬化病変は、wall shear rateが小でかつ変動性が大である局所で発生しやすく、このことから、分岐後血管の外側壁では、分岐の角度が小さいと動脈硬化発症の危険性が高いことが示された。

以上、本論文はヒトの腹部大動脈分岐部において、MR velocity mappingを用いてwall shear rateの三次元的解析を試み、腹部大動脈分岐部における動脈硬化病変との関係を明らかにした。本研究は腹部大動脈においてwall shear rateの三次元的解析を始めて試み動脈硬化病変の局在性との関係を検証したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク