学位論文要旨



No 118310
著者(漢字) 石橋,由孝
著者(英字)
著者(カナ) イシバシ,ヨシタカ
標題(和) グルコース透析液は腹膜中皮細胞ミトコンドリアDNAを傷害する
標題(洋) Glucose dialysate induces mitochondrial DNA damage in peritoneal mesothelial cells
報告番号 118310
報告番号 甲18310
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2117号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 講師 大野,実
 東京大学 講師 川邉,隆夫
 東京大学 講師 小林,美由紀
内容要旨 要旨を表示する

背景:腹膜透析の際に浸透圧物質として使用される高濃度グルコースにより腹膜組織が障害され長期継続困難となることが知られているが、その障害過程については十分に検討されていない。浸透圧物質として、現状ではグルコースの代替となるものは存在しないため、高濃度グルコースによる腹膜組織の障害を捉え、対策をたてることは重要である。腹膜組織のなかで中皮細胞は腹膜組織表層に一列で配列し、サーファクタントを分泌して腸管運動を円滑にしたり、中皮下組織を透析液から保護する役割を果たしていると考えられる。したがって中皮細胞の組織からの喪失や機能低下は浸透圧物質の早期吸収を招き、浸透圧勾配が維持されないため除水不全を来す可能性がある。またサーファクタントの欠乏は、腸管の蠕動運動を妨げ癒着を来しうるため腹膜透析の重大な合併症で、致死率の高い被嚢性硬化性腹膜炎の原因となる可能性もある。長期腹膜透析患者の腹膜中皮細胞の障害を捉え、グルコース透析液がその障害過程に影響しているか否か検討することを目的とした。長期腹膜透析患者が血液透析に移行する際に得られた腹膜中皮細胞の電子顕微鏡による基礎検討において、ミトコンドリアの膨化とクリステの消失・細胞内中間径フィラメントの蓄積が特徴的に認められたため、ミトコンドリアの障害に注目した。腹膜透析療法中には高濃度グルコースが腹膜中皮細胞に繰り返し負荷される。グルコースは細胞内に入ると解糖系によりピルビン酸に代謝され、その後にミトコンドリアで酸化的リン酸化によりATP産生が行われる。その際、ミトコンドリア内膜(クリステ)局所において活性酸素の産生を伴う。発生する活性酸素の中で、hydroxyl radicalsは反応性が非常に高く飛程距離が短いため、発生部位でDNA、蛋白質、脂質などの分子を酸化修飾する可能性がある。ミトコンドリアDNAは、ゲノムと異なり修復機構が不完全なため障害が蓄積しやすく、またミトコンドリア自身の分裂やクリステの形態にも関与しているので、その障害の蓄積は、ミトコンドリアの数の減少やクリステの障害をもたらし、最終的に中皮細胞の機能低下を来す可能性がある。

対象と方法および結果:1999年9月より2001年1月までの間に、三井記念病院及び東海大学医学部付属病院にて書面による同意を得た後、腎機能正常な早期胃癌患者(5名)の胃摘出手術時に合併切除される大網組織、末期腎不全患者(3名)に対する腹膜透析導入のテンコフカテーテル挿入時に採取される壁側腹膜および長期腹膜透析患者(10名)が血液透析に移行する際のテンコフカテーテル抜去時に採取される壁側腹膜組織を用いて腹膜中皮細胞の検討を行った。別に13名の安定した腹膜透析治療中の患者の腹膜透析排液中に存在する腹膜中皮細胞をサイトスピン法により回収し検討に用いた。DNAの酸化障害の指標として抗8-hydroxy-2'-deoxyguanosine(8-OH-dG)抗体を用いて免疫染色を行った。腹膜組織においても排液検体においても長期腹膜透析患者の中皮細胞において、強く細胞質パターンの顆粒状の染色が認められ、免疫電顕において染色の局在がミトコンドリアであることが確認された。

次に、これらの観察所見が実際に高濃度グルコースで誘導されるか否か、ヒトの大網より採取された腹膜中皮細胞を用いた培養実験により検討した。グルコース濃度を実際の腹膜透析液の濃度である、1%、4%に調整し144時間まで培養を行った。高濃度グルコースによる腹膜中皮細胞障害機構には高浸透圧による影響とグルコース代謝による影響が考えられたため、4%グルコースに対する浸透圧コントロールとして、4%マンニトール培養液を使用した。144時間までの培養を行い、臨床検体と同様に抗8-OH-dG抗体を用いた免疫細胞化学により行った。4%グルコース培養液にて培養された腹膜中皮細胞は顆粒状に強く染色され、1%グルコースや4%マンニトール培養の腹膜中皮細胞は染色を軽度認めたのみであった。電子顕微鏡による観察においても、4%グルコースによる培養においてはミトコンドリアの膨化やクリステの減少が顕著に認められたが1%グルコースや4%マンニトールではミトコンドリアの膨化やクリステの形態異常は一部に認めたのみであった。以上より、高濃度グルコースは腹膜中皮細胞ミトコンドリアDNAの酸化障害と形態異常を主として代謝機構により促進させるものであると考えられた。これを確かめるために実際にミトコンドリアでのATP産生亢進の有無と高浸透圧で細胞内酸化ストレスを来すため、細胞内酸化ストレスの状況を検討した。まず、ミトコンドリアでのATP産生であるが、クリステにおける酸化的リン酸化の亢進はミトコンドリア膜電位と相関するので、Rhodamine123を用いたフローサイトメトリーによるミトコンドリア膜電位を測定したところ高濃度グルコース培養でミトコンドリア膜電位の増加が認められた。ルシフェラーゼ法による細胞内ATP産生の測定において高濃度グルコース培養腹膜中皮細胞でATP産生は亢進しており、ミトコンドリア膜電位の増加とあわせてミトコンドリアでのATP産生亢進と考えられた。次に、細胞内酸化ストレスの評価として、2',7'-dichlorodihydrofluorescein diacetate(DCFH-DA)を用いたフローサイトメトリーにて行ったところ細胞全体としての酸化ストレスは、4%グルコースと4%マンニトールで同等であった。細胞障害については、LDHアッセイを行ったところ、4%グルコースよりもむしろ4%マンニトールでLDH放出は多く、形態的にも空胞変性が著しく、障害の程度は強いと考えられた。

考察:長期腹膜透析患者の腹膜中皮細胞にはミトコンドリアDNAの酸化障害が存在し、4%グルコース濃度培養腹膜中皮細胞においてその障害が強く誘導された。浸透圧コントロールのマンニトール培養では、その障害は軽度であった。細胞内活性酸素の発生については4%グルコースと4%マンニトールで同等であった。ミトコンドリアDNAはゲノムのDNAと異なり、ヒストンなどの保護蛋白を持たないため活性酸素による障害を受けやすく、また修復機構も不完全であるためその障害が蓄積しやすい。4%グルコース培養でミトコンドリアでのATP産生が亢進し、4%マンニトール培養では減弱していたこと、ミトコンドリアでのATP産生に伴いミトコンドリア内膜(クリステ)で反応性の高い活性酸素が発生することから、浸透圧が同等である4%グルコース培養と4%マンニトール培養におけるミトコンドリアDNAの酸化障害および形態変化の違いは、細胞内ミトコンドリア代謝の違いによると考えられた。

 ミトコンドリアDNAは自身の分裂やクリステの形態を支配しているので、その障害の蓄積は、ミトコンドリアの数の減少やクリステの形態異常を来たし、最終的には機能低下を来すことが考えられる。細胞障害の観点からは、LDH放出増加・ミトコンドリア膜電位低下・高度細胞内空胞変性の所見より、4%マンニトール培養の方が4%グルコース培養より程度が強いと考えられ、浸透圧物質としてグルコースの方が生理的と考えられたが、4%グルコースにおいてもミトコンドリアDNA障害の蓄積により最終的に機能低下を来すものと想定された。

 ミトコンドリアの膨化は活性酸素による障害と関連して知られ、種々の病態で報告されているが、それに加えてミトコンドリア内膜(クリステ)の減少や消失はミトコンドリアDNA障害で説明され、長期腹膜透析患者の腹膜中皮細胞および高濃度グルコース培養腹膜中皮細胞で特徴的に認められ、高グルコース透析液を使用する腹膜透析における腹膜中皮細胞障害機構の一部を説明すると考えられた。

 ミトコンドリアの形態異常・機能低下・数の減少は加齢現象として知られており、腹膜透析患者の腹膜中皮細胞は腎不全という加齢が促進される環境にあり、高濃度グルコースはこの過程を促進させるものと考えられた。グルコースは浸透圧物質として安全で有用であるが、高濃度のグルコースの使用は腹膜中皮細胞保護の観点からは使用を控えるべきと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 腹膜透析を長期間行っていると、除水が不十分になり透析不足になることや癒着性イレウスを来す場合があり、浸透圧物質として含まれる高濃度グルコースによる腹膜中皮細胞傷害が一因になっている可能性が指摘されている。浸透圧物質として、現状ではグルコースの代替となるものは存在しないため、高濃度グルコースによる腹膜組織の障害を捉え、対策をたてることは重要である。本検討は、長期腹膜透析患者の腹膜中皮細胞のミトコンドリアに膨化やクリステの消失など、ミトコンドリアDNA傷害を示唆する所見を認めていることから、それが高グルコースによる影響であるとの仮説をたて、以下の結果を得ている。

 1.長期腹膜透析患者の腹膜中皮細胞には、腎機能正常な患者や腹膜透析開始直後の患者に比べて、ミトコンドリアDNAの酸化傷害が強く存在することが、DNA塩基のデオキシグアノシンの酸化型である8ハイドロキシデオキシグアノシンに対する抗体を用いた免疫組織・細胞化学にて示された。

 2.培養ヒト腹膜中皮細胞を用いた検討において、細胞外高グルコース濃度によりミトコンドリアDNA傷害が誘導され、浸透圧コントロールである高マンニトールではその傷害が軽度であることが示された。

 3.高グルコース培養腹膜中皮細胞では、ミトコンドリア膜電位及びATP産生が亢進するが、高マンニトール培養ではミトコンドリア膜電位及びATP産生が低下することが示された。

 4.細胞全体の活性酸素の産生は、高グルコースと高マンニトールで違いがないことが示された。

 5.細胞傷害の程度は、高グルコースより高マンニトールの方が強いことが示された。

 以上、本論分では、長期腹膜透析中の患者の腹膜中皮細胞にはミトコンドリアDNAの酸化傷害が強く存在し、透析液に含まれる浸透圧物質である高濃度グルコースにより、主として代謝機構によりそれが促進されるが示された。

 実際の腹膜透析療法中の患者の腹膜中皮細胞に存在する傷害を捉えた上で、基礎実験により透析液による傷害機構を証明したものであり、日常診療において診断的意義を見いだす可能性があるとともに、透析液のグルコース毒性の一因を説明し、今後の透析液の開発に示唆を与える可能性のある研究内容であり、臨床教室の研究内容としてふさわしく、方法論、結論的にも問題なく学位に値するものと考えられる。

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