学位論文要旨



No 118311
著者(漢字) 太田,樹
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,タツル
標題(和) 血管内皮細胞における二つのTGF-βI型受容体によるTGF-β標的遺伝子の解析
標題(洋) Targets of transcriptional regulation by two distinct type I receptors for transforming growth factor-β in human umbilical vein endothelial cells
報告番号 118311
報告番号 甲18311
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2118号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 重松,宏
 東京大学 講師 竹内,二士夫
 東京大学 講師 高市,憲明
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 要旨を表示する

 背景 TGF-βは多彩な作用を持つサイトカインで,細胞の増殖,遊走,分化,アポトーシスに深く関与している.細胞外基質の蓄積や線維化の他,発生,免疫,腫瘍,骨リモデリング,創傷治癒にも広く関わっている.TGF-βはまた血管形成に重要な役割を果たしており,血管内皮細胞および平滑筋細胞や周細胞に作用して血管の成熟や安定化を調節すると考えられている.

 TGF-βシグナルは,セリン-スレオニンキナーゼ型受容体であるTGF-βII型受容体およびTGF-βI型受容体によって細胞内に伝えられる.TGF-βI型受容体によりシグナル伝達因子であるSmadがリン酸化,活性化され,核内に移行して標的遺伝子の発現が調節される.血管内皮細胞では二つのTGF-βI型受容体であるALK-1およびALK-5が発現しており,それぞれSmad1/5/8,Smad2/3を介してシグナルが伝達される.

 TGF-β,TGF-βII型受容体,ALK-1,ALK-5,Smad5のノックアウトマウスでは,拡張した血管と周囲の平滑筋細胞の障害を特徴とする重大な血管形成の異常をきたす.TGF-βシグナルを修飾する膜結合蛋白のEndoglinのノックアウトマウスも同様に血管の異常を呈する.疾患とのかかわりでは,拡張した脆弱な血管からの出血と動静脈奇形を主徴とするヒト遺伝性出血性毛細血管拡張症(HHT)の原因遺伝子としてALK-1とEndoglinが同定されている.

 このようにTGF-βは血管形成に深く関与しているが,二つの異なるTGF-βI型受容体であるALK-1とALK-5の血管内皮細胞に対する作用やTGF-β標的遺伝子の発現調節については不明な点が多い.そこで活性型ALK-1およびALK-5のリコンビナントアデノウイルスを用いてヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)に発現導入し,血管内皮細胞の増殖,アポトーシス,分化に与える影響を検討するとともに,オリゴヌクレオチドマイクロアレイを用いて血管内皮細胞におけるTGF-β標的遺伝子とその発現調節機構の解析を試みた.

 材料と方法 初代培養HUVECをI型コラーゲンコートの培養皿で,胎児ウシ血清および各種増殖因子を添加したendothelial basal mediumにより培養した.β-ガラクトシダーゼ(LacZ)のリコンビナントアデノウイルスをHUVECに感染させ,β-ガラクトシダーゼアッセイによって発現量を検討し,最適な感染効率が得られるmultiplicity of infectionを決定した.HUVECに活性型ALK-1およびALK-5,コントロールとしてLacZのリコンビナントアデノウイルスを感染させ,48時間後に細胞数の測定,DNA断片化によるアポトーシスの検出,マトリゲル上のネットワーク形成の観察を行った.またI型コラーゲンゲル内にてアデノウイルス感染後7日間培養し,管腔形成を観察した.アデノウイルス感染後8時間,12時間,24時間,48時間におけるALK-1およびALK-5蛋白の発現,Smadのリン酸化をイムノブロットにより検討した.

 同様にHUVECにアデノウイルスを感染させ,48時間後にRNAを抽出し,オリゴヌクレオチドマイクロアレイ(Affymetrix社GeneChipTMHuGeneFL)を用いて遺伝子発現を解析した.LacZと比較してALK-1あるいはALK-5によりFold changeが2倍以上増加または減少した遺伝子を抽出した.より有意な変化を同定するため,発現量の指標であるGeneChip intensityを100以上とした、これら以外に血管形成およびTGF-βに関連する遺伝子を抽出した.

上記と同様にRNAを抽出し,ノーザンブロットによりSmad1-Smad8,Id1-Id4,Endoglin,STALT1,IL1RL1,Eph-B4,Ephrin-B2,PAI-1の発現を検討した.Smad6,Smad7,Id1,Id2,Endoglin,PAI-1の発現については定量的リアルタイムPCRによる検討を追加した.またHUVECをTGF-β3 5ng/mlで1時間,4時間,24時間処理後RNAを抽出し,同様に定量的リアルタイムPCRにて検討した.

 結果 ALK-5を発現導入したHUVECにおいて細胞増殖の抑制とアポトーシスの誘導を認めた.これに対してALK-1ではALK-5と比較して増殖抑制効果は弱く,またアポトーシスの誘導を認めなかった.ネットワーク形成および管腔形成においては,ALK-5によりいずれの場合にも抑制効果を認めたが,ALK4では明らかな形態的変化を認めなかった.

 イムノブロットによる検討により,アデノウイルス感染8時間後から48時間後までALK-1およびALK-5蛋白の発現を認め,またそれぞれALK-1によるSmad1/5/8およびALK-5によるSmad3のリン酸化を認めた.アテソウイルス感染48時間後にALK-1蛋白の発現とSmadl/5/8のリン酸化を最も強く認めたことから感染48時間後のRNAを分離し解析した.

オリゴヌクレオチドマイクロアレイの解析により,約7000個の遺伝子からALK-1により誘導された遺伝子46個,ALK-5により誘導された遺伝子52個,ALK-1により抑制された遺伝子54個,ALK-5により抑制された遺伝子49個を同定した.ALK-1により,Smad6,Smad7,Id1,Id2,STAT1などの転写因子,HHTの原因遺伝子であるEndoglin,IL1受容体に構造的に類似するIL1RL1などの遺伝子の発現誘導を認めた.またALK-1によりケモカイン受容体のCXCR4,細胞相互作用に関連するEphrin-A1,細胞接着や細胞内シグナルに関与するPlakoglobinの発現抑制を認めた.これに対してALK-5ではTGF-βシグナルや細胞外基質に関連するβIG-H3,LTBP1,平滑筋細胞に関連するSM22α,Caldesmon 1,ギャップジャンクション蛋白のConnexin37,VEGFファミリーに属するPIGFなどの遺伝子の特異的な発現誘導を認めた.また血管内皮細胞の特異的タイトジャンクション蛋白であるClaudin 5や細胞-細胞外基質相互作用に関与するIntegrinβ5の発現抑制を認めた.静脈系内皮細胞に発現するEph-B4がHUVECで強い発現を認め,ALK-1により発現量の増加を認めた.動脈系に発現するEphrin-B2の発現は弱く,変化は認められなかったが,ALK-5によるEphrin-B3の発現増加が認められた.TGF-βおよびALK-5の標的遺伝子であるPAI-1はALK-5により有意な変化を認めなかった.

ノーザンブロットではSmad6,Smad7,Id1,Id2,STAT1,Endoglin,IL1RL1についてALK4による特異的発現誘導を認め,マイクロアレイの結果と一致した.Eph-B4,Ephrin-B2,PAI-1についてもマイクロアレイと同様の結果であった.

定量的リアルタイムPCRにおいてはSmad6,Smad7,Id1,Id2,EndoglinについてALK-1による特異的な誘導を認め,マイクロアレイおよびノーザンブロットの結果と一致した.PAI-1についてはALK-5により有意な変化を認めなかった.Smad6,Smad7,Id1,Id2についてはALK-1と同様にTGF-βによっても発現誘導を認めた.Endoglin,PAl-1についてはTGF-βによる発現誘導は認められなかった.

 考察 ALK-1とALK-5は血管内皮細胞においてともにTGF-βシグナルを伝えるが,血管内皮細胞の増殖,アポトーシス,分化に対する作用はそれぞれ全く異なることが示された.ALK-5による増殖抑制,アポトーシス誘導,ネットワーク形成と管腔形成の抑制は,血管内皮細胞の機能を抑制することによる血管の安定化や成熟,退縮によるリモデリングなどに関与している可能性が考えられる.ALK-1ではin vitroの条件でHUVECに対する明らかな作用を同定できなかったが,in vivoにおいては重要な役割を果たしていると考えられ,TGF-βの作用発現にはALK-1とALK-5の相互作用とバランスが重要であると思われる.

マイクロアレイを用いた解析ではALK-1およびALK-5により調節される血管内皮細胞の新しいTGF-β標的遺伝子を多数同定することができた.ノーザンブロットおよび定量的リアルタイムPCRの検討によりマイクロアレイによる遺伝子発現プロファイルの妥当性が示された.ALK-1およびALK-5の標的遺伝子は構造的機能的に多様でその発現調節は大きく異なることが明らかになった.

ALK-1はSmad6,Smad7,Id1,Id2,STAT1などの重要な転写因子の発現を多く誘導していたが,特にbasic helix-loop-helix転写因子を調節するIdは,発生,分化,血管形成に関与が深く,Idの特異的誘導がTGF-βによる血管形成の調節に重要であると考えられる.ALK-5によるβIG-H3やLTBP1の誘導からは細胞外基質の機能調節にALK-5が強く関与していることが示唆され,またSM22αなど平滑筋細胞に関連する遺伝子のALK-5による特異的誘導は,TGF-βが血管内皮細胞と平滑筋細胞の分化や相互作用に重要であることを示唆する.ALK-5によるClaudin 5の特異的抑制はALK-5のマトリゲルでのネットワーク形成抑制作用への関与を示唆する.細胞間相互作用や分化に重要なEphrin-A1,Eph-B4,Ephrin-B3に対するALK-1あるいはALK-5の関与は,血管形成におけるTGF-βの安定化作用に重要な役割を果たしている可能性が考えられる.

今回の報告により,血管内皮細胞においてALK4とALK-5により調節される細胞機能およびTGF-β標的遺伝子の発現機構が大きく異なることが明らかになったが,新しく同定されたTGF-β標的遺伝子についてさらなる検討を進めることにより,TGF-βの血管形成におけるメカニズムの解明と血管に関連する疾患の治療に貢献することが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は血管形成において重要な役割を果たしているTGF-βの作用機構を明らかにするため,二つの異なるTGF-βI型受容体であるALK-1とALK-5をリコンビナントアデノウイルスによりヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)に発現導入し,in vitroでの血管内皮細胞に与える影響を検討するとともに,オリゴヌクレオチドマイクロアレイを用いてTGF-βの標的遺伝子とその発現調節機構の解析を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.HUVECに活性型のALK-1とALK-5をアデノウイルスにより発現導入し,細胞増殖アッセイおよびDNA断片化アッセイを行った結果,ALK-5により細胞増殖が抑制され,アポトーシスが誘導されることが示された.これに対してALK-1ではALK-5と比較して増殖抑制効果は弱く,またアポトーシスの誘導は認められなかった.同様にHUVECにALK-1とALK-5を発現導入して行ったマトリゲル上のネットワーク形成アッセイおよびコラーゲンゲル内の管腔形成アッセイにおいてはALK-5によりいずれも強い形成抑制効果が示されたが,ALK-1による明らかな形態的変化は認められなかった.ALK-1とALK-5はともにTGF-βシグナルを伝えるTGF-βI型受容体であるが,血管内皮細胞の増殖,アポトーシス,分化におけるin vitroでの作用は全く異なることが示された.

2.HUVECにおいてアデノウイルス感染後8時間から48時間までALK-1およびALK-5蛋白が発現していること,またそれぞれのシグナル伝達因子であるSmad1/5/8およびSmad3がリン酸化,活性化されていることがイムノブロットにより示された.

3.活性型ALK-1およびALK-5のアデノウイルスをHUVECに感染後48時間でRNAを分離し,オリゴヌクレオチドマイクロアレイによる解析が行われた.7000の遺伝子の中からALK-1によって発現誘導された遺伝子46個,ALK-5によって発現誘導された遺伝子52個,ALK-1によって発現抑制された遺伝子54個,ALK-5によって発現抑制された遺伝子49個が示された.ALK-1とALK-5により調節される新しいTGF-β標的遺伝子が多数同定され,構造的機能的に全く異なる発現調節を受けていることが示された.ALK-1によりSmad6,Smad7,Id1,Id2,STAT1などの転写因子,ヒト遺伝性出血性毛細血管拡張症の原因遺伝子であるEndoglin,IL-1受容体に類似するIL1RL1が特異的に発現誘導されること,またケモカイン受容体のCXCR4,細胞相互作用に重要なEphrin-A1,Plakoglobinが発現抑制されることが示された.これに対してALK-5では細胞外基質に関連するβIG-H3やLTBP1,平滑筋細胞に関連するSM22αやCaldesmon 1,細胞接着因子のConnexin 37,血管形成に関与する増殖因子PIGFが特異的に発現誘導されること,また血管内皮細胞特異的な接着因子であるClaudin5や細胞-細胞外基質相互作用に重要なIntegrinβ5が発現抑制されることが示された.この他静脈系内皮細胞に発現するEph-B4がALK-1により発現量が増加すること,動脈系内皮細胞に発現するEphrin-B2の発現量は弱く,ALK-1およびALK-5により調節を受けないことが認められた.またTGF-βおよびALK-5の標的遺伝子であるPAI-1はALK-5により発現誘導が認められなかった.

4.ノーザンブロットによりHUVECにおいてSmad6,Smad7,Id1,Id2,STAT1,Endoglin,IL1RL1の各遺伝子がALK-1により特異的に誘導されることが示され,マイクロアレイの結果と一致することが示された.Eph-B4,Ephrin-B2,PAI-1についてもマイクロアレイの結果と相関していることが示された.

5.定量的リアルタイムPCRではSmad6,Smad7,Id1,Id2,Endoglinの遺伝子についてALK-1による特異的な誘導が認められ,マイクロアレイおよびノーザンブロットの結果と一致することが示された.PAI-1についてはALK-5による有意な発現の増加は認められなかった.TGF-βにより処理したHUVECからRNAを分離し,同様に定量的リアルタイムPCRによる検討が行われたが,ALK-1によって誘導されたSmad6,Smad7,Id1,Id2についてはTGF-βによっても同様に発現が誘導されることが示された.EndoglinおよびPAI-1についてはTGF-βによる発現誘導は認められなかった.

以上,本論文はヒト臍帯静脈血管内皮細胞においてTGF-β1型受容体であるALK-1とALK-5を発現導入してin vitroのアッセイおよびマイクロアレイによる解析を行い,血管内皮細胞におけるALK-1とALK-5の作用と遺伝子発現調節機構が大きく異なることを明らかにし,また新しい多数のTGF-β標的遺伝子を同定した.本研究はこれまで不明な部分が多かったTGF-βによる血管形成のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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