学位論文要旨



No 118319
著者(漢字) 脇,嘉代
著者(英字)
著者(カナ) ワキ,カヨ
標題(和) 日本人の中年一般住民を対象とした2型糖尿病の発症に関連する危険因子の研究
標題(洋)
報告番号 118319
報告番号 甲18319
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2126号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 講師 谷口,茂夫
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 要旨を表示する

 近年、2型糖尿病の患者数は著しい増加傾向にある。厚生労働省が平成10年3月に発表した「糖尿病実態調査」によると、糖尿病が強く疑われる人は690万人、糖尿病の可能性を否定できない人を含めると1370万人にも及ぶと推定されている。従って糖尿病の発症を予防することは国民の健康推進のために重要な課題であると考えられる。

 2型糖尿病の発症には遺伝的要因が大きな位置を占めていることが明らかになっている。一方で、単に遺伝的素因だけでなく、食生活や運動習慣といった生活習慣などの環境要因が糖尿病の発症に深く関わっていることが指摘されている。従って、糖尿病の発症を予防するためには、糖尿病の発症に関連すると考えられる生活習慣上の危険因子に対して早期から介入し、その改善を指導することが望ましいと考えられる。欧米人の間では既に幾つかの糖尿病の発症に関わる危険因子が確立されており、それをもとに生活習慣の改善を指導し、糖尿病の発症を予防する試みがなされている。我が国においても早期に介入し、糖尿病の発症を予防することは重要であり、そのためには日本人をはじめとするアジア人を対象とした糖尿病の発症に関わる危険因子の評価が必要である。しかしながら、これまでのところ、アジア人における糖尿病の疫学データは欧米に比較して乏しく、特に生活習慣が糖尿病の発症に与える影響に関して検討されたものは僅かに存在するのみである。研究方法としても横断研究であったり、縦断的な研究であっても追跡期間が十分でなかったり、また、一般住民を対象としていないなどといった問題点がある。また、我が国におけるこれまでの糖尿病の疫学研究は、糖尿病の有病率調査や糖尿病の患者を対象とした合併症の発症に関する検討がほとんどであった。

 今回、一般地域住民の中年男女を対象に、糖尿病の発症に関連する生活習慣上の危険因子を明らかにするため十分な追跡期間を設けて前向きコホート研究を行い、既に欧米人の間で確立されている糖尿病の発症に関連すると考えられている生活習慣上の危険因子が日本人についても同様に適応されるかをはじめて検討した。なお、本研究は国立がんセンターおよび東京大学の倫理委員会で承認されており、データは研究への参加の同意の意志を自書により示した「厚生労働省多目的コホート」コホートIに該当する人である。

 対象者に対して生活習慣などに関する詳細な自記式アンケート調査をベースライン、5年後、10年後の3回にわたって行った。43,149名(男性20,665名、女性22,484名)がベースライン調査に回答し、32,126名(男性14,551名、女性17,575名)が全ての調査に回答した。追跡率は74.5%であった。ベースライン調査で糖尿病、心血管疾患、慢性肝疾患、腎疾患、癌の既往がある者および糖尿病の危険因子と予測される生活習慣上の項目について回答が無い者は解析対象者から除外した。最終的な解析対象者は28,893名(男性12,913名、女性15,980名)であった。

 糖尿病の新規発症例および既往症例についてはアンケートの病歴に関する「これまでにお医者さんから次の病気があるといわれたことがありますか」という質問に対して「糖尿病」を選択した者を「糖尿病あり」と定義した。ベースライン調査で糖尿病の既往が認められず、5年後調査および10年後調査で「糖尿病あり」に分類された者を10年間で新規に糖尿病を発症した者と定義した。また、糖尿病を自己申告した人を対象に実施したカルテ調査により自己申告による質間の病歴に関する回答の信頼性が高いことを確認している。

 解析は全て男女別に行った。ベースライン調査の結果をもとに、これまでに報告されている2型糖尿病の危険因子、すなわち年齢、喫煙状況、エタノール摂取量、BMI、糖尿病の家族歴、運動習慣、高血圧の既往について10年間に糖尿病を新に発症した群と発症しなかった群をt検定、χ2検定を用いて比較した。トレンドの検定にはCochran-Armitage検定を用いた。次に2型糖尿病の発症に関与する危険因子を多重ロジスティック回帰分析により検討した。

 10年間の糖尿病の累積発症率は男性は5.4%(703名)、女性は3.0%(480名)であり、女性に比較して男性での糖尿帰の発症者の割合が高かった。

 10年間に糖尿病を発症した群と発症しなかった群の比較検討では男女とも10年間に糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較して、年齢(男性:P=0.002、女性:P<0.001)およびBMI(男性:P<0.001、女性:P<0.001)は有意に高かった。喫煙状況については糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較して喫煙歴を有し(男性:P=0.012、女性:P<0.001)、糖尿病の家族歴(男性:P<0.001、女性:P<0.001)および高血圧の既往歴(男性:P<0.001、女性:P<0.001)が認められた。また、男性においては糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較してアルコールを多量に摂取(エタノール量に換算すると23.0g/日以上の飲酒)することがわかった(P=0.046、傾向性のP値=0.007)。

 多重ロジスティック回帰分析による検討では年齢(男性:オッズ比1.02、95%信頼区間1.01-1.01女性:オッズ比1.02、95%信頼区間1.01-1.04(1歳あたり))、BMI(男性:オッズ比1.17、95%信頼区間1.14-1.20女性:オッズ比1.17、95%信頼区間1.14-1.21(1kg/m2あたり))、糖尿病の家族歴(男性:オッズ比2.00、95%信頼区間1.60-2.49女性:オッズ比2.69、95%信頼区間2.12-3.43)、高血圧の既往歴(男性:オッズ比1.34、95%信頼区間1.10-1.62女性:オッズ比1.79、95%信頼区間1.44-2.22)が男女とも糖尿病の発症と有意に関連していることが明らかとなった。喫煙状況に関しては過去の喫煙(男性:オッズ比1.35、95%信頼区間:1.08-1.69女性:オッズ比2.77、95%信頼区間:1.67-4.61)、および現在20本/以上の喫煙(男性:オッズ比1.14、95%信頼区間:0.87-1.50女性:オッズ比2.94、95%信頼区間:1.57-5.50)は男女とも糖尿病の発症と有意に関連していた。

 喫煙に関する詳細な検討では、男女とも生涯の喫煙量が増加するほど糖尿病の発症のリスクが高まり、用量反応関係が認められた。また、過去の喫煙者を対象に禁煙してからの年数と糖尿病の発症のリスクを検討した結果、男女とも禁煙して2年未満の人は禁煙して2年以上の人に比較して糖尿病を発症するリスクが高いことが明らかになり、禁煙期間が長期化する従って糖尿病発症のリスクは下がることが明らかになった。

 男性では1日のエタノール摂取量が23g以上の群ではオッズ比1.26(95%信頼区間:1.02-1.56)であり、2型糖尿病の発症と有意な関連が認められた。女性ではアルコール摂取と2型糖尿病の発症に関しては有意な関連は認められなかった。男性でBMIを層別化して行った検討ではBMI22未満の人において一日のエタノール摂取量が23.1g以上46.0ml以下の人はオッズ比1.91(95%信頼区間:1.05-1.3.46)、一日のエタノール摂取量が46.1ml以上の人はオッズ比2.89(95%信頼区間:1.63-5.11)であり、中程度以上のエタノール摂取は2型糖尿病の発症と有意に関連していることが認められた。

 本コホートはアジア諸国ではこれまで類を見ない大規模前向きコホート研究であり、日本人における2型糖尿病の発症のリスクについて有益な情報を提供した。しかしながら、本コホートは大規模スタディに伴ういくつかの限界もある。まず、自己申告により糖尿病の発症を定義している点である。カルテ調査からその妥当性は高いことがあきらかになったものの、一部の対象者の検診データをもとに行った本コホートにおける糖尿病の実態調査では糖尿病を発症している者のうち、実際に診断されている者は約61%であった。そのため今回の解析により求められた各危険因子についてのオッズ比が影響を受けている可能性が考えられる。また、フォローアップバイアスについて検討したが、脱落群と非脱落群ではベースラインにおいてBMIやその他の生活習慣に関して有意な差は認められず、10年間の糖尿病発症のリスクについても両群で差は認められなかった。従って本解析結果に与える影響はごく限られていると考えられる。

 本研究は、一般住民を対象に長期にわたる追跡期間を設けており、糖尿病の発症に関連する危険因子を評価する上でアジア諸国においては最初の大規模コホート研究である。世界的に見ても、糖尿病発症のリスクについてこれほど大きな規模で男女を対象に同じデザインで評価したコホートは限られている。本研究では、年齢、BMI、喫煙、糖尿病の家族歴は2型糖尿病の発症に関わる独立した危険因子であることが明らかになり、これまで西欧人を対象とした研究と同様の結果が認められた。一方、アルコール摂取に関しては、糖尿病の発症を抑えるという欧米からの報告と異なる結果が認められ、逆に糖尿病の発症を高めることがわかった。

 今後は本コホートに対して行われている食品頻度調査の結果をもとに食生活を含めた生活習慣に関して更に詳細な検討を行い、日本人一般住民に特徴的な食事内容について栄養素と糖尿病発症の関連についても分析していきたいと考えている。また、本コホートでは運動習慣についての情報が頻度のみであり、運動の種類や期間および程度、仕事上の運動量についても不明であった。運動習慣に関する詳細な調査を本コホートに対して改めて行い、運動習慣が糖尿病の発症に与えるリスクについて再評価が必要である。近年、国内外で糖尿病とその疾患感受性遺伝子、生活習慣との相互作用による糖尿病の発症に関する研究が活発に行われている。本コホートに対しても再度対象者の同意を得た上で、対象地域を絞って糖尿病の診断を確定し、アンケート調査で得られた詳細な生活習慣についての情報をもとに、遺伝子が糖尿病の発症に与える影響についてそのメカニズムを解明したいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は日本人の中年一般住民の2型糖尿病の発症に関連する危険因子を明らかにするため、厚生労働省多目的コホートを対象に前向きコホート研究を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.10年間の追跡期間中、1,183名が新に糖尿病を発症した。最初の5年間に発症した者は521名(男性317名、女性204名)、その後の5年間に発症した者は662名(男性386名、女性276名)であった。女性に比較して男性において、糖尿病を発症した者が多く認められた。

 2.糖尿病の発症別にみたベースラインにおける2型糖尿病の発症に関わる危険因子の比較では男女とも10年間に糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較して、年齢(男性:P=0.002、女性:P<0.001)およびBMI(男性:P<0.001、女性:P<0.001)は有意に高かった。喫煙状況については糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較して喫煙歴をより多く有し(男性:P=0.012、女性:P<0.001)、糖尿病の家族歴(男性:P<0.001、女性:P<0.001)および高血圧の既往歴(男性:P<0.001、女性:P<0.001)がより多く認められた。また、男性においては糖尿病を発症した群は発症しなかった群に比較してアルコールを中等度以上に摂取(エタノール量に換算すると23.0g/日以上の飲酒)することが認められた(P=0.046、傾向性のP値=0.007)。

 3.多重ロジスティック回帰分析の結果では、年齢(男性:オッズ比1.02、95%信頼区間1.01-1.01女性:オッズ比1.02、95%信頼区間1,01-1.04(1歳あたり))、BMI(男性:オッズ比1.17、95%信頼区間1.14-1.20女性:オッズ比1.17、95%信頼区間1.14-1.21(1kg/m2あたり))、糖尿病の家族歴(男性:オッズ比2.00、95%信頼区間1.60-2.49女性:オッズ比2.69、95%信頼区間2.12-3.43)、高血圧の既往歴(男性:オッズ比1.34、95%信頼区間1.10-1.62女性:オッズ比1.79、95%信頼区間1.44-2.22)は男女とも糖尿病の発症と有意な関連が認められた。喫煙状況に関しては過去の喫煙、および現在20本/以上の喫煙は男女とも糖尿病の発症と有意に関連していた。男性では非喫煙者に比較して過去の喫煙はオッズ比1.35(95%信頼区間:1.08-1.69)、現在20本/日未満の喫煙はオッズ比1.14(95%信頼区間:0.87-1.50)、現在20本/日以上の喫煙はオッズ比1.37(95%信頼区間:1.11-1.69)であった。また、女性では非喫煙者に比較して過去の喫煙はオッズ比2.77(95%信頼区間:1.67-4.61)、現在20本/日未満の喫煙はオッズ比1.07(95%信頼区間:0.62-1.86)、現在20本/日以上の喫煙はオッズ比2.94(95%信頼区間:1.57-5.50)であった。

 4.喫煙者を対象にした生涯の喫煙量と糖尿病発症のリスクについて検討では、2型糖尿病の発症に関わると考えられている既知の危険因子を調整した結果、男性では非喫煙者に比較して0.1-20 pack-yearではオッズ比1.12(95%信頼区間:0.88-1.42)、20.1-30 pack-yearではオッズ比1.35(95%信頼区間:1.06-1.71)、30.1-40 pack-yearではオッズ比1.36(95%信頼区間:1.05-1.76)、40.1 pack-year以上ではオッズ比1,53(95%信頼区間:1.19-1.97)であった(傾向性のP値<0.001)。また、女性では非喫煙者に比較して0,1-20 pack-yearではオッズ比1.70(95%信頼区間:1.17-2.49)、20.1-30 pack-yearではオッズ比4.33(95%信頼区間:2.00-9.39)、30.1 pack-year以上ではオッズ比1.29(95%信頼区間:0.29-5.69)であった(傾向性のp値<0.001)。生涯の喫煙量が増加するほど糖尿病の発症のリスクが高まり、用量反応関係が認められた。

また、過去の喫煙者を対象にした禁煙してからの年数と糖尿病の発症のリスクの検討では男性では非喫煙者に比較して、禁煙して2年未満の人はオッズ比2.07(95%信頼区間:1.27-3.22)、禁煙して2年以上5年未満の人はオッズ比1.58(95%信頼区間:1.06-2.29)、禁煙して5年以上10年未満の人はオッズ比1.32(95%信頼区間:0.94-1.83)、禁煙して10年以上の人はオッズ比1.09(95%信頼区間:0.81-1.46)であった。女性では非喫煙者に比較して、禁煙して2年未満の人はオッズ比5.62(95%信頼区間:2.04-13.22)、禁煙して2年以上5年未満の人はオッズ比3.38(95%信頼区間:0.96-9.05)、禁煙して5年以上10年未満の人はオッズ比3.93(95%信頼区間:1.32-9.49)、禁煙して10年以上の人はオッズ比1.14(95%信頼区間:0.28-3.10)であった。男女とも禁煙して2年未満の人は禁煙して2年以上の人に比較して糖尿病を発症するリスクが高いことがわかった。

 5.2型糖尿病の発症に対するアルコール摂取の影響についての検討では男性では1日のエタノール摂取量が23g以上の群ではオッズ比1.26(95%信頼区間:1.02-1.56)であり、2型糖尿病の発症と有意な関連が認められた。また、BMI22未満の人とBMI22以上の人に層別化して行った検討では、BMI22未満の人では非飲酒者に比較して一日のエタノール摂取量が0.1g以上23.0g以下の人はオッズ比1.05(95%信頼区間:0.55-2.0l)、一日のエタノール摂取量が23.1g以上46.0g以下の人はオッズ比1.91(95%信頼区間:1.05-1.3.46)、一日のエタノール摂取量が46.1g以上の人はオッズ比2.89(95%信頼区間:1.63-5.11)であった。一日23.1g以上のエタノール摂取はBMI22未満の人において2型糖尿病の発症と有意に関連していることが認められた。BMI22以上の人では非飲酒者に比較して一日のエタノール摂取量が0.1g以上23.0g以下の人はオッズ比1.08(95%信頼区間:0.86-1.36)、一日のエタノール摂取量が23.1g以上46.0g以下の人はオッズ比1.19(95%信頼区間:0.94-1.50)、一日のエタノール摂取量が46.1g以上の人はオッズ比1.07(95%信頼区間:0.84-1.37)であった。BMI22以上の人では一日のエタノール摂取量と2型糖尿病の発症に有意な関連は認められなかった。

 以上、本論文は日本人の中年一般住民を対象に2型糖尿病の発症に関連する危険因子をはじめて明らかにした。本研究はこれまでにない大規模コホートであり、生活習慣と糖尿病の発症の関連について重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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