学位論文要旨



No 118320
著者(漢字) 脇,裕典
著者(英字)
著者(カナ) ワキ,ヒロノリ
標題(和) アディポネクチンの多量体形成と生理活性におけるCysteine-39の役割
標題(洋)
報告番号 118320
報告番号 甲18320
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2127号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 講師 高市,憲明
 東京大学 講師 本倉,徹
内容要旨 要旨を表示する

 我が国の糖尿病患者数は700万人以上と推定されなお増加の一途をたどっているが、その最大の原因は高脂肪食と運動不足などの生活習慣に起因した日本人全体の肥満化と考えられる。従って、肥満と糖尿病や動脈硬化などの生活習慣病を結びつける分子メカニズムを解明することが、これからの国民の健康推進上、重要な課題であると考えられる。

 白色脂肪組織は余剰なエネルギーを中性脂肪の形で貯える受動的な臓器と以前は考えられたが、近年レプチンやTNF-α、レジスチンなど多くの生理活性物質を産生する活発な分泌臓器であることが明らかになってきた。中でもアディポネクチン(Acrp30、adipoQ、GBP28としても知られる)は自色脂肪組織において特異的にかつ最も多く発現している蛋白質のひとつで、脂肪組織で分泌されるにも関わらず肥満者や動脈硬化をもつ者で血中濃度が減少しているという特徴を有している。

 我々は高脂肪食下でもやせ形、インスリン感受性の表現型を示すPPARY(peroxisome proliferator-activated receptor)へテロ欠損マウスと野生型マウスの白色脂肪組織のDNAチップによる系統的・網羅的解析からアディポネクチンがインスリン感受性のPPARγへテロ欠損マウスで増加しており、かつ日本人2型糖尿病の224組の罹患同胞対による全ゲノムスキャンによりアディポネクチンが位置する染色体領域3q27が2型糖尿病と連鎖する染色体領域であること、アディポネクチン遺伝子のSNP(single nucleotide polymorphism)のうちSNP276とインスリン抵抗性と2型糖尿病発症リスクに優位な関連を認めたことを報告した。またこの領域3q27は他民族においても2型糖尿病や死の4重奏との連鎖が報告された領域であり、インスリン抵抗性に関連する原因遺伝子の存在が強く示唆された。

我々は肥満による2型糖尿病や脂肪萎縮性糖尿病の病態モデルマウスにおいて血中アディポネクチン値が減少、枯渇していることを認めたため、これらのモデルマウスに対する外からのアディポネクチンの補充を行った。その結果、アディポネクチンの補充は、骨格筋や肝臓内のAcyl-CoA Oxidase(ACO)等の脂肪酸β酸化系酵素の発現を亢進し、Uncoupling protein2(UCP2)の発現増加を介してエネルギー消費を亢進することで、これらの組織内の中性脂肪含量を減少させ、インスリン抵抗性と高遊離脂肪酸(FFA)血症、高中性脂肪(TG)血症を改善させることが判明した。このことから、アディポネクチンが白色脂肪組織より分泌される主要なインスリン感受性ホルモンのひとつであること、また肥満糖尿病や脂肪萎縮性糖尿病におけるインスリン抵抗性や脂質代謝異常の原因の一つがアディポネクチンの量的減少である可能性が示唆された。

一方、今までアディポネクチンがこれらの代謝作用をつかさどるシグナル伝達経路の詳細は明らかでなかったが、最近我々は新たに、アディポネクチンがAMP-activated protein kinase(AMPK)を、リン酸化を介して活性化し、骨格筋や肝臓において糖取込みと脂肪酸β酸化を亢進させ、糖新生を抑制していることを見いだし報告した。

以上のようにアディポネクチンの生理学的な性質は次第に明らかにされてきているが、アディポネクチンの生化学的・構造的側面とその生理活性との関係は未だ不明な点が多い。アディポネクチンは構造上、N末側のコラーゲン様ドメインとC末側のglobularドメインよりなり、C1qファミリーに属している。C1qファミリーに属する蛋白質は3量体を基本構造とし、3量体同士がN末側のコラーゲンドメイン側で結合し、3量体やそれ以上の多量体を形成する事が知られている。また、N末端側に位置するCysteine(Cys)残基間のS-S結合が、その多量体形成に重要であることがこれまでに示されている。アディポネクチンもN末端側にCys残基を持つが、現在までにこの残基の多量体形成における役割については報告がない。

 今回、我々はヒトおよびマウス血清中、3T3-L1脂肪細胞より分泌されるアディポネクチンや、NIH-3T3線維芽細胞、大腸菌に発現させたアディポネクチンが、3量体からSDS-PAGE上400kDaをこえる高分子多量体まで幅広い分子サイズの多量体構造を形成していることを、非熱処理・非還元処理下のSDS-PAGEや、ゲルろ過クロマトグラフィーにより示した。また、アディポネクチンの分子内にS-S結合が存在することが報告されていたが、マウスアディポネクチン分子内にある2つのCys残基のうちN末端側のCys39を介してS-S結合が存在することを示した。また、この残基を介したS-S結合がアディポネクチンの3量体をこえる多量体形成において必須であることを初めて示した。加えて、Cys39をもたないCys39Ser mutantアディポネクチンや、globularドメインは3量体しか形成しえないことを示した。

現在までの報告では全長のアディポネクチンとglobularドメインでは、生理活性が異なることが示されている。全長アディポネクチンは3量体から高分子多量体まで幅広い分子サイズの多量体形成能をもつのに対し、globularドメインは3量体までしか形成しない。全長アディポネクチンとglobularドメインの生理活性の差が、多量体形成能の差によるものである可能性を検討するために、全長蛋白を有する点では全長アディポネクチンと類似しているが、N末端側のCys39を欠いているためglobularドメインと同様に3量体をこえる多量体構造を形成しないCys39Ser mutantアディポネクチンの生理活性を分析し、その活性が全長アディポネクチンとglobularドメインのどちらに類似しているか、AMPK活性化の実験系において検討した。肝細胞においては全長アディポネクチンのみがAMPK経路を活性化させ、骨格筋細胞においては全長アディポネクチンとglobularドメインの両方に活性化能があるが、globularドメインの方がより活性が強い。今回の検討からAMPK経路の活性化においてはCys39Ser mutantアディポネクチンはglobularドメインと類似した活性を認めた。この事から、AMPK経路の活性化作用における全長アディポネクチンとglobularドメインの生理活性の違いは、globularドメインがN末側のコラーゲン様ドメインを欠くためでなく、N末端側のCys39を欠いているため3量体以上の多量体構造を形成しないことに起因する可能性が初めて示唆された。

一方、アディポネクチンには現在までにヒトのmissense変異が8種類知られており、そのうちいくつかの変異において糖尿病や低アディポネクチン血症との有意な関連性が報告されているが、これらのmissense変異がアディポネクチンの多量体構造に与える変化は明らかにされていなかった。

 今回われわれは8種類のヒトアディポネクチンのmissense変異によるアディポネクチンの多量体構造の変化を細胞培養系で検討したところ、ヒトGly84Arg,Gly90Ser mutantアディポネクチンは3量体や中間分子量の多量体は野生型と同程度であるが、高分子多量体のみが特異的に消失するという多量体構造上の特徴を有していた。またヒトArg112Cys,Ile164Thr mutantアディポネクチンは細胞内において単量体は合成されるものの正常な3量体が形成されずに、結果としてアディポネクチンが細胞外へ殆ど分泌されないことを示した。興味深いことに、これらの変異は全て糖尿病あるいは低アディポネクチン血症と有意な関連性を認められている。一方、明らかな表現型のないArg221Ser,His241Pro mutantアディポネクチンは野生型と同様な多量体構造を示すことから、これらのmissense変異に伴うアディポネクチンの多量体構造の変化やそれに伴う細胞外分泌の障害が、これらの変異に伴う糖尿病の発症の原因のひとつになっている可能性が強く示唆された。

結論として、今回我々は初めて、アディポネクチンが3量体から高分子多量体を含めた様々な分子サイズの多量体を形成しており、3量体をこえる多量体形成においてN末端側のCys39を介したS-S結合が重要であることが明らかにした。また、これまでに全長アディポネクチンとglobularドメインの生理活性に差があることが知られているが、この違いは多量体形成能の差によることに起因するメカニズムが存在する可能性が示唆された。また、ヒトアディポネクチンのmissense変異と糖尿病との有意な関連性が示唆されていたが、これらのmissense変異がアディポネクチンの多量体形成や細胞外分泌を障害することで糖尿病が発症していると考えられた。アディポネクチンは脂肪細胞から分泌され、肥満にともなったアディポネクチンの量的な減少が糖尿病・動脈硬化を含めた生活習慣病の病態の原因の一つと考えられている。また、アディポネクチンの糖代謝・脂質代謝の調節作用が解明され、アディポネクチンの補充療法が2型糖尿病・肥満・高脂血症・動脈硬化などの生活習慣病の治療に役立つ可能性があり現在非常に注目されている。今回我々が示した事実から、このような病態把握、治療面において、アディポネクチンの量的な側面だけでなく、多量体形成の状態とその形成調節などの質的な側面の解明と理解が今後、重要となると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、脂肪細胞由来でインスリン感受性や動脈硬化において重要な役割を果たすアディポネクチンの多量体構造と、その生理活性における役割、またヒトアディポネクチン変異における多量体形成能の変化の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.ヒトおよびマウス血清中、3T3-L1脂肪細胞より分泌されるアディポネクチンや、NIH-3T3線維芽細胞、大腸菌に発現させたアディポネクチンが、3量体からSDS-PAGE上400kDaをこえる高分子多量体まで幅広い分子サイズの多量体構造を形成していることを、非熱処理・非還元処理下のSDS-PAGEや、ゲルろ過クロマトグラフィーにより示した。

 2.マウスアディポネクチン分子内にある2つのCys残基のうちN末端側のCys39を介してS-S結合が存在することを示した。また、この残基を介したS-S結合がアディポネクチンの3量体をこえる多量体形成において必須であることを初めて示した。加えて、Cys39をもたないCys39Ser mutantアディポネクチンや、globularドメインは3量体しか形成しえないことを示した。

3.AMPK経路の活性化作用における全長アディポネクチンとglobularドメインの生理活性の違いは、globularドメインがN末側のコラーゲン様ドメインを欠くためでなく、N末端側のCys39を欠いているため3量体以上の多量体構造を形成しないことに起因する可能性が初めて示唆された。

4.今回われわれは8種類のヒトアディポネクチンのmissense変異によるアディポネクチンの多量体構造の変化を細胞培養系で検討したところ、ヒトGly84Arg,Gly90Ser mutantアディポネクチンは3量体や中間分子量の多量体は野生型と同程度であるが、高分子多量体のみが特異的に消失するという多量体構造上の特徴を有していた。またヒトArg112Cys,Ile164Thr mutantアディポネクチンは細胞内において単量体は合成されるものの正常な3量体が形成されずに、結果としてアディポネクチンが細胞外へ殆ど分泌されないことを示した。興味深いことに、これらの変異は全て糖尿病あるいは低アディポネクチン血症と有意な関連性を認められている。一方、明らかな表現型のないArg221Ser,His241Pro mutantアディポネクチンは野生型と同様な多量体構造を示すことから、これらのmissense変異に伴うアディポネクチンの多量体構造の変化やそれに伴う細胞外分泌の障害が、これらの変異に伴う糖尿病の発症の原因のひとつになっている可能性が強く示唆された。

以上、本論文はいままで詳細な検討がなされていなかった、アディポネクチンの多量体構造とその簡便な検出法を明らかするとともに、これらが生理活性におよぼす役割、またヒトアディポネクチン変異の発症機序の一つに多量体形成能の変化が関与する可能性を明らかにした点がこの分野への重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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