学位論文要旨



No 118323
著者(漢字) 松村,有子
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,トモコ
標題(和) c-Cb1ノックアウトマウスの線維芽細胞の解析
標題(洋) Analysis ofc-Cb1 deficient fibroblasts
報告番号 118323
報告番号 甲18323
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2130号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅野,茂隆
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 門脇,学
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨 要旨を表示する

c-Cb1は、マウスに感染するとBリンパ系腫瘍を発症するレトロウイルスの遺伝子より、proto-oncogeneとして同定された分子である。RINGフィンガードメイン、SH2、SH3ドメインより構成される120kDaのタンパクで、全身の組織に普遍的に発現している。c-Cb1はT細胞受容体やB細胞受容体、EGF受容体、PDGF受容体、1L-2等のサイトカイン受容体、インスリン受容体等を通じた様々な細胞外刺激によりリン酸化され、シグナル伝達経路で重要な役割を担う。また、Syk、Zap、Src、Grb2、Nck、Crk、PI-3 kinase等と結合することが知られている。上記の受容体下流のシグナル伝達において、c-Cb1はRINGフィンガードメインを介してユビキチン化に関与し、負の制御を行うことが明らかにされている。

近年、c-Cb1が細胞形態やアクチンの細胞骨格形成においても重要な役割を担う事がわかってきた。インテグリン下流のシグナル伝達経路においては、c-Cb1はSH3ドメインを介してPI-3Kにシグナルを伝達し、正に制御すると考えられているが、未だ不明な点が多い。これまでの多くの実験はc-Cb1を細胞に過剰発現させた系で行われており、特に生理的な条件下におけるc-Cb1の役割の解析については報告されていなかった。そこで、c-Cb1ノックアウトマウスから得た胎児線維芽細胞を用いて、フィブロネクチンによるインテグリン刺激を行い、細胞の接着、伸展、運動能について野生型同胞マウスの胎児線維芽細胞と比較する実験を行った。その結果、c-Cb1欠損線維芽細胞では、フィブロネクチン刺激による細胞の移動(migration)が有意に低下していた。一方、フィブロネクチンをコートした培養皿への細胞の接着伸展(spreading)は、ノックアウトマウス由来細胞は野生型に比べて迅速であった。細胞のフィブロネクチンへの固着(adhesion)やin vitroでの損傷回復には両者に明らかな差はみられなかった。

次に抗リン酸化チロシン抗体(4G10)を用いたウェスタンブロットを行い、インテグリン刺激後のタンパクリン酸化を、c-Cb1ノックアウトマウスと野生型マウスの線維芽細胞で比較した。c-Cb1欠損細胞ではインテグリン刺激後のFAK、Cas、Crkのチロシンリン酸化が正常細胞に比べて有意に低下していた。Paxillin、Src、Akt、JNK、Erkのリン酸化には明らかな差を認めなかった。以上よりc-Cb1は線維芽細胞において、FAK、Cas、Crkを介したインテグリンシグナル伝達に関与していると考えられた。免疫共沈降法にて、c-Cb1とFAK、c-Cb1とCas、CasとCrkが共沈された事から、これらのタンパクが集合体を形成している事が示唆された。

Rhoファミリー低分子量Gタンパク質に属するRac、Rhoは、アクチン細胞骨格を再構成し、細胞運動と接着を制御している。c-Cb1欠損細胞と野生型細胞において、インテグリン刺激後のRac、Rhoの活性を調べた。正常細胞ではインテグリン刺激後にRac、Rhoの活性が上昇し、数十分後にピークを迎えた後は活性が低下する時間的推移がみられた。しかしc-Cb1欠損細胞では、インテグリン刺激前のRac、Rhoの活性が正常細胞に比べて有意に高く、さらにインテグリン刺激後の活性上昇が見られなかった。このことから、c-Cb1欠損細胞では、インテグリン刺激によるRhoファミリー低分子量Gタンパク質の経時的な活性制御が障害されていると考えられる。正常細胞の細胞運動においては、インテグリン刺激後にRhoファミリータンパクが正確な時間的秩序に沿って活性化・不活性化される結果、アクチン細胞骨格の再編成が動的に制御されると考えられている。c-Cb1欠損細胞では、時間的なRhoファミリータンパクの活性化の制御が障害され、結果として細胞移動能が低下していると考えられる。活性型のRacやRhoを強制発現させた細胞ではアクチン骨格の再構成は認められるものの運動能は低下することがこれまでに報告されているが、c-Cb1欠損細胞で、移動能が低下しても接着伸展能は高くなるのは、インテグリン刺激前後を通じてRhoの活性が高いことから、活性型のRac、Rhoを強制発現させた細胞と類似の状況にあることが推測される。これまでに、RhoファミリータンパクはCas/Crkの結合により調節を受けていることが明らかにされているため、c-Cb1はCasのシグナル伝達経路に関与してこれを正に制御し、Casを介してRhoファミリータンパクの活性化を調節している事が示唆される。

 MAPKの一つであるp38のインテグリン刺激によるリン酸化も、c-Cb1欠損細胞では野生型細胞に比較して有意に低下していた。p38も細胞運動に重要な役割を果たすことが報告されているが、そのシグナル伝達経路については不明である。p38の薬理的阻害物質存在下では、フィブロネクチン刺激による細胞運動能が低下した。よって、c-Cb1はp38のリン酸化を正に制御し、細胞運動を正に調節している可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 c-Cb1は、マウスに感染するとBリンパ系腫瘍を発症するレトロウイルスの遺伝子より、proto-oncogeneとして同定された分子である。全身の組織に普遍的に発現しており、T細胞受容体やB細胞受容体、EGF受容体、PDGF受容体、IL-2等のサイトカイン受容体、インスリン受容体等を通じた様々な細胞外刺激によりリン酸化され、シグナル伝達経路で重要な役割を担う。また、Syk、Zap、Src、Grb2、Nck、Crk、PI-3 kinase等と結合することが知られている。上記の受容体下流のシグナル伝達において、c-Cb1はRINGフィンガードメインを介してユビキチン化に関与し、負の制御を行うことが明らかにされている。近年、c-Cb1が細胞形態やアクチンの細胞骨格形成においても重要な役割を担う事がわかってきた。しかし未だ不明な点が多く、特に生理的な条件下におけるc-Cb1の役割の解析についてはこれまで報告されていなかった。申請者の研究はc-Cb1ノックアウトマウスから得た胎児線維芽細胞を用いて、c-Cb1が細胞形態や細胞骨格形成、細胞運動能に関与する事を明らかにしたものである。

1 c-Cb1ノックアウトマウスの胎児線維芽細胞に、フィブロネクチンによるインテグリン刺激を行い、細胞の接着、伸展、運動能について野生型同胞マウスの胎児線維芽細胞と比較する実験を行った。その結果、c-Cb1欠損線維芽細胞では、フィブロネクチン刺激による細胞の移動(migration)が有意に低下していた。一方、フィブロネクチンをコートした培養皿への細胞の接着伸展(spreading)は、ノックアウトマウス由来細胞は野生型に比べて迅速であった。逆に、細胞のフィブロネクチンへの固着(adhesion)やin vitroでの損傷回復には両者に明らかな差はみられなかった。

2 抗リン酸化チロシン抗体(4G10)を用いたウエスタンブロットを行い、インテグリン刺激後のタンパクリン酸化を、c-Cb1ノックアウトマウスと野生型マウスの線維芽細胞で比較した結果、c-Cb1欠損細胞ではインテグリン刺激後のFAK、Cas、Crkのチロシンリン酸化が正常細胞に比べて有意に低下していた。c-Cb1が線維芽細胞において、FAK、Cas、Crkを介したインテグリンシグナル伝達に関与している事を明らかにした。さらに免疫沈降法を用いて、c-Cb1とCas、c-Cb1とFAKが細胞内で結合する事を明らかにした。

 3 c-Cb1欠損細胞と野生型細胞において、インテグリン刺激後のRac、Rhoの活性を調べ、c-Cb1欠損細胞では、インテグリン刺激前のRac、Rhoの活性が正常細胞に比べて有意に高い事を示した。このことから、c-Cb1欠損細胞では、インテグリン刺激によるRhoファミリー低分子量Gタンパク質の経時的な活性制御が障害されている可能性を示した。

 4 インテグリン刺激によるp38のリン酸化が、c-Cb1欠損細胞では野生型細胞に比較して有意に低下している事、p38の薬理的阻害物質存在下ではフィブロネクチン刺激による細胞運動能が低下した事を示し、c-Cb1がp38のリン酸化を正に制御し、p38を介して細胞運動を正に調節している可能性を示した。

 以上、申請者の研究は、c-Cb1がCas、FAKへのシグナル伝達経路に関与してこれを正に制御し、Rhoファミリータンパクの活性化を調節すること、細胞形態や細胞骨格形成、細胞運動能に関与する事を明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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