学位論文要旨



No 118327
著者(漢字) 児玉,常憲
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,ツネノリ
標題(和) 低酸素ストレスに対する生体応答機構の解明に関する研究 : グルココルチコイドはhypoxia-inducible factor-1α(HIF-1α)の転写活性化能を増強させる
標題(洋)
報告番号 118327
報告番号 甲18327
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2134号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 講師 本田,善一郎
 東京大学 講師 竹内,二土夫
内容要旨 要旨を表示する

目的

 生体内の酸素分圧は肺胞気、動脈血、毛細血管、そして組織の順に徐々に低下し、細胞レベルでは10mmHg前後である。また組織血流は生理的あるいは血管閉塞などの病態時に変動することから、細胞は頻繁に低酸素環境に暴露される。細胞には酸素分圧の低下に対する様々な適応機構が存在し、その恒常性維持を可能にしている。とくに、hypoxia-inducible factor-1(HIF-1)は転写レベルで細胞の低酸素環境に対する適応を制御するマスターレギュレーターといえる。実際、vascular endothelial growth factor(VEGF)、glucose transporter-3(GLUT3)、adrenomdullin(ADM)遺伝子のプロモーター上にはhypoxia response element(HRE)が存在し、HIF-1はこれらの遺伝子発現を転写レベルで正に制御する。HIF-1はα、βサブユニットからなるヘテロニ量体であり、低酸素誘導性はαサブユニットが司る。近年、遺伝子変異などによるHIF-1機能の異常と固形腫瘍との関連、虚血性疾患などの低酸素が関与する病態の形成におけるHIF-1の役割も解明されつつある。一方、中枢性ストレス応答系のうち、視床下部-下垂体-副腎系は副腎皮質ホルモンであるグルココルチコイドを介して末梢組織の恒常性維持に貢献している。現在、すべてのグルココルチコイド作用は核内レセプターに属する転写因子であるg1ucocorticoid receptor(GR)を介すると考えられている。すでに、個体が低酸素環境下におかれた場合、副腎皮質におけるグルココルチコイド合成が亢進し、その血中濃度も上昇することが知られている。また、低酸素環境下における造血亢進機構にGRが関与していることも示されている。しかし、グルココルチコイド-GRのシステムによる低酸素に対する適応応答制御機構の詳細は不明である。そこで、本研究は、HIF-1による転写制御におけるグルココルチコイドの役割とその分子機構を明らかにすることを目的とした。

方法

細胞

 HeLa細胞およびCOS7細胞はRIKENより入手した。

RNA抽出およびRT-PCR解析

 HeLa細胞より抽出した全RNAを鋳型としてRT-PCRを施行した。PCR産物を2%アガロースゲルで泳動し、エチジウムブロマイド染色した。mRNAの定量解析にはNIH Imageを用いた。

細胞への一過性遺伝子導入およびレポーター活性の解析

 転写因子HIF-1またはGR応答性転写活性の解析にはそれぞれの結合配列である各々、HRE,GREの下流にルシフェラーゼ遺伝子をもつレポーター遺伝子を使用した。培養細胞へのレポーター遺伝子と各種発現プラスミドの一過性導入は、リポフェクション法を用いて行った。遺伝子導入後、各種刺激下で培養し、全細胞抽出液を採取してルシフェラーゼ活性を測定した。

イムノブロット解析

 細胞抽出液をSDS-PAGEで泳動後、PVDF膜へ転写し、抗HIF-1αまたは抗GR抗体と反応後horse radish peroxidase標識2次抗体と反応させ、ECL法によって検出した。

Green fluorescent protein(GFP)融合タンパクの細胞内局在の解析

 GRあるはミネラルコルチコイドレセプター(MR)とGFPとの融合蛋白発現プラスミドをCOS7細胞に導入し、各種条件培養下で培養後、共焦点レーザー顕微鏡により観察した。

結果

低酸素分圧下におけるHIF-1依存性遺伝子発現に与えるグルココルチコイドの影響

 HeLa細胞を用いて、HIF-1標的遺伝子VEGF,GLUT3,ADMの発現に与える低酸素分圧とdexamethasone(DEX)の影響をRT-PCRにて検討した。VEGF,GLUT3,ADM mRNA発現は低酸素分圧下において誘導されたとともに、その誘導効果はDEXによりさらに増強された。HRE依存性レポーター遺伝子発現実験においても、低酸素によるHIF-1転写活性はDEXの濃度依存性に増加した。またCOS7細胞を用いた共発現実験においてかかるDEXによる増加作用はGRの発現量に依存していた。ここで、低酸素分圧下におけるHIF-1αタンパク量にはDEXは影響を与えなかった。

GRによるHIF-1依存性転写活性増強の分子機構の検討 : リガンドおよびレセプター選択性

 GRアゴニストcortivazol(CVZ)、アンタゴニストRU38486(RU)、およびMRアゴニストa1dosterone(ALD)を用いてHIF-1依存性転写活性増強効果のリガンド選択性をHRE応答性レポーター遺伝子を用いた一過性遺伝子導入実験において検討した。その際、GRあるいはMRを共発現し、レセプター選択性もあわせて解析した。なお、これらのリガンド存在下におけるGFP-GR,GFP-MRの細胞内局在は低酸素分圧環境においても変化しなかった。GRを発現させた場合、HIF-1転写活性化能の増強はDEXとCVZにおいてのみ認められた。MRを発現させた場合にはいずれのリガンドによってもHIF-1依存性転写活性の増強はみられなかった。

GRによるHIF-1依存性転写活性増強の分子機構の検討 : GRのドメイン解析

 GRはN末端から、AF-1転写活性化領域、DNA結合領域、リガンド結合領域(LBD)/AF-2転写活性化領域などの独立した機能ドメインからなっている。各ドメイン欠失変異体とHRE-Lucを用いた一過性遺伝子導入実験において、AF-1欠失変異体はDEX依存性増強効果を現した。しかし、リガンドに依存せずに恒常的に転写を活性化するLBD欠失変異体ではHIF-1転写活性を変化させなかった。また、C末端の12アミノ酸除去によりDEXとの結合能を欠失させた変異体においても増強効果は消失していた。しかし、ホモニ量体を形成せず転写を活性化しないGR変異体を用いてもかかる増強効果が認められたことから、LBDとSV40 large T antigen の核移行シグナルの融合タンパクもリガンド依存性にHIF-1転写活性増強効果を現わした。すなわちLBDはリガンド結合後それ自身でHIF-1転写活性増強効果を発現しうることが明らかとなった。

GRによるHIF-1依存性転写活性増強の分子機構の検討 : HIF-1のドメイン解析

 HIF-1は、N末端から、他の転写因子にも保存されているbasic helix-loop-helix領域とPAS領域、そしてHIF-1αにユニークな転写活性化領域、などから構成されている。まずHIF-1αと酵母転写因子Gal4のDNA結合領域との融合タンパクを発現させ、Gal4依存性遺伝子発現に与えるグルココルチコイドとGRの作用を検討した結果、DEXはGR依存性にレポーター遺伝子の発現を誘導した。すなわち、GRはHIF-1αの転写活性化領域に作用している可能性がある。そこで、HIF-1αの転写活性化領域を酵母転写因子VP-16の転写活性化領域と置換した融合タンパクを発現させ、GRによるHRE応答性レポーター遺伝子発現増強効果を検討した。その結果、GRはHIF-1α-VP16によってはレポーター遺伝子発現は影響を受けずGRはHIF-1αの転写活性化領域に作用していることが示唆された。

考察

 グルココルチコイドは視床下部-下垂体-副腎系の末梢におけるエフェクター分子であり、GRを介して末梢組織ないし細胞のストレス応答を制御するとされている。GR遺伝子破壊マウスは致死的であることから生命維持にGRは必須といえるが、ストレス応答の分子機構は不明のままである。ここで、細胞自身もストレス応答機構を内包しており、なかでもHIF-1は低酸素応答におけるきわめて重要な制御因子である。今回、グルココルチコイドがGRを介してHIF-1による低酸素依存性転写活性を増強することが明らかになった。またミネラルコルチコイドあるいはMRではかかる効果がみられないことは、細胞の低酸素ストレス応答におけるGRシステムの特異性のみならず重要性をも示唆する。その分子機構に関し、GRのLBDが必須であり、DNA結合や転写活性化が必ずしも必要でないことは注目に値する。すでに、GRの機能のあるものはDNA結合に依存していないことが示されている。たとえばAP-1やNF-κBなどの転写因子との相互作用はタンパク-タンパク相互作用などの機序が想定されている。しかし、LBD単独でもグルココルチコイドの生理的働きが伝搬されうることを示した報告はこれがはじめてである。RUやALDもGRのLBDと結合することが知られていることから、今回の結果はLBDのアゴニスト特異的なコンフォーメーション変化がHIF-1依存性転写活性化の増強に関与することを強く示唆する。ここで、現時点でGSTプルダウンなどにおいてもLBDあるいはGRとHIFの直接の相互作用は検出されておらず、他の細胞内因子の関与も想定されている。いずれにせよ、グルココルチコイドによるHIF-1転写活性の増強にHIF-1の構成要素のうちHIF-1αが重要であり、GRとHIF-1αの相互作用は互いのきわめて特徴的な機能領域の間に生じるものであることは興味深い。今後その分子機構を明らかにすることによりグルココルチコイドによるストレス応答機構の一端が解明されるものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 HIF-1は転写レベルで細胞の低酸素環境に対する適応を制御するマスターレギュレーターであることが知られている。本研究は、生体ストレス応答系である視床下部-下垂体-副腎系の末梢エフェクター分子としてのグルココルチコイドが低酸素刺激により惹起されるHIF-1の転写活性にいかなる影響を及ぼすのかという点についてHeLaおよびCOS7細胞を用いて検討をおこなったものである。下記の結果を得ている。

1)RT-PCR法によってグルココルチコイドによるHIF-1標的遣伝子VEGF,adrenomedullinおよびGLUT-3のmRNA発現に与える影響をHeLa細胞で検討した。その結果、低酸素分圧下でこれら標的遣伝子のmRNA発現は誘導され、さらにその発現は合成グルココルチコイドであるデキサメサゾンによって増強されることが示された。

2)HIF-1の転写活性をHRE-ルシフェラーゼ遺伝子をレポーターに用いて検討し、HeLa細胞およびCOS7細胞において低酸素分圧下でデキサメサゾンはGRを介してHIF-1転写活性を増強させることが示された。ここで、デキサメサゾンはHIF-1αタンパク発現量に影響を与えなかったことから、GRによるHIF-1転写活性化増強作用はHIF-1αタンパク安定性以外の機構によるものと考えられた。GRE-ルシフェラーゼ遺伝子をレポーターに用いて、HIF-1はグルココルチコイド応答性転写には影響を与えないことが示された。

3)HIF-1転写活性増強作用は、ステロイドレセプターの中でGRともっともアミノ酸相同性が高いMRでは認められず、リガンドに関してもグルココルチコイドアゴニストにのみ認められたことから、レセプター選択性およびリガンド選択性が存在すると考えられた。

4)HIF-1転写活性増強作用に関与するGRの領域を種々のGR変異体を用いて検討した。その結果、LBDが重要であるばかりか、LBD単独でも作用を有し、GRのDNA結合と転写活性は必須ではないことが示された。

5)HIF-1転写活性増強作用に関与するHIF-1の領域を種々のHIF-1α変異体を用いて検討した。その結果、HIF-1αのbHLH-PAS領域よりC末端側の転写活性化領域の重要性が示唆された。

 以上、本論文は培養細胞株において、グルココルチコイドがGRを介して低酸素刺激によるHIF-1転写活性化増強能を有すること、すなわちHIF-1αとGRとのシグナル間にクロストークが存在することを明らかにした。この増強作用には、GRのLBDとHIF-1αのbHLH PAS領域よりC末端側領域という互いのきわめて特徴的な領域が関与しており、GRのDNA結合や転写活性化は必ずしも必要ないことを明らかにした。LBD単独でもグルココルチコイドの生理的働きが伝搬されうることを示した報告は本研究がはじめてである。また、グルココルチコイドの生体内恒常性維持機構に関与する新たな作用機構という着想点も併せ、オリジナリティ、プライオリティーともに高く、生体の低酸素ストレス応答機構の解明に重要な役割を担う可能性を有しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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