学位論文要旨



No 118329
著者(漢字) 白石,京子
著者(英字)
著者(カナ) シライシ,キョウコ
標題(和) インフルエンザ患者におけるウイルス動態の分子生物学的解析
標題(洋) Dynamics of Influenza Virus in Patients
報告番号 118329
報告番号 甲18329
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2136号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 余郷,嘉明
 東京大学 助教授 小柳津,直樹
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

 インフルエンザウイルスは、オルソミクソウイルス科(Orthomyxoviridae)に属するマイナス鎖RNAウイルスであり、A型、B型、C型に分類される。臨床的に重要なのは、A型およびB型インフルエンザウイルスで、それぞれ8本の一本鎖RNAを持つ。感染防御に重要なインフルエンザウイルスの抗原性は、主として、その第4分節と第6分節にコードされている2つの表面蛋白質である赤血球凝集素(HA;hemagglutinin)とノイラミニダーゼ(NA;neuraminidase)により決定される。インフルエンザウイルスは、その抗原性が容易に変化することから、宿主の免疫より巧みに逃れ、流行を続け、人類に多大な被害を与えている。

 A型インフルエンザウイルスは、水鳥からヒトまで幅広い宿主を持つ。2種類の異なるウイルスが同時に一つの細胞に感染すると様々な組み合わせの遺伝子を持つ遺伝子再集合体(reassortment)ができる。トリとヒトのウイルス間でできた遺伝子再集合体の中には、その抗原性がこれまで人類で流行していたものとは大きく異なるものがあり、こうして出現した新種のウイルスは、大流行(pandemic)を起こす。人類は、20世紀に3度のpandemicを経験した。すなわち、1918年のH1N1ウイルスによるスペイン風邪、1957年のH2N2ウイルスによるアジア風邪、1968年のH3N2ウイルスによる香港風邪である。一方、B型インフルエンザウイルスは、宿主が限られているため、こうしたpandemicは起こさないが、地域的な流行(epidemic)を引き起こし、インフルエンザによる死亡の原因となる。

 A型およびB型インフルエンザウイルス感染症は、呼吸器症状の他にも筋炎、心筋炎、脳症などの様々な合併症を引き起こし、小児や老人では死亡の原因となる。中でもインフルエンザ脳症は、多くの小児で発症し、致死率が高く、重度の後遺症を残す合併症として大きな問題となっているが、原因は未だに不明である。

 こうした、インフルエンザに対して我が国では、1998年よりアマンタジンによる治療が可能となり、その使用が急速に広まった。アマンタジンは、我が国ではパーキンソン病治療薬として長く使われてきたが、抗インフルエンザ薬としての使用が開始されると、抗生物質に対する耐性菌の問題と同様、アマンタジンに対する耐性ウイルスの問題が出現してきた。

 本論文では、これらインフルエンザ感染症について問題となっている2つのテーマ、すなわちインフルエンザ脳症(第1章)とアマンタジン耐性ウイルス(第2章)について分子生物学的解析を行った。

第1章:B型インフルエンザ脳症原因ウイルスの分子生物学的解析

 インフルエンザ脳症は発熱などのインフルエンザ症状とともに、痙攣、意識障害が急速にすすむ疾患で、我が国では毎年100人以上の小児が亡くなっている。国際的には、まだ独立した疾患としての認知を受けていないが、インフルエンザ発症後に同じく中枢神経症状を呈するReye症候群とは、臨床経過が異なり、我が国では独立した疾患として取り扱っている。

 本研究では、1998/1999シーズンにインフルエンザ脳症患者から分離された、B型インフルエンザウイルス(SAG99)からRNAを抽出し、RT-PCR法にてcDNAを増幅後、ダイレクトシークエンス法によりHA,NA,NP,M,NS遺伝子の塩基配列を調べた。同シーズンに非脳症患者から分離された一般流行ウイルスについても同様にして塩基配列を決定し、SAG99との相同性を調べるとともに系統発生学的解析を行った。HAとNAについては、以前報告された2例のB型インフルエンザ脳症原因ウイルスとSAG99との比較も行った。

 その結果、SAG99は、いずれの遺伝子も同シーズンの一般流行ウイルスと高い相同性を示し系統樹上でも同じクラスターに属していた。また、HA,NAについては、他の2例の脳症原因ウイルスとの比較も行ったが、これら3例の脳症原因ウイルス間に共通のアミノ酸変異は認められなかった。

 これらの結果より、インフルエンザ脳症は、一般流行ウイルスにより発症しうると考えられた。インフルエンザ脳症については未だ原因は不明であるが、ウイルスそのものよりも、むしろ、他の要因(サイトカイン、薬、他のウイルスなど)によるとする説が現在有力であり、本研究の結果もそれを支持するものであった。

第2章:小児におけるアマンタジン耐性ウイルスの出現頻度と経時的出現パターン

 抗インフルエンザ薬アマンタジンは、A型インフルエンザウイルスのM2蛋白質のイオンチャンネル活性を阻害することにより、その増殖を抑制する。これまで、その耐性ウイルスは、治療患者の約30%に出現するとされていたが、多くの報告は、ダイレクトシークェンス法により塩基配列を決定しているため、耐性ウイルスが、野外株中に混在していても大勢を占めない限り見逃されていた可能性があった。

 本研究では、17人のアマンタジン治療患者より分離されたウイルスからRNAを抽出し、RT-PCR法により増幅したM遺伝子をプラスミドにクローニングした後に塩基配列を決定した。この方法により、耐性ウイルスと感受性ウイルスの相対比の同定とともに少数混在する耐性ウイルスの検出も可能となった。また、耐性ウイルスの出現パターンを明らかにするために、同一患者で経時的にサンプルを採取し解析を行った。

 その結果、治療前に薬剤感受性を示した15例のうち、12例(80%)で治療開始後に耐性ウイルスの出現が認められた。2例の患者では、治療前から薬剤耐性を示したが、アマンタジン治療患者との接触歴ははっきりしなかった。現在まで、臨床検体での耐性変異は5種類報告されているが、そのすべてが今回の研究で認められており、しかも多くの患者では複数の耐性変異株が同時に出現、共存し続けていることが明らかになった。経時的にサンプルの解析を行った6人の患者のうち、2人でアマンタジン治療開始後に耐性ウイルスが一度優勢になった後、治療を終了すると、再び感受性ウイルスが優勢になる例が認められた。この結果は、アマンタジン非存在下では、アマンタジン感受性ウイルスの方が耐性ウイルスよりも、よく増殖する可能性を示唆している。

 今回の解析方法によりアマンタジン耐性ウイルスが、従来の報告よりはるかに高頻度に出現すること、また、同一患者で複数の耐性ウイルス出現が頻繁に起こっていることが明らかになった。

 これら2つの研究は、インフルエンザ感染症の管理をすすめる上で、重要な情報を提供するものと考えられる。重篤な合併症である脳症が一般の流行ウイルスにより発症しうることが示唆されたが、このような合併症による死亡、後遺症を防ぐためには、インフルエンザウイルスの感染予防と重症化を防ぐことが必要であると考えられる。感染予防については、ワクチンが有効であるが、現行の不活化ワクチンの効果には限界があり、より有効で安全なワクチンの開発が必要である。また、重症化を防ぐためには、適切な治療が必要であるが、その手段として我々は2種類の抗インフルエンザ薬-アマンタジンとノイラミニダーゼ阻害薬-を持っている。これらの薬は、作用機序が全く異なり上手に使い分ける、もしくは、併用することにより耐性ウイルスの増加を防いでいくことが重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、インフルエンザ感染症において患者体内におけるウイルス動態について、インフルエンザ脳症およびアマンタジン耐性の2つのテーマを扱い、下記の結果を得ている。

1.インフルエンザ脳症患者より分離されたB型インフルエンザウイルス(SAG99)のHA,NA,M,NP,NS遺伝子について、その塩基配列を同シーズンの一般流行ウイルスと比較を行い、SAG99が系統樹上で一般流行ウイルスと近い位置を占めることが明らかになった。

2.SAG99および、以前に報告されていた2例の脳症患者由来B型インフルエンザウイルスのアミノ酸配列を比較することにより、これら3例に共通するアミノ酸変異がHA,NAには、認められないことが示された。

3.アマンタジン治療小児の検体から分離されたウイルスを調べ、アマンタジン耐性ウイルスの出現頻度、出現割合の経時変化が明らかになった。従来の報告では、アマンタジン耐性株は、治療患者の約30%に出現するとされていた。しかし、これらの報告はダイレクトシークエンス法によるものであったため、ウイルス全体の中でminor populationを占める耐性変異株が見逃されていた可能性があった。本論文では、ウイルスをプラスミドにクローニングの後シークエンスを行うことにより、minor popu1ationの検出も可能とし、またそれぞれの株の存在割合も明らかにされた。

4.上記の方法により、アマンタジン治療患者の80%に耐性株が出現することが示された。また、多くの患者で複数の耐性株が同時に出現することが明らかにされた。

5.アマンタジンン耐性株が治療により優勢になった後、アマンタジン非存在下で、感受性株が再び優勢に戻る症例が6例中2例に認められ、アマンタジン耐性株が感受性株に比較して何らかの原因で増殖が不利である可能性が示された。

6.H3N2ウイルスではS31N変異が多く、H1N1ウイルスではV27A変異が多いことも示された。

 以上、本論文ではインフルエンザ脳症患者由来B型インフルエンザウイルスがHA,NA,M,NP,NSの5つの遺伝子について、一般流行ウイルスと大きな差がないことが明らかにされた。また、アマンタジン耐性ウイルスについて、その出現頻度、出現様式が明らかにされた。本論文の研究は、インフルエンザウイルスの患者体内での動態の解明に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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