学位論文要旨



No 118331
著者(漢字) 三浦,聡之
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,トシユキ
標題(和) ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬によるミトコンドリア障害に関する臨床的研究
標題(洋)
報告番号 118331
報告番号 甲18331
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2138号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 講師 丸山,稔之
 東京大学 講師 福本,誠二
内容要旨 要旨を表示する

 HAART(highly active antiretroviral therapy)の出現以来、ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus type-1,以下HIV-1)感染症におけるAIDSの発症率、死亡率は大きく減少した。HAARTは通常3種類以上の抗HIV薬を併用することを指すが、多くの場合は二種類のヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬(Nucleoside Analogue Reverse Transcriptase Inhibitors,NsRTIs)と一種類のウイルス・プロテアーゼ・インヒビターまたは非ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬の組み合わせで投与される。これによって、血中のウイルス量は検出限界以下にまですることが可能であり、治療に伴って、CD4陽性T細胞数の増加も可能となった。しかし、ウイルスを完全に排除することはできないため、長期におよぶ薬剤内服が必要となっている。このため、最近では、長期内服に伴う副作用に注目が集まってきている。NsRTIsの副作用としては、貧血、筋症、末梢神経障害、膵炎、乳酸アシドーシス等があり、最近問題となってきているリポジストロフィー(脂肪分布異常症)にもNsRTIsが関与していると考えられてきている。このNsRTIsによる副作用の多くは、ミトコンドリア障害によるものと考えられている。NsRTIsはミトコンドリアDNA(mtDNA)の唯一の合成酵素であるDNA polymerase γと高い親和性を持ち、mtDNAの合成を阻害することにより、ミトコンドリアの機能を損うと考えられている。In vitroにおいて、これを証明したものは多く存在するが、in vivoにおける研究は横断的なものがほとんどで、個々人における経時的変化を複数のレジメンで長期間に渡って観察したものは見あたらない。これは副作用の標的臓器を経時的に採取することが事実上困難なためである。本研究では、リアルタイムPCR法を用いて、HIV-1感染症患者の末梢血単核球中mtDNAを経時的に定量し、各NsRTIが生体内のmtDNA量に及ぼす真の影響を観察し、その定量が副作用発現の予測因子となりうるかどうか検討した。興味深いことに、未治療HIV-1感染症患者において、mtDNAは健常人に比べて減少していた。また、その量はCD4陽性T細胞数と正の相関を示し、HIV-RNA量と負の相関を示した。治療を必要とした患者群全体でみると、治療開始後1000日以上たつと、mtDNAは有意に増加していた。投与されたNsRTIsの種類ごとに分けて解析した場合、AZT/3TCまたはd4T/3TCを含むレジメンで治療された患者群ではmtDNAは増加し、健常人と同程度まで回復した。これらの結果を総合すると、HIV-1感染自体がmtDNAを減少させ、治療によりそれが回復している可能性が考えられた。HIV-1感染症におけるCD4陽性T細胞の減少には、ミトコンドリア介在性アポトーシスが関与していることが示されており、本研究で観察されたmtDNAの減少は、このアポトーシスと関連がある可能性が考えられた。しかし、特に免役不全の進行した患者では、PBMC中mtDNA量へのCD4陽性T細胞からの寄与は少ないと考えられ、HIV-1感染症におけるCD8陽性T細胞数のturn overの上昇等が関与している可能性も考えられた。一方で、AZT/ddCを含むレジメンで治療された群ではmtDNAは有意に減少していた。しかし、この群においても、治療に伴ってCD4陽性細胞数は増加しており、この群におけるmtDNA減少の原因として、in vitroで証明されているddCの最も強力なmtDNA合成阻害効果が、AZT(またはd4T)/3TC群で観察されたようなmtDNA量の回復を凌駕していた可能性があると考えられた。MtDNAが増加していたAZT(またはd4T)/3TC群と、減少していたAZT/ddC群との間で、治療開始1年後の副作用に関連する血液学的パラメータに有意な差は認めなかった。また、リポアトロフィー(リポジストロフィーの内、末梢の脂肪織が減少するもので、特にNsRTIsとの関連が示唆されているもの)の有無とmtDNA量に関連を認めなかった。また、末梢神経障害、膵炎の発症とも関連を認めなかった。これらを総合すると、末梢血単核球中mtDNAの定量は、将来的な副作用発現の予測因子とはなりにくいと考えられた。さらに、本研究では、ポリメラーゼγの多型性を検索した。29人の健常人において、プロモーター領域及び、エクソン1、14〜23番の翻訳領域には多型性を認めなかった。本研究で見いだしたイントロン内の多型性、及びNCBIのSNPデータベースに登録されていたエクソン23番内非翻訳領域に認められた多型性と、健常人29人及び未治療HIV-1感染症患者33人の末梢血単核球中mtDNA量に関連は認められなかった。また、これらの多型性と抗HIV薬による治療1年後の血液学的パラメータの変化にも関連を認めなかった。これらの多型性、及びよく知られたエクソン2内のCAG繰り返し配列数とリポアトロフィーの有無及び末梢神経障害の有無との間にも関連を認めなかった。しかし、対象患者数が少なかったため、これら多型性と副作用の関連の有無については、より大きなスケールでの検討が必要であり、他のエクソンや、mtDNAの合成に関与するその他の因子を対象とした、副作用に関わる遺伝的背景の検索が必要と考えられた。HIV-1感染症患者は、今後も長期に渡って抗ウイルス剤を内服しなければならない状況が続くと考えられる。NsRTIsによる副作用の真の機序の解明、及び副作用の少ない薬剤の開発のため、今後もこの分野での一層の研究が必要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 すでにin vitroにおいて、ヌクレオシド系逆転写酵素阻害薬(Nucleoside Analogue Reverse Transcriptase Inhibitors, NsRTIs)によるミトコンドリアDNA(mtDNA)合成阻害効果が証明されており、それが同薬剤によるミトコンドリア障害に関連する副作用発現の中心的機序と考えられている。本研究では、HIV-1感染症患者のPBMC中mtDNAをリアル・タイムPCRを用いて経時的に定量することにより、NsRTIsが生体内のmtDNAにあたえる影響を種類の違うレジメン毎に評価し、その定量がミトコンドリア障害による副作用発現の早期予測因子となりうるかを検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.未治療HIV-1感染症患者においては、PBMC中のmtDNA量が、健常人コントロールに比べて減少していることが示された。また、さらにmtDNA量はCD4陽性T細胞数と正の相関をし、HIV-RNA量と負の相関することが示された。これらの結果から、HIV-1感染そのものがmtDNAの減少を生じている可能性が考えられた。しかし、免疫不全が進行し、CD4陽性T細胞が著明に減少した患者においては、この分画からのPBMC中mtDNAへの寄与は少ないと考えられるため、HIV-1感染症におけるCD8陽性T細胞のturn overの上昇などが関与している可能性もあると考えられた。

2.抗HIV薬を投与された場合は、レジメンによりPBMC中mtDNA量に及ぼす影響が違うことが示された。即ち、AZT/3TCまたは、d4T/3TCを含むレジメンで治療されている患者群では、治療開始後速やかにmtDNA量が増加することが示され、一方AZT/ddC群では、mtDNA量が減少することが示された。前者は、治療によってHIV-1の複製が抑制されることにより免疫不全が改善してきていることを反映し、後者ではin vitroで証明されているddCの最も強力なmtDNA合成阻害効果が、前者における回復効果を凌駕していた可能性が考えられた。

3.このmtDNAの増加する2群と減少するAZT/ddC群において、治療開始1年後の血算、生化学データの間に有意な違いは認められなかった。また、リポジストロフィーの有無とmtDNA量の間にも有意な関係は認められず、薬剤性末梢神経障害の経過中にもmtDNAの減少を認めなかった。従って、この定量はNsRTIsによるミトコンドリア障害による副作用発現の早期予測因子とはなりにくいことが示された。

4.また、mtDNAの複製を担うDNAポリメラーゼγの多型性についても検討し、ポリメラーゼモチーフを含む翻訳領域のエクソン及びプロモータ領域に多型性が認められないことを示し、この遺伝子の多型性が副作用に対する感受性に関与する可能性が少ないことを示した。

 以上、本論文はPBMC中mtDNA量とHIV-1感染症の重症度との関連を初めて示し、また複数のレジメンにおいて、長期に渡りHIV-1感染症患者体内のmtDNA量を経時的に測定した初めての研究であり、NsRTIsの投与によってmtDNAは減少するとする従来の予測に反し、レジメンによっては、mtDNA量が増加することを初めて示した。抗HIV薬の投与が長期に及ぶ時代になり、これらによる副作用は重大な問題となってきており、本研究は、この分野に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク