学位論文要旨



No 118333
著者(漢字) 相澤,健一
著者(英字)
著者(カナ) アイザワ,ケンイチ
標題(和) 転写因子KLF5によるPDGF-A鎖遺伝子活性化の分子機構
標題(洋) Molecular Mechanisms of PDGF-A Chain Gene Activation by the Transcription Factor KLF5
報告番号 118333
報告番号 甲18333
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2140号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 講師 本倉,徹
 東京大学 講師 中岡,隆志
内容要旨 要旨を表示する

 我が国は現在,未曾有の高齢化社会を迎えようとしており,動脈硬化性疾患は増加の一途をたどっている。その予防や効果的な治療法の確立は,活力のある社会の創出のために重要な課題である。心血管細胞は虚血,感染,物理的負荷などによる傷害を受けた際,適応・修復のための機転としてリモデリングを起こす。代償機構としてのリモデリングは傷害に対する適応・修復のための機転として重要であるものの,いったん破綻を来すと悪循環に陥り,その結果,心血管組織の機能不全を来す。すなわち,リモデリングのメカニズムの解明は,心血管機能を破綻させずにいかに人為的に維持するかという治療戦略にかかわる重要なテーマである。我々はいままで心血管リモデリング機構を解明することを目的とし,平滑筋ミオシン重鎖遺伝子の解析を通じて,平滑筋細胞の形質変換の制御機構を分子レベルで追求して来た。そして,転写因子KLF5/IKLF/BTEB2(以下,KLF5と表記する)が形質変換の主要な制御因子であることを見いだした。KLF5は正常な成人の血管には発現せず,動脈硬化巣や冠動脈拡張術の再狭窄病変で発現し,血管の病的狭窄部位の平滑筋増殖に関わる因子であると考えられた。最近,in vivoでのKLF5の役割を明らかにするために,私たちはKLF5ノックアウトマウスを樹立した。KLF5ノックアウトマウスの解析を通じて,KLF5はアンジオテンシンIIによる心血管リモデリングのパスウェーにおける重要な制御因子であることを見いだした。興味深いことに,KLF5ノックアウトマウスの表現型は血小板由来増殖因子Platelet-derived growth factor-A(PDGF-A)ノックアウトマウスの表現型と酷似していた。実際,KLF5ノックアウトマウスではPDGF-Aの発現が低下しており,このことがリモデリング破綻の主要な原因と考えられた。すなわちPDGF-AはKLF5の主要な標的遺伝子であることが示された。

 PDGF-Aは平滑筋細胞の遊走・増殖を促進し動脈硬化症の発症に重要な役割を果たす増殖因子である。PDGF-Aに刺激された平滑筋細胞は増殖・遊走反応,あるいは細胞外マトリックスの産生・分解などの反応を惹起し,障害血管リモデリングないしは内皮肥厚病変の形成に深く関与していることが知られている。我々は約10年前よりPDGF-AがAngiotensin IIによる平滑筋増殖に重要であることを見出し,PDGF-Aに注目してきた。

 今回私はKLF5がPDGF-A遺伝子を活性化するメカニズムを分子生物学的手法を用いて転写レベルで解明することを最初の目標とした。PDGF-A遺伝子は現在までにその近位プロモータ-71〜-55の領域に種々の活性化刺激に反応する重要な領域があることが知られている。私は,まず始めにKLF5がPDGF-Aプロモータを活性化することをレポーターアッセイにより初めて見出した。さらに,PDGF-Aプロモータの欠失変異体を用いた解析により,KLF5反応領域がPDGF-A近位プロモータ-71〜-55の領域に一致することを見いだした。この領域をプローブとし,ゲルシフトアッセイを行うと確かにKLF5が結合した。私はクロマチン免疫沈降アッセイ(ChIPアッセイ)によりPDGF-AプロモータにKLF5が結合することを確認した。したがって,in vitroの人工的な系でのみならず,細胞内でDNAがクロマチン構造を形成している状態のPDGF-A遺伝子に対してKLF5が結合していることが示された。細胞レベルでのKLF5の作用を確認するため,アデノウイルス発現ベクターを作成してKLF5を培養細胞に過剰発現させたところ,PDGF-A mRNAの発現が誘導された。KLF5が細胞レベルでもPDGF-Aを正に制御していることが明らかになった。

 私は次に細胞外のシグナルが核内の作用因子であるKLF5においていかなる作用を及ぼしているか検索した。リン酸化は細胞質内の反応過程である一方,アセチル化が核内の制御機構として重要であることが近年解明されつつある。私はアセチル化誘導因子であるTSA(trichostatin A)を用いて細胞刺激したところ,PDGF-Aプロモータは強力に活性化され,この活性化にはPMAと同様に-71〜-55の領域が重要であることを見いだした。次に,KLF5をアセチル化する酵素を検索した。p300は転写コアクチベータとして作用する核内の転写司令塔である。その作用は多岐に渡り,細胞分化,細胞周期,アポトーシスなどに重要な役割を果たしていると考えられている。最近になりp300は分子内にヒストンアセチル化活性を有していることが見いだされた。私はKLF5が細胞内でアセチル化されていることを確認した。また,私は免疫沈降法を用いた解析により細胞内でKLF5とp300が結合することを示した。p300がKLF5の転写活性化能に如何に影響するか見るために,レポーター遺伝子アッセイを行った。その結果,KLF5はp300により相乗的にPDGF-Aプロモータを活性化した。p300単独ではPDGF-Aプロモータの活性化は認められないことより,この相乗効果はKLF5依存的であると考えられた。したがって,KLF5はp300でアセチル化されることによりその転写活性化能を増強すると考えられた。p300によるKLF5のアセチル化されるリジン残基は質量分析法を用いて解析された。KLF5の369番目のアミノ酸であるリジンが唯一アセチル化される残基であることが明らかになった。したがって,私はKLF5の369番目のアミノ酸残基をリジンからアルギニンに置換し,p300によってアセチル化されないKLF5の変異体を作成した。その結果,アセチル化変異型KLF5は野生型KLF5に比べ,p300によるPDGF-Aプロモータの相乗的活性化作用が約30%低下していた。つまり,p300はKLF5の369番目のリジン残基を特異的にアセチル化することによりKLF5の活性化を正に制御することが明らかになった。

 動脈硬化は,動脈壁を反応の場として緩徐に進行する慢性の炎症性・増殖性疾患とみなすことができる。この慢性の反応には,多くの炎症性刺激や反応の場としての各種の血液構成細胞が関与する。NF-KBは反応蛋白,炎症性サイトカイン,組織因子,誘導型NO合成酵素(iNOS)など,炎症や免疫応答に関わる遺伝子の発現を制御する転写因子である。動脈硬化病変の形成には,平滑筋細胞,内皮細胞,単球/マクロファージが中心的な役割を持つ。また,動脈硬化には炎症応答の関与が重要であることも報告されている。私たちはKLF55ノックアウトマウスでは大腿動脈にカフ障害を生じさせてもカフ周囲の肉芽形成がほとんど認められず,新生内膜の増生も軽度である。また,血管新生,線維化も低下している。したがってKLF5は炎症を惹起する作用を有すことが推察された。私は,KLF5が炎症に対し如何に作用しているか分子レベルで解析することを試みた。PDGF-Aプロモータに対するNF-KBとKLF5の相互作用を検討したところ,NF-KBは単独ではPDGF-Aプロモータを活性化しなかったが,NF-KBとKLF5を共発現させると相乗的に活性化した。また,免疫沈降法によりKLF5とNF-KBは細胞内で結合することが明らかになった。さらに,PDGF-Aプロモータ欠失変異体を用いた解析により,KLF5とNF-KBの相乗作用が生じるために重要なエレメントを検索したところ,KLF5の作用部位と一致した。実際,ゲルシフトアッセイによりKLF5とNF-KBの相互作用はPDGF-Aプロモータ上で起こっていることが確認された。したがって,NF-KBによる炎症応答にはKLF5を介している可能性があると考えられた。

 以上の結果よりまとめると,KLF5は活性化刺激や組織リモデリングを受けて心血管障害時に細胞が反応する際の急性反応を司る主要な因子と位置づけられる。それゆえKLF5の活性化はリモデリングをひきおこし,心血管病変を増悪させると考えられた。したがって,KLF5の転写活性化能を抑制できれば,KLF5活性化によるリモデリングを抑制することが期待できる。この仮説に基づき,私はKLF5の転写活性化能を調節する化合物を検索した。そのうちRARのアゴニストであるAm80はKLF5の転写活性化能を抑制した。さらに私は免疫沈降法によりAm80のKLF5転写抑制作用はKLF5がRARの結合を介す可能性を示した。RARのリガンドにより転写活性を抑制されるという事実はKLF5の抑制薬が心血管リモデリングを抑制する治療薬としての標的となる可能性を秘めており,KLF5を標的とした将来の薬剤開発も期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,最近同定された転写因子KLF5がPDGF-A遺伝子の活性化を介し心血管リモデリングに重要な役割を演ずるメカニズムを,様々な分子生物学的手法を用いて主に転写レベルで詳細に解析したものであり,下記の結果を得ている。

1.PDGF-Aプロモータの欠失変異体を用いた解析により,まずKLF5がPDGF-Aプロモータを活性化し,さらにその反応領域は近位プロモータ-71〜-55であることを見いだした。ゲルシフトアッセイにより同領域にKLF5が結合した。クロマチン免疫沈降アッセイにより細胞内でPDGF-AプロモータにKLF5が結合することを確認した。アデノウイルス発現ベクターによりKLF5を培養線維芽細胞に過剰発現させたところ,PDGF-A mRNAの発現が誘導された。さらに,siRNAによる細胞内KLF5ノックダウンによりPDGF-Aの発現が特異的に低下した。したがってPDGF-AがKLF5の真の標的遺伝子であり,細胞レベルでもPDGF-Aの発現を正に制御していることが示された。

2.細胞内の様々なストレス刺激が,核内の作用因子KLF5を如何に制御するか解明するためにKLF5のコファクターとシグナルが検索された。免疫沈降法により細胞内でKLF5とp300が結合し,RIを用いたパルスラベル法により細胞内でKLF5がp300によりアセチル化されることが示された。KLF5はp300により相乗的にPDGF-Aプロモータを活性化した。KLF5の369番目のアミノ酸残基をリジンからアルギニンに置換し,p300によってアセチル化されないKLF5の変異体が作成された。アセチル化変異型KLF5は野生型KLF5に比べ,p300によるPDGF-Aプロモータの相乗的活性化作用が約30%低下していた。つまり,KLF5はp300によるアセチル化刺激を受け,転写活性化を正に制御することが示された。

3.免疫応答反応におけるKLF5の役割が検索された。KLF5とNF-KBを共発現させるとPDGF-Aプロモータは相乗的に活性化し,免疫沈降法によりKLF5とNF-KBは細胞内で結合することが示された。さらに,欠失変異体を用いた解析により,KLF5とNF-KBの相乗作用が生じるために重要なPDGF-Aプロモータ上のエレメントはKLF5の作用部位と一致することが示された。実際,ゲルシフトアッセイによりPDGF-Aプロモータ上でKLF5とNF-KBが相互作用することが確認された。したがって,NF-KBによる炎症応答にはKLF5を介している可能性が示された。

4.上記の知見より,KLF5の転写活性化能を抑制できれば,KLF5活性化による心血管組織のリモデリングを抑制することが期待された。この仮説に基づき,KLF5の転写活性化能を調節する化合物が検索された。そのうちRARのアゴニストであるAm80はKLF5の転写活性化能を抑制した。実際,Am80はマウスカフ障害モデルにおいて新生内膜形成を抑制し,動物モデルでもその効果が確認された。

 以上,本論文はKLF5が,活性化刺激や組織リモデリングを受けて心血管障害時に細胞が反応する際の急性反応を司る主要な因子であることを位置づけた。さらに,KLF5の転写活性化を抑制する化合物を見出し,KLF5活性化によるリモデリングを抑制する可能性を示した。本研究は心血管リモデリングにおける病態生理の解明,ひいては新規治療薬開発につながる可能性を有する非常に貢献度の高い研究であり,学位の授与に値するものと考えられる。

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