学位論文要旨



No 118335
著者(漢字) 生月,弓子
著者(英字)
著者(カナ) イケヅキ,ユミコ
標題(和) 内分泌攪乱物質のヒト生殖器官、胎児への曝露状況に関する研究
標題(洋)
報告番号 118335
報告番号 甲18335
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2142号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 助教授 小池,和彦
 東京大学 講師 井上,聡
 東京大学 講師 関根,孝司
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 内分泌撹乱化学物質いわゆる環境ホルモンは微量でもエストロゲン作用や逆の抗エストロゲン作用などを有し、正常なホルモンの働きを障害する.そこでエストロゲンの働きが大切な排卵、受精、胎児の発育という女性生殖機能への影響や子宮内膜症の発生、精子減少による男性生殖機能低下との関連が危惧される。我々はこれまでにマウス2細胞期胚を用いて内分泌撹乱物質の1つであるダイオキシンの胚発育への影響を検討し、報告している.即ち、ダイオキシン(2,3,7,8-TCDD)を1-5pM添加した時、2細胞期の8細胞期への発育率は有意に抑制されたが、この作用は10-100pMでは検出されなかった.一方、8細胞期胚の胚盤胞への発育率を観察するとダイオキシン胚盤胞形成に促進的に作用した。これよりダイオキシンの胚発育に対する作用は胚発育時期に特異的にかつ特定の濃度域で抑制的ないし促進的に作用することが示唆された。

 ビスフェノールA(BPA)は、ポリカーボネイト樹脂等の原料として広く使用されているが、エストロゲンレセプター(ER)に結合するため、ダイオキシン同様内分泌撹乱物質としての作用が注目ないし危惧されている。これまでにも、ラット子宮・膣の細胞増殖促進作用(300ng/g・day)、母獣投与による仔マウスの精子産生減少(20ng/g・day)、ラット下垂体細胞におけるプロラクチン分泌促進作用(0.1-1.0_M)、ER_あるいはER_発現培養細胞における転写活性促進作用(100-1000nM)などが報告されている。更に最近、環境中の曝露量とほぼ等しい低用量のBPAの母獣への投与により、雄胎仔における出生後の前立腺の肥大や、雌胎仔における発育や性成熟の促進を引き起こすことが報告され、低用量のBPAが胎仔に及ぼす影響に関して強く注目されるようになった。我々は既にマウス初期胚にERαおよびERβが発現することを認めて報告しているが、今回、BPAが初期胚発育に及ぼす影響を明らかにしようとした。

方法

 5-7週齢B6C3F1マウスをPMSGおよびhCGにて過排卵刺激後交配させ、hCG投与の40時間後に2細胞期胚を採取した。更に、得られた胚を1pMから100_MまでのBPAあるいはER阻害剤であるtamoxifen(100nM)存在下に培養し、24時間後と48時間後にそれぞれ8細胞期胚形成率と胚盤胞形成率を算定し、χ2乗検定により解析した。培養にはフェノールレッド不含のBrinster's BMOC3培地(Gibco BRL社)を用いた。得られた胚盤胞はHoechst33258で核染色し、細胞数を算定した。

 2細胞期胚から72時間培養後の拡張胚盤胞をBPAそ含まないFO-CMRL培地で培養し、48時間後のrophoblast spreading(栄養胚盤胞の広がり)をコンピュータによる画像解析により定量した。

結果

 2細胞期胚からの8細胞期胚形成率は、対照(BPA:0)の88.0%に対して、3nM BPA存在下では94.0%と有意に増加した。また、2細胞期胚からの胚盤胞形成率は、対照(BPA:0)の58.7%に対して1nM、3nMでそれぞれ69.0%、69.2%と有意な発育促進効果が認められた。一方、100_M BPAでは31.2%と有意に発育が抑制されたが、8細胞期胚形成率は対象と差がなかった。10nMから10_Mでは促進効果も抑制効果も認められなかった。

 1nMおよび3nM BPA存在下における胚盤胞への発育促進効果はER阻害剤である100nM tamoxifenの添加で有意に抑制された(49.1%および52.1%)。一方、100_M BPA存在下における発育抑制効果は、tamoxifenにより消失した(72.4%)。tamoxifen単独では促進効果も抑制効果も認められず、8細胞期胚への発育率はtomoxifenより影響を受けなかった。

 得られた胚盤胞は形態的に差がなく、細胞数は対照、1nM、3nM、100_Mで差がなかった。他方、BPA曝露下に得られた拡張胚盤胞をBPA非存在下に48時間培養してtrophoblast spreadingを観察したところ、対照、1nM、3nMでは差がなかったが、100_M BPA存在下に得られた胚盤胞ではtrophoblast spreadingが有意に増大した。

考察

 BPAは高濃度(100_M)では初期胚発育を抑制するが、従来報告されているよりはるかに低濃度(1-3nM)で初期胚発育を促進した。この発育促進効果はtamoxifenにより抑制され、更にERαおよびERβが初期胚に発現していることからERを介することが推測され、胚への内分泌撹乱物質としての作用が無視できないことが示唆された。

 BPAに曝露された初期胚は形態的には差がなく、細胞数にも有意差は認められなかった。しかしながら、得られた胚盤胞のtrophoblast spreadingを観察することによって質的な差異を検討したところ、高濃度(100_M)のBPAに曝露された初期胚でむしろ発育能が高いという結果が得られた。これによりBPAが胚盤胞の着床後の発育に影響を及ぼす可能性が示唆されたため、現在、胚盤胞の胚移植により得られた新生仔の発育や生殖機能について検討を進めている。

 我々ヒトは多量のBPAに曝露されており、我々の最近の検討では血清や卵胞液中からもnMレベルのBPAが検出されている。今回、これとほぼ等しい濃度(1-3nM)でマウス初期胚の発育に影響を及ぼすことが示されたことは、今後の内分泌撹乱物質の研究において重要な意義を持つものといえる。

審査要旨 要旨を表示する

 我々人類は内分泌撹乱物質いわゆる環境ホルモンに曝露されているが、その健康影響、特に生殖機能や胎児・次世代への影響については不明の点が多い。

 本研究は内分泌攪乱物質のヒト生殖器官、胎児への暴露状況に関して、エストロゲン作用のある内分泌攪乱物質であり、プラスチック製品に広く使われているビスフェノールA(BPA)と、環境中に残存し高い毒性と催奇形性・発癌性で知られるダイオキシン類を対象として、母児環境の汚染状況を評価し、物質ごとの体内・胎内動態を検討し、下記の結果を得ている。

1,健康な閉経前の女性、妊娠中期の妊婦、妊娠末期の妊婦から得られた血液、体外受精時に得られた卵胞液、分娩時に得られた臍帯血および羊水、妊娠中期の羊水穿刺時に得られた羊水を対象として、BPA濃度をELISA法により測定した。BPA濃度は血液、卵胞液では1-2ng/mlであり、胎児血(臍帯血)や妊娠末期の羊水でもほぼ同レベルのBPAが検出された。驚くべきことに、妊娠中期の妊婦より得た羊水では、他の体液と比べて数倍にもあたる8.3±8.7ng/mlという有意に高い(P<0.0001)BPAが検出された。妊娠末期の母体血・臍帯血間に有意な正の相関を認めた(P<0.0001)。

2,分娩時に得られた母体血、臍帯血、羊水を対象として、ダイオキシン類濃度(PCDDs、PCDFs、Co-PCBs)を高分解能GC-MS法により測定した。

 母体血中Co-PCBs濃度と母体年齢の間に有意な正の相関を認めた(P=0.0067)。検体総重量あたりの濃度で比較すると、母体血では、臍帯血、羊水に比べて全てのダイオキシン類濃度が有意に高かった(いずれもP<0.0001)。しかしながら脂肪重量あたりに換算すると数値は逆転し、羊水で、母体血、臍帯血に比べてPCDDs濃度、PCDFs濃度、総ダイオキシン類濃度が有意に高かった(いずれもP<0.0001)。PCDDs濃度、Co-PCBs、総ダイオキシン類濃度において、母体血・臍帯血間で有意な正の相関を認めた(それぞれP=0.0016、P<0.0001、P=0.0020)。

3,BPAやダイオキシン類(PCDDs、Co-PCBs)において母体血と臍帯血中濃度に有意な母児間の相関が見られ、経胎盤的な内分泌撹乱物質移行の実態が確認され、羊水中に内分泌撹乱物質が蓄積することが明らかとなった。

4,マウス2細胞期胚を用いて内分泌撹乱物質の1つであるBPAが初期胚発育に及ぼす影響を明らかにしようとした。2細胞期胚からの8細胞期胚形成率は、対照(BPA:0)の88.0%に対して、3nM BPA存在下では94.0%と有意に増加した。また、2細胞期胚からの胚盤胞形成率は、対照(BPA:0)の58.7%に対して1nM、3nMでそれぞれ69.0%、69.2%と有意な発育促進効果が認められた。一方、100μM BPAでは31.2%と有意に発育が抑制されたが、8細胞期胚形成率は対象と差がなかった。10nMから10μMでは促進効果も抑制効果も認められなかった。

5,1nMおよび3nM BPA存在下における胚盤胞への発育促進効果はER阻害剤である100nM tamoxifenの添加で有意に抑制された(49.1%および52.1%)。一方、100μM BPA存在下における発育抑制効果は、tamoxifenにより消失した(72.4%)。tamoxifen単独では促進効果も抑制効果も認められず、8細胞期胚への発育率はtomoxifenより影響を受けなかった。得られた胚盤胞は形態的に差がなく、細胞数は対照、1nM、3nM、100μMで差がなかった。他方、BPA曝露下に得られた拡張胚盤胞をBPA非存在下に48時間培養してtrophoblast spreadingを観察したところ、対照、1nM、3nMでは差がなかったが、100μM BPA存在下に得られた胚盤胞ではtrophoblast spreadingが有意に増大した。

 以上本論文は世界で初めて羊水中の内分泌攪乱物質(環境ホルモン)を定量的に測定し、これまでは未知に等しかった内分泌攪乱物質のヒト生殖器官、胎児への暴露状況について明らかにした。またin vitroにおいてもマウス2細胞期胚を用いて内分泌撹乱物質の1つであるBPAの初期胚発育に及ぼす影響を明らかにした。本研究は内分泌攪乱物質の体内動態や、循環、排出機構の解明、影響についても寄与し、また内分泌攪乱物質の生殖機能、周産期に与える影響や小児の成長などについても重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク