学位論文要旨



No 118338
著者(漢字) 小川,智子
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,サトコ
標題(和) リガンド非存在下におけるHsc70によるエストロゲンレセプターの転写制御機構の解明
標題(洋)
報告番号 118338
報告番号 甲18338
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2145号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 井上,聡
内容要旨 要旨を表示する

<背景>乳腺や前立腺など、ホルモン依存性の組織が癌化すると、その一部はホルモン依存性腫瘍となる。これらの腫瘍に対してはホルモン療法が有効であるが、治療中にホルモン療法に反応しなくなり、かえって腫瘍が増殖してくること(refractory)がある。一般的にホルモンのような脂溶性リガンドは、核内に移行して核内レセプターと結合することによって、標的遺伝子の転写制御を介し、様々な生理作用を表すことが知られている。これらのことから、ホルモン依存性腫瘍の発症やrefractoryのメカニズムには核内レセプターが係っている可能性が考えられる。実際、核内レセプターの量的・質的な変化がホルモン依存性腫瘍の発症やrefractory獲得に関与することが、一部のホルモン依存性腫瘍において証明されている。しかしながら、多くのホルモン依存性腫瘍においては、核内レセプターの量的・質的変動は認められていない。したがって、これらホルモン依存性腫瘍の発症には核内レセプターだけではなく他の因子の関与が考えられる。

 近年、核内レセプターにリガンド依存的に結合して転写を活性化する転写共役因子がクローニングされつつある。これらは大きなcomplexを形成しており、核内レセプターとリガンド依存的に結合することによって周囲のヒストンをアセチル化することにより、転写を活性化する。これらの事実は、核内レセプターではなく、転写共役因子量的・質的変化がホルモン依存性腫瘍の発症やrefractoryに関与する可能性を示唆している。

 そこで、婦人科領域のホルモン依存性腫瘍に係わる核内レセプターであるestrogen receptor(ER)に着目し解析した。ERには2つの転写活性化領域が存在し、それぞれactivation function 1(AF-1)、activation function 2(AF-2)と呼ばれている。AF-2はリガンド結合領域であるE領域内に存在してリガンド依存的な転写活性を持つのに対し、AF-1はN末端に位置してリガンド非依存的な転写活性を持つ。しかし、ER分子全体としてはリガンド存在下のみで転写活性を持つことから、リガンド非存在下においてAF-1の転写活性を抑制する領域がE領域の中に存在する可能性が考えられるが、その抑制機構については全く明らかになっていない。リガンド非存在下においてのERの転写活性促進はホルモン依存性腫瘍の発症と増悪につながると考えられるため、ERのリガンド非存在下における転写活性抑制機構を分子レベルで解明することは、ホルモン依存性腫瘍のより深い理解にとって極めて重要である。

<方法>

(1)ERのAF-1活性のみを持つdeletion mutantを作成し、Cos-1細胞抽出液を用いたLuciferase assayにより、リガンドの存否によるAF-1活性を検討した。リガンドとしては17β-estradiol(E2)10-8Mを用いた。

(2)リガンド非存在下におけるAF-1転写活性抑制領域(repression domain, RD)を同定した。一方で、リガンド非存在下におけるERの相互作用因子を検索するために、HeLa細胞核抽出液を用いたGST-ERカラムによる精製を行った。リガンド非存在下において特異的にERに結合した因子をSDS-PAGEによって単離し、アミノ酸シークエンス法によって解析したところ、Hsc70(heat shock cognate protein 70)であることを同定した。

(3)Hsc70のERに対する結合領域を同定する為、FlagタグのついたER deletion mutantsを作成してHsc70と共にCos-1細胞にco-transfectionし、細胞抽出液を作成し、抗Flag抗体によるIP-Western法を施行した。

(4)Hsc70とERの細胞内局在を観察するため、GFPタグをつけたHsc70を作成し、ER deletion mutantsと共にCos-1細胞にco-transfectionし、免疫染色法によって染色したものを共焦点顕微鏡で観察した。

(5)ERとHsc70が結合した状態で、ERのAF-1に対する相互作用因子であるp300と結合するか否かを観察する為、ERとHsc70をco-transfectionした細胞の抽出液を用いて抗p300抗体によるIP-Western法を施行した。

<結果>

(1)ERのRDは341aa〜461aaに存在する

 ERのAF-1はリガンド非存在下でも転写活性を示すが、ER分子全体としてはリガンド存在下でのみ転写活性を示すことから、リガンド非存在下においてAF-1の活性を抑制する領域、RDがE領域の中に存在するのではないか、と考えた。この領域を同定するために、ERの様々な領域を削ったdeletion mutantを作成し、それぞれの転写活性を測定したところ、341aa〜461aaを欠くmutantでは、転写活性が高いことが明らかとなった。この結果は、341aa〜461aaの領域がAF-1の活性を抑制する領域、すなわちRDであることを示唆している。

(2)リガンド非存在下においてERにHsc70が結合する

 ERがリガンド非存在下において転写抑制因子と結合している可能性を考え、ERにリガンド非存在下で相互作用する因子を検索した。GST-ERカラムを作成し、HeLa細胞核抽出液よりこのカラムにリガンド非存在下でのみ特異的に結合するタンパク質を単離した。このフラクションをSDS-PAGEにて分離しアミノ酸配列を決定したところ、Hsc70であることが明らかとなった。

(3)Hsc70はERのRDに結合する

 Hsc70のERに対する結合領域を同定する目的で、ERのdeletion mutantsとHsc70をCos-1細胞に発現させ免疫共沈降法により結合領域を検討した。その結果、ER(1-461)およびER full(E2-)ではHsc70との結合が認められたが、ER(1-282)、ER(1-396)、ER(ΔRD, RDを欠くmutant)およびER full(E2+)では結合が見られなかった。以上のことより、Hsc70のERに対する結合領域は396aa〜461aaの領域、すなわちRDであることが判明した。

(4)Hsc70とERを細胞内に発現させ、その細胞内局在を検討した。その結果、RD領域を持たないmutantではERは核内、Hsc70は細胞質に局在していることが明らかになった。一方、RD領域を持つmutantをHsc70と共発現させた場合には、ERと共にHsc70の一部が核内にも存在することが判明した。

(5)Hsc70はAF-1とp300の相互作用を阻害する

 RD領域へのHsc70の結合がA/B領域へのp300のrecruitmentを阻害するのではないかと考え、両者の結合を検討した。細胞にERのdeletion mutant、p300、Hsc70を発現させ、免疫共沈降法によりこれらの結合を検討した。その結果、RDを持たないERではp300が、RD領域を持つmutantではHsc70がそれぞれ結合していることが明らかとなった。

<考察>

1Hsc70はERと核内で結合する。

 本研究では、E2非存在下においてERがHsc70と結合することにより、その転写活性が抑制されていることを示した。通常シャペロンコンプレックスは細胞質に存在するが、Hsc70とERの局在を調べた結果、Hsc70はERと共に核内に移行することが明らかとなった。この時にHsc70がHsp90、Hsp40と共に核内で複合体を形成しているか否かは明らかにはなっていない。GST-ERを用いたタンパク質精製ではHsc70しか取得されないことから、Hsc70はHsp90、Hsp40と複合体を形成することなく単量体でERに結合している可能性が高い。したがってHsc70は細胞質ではシャペロンコンプレックスに含まれるが、核内では単独で機能していることが考えられる。

2Hsc70はERA/B領域とAF-1転写活性化因子の結合を阻害する。

 本研究では、リガンド未結合型ERにHsc70が結合することによって、AF-1転写活性化因子であるp300とER A/B領域の結合が阻害されることを示した。他のAF-1転写活性化因子であるp72は、p160、SRAなどと共にp300と複合体を形成していることから、p72のA/B領域への結合がHsc70によって阻害される可能性も考えられる。

3ホルモン依存性腫瘍とHsc70

 主要女性ホルモンであるエストロゲンは、女性生殖器の維持・発達のみならず、ホルモン依存性腫瘍の増悪因子としても知られている。本研究の結果から、Hsc70の消失もしくはHsc70のERとの結合能の低下はERの恒常的な活性化を引き起こすものと考えられる。したがって、上記のようなHsc70の変化はホルモン依存性腫瘍の発症および増悪に関与する可能性が高い。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はエストロゲン依存性腫瘍である乳癌の発症・増悪において重要な役割を果たしていると考えられているエストロゲンレセプター(ER)に関して、リガンド非存在下における転写制御機構の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.リガンド非存在下において、ERのリガンド非依存的な転写活性化領域であるAF-1の転写活性を抑制している領域、repression domain(RD)を同定した。RDは、リガンド依存的な転写活性化領域であるAF-2内の、396アミノ酸から461アミノ酸の領域に存在することがわかった。

2.RDによるAF-1活性抑制に何らかの因子が介在している可能性を考え、AF-1 coactivatorであるp300に着目した。RDによってp300とAF-1との相互作用が阻害されるか否かを検討したところ、RDが存在するとp300を加えてもAF-1活性が現れないことがわかった。さらに、in vitroで同様の検討をしたところ、in vivoとは異なりRDが存在してもp300とAF-1との相互作用が阻害されないことが明らかになった。このことから、RDによるp300とAF-1の相互作用阻害には、何らかの細胞内因子が関わっている可能性が示唆された。

3.リガンド非存在下においてERに相互作用する因子を検索する目的で、GST-ERカラムを用いたER相互作用因子の精製を行った。この結果、リガンド非存在下において特異的に結合するタンパクが得られ、これを解析したところ、Hsc70(heat shock cognate protein70)であることが判明した。

4.リガンド非存在下において、ERのRDに結合してp300とAF-1の相互作用を阻害している何らかの細胞内因子が、ER相互作用因子の精製で得られてHsc70である可能性を考え、Hsc70のERに対する結合領域の同定を試みたところ、ERの396アミノ酸から461アミノ酸の領域、すなわちRDであることが判明した。

5.ERの様々な領域を削ったdeletion mutantに関して、それぞれに結合している因子がHsc70、p300のいずれであるかを検討したところ、ERの全長ではリガンド非存在下ではHsc70が、リガンド存在下ではp300が結合していることがわかった。また、deletion mutantにおいては、RDが存在するものではHsc70が、RD存在しないものではp300が結合していることがわかった。

 以上、本論文ではリガンド非存在下においてERのRDにHsc70が結合しており、p300とAF-1との相互作用を阻害することによって、ERの転写活性を抑制していることが示唆された。本研究は、これまで未知に等しかった、リガンド非存在下におけるERの転写制御機構の解明に、さらにホルモン依存性腫瘍の発症および増悪のメカニズムの解析にも貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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