学位論文要旨



No 118342
著者(漢字) 竹下,和秀
著者(英字)
著者(カナ) タケシタ,カズヒデ
標題(和) 大脳皮質における聴覚情報処理過程の小児期の発達 : 電気生理学的手法による研究
標題(洋) Development of cortical auditory processing in childhood : An electrophysiological study
報告番号 118342
報告番号 甲18342
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2149号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 講師 福田,倫明
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 要旨を表示する

I.はじめに

 ヒトの聴覚発達には、乳児期の単純な音に対する弁別能形成に加え、出生後の環境や学習によって獲得するより複雑な音の分析能力の発達が知られている。これまでの電気生理学的研究は、脳幹から大脳皮質までの聴覚の発達過程を示してきた。脳幹聴覚誘発電位(brainstem auditory evoked potential: brainstem AEP)は1歳から2歳の間にほぼ成人と同じ潜時に達するのにに対し、皮質レベルの聴覚情報処理過程を反映する長潜時AEPは思春期までの長い期間に亘って発達変化を遂げることが知られている。

 この皮質レベルでの変化は単に各成分の潜時や振幅だけの変化ではなく、波形自体に大きな変化を伴う。成人ではP50-N100-P200の三相波形からなり、その中でもN100は長潜時AEPの中で、最も安定して検出される成分で、皮質レベルの主要な外因性聴覚誘発反応と考えられている。これに対し、小児ではP100-N250からなる2相波が典型波形として知られてきた。この様に大きな波形変化が存在するため、同一の成分の発達変化を追うことはなかなか困難であった。結果として、これまでの研究では、小児期の長潜時AEP成分の潜時、振幅の報告にはばらつきが大きく、N100の発達経過についても十分明らかにされていなかった。

 波形同定が困難であった一つの要因として、これまでの小児のAEP報告では、0.6秒から1.0秒と比較的短かい刺激立ち上がり時間間隔(stimulus onset asynchrony: SOA)の音を用いていたことが挙げられる。Paetau、Ceponieneらは、より長いSOAを用いることによって、小児でも成人と同様にN100を検出しうることを示した。

 長潜時AEPを用いた発達過程の研究を困難にしていた他の要因として、AEPの形成に複数の大脳皮質領域が関わっていることが挙げられる。聴覚情報処理の発達変化を解明するためには、個々の発生源に分離して発達を議論する必要があるが、頭皮上よりの記録波形からすべての活動源を明らかにすることは困難である。ヒトの聴覚野は側頭平面及び上側頭回外側面に分布するが、それぞれの領域の活動に伴い、皮質面に垂直方向の等価電流双極子を想定することができる。そのため、各年齢層から記録し得たAEPについて、異なる方向を持つ成分に分離できれば、その方向成分毎に発達変化を議論することが可能と思われる。

 当研究では、学童期における大脳皮質レベルの聴覚情報処理活動の発達変化を電気生理学的な手法にて明らかにする。N100を低年齢層でも記録しやすいように、過去の研究よりも長いSOAを3種類用いている。脳波と脳磁図の同時記録波形を解析し、側頭平面由来の脳波と脳磁図の両方に反映される成分と上側頭回外側面由来の脳波のみに反映される成分に分けることで、複合電流源の発達変化を明らかにする。

II.実験方法

 6歳から14歳までの健常小児32名、および成人10名で聴覚誘発磁場反応(auditory evoked magnetic field: AEF)およびAEPの同時記録を施行した。非注意条件下に、1kHz,感覚閾値上60dB, 100msecの純音を左右交互に3種類のSOA(1.6,3.0,5.0秒)で提示した。AEFは右側頭部を中心に記録した。AEPは正中に置いた電極(Fz, Cz, Pz)で左耳を基準電極として記録した。AEFは各被験者のMRIを元に単一電流源を仮定して電流源解析を行った。AEP, AEFの各成分のうち、N100, N250とそれらの脳磁場成分であるN100m, N250mについて解析を行った。被験者を4つの年令グループ(6-8,9-11,12-14,21-33歳)にわけて、各測定値を統計解析を用いて比較した。

III.結果

 最も長いSOAの条件下(5.0秒)では、すべての被験者でN100とN100mを記録し得た。最も短いSOA条件下(1.6秒)では、12歳未満の年令群で、N100は84%(16/19)の被験者で、N100mは79%(15/19)の被験者でしか認められなかった。これに対し、N250とN250mはSOA5.0秒条件下において、14歳以下の小児群では、それぞれ94%(30/32)、91%(29/32)で認められたが、成人群では30%(3/10)、40%(4/10)にしか認められなかった。

 N100の潜時は70msecから120msecの間に分布し、長いSOA下で延長し(P<0.05)、年令上昇に伴い短縮が認められた(P<0.05)。

 N100の振幅は長いSOA下で増加し(P<0.0001)、9歳未満の年令群でその他の年令群よりも小さかった(P<0.05)。

 N100の分布は、9歳未満では正中線上、頭頂部優位に分布したが、9歳以上の年令群では、前頭部から中心部優位に分布しており、年齢群によって電位分布が異なった(P<0.05)。一方、N100mの等価電流双極子(equivalent current dipole: ECD)の方向はすべての年令群で一定であった。

 N250はN100とは対照的に、成人群で他の年令群よりも振幅の減少を認め(P<0.0001)、長いSOA下で振幅の減少が認められた(P<0.05)。N250mのECDは、N100mのECDよりも内側、前方、下方に位置し(P<0.0001)、Hesch1回付近に分布した。

IV.考察

 従来の小児のAEP研究では、N100の発現年令、潜時変化に関して、報告にばらつきが認められていた。原因として、低年齢群でのN250との分離の困難さが考えられる。今回の実験では、従来の実験よりも長いSOAを用い、N100を記録しやすい条件下にN100の発達経過を示した。AEPとAEFの同時記録を行った結果、N100のAEPの電位分布とAEFから求めたECDの方向の発達変化の間に差異が生じており、その原因として、9歳未満の年令群では、AEPの電流源のうち、頭表に対して法線方向の成分がおもに寄与していることが示された。法線成分の起源としては、上側頭回の外側面が推定された。聴覚皮質の解剖学的な発達変化は、思春期まで続くことが示されているが、今回の実験結果は、それらを電気生理学的に裏付け、聴覚情報処理過程の機能的な再構成が発達に伴い、進行することを示した。

 N250はAEPの小児特有の成分と考えられ、N100が認められなくても比較的安定して認められ、前頭-中心部優位の分布を示した。N100が長いSOAに対して増大するのに対し、N250は短いSOAで増大効果を示した。このことは、N250がN100とは独立した聴覚情報処理過程を担っていることを示唆している。N250が成人になると急速にその振幅が減少し出現率が低下することから、成熟した聴覚情報処理を獲得するまで小児期に一時的に発現する必須の成分であることが示唆された。

V.まとめ

 長いSOA条件下であれば、AEPのN100成分は安定して6歳以上で認めることを示した。年少児ではN100の起源としておもに法線方向の電流源、すなわち上側頭回外側面の寄与が大きかった。N250はN100と異なる電流源を持ち、小児期に特有の聴覚情報処理過程に関わることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、従来解明されていなかったヒトの大脳レベルの聴覚情報処理過程における発達変化を明らかにする目的で、小児被験者を対象にして聴覚誘発電位(Auditory evoked potential,以下AEP)と聴覚誘発磁場(Auditory evoked magnetic field,以下AEF)を初めて同時に記録し報告したものであり、下記の結果を得ている。

 1.AEPとAEFの波形の発達変化

 従来小児を対象としたAEPの研究では、成人とその波形が大きく異なるために、同一成分の発達に伴う変化の追跡が困難とされていた。このため潜時約100msecの陰性成分N100の発現年令、潜時変化に関して、報告にばらつきが認められていた。これは、低年齢被験者においてN100と潜時約250msecの陰性成分N250の分離が困難なことが主な原因と考えられた。本研究では従来の研究よりも長い刺激立ち上がり間隔(stimulus onset asynchrony,以下SOA)を3種類(1.6秒、3.0秒、5.0秒)用いて6歳以降の年齢分布が連続した被験者を対象にAEPとAEFの同時記録を施行した。これにより6歳児で既にAEP波形は安定して記録され、少なくともこの年齢以降において、大脳レベルの聴覚情報処理過程の発達変化が追跡可能であることが示された。最も短いSOA条件下(1.6秒)においてN100およびN100に相当するAEFの成分であるN100mは、12歳未満の年齢群でN100は84%(16/19)の被験者で、N100mは79%(15/19)の被験者でしか認められなかった。一方、最も長いSOAの条件下(5.0秒)では、すべての被験者でN100とN100mを記録し得た。これに対し、N250とN250mはSOA5.0秒の条件下において、15歳未満の小児被験者群では、それぞれ94%(30/32)、91%(29/32)で認められたが、成人被験者群では30%(3/10)、40%(4/10)にしか認められなかった。

 2.AEPとAEFの潜時の発達変化

 N100、N100mの潜時は70msecから120msecの間に分布し、年令上昇に伴い短縮が認められた(P<0.05)。これは従来の報告よりも潜時が短く、またばらつきが小さい結果であった。一方N250、N250mの潜時は年齢変化に対して、有意差を認めなかった。

 3.N100の電位分布とN100mの等価電流双極子(Equivalent current dipole,以下ECD)の発達変化の比較

 N100の分布は、9歳未満では正中線上、頭頂部優位に分布したが、9歳以上の年令群では、前頭部から中心部優位に分布しており、年齢群によって電位分布が異なった(P<0.05)。一方、N100mのECDの方向はすべての年令群で一定であった。N100の電位分布とN100mのECDの間に年令発達に伴う変化の間に差異が生じており、その原因として、9歳未満の年令群では、N100の電流源のうち、脳磁場計測ではとらえにくい、頭表に対して法線方向の成分、すなわち上側頭回外側面由来の成分がおもに寄与していることが示された。今回の研究結果により、これまで解剖学的な研究によって示されてきたヒト聴覚野の成熟変化が電気生理学的に裏付けられ、聴覚情報処理過程の機能的な再構成が発達に伴って思春期まで進行することが示された。

 4.N100およびN100mとN250およびN250mの発達変化の比較

 N100は年齢発達が進むほど振幅が増大し(P<0.05)、また長いSOA条件ほど振幅が増大した(P<0.0001)。一方、N250は、年齢発達が進むほど振幅が減少しており(P<0.0001)、長いSOA下で振幅が減少していた(P<0.05)。N250に対するSOAの影響は低い年齢群ほど著明であった。N250mのECDは、N100mのECDよりも内側、前方、下方に位置し(P<0.0001)、Heschl回付近に分布した。以上の結果より、N250はN100とは独立した聴覚情報処理過程を担っており、成熟した聴覚情報処理を獲得するまで小児期に一時的に発現する必須の成分であることが示された。

 以上、本論文は、学童期以降における聴覚情報処理機構の成熟過程を、電気生理学的手法にて明らかにした。本研究は言語認知発達研究の基礎的な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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