学位論文要旨



No 118345
著者(漢字) 渡辺,徳光
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,トクミツ
標題(和) 血管平滑筋細胞の増殖、細胞死における核内受容体の役割 : エストロゲン受容体、NGFI-Bの検討
標題(洋)
報告番号 118345
報告番号 甲18345
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2152号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 講師 関根,孝司
内容要旨 要旨を表示する

 血管平滑筋細胞(VSMC)の増殖は動脈硬化の発症、進展における重要なステップの一つであり、また冠動脈形成術後の再狭窄においても新生内膜肥厚は中膜VSMCの遊走、増殖が主要な病態とされている。一方、そのような病態において細胞増殖のみならず細胞死、すなわちアポトーシスが存在することが知られている。これらVSMCの増殖やアポトーシスにおいて多くの転写因子が関与しているが、今回我々は2つの核内受容体に注目して検討を行った。一つはエストロゲン受容体(ER)である。エストラジオール(E2)は血管壁への直接的作用としてVSMCの増殖抑制作用をもつことは私の所属する研究室も含め、すでに報告されている。近年新しく同定されたサブタイプERβは、ERαとは臓器によっては異なる性質を有する。VSMCでは両ERサブタイプが発現しており、E2の増殖抑制作用はERを介している。しかし、いずれのサブタイプが重要なのかはin vitroにおいて報告はなく、今回はまずその点について検討を加えた。さらに、Nerve Growth Factor Induced-B(NGFI-B)についてVSMCのアポトーシスとの関連を検討した。NGFI-Bはラット褐色細胞腫細胞において神経成長因子で誘導される遺伝子として同定された。この遺伝子は構造上ステロイドレセプタースーパーファミリーに属し、現在までそのリガンドが不明なオーファン受容体での一つでありその機能についてはほとんど不明である。近年NGFI-BがT細胞のアポトーシスにおいて必須であることが報告され、その後癌細胞のアポトーシスとの関連も明らかとなっている。しかし、VSMCにおけるNGFI-Bの発現と機能については知られていない。そこで今回、VSMCでのNGFI-B遺伝子の発現とVSMCのアポトーシスにおける関与について検討した。今回2つの核内受容体について検討を行ったためパートを2つに分け、パートIをエストロゲンのVSMC増殖抑制作用におけるエストロゲン受容体サブタイプの役割、パートIIを抗酸化剤Pyrrolidinedithiocarbamateで誘導されるVSMCのアポトーシスにおけるオーファン核内受容体NGFI-Bの役割と題して別個に考察を加えた。

 実験にはラットVSMCを使用した。パートIではヒトERα、ERβとERβのドミナントネガティブ変異型を、パートIIではNGFI-Bを組み込んだ複製欠失型アデノウイルスベクターを作成し、それぞれAxCAERα、AxCAERβ、AxCAERDNβおよびAxCANGFI-Bと命名した。アデノウイルスの感染はウイルスを2時間VSMCに曝露させ、その後各実験を行った。増殖実験は、VSMCを増殖停止させ、24時間後E2を含む5%血清で刺激し、[3H]-thymidine取り込みと細胞数の算定により検討した。VSMCのアポトーシスは細胞密度によって規定されていることが報告されており、今回の検討では低および高細胞密度下で細胞を培養しPDTCで処理した。アポトーシスの形態はHoechst 33258で染色して観察し細胞数を計測した。他のアポトーシスの定量的解析としてフローサイトメトリーにてFITC陽性propidium iodide陰性をアポトーシス細胞として算出、DNA断片を検出するEIA法を用いてヒストン関連DNA断片を計測、および3-(4,5-dimethyl thiazol-2-yl)-2,5-diphenyl tetrazolium bromide(MTT)Assay法の3つを用いた。

 パートI:ラットVSMCでのERαおよびERβの内因性の発現をRT-PCRで確認した。また、E2はVSMCの増殖を用量依存的に抑制することを確認した。次にVSMCへAxCAERα、AxCAERβおよびAxCADNERβを感染させE2のVSMC増殖抑制作用に対する影響を検討した。ERβ過剰発現VSMCはE2非存在下ではDNA合成は変化しなかったが、100nmol/LのE2存在下で非存在下と比較して強力にmultiplicity of infection(MOI)依存的にDNA合成を抑制した。一方、AxCAERαを10MOI以下で感染させたVSMCではDNA合成の抑制作用はE2の存在下でもほとんど増強がみられなかった。これに並行して、48時間5%血清で刺激したVSMCの細胞数の増加率は、ERβ過剰発現VSMCではE2の存在下で有意に減少したが、LacZまたはERα過剰発現VSMCにおいては減少を認めなかった。ERβ過剰発現VSMCでの抑制作用が実際にERβを介していることを検討するために、ERβ過剰発現VSMCにAxCAERDNβを共感染させた。AxCAERβを単独で感染させたVSMCはDNA合成を約70%減少させたが、AxCAERDNβの共感染によりMOI依存的にその抑制作用は減弱した。さらに、ERβのVSMC増殖抑制作用におけるERαの効果を検討した。10MOIのAxCAERβで感染させたVSMCに対する10MOIのAxCAERαの共感染は増殖抑制作用に対して影響を与えなかった。細胞周期制御因子サイクリンAについて、100nmol/LのE2添加18時間後の発現を検討した。血清刺激によってサイクリンAの発現は増加したが、ERβ過剰発現VSMCではE2の添加によってサイクリンAの発現は減弱した。一方、LacZあるいはERα過剰発現VSMCではE2の添加によるサイクリンAの蛋白発現は有意な抑制はみられなかった。これによりサイクリンAはVSMCのERβに対する応答遺伝子の一つである可能性が明らかになった。

 ERβがVSMCの増殖制御に関与する直接的な証拠が本研究によって初めて示された。ERαに関しては、血清刺激せずにERαを感染させても増殖促進には働かないこと、両ERサブタイプをVSMCに共感染させたときERβの増殖抑制作用に影響を与えないこと、ERαを30あるいは100MOIといった高濃度で感染させると抑制作用が現れることから、ERαはVSMCの増殖において弱い抑制作用を持つ可能性が考えられた。以前に報告されたERのノックアウトマウスを用いた血管障害モデルでの検討からはERサブタイプの役割についてはいまだ結論に至っていない。今後ERβの作用についてラット頚動脈にERβを過剰発現させた血管傷害モデルで検討する予定である。

 パートII:VSMCを低あるいは高細胞密度下の条件でPDTCにより処理すると、既報のとおり低細胞密度下においてのみ24時間後にアポトーシスが誘導された。1μMのPDTC添加によるNGFI-Bの発現の経時的変化を検討した。低細胞密度下ではPDTC添加1時間後にはmRNAの発現を認め、その後6時間後をピークに12時間後まで持続した。一方、高細胞密度下ではmRNAの発現は2時間をピークとして一過性であり、PDTC添加4時間後には基準値に戻った。両細胞密度下で蛋白発現の誘導はmRNA発現とほぼ同様の挙動を示した。低細胞密度下でNGFI-BのmRNA発現とEIA法あるいはMTTアッセイから計測したアポトーシスの程度との間に強い相関が認められた。以上よりNGFI-Bの発現はPDTCにより誘導されるVSMCのアポトーシスと関連している可能性が示唆された。VSMCのアポトーシスを誘導する他の薬剤、3-hydroxy-3-methylglutaryl coenzyme A reductase inhibitors、sodium nitroprussideはNGFI-B mRNAの発現誘導を全く認めなかった。したがってNGFI-B mRNAの発現誘導はアポトーシスの誘導過程において必ずしも必須ではないことが示唆された。NGFI-Bを過剰発現させたVSMCでは細胞密度に関係なくアポトーシスは誘導されず、PDTCによるアポトーシスの誘導にも有意には影響を与えなかった。

 NGFI-Bの発現が遷延した場合にのみアポトーシスが起きるという今回の結果はWoronicz JDらのT細胞ハイブリドーマにおける報告と同様であった。肺癌細胞や前立腺癌細胞のアポトーシスにおいてもNGFI-B mRNAの発現は持続するという同様の報告もある。NGFI-B遺伝子の持続発現が低細胞密度下のPDTCで誘導されるVSMCのアポトーシスと関連していることを示したが、これはVSMCのアポトーシスに必須のものではなくPDTCのみがNGFI-Bを誘導するメカニズムは不明である。また、NGFI-B発現とVSMCアポトーシスとの因果関係は明らかにできなかった。今後アンチセンスあるいはドミナントネガティブ変異型の過剰発現といった手法を用いたNGFI-Bの抑制実験が必要である。

 本研究はVSMCの増殖、細胞死という動脈硬化において重要なステップについて、核内受容体による調節機構の側面から検討を行った。結果として(1)エストロゲンによるVSMC増殖抑制にはERαよりもERβが強く関与し、その下流にサイクリンAの発現を抑制する機序が存在すること、(2)心血管系ではほとんど検討を加えられていなかったNGFI-B遺伝子がVSMCのアポトーシスに関与すること、の2点が示された。今後このようなメカニズムを紐解くことから新しい知見が得られ、動脈硬化に対する治療の応用へ結びつくものであると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 血管平滑筋細胞(VSMC)の増殖およびアポトーシスは、動脈硬化の発症、進展や冠動脈形成術後の再狭窄における重要な役割を演じていると考えられているが、その細胞内メカニズムには多くの転写因子が関与している。本研究はそのなかで2つの核内受容体、エストロゲン受容体(ER)およびNerve Growth Factor Induced-B(NGFI-B)、に注目して検討を行い、下記の結果を得ている。

1.VSMCでは内因性のERα、ERβの両サブタイプとも発現していることをRT-PCRで確認し、ERのリガンドであるエストラジオール(E2)が血清刺激によるVSMCの増殖を抑制することを確認した。作製したヒトERα、ERβのcDNAを組み込んだアデノウイルスベクターをVSMCに過剰発現させ同様に血清刺激した。ERαを感染させた細胞では30MOI以下ではエストロゲン存在下でほとんど抑制作用に増強は認められなかったが、一方、5MOI以上のERβを感染させた細胞ではエストロゲン存在下で50%以上の抑制増強作用を認め、ERβのドミナントネガティブ変異体を共感染させるとその作用は減弱した。細胞周期制御因子の一つである、サイクリンAについて、E2添加18時間後の発現をWestern blottingで検討したところ、血清刺激によってVSMCでのサイクリンAの発現は増加した。ERβ過剰発現VSMCではE2存在下で、そのサイクリンAの発現は減弱したが、ERα過剰発現VSMCでは変化を認めなかった。これらの結果からE2のVSMC増殖抑制作用においてERαよりもERβがより強く関連し、その下流の応答遺伝子の一つにサイクリンAが挙げられる可能性が示された。

2.VSMCを低あるいは高細胞密度下の条件でPyrrolidinedithiocarbamate(PDTC)により処理すると、既報のとおり低細胞密度下においてのみ24時間後にアポトーシスが誘導された。PDTC添加によるNGFI-Bの発現の経時的変化を検討したところ、低細胞密度下では添加1時間後より発現し、その後、強力かつ持続した。一方、高細胞密度下では一過性であり、また、発現レベルは低値であった。低細胞密度下でNGFI-BのmRNA発現とEIA法あるいはMTTアッセイから計測したアポトーシスの程度との間に強い相関が認められた。VSMCのアポトーシスを誘導する他の薬剤ではNGFI-B mRNAの発現誘導は全く認められず、VSMCのアポトーシスの誘導過程において必ずしも必須ではないことが示唆された。NGFI-Bを過剰発現させたVSMCでは細胞密度に関係なくアポトーシスは誘導されず、PDTCによるアポトーシスの誘導を若干増強させたものの統計学的に有意ではなかった。以上より、直接的な因果関係は明らかにできなかったが、NGFI-Bの発現はPDTCにより誘導されるVSMCのアポトーシスと関連している可能性が示唆された。

 以上、本論文はVSMCの増殖、細胞死について、核内受容体による調節機構の側面から検討を行った。エストロゲンによるVSMC増殖抑制にはERαよりもERβが強く関与し、その下流にサイクリンAの発現を抑制する機序が存在すること、心血管系ではほとんど検討を加えられていなかったNGFI-B遺伝子がVSMCのアポトーシスに関与すること、の2点が示された。今後このようなメカニズムを紐解くことから新しい知見が得られ、動脈硬化に対する治療の応用へ結びつくものであると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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