学位論文要旨



No 118349
著者(漢字) 瀧川,拓人
著者(英字)
著者(カナ) タキカワ,ヒロト
標題(和) 原発性肝癌に特異的な遺伝子導入法の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 118349
報告番号 甲18349
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2156号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学医科学研究所 教授 齋藤,泉
 東京大学 助教授 國土,典宏
 東京大学 講師 下山,省二
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

 肝細胞癌(hepatocellular carcinoma: HCC)に対しては現在外科的切除の他、経皮経肝エタノール注入療法、肝動脈塞栓療法・肝動注化学療法、マイクロ波凝固療法、ラジオ波熱焼灼療法、冷凍凝固療法等が病状に応じあるいは医師の得意に応じ選択されるが、依然として予後不良な癌の一つである。肝切除術が安全に施行されうる今日、手術による治療成績は向上しており外科的切除の適応とされるHCC症例において他の治療法が手術療法に優るという証左は無い。

 しかしながらHCCの背景には慢性肝炎・肝硬変が存在するため残肝機能等の問題から手術適応から外れることも多く、また診断の時点で外科切除以外の各種治療の適応から外れるほど進行している場合も少なくない。治療予後不良あるいは治療困難症例が多いHCCは次世代の治療法として期待される遺伝子治療の対象疾患であると考えられる。

 HCCの約80%で高レベルのAFPが産生されており、AFPはHCCに特異的な腫瘍マーカーとして一般に認められている。これを利用してAFPプロモーターを用いて遺伝子の転写を行う方法は、その遺伝子発現の高い特異性において優れているが、十分な量の蛋白発現が得られず、遺伝子治療実験にも困難が伴い、臨床応用までには結びつかないのが現状である。

 アデノウィルスベクターを用いて、Cre/loxP制御システムを応用した二重感染法による発現の増強は各種遺伝子を選択的に導入できる応用性に優れた方法であるが、その遺伝子発現量はCAGプロモーター等汎用性の高いプロモーターにはまだ及ばない。一方で特異的プロモーター下に転写活性因子を導入発現させることによってプロモーター強度を上昇させる方法が報告されている。

 本稿では上記2種の系を組み合わせ、HCCに対する高い特異性を保持しつつ導入遺伝子の発現量を増強させることを目的として行われた実験内容およびその成果について報告する。

<材料と方法>

1.使用細胞株:ヒト肝細胞癌に由来する2種の細胞株であるAFPを産生する細胞株HuH7とAFP非産生細胞株であるHLFとにおけるlacZ遺伝子の導入及びその遺伝子産物であるβ-ガラクトシダーゼの発現について検討した。

2.プラスミド・コスミド・アデノウィルスベクターの構築:AFPプロモーター[(AB)1S6]と単純ヘルペスウィルス由来の転写活性領域であるVP16とDNA結合領域であるLexAとを繋いだキメラ転写活性因子VP16LexAを結合したプラスミドpAF1VP16LexAを構築した。また、7回反復するLexAの結合部にAFPプロモーターとCre遺伝子を繋げたプラスミドpSKII+7L-AF1NCreを構築した。

 これらプラスミドを後にCOS-TPC法にてアデノウィルスベクターに組み入れる必要上、コスミドpAxCW46結合し、各々pAxAF1VP16LexA、pAx7L-AF1NCreと呼称した。

 上記2種のコスミドを用いCOS-TPC法に従い2つの組み換えアデノウィルスベクターAxAF1VP16LexA、Ax7L-AF1NCreを作製した。

 この他に以下の3種のアデノウィルスベクターを用いている。

 AxCALNLlacZはβ-ガラクトシダーゼを発現するアデノウィルスベクターで、Crerecombinaseの存在下で強力で汎用のCAGプロモーターがlacZ遺伝子と直接結合して作用する。AxCAZはCAGプロモーターとlacZ遺伝子とが結合したアデノウィルスベクターである。AxAFPZはAFPプロモーターとlacZ遺伝子とが結合したアデノウィルスベクターである。

3.対象細胞株における遺伝子の発現と細胞毒性の測定:HuH7とHLFの各細胞株につき、AxCAZまたはAxAFPZをmultiplicity of infection(MOI)0.1から300の範囲で感染させた。HuH7についてはAxCALNLlacZ(MOI10)とAx7L-AF1Ncre(MOI0.1-300)の共感染も施行した。感染48時間後に細胞は0.1%5-bromo-4-chloro-3-indolyl-beta-D-galactopyranoside(X-gal)を用いて染色され、β-ガラクトシダーゼが発現し青染された細胞数の割合を鏡視下で計測し、これと同時にプレートに接着している細胞を生細胞としてこの数を測定した。

4.遺伝子導入プロトコルとその発現効率の評価:HuH7とHLFの各細胞株につきAxAF1VP16LexAをMOI60または100で感染させた群と非感染群の計3群を設定した。その24時間後にAxCALNLlacZとAx7L-AF1NCreとを同時に感染させた。AxCALNLlacZは各群共通にMOI30で感染させた。Ax7L-AF1NCreの感染量はAxAF1VP16LexA先行感染群ではMOI100、AxAF1VP16LexA非感染群ではMOI100,160,200とした。さらにその48時間後にβ-ガラクトシダーゼの発現に関し、X-gal染色にて定性評価を、Luminescent beta-gal Genetic Reporter System II(CLONTECH, Palo Alto, CA, U.S.A.)を用いてルミノメトリーにて定量評価を行った。

<結果>

 HuH7、HLFともAxCAZをMOI10で感染させると80%以上の細胞が染色される。HuH7に対しAxAFPZをMOI300で感染させると3分の1の細胞が染色される。HLFに対しAxAFPZを感染させても細胞は染色されない。一方でHuH7、HLFに対し治療遺伝子の組込まれていないアデノウィルスベクターをMOI30で感染させるとその細胞の半数が活性を失っている。

 AxCALNLZとAx7L-AF1NCreとを用いての二重感染法ではMOI1〜30の範囲においてAxAFPZ単独感染に優っている。しかしながら、MOI30においても半数以上の細胞が染色されていない。

 転写活性因子共感染法を用いた場合に関しては、lacZ遺伝子の発現はX-gal染色の他にルミノメトリーによる定量評価を行った。HuH7に対しAx7L-AF1NCreをMOI100で感染させた群(総MOI130)、Ax7L-AF1NCreをMOI160で感染させた群(総MOI190)と比較し、AxAF1VP16LexA(MOI60)とAx7L-AF1NCre(MOI100)を共感染させた群(総MOI190)ではX-gal染色により、より強く染色されている。一方でHLFにおいてはいずれの群でもほとんど染色されなかった。定量評価では、AxAF1VP16LexAを感染させ転写活性因子を導入した群では非感染群に比べβ-ガラクトシダーゼ発現量が3倍に上昇した。細胞特異性は各感染群におけるHuH7とHLFとの間の比較で評価されるが、AxAF1VP16LexA感染群において57〜330倍とAFP産生細胞であるHuH7特異的にβ-ガラクトシダーゼが発現しており、これは非感染群における84〜520倍に遜色が無かった。また、AxAF1VP16LexAをMOI60で感染させた群とMOI100で感染させた群との間に有意な差は認められなかった。

<考察>

 AFPプロモーターのAFP産生細胞に対する特異性に関しては満足のいくものであった。しかし一方でAFPプロモーターの効果はCAG等汎用強力なプロモーターを用いた場合に比べ十分なものではなかった。その上in vitro実験において治療遺伝子を組み込んでいないアデノウィルスベクターをMOI30で感染させると、細胞増殖がおよそ半分に抑制される。これはベクター自体に因る細胞毒性のためであるが、これにより腫瘍選択性が損なわれるというdilemmaが存在し、in vitroおよびin vivoでの遺伝子治療実験が困難なものとなっている。

 この問題を克服する手段として以下の2つの可能性があると考えられる。すなわち、1.細胞毒性の殆ど無いベクターの開発、2.ベクター投与量を減らす目的におけるAFPプロモーターの強度増強法の開発、であるが、今回は後者のモデルを構築することができた。

 ルミノメトリーによるβ-ガラクトシダーゼの定量では転写活性因子を導入した群においては、対照群に比べその発現量が概ね3倍に上昇している。しかしながら、AxAF1VP16LexAの感染量がMOI100の場合と60の場合とで差が認められなかった。これはAxCALNLZをMOI30で感染させて導入されたlacZ遺伝子が最大限に発現したという可能性が考えられるが、その場合Crerecombinaseの発現量はAxAF1VP16LexA(MOI60)の共感染系において3倍以上になっている可能性が考えられる。

 加えて本研究におけるもう1つの大きな特徴は、プロモーター強度増強の一方、AFP産生細胞に対する非常に高い遺伝子発現特異性が損なわれていないという点である。これには転写活性因子の発現にも組織特異的プロモーターを用いたことが寄与していると考えられる。

 本研究で示したAFPプロモーターと転写活性因子を用いた特異的遺伝子発現の増強法はHCCの遺伝子治療に有用で、AFPを産生する他の癌腫にも応用可能と考えられる。このモデルは今回adenovirus vectorで呈示したが他の遺伝子導入法あるいは次世代のベクターにおいても応用可能である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は現在でもなお予後不良な原発性肝癌に対する次世代の治療法として期待される遺伝子治療に関し、肝癌細胞において特異的に遺伝子発現を起こすα-フェトプロテイン(AFP)プロモーターの弱点であるプロモーター強度を増強する系の開発を目的としたものであり、下記の結果を得ている。

1.AFP産生および非産生の2種類の培養肝癌細胞株に対するアデノウィルスベクターとAFPプロモーターの組合せによりLacZ遺伝子を導入し、遺伝子導入効率、遺伝子発現効率、細胞増殖阻害効果についての検討を行った。アデノウィルスベクターは、肝癌細胞株に対して優れた遺伝子導入効率を有し、汎用強力なCAGプロモーター下では、高い遺伝子産物の発現を実現した。これに対してAFPプロモーター下では、AFP非産生細胞では遺伝子発現が認められず、AFP産生細胞に対する高い特異性が認められた。しかし、AFP産生細胞HuH7に対しAxAFPZをMOI30で感染させた場合でも、3分の1の細胞しか染色されず、そのプロモーター強度は不十分であると考えられた。一方、肝癌細胞株はアデノウィルスベクターによる感染そのものにより容易に傷害を受け、細胞増殖が抑制されることがわかり、この細胞毒性によりAFP産生細胞に対する細胞選択性が相殺されることが、アデノウィルスベクターとAFPプロモーターの組合せによる遺伝子治療戦略上問題点となることが明らかになった。

2.Sato et al.の報告したCre/loxP制御システムを応用した二重感染法に基づいて、AFPプロモーターを有し、導入細胞においてCre recombinaseを発現するアデノウィルスベクターAxAFPNCreとCre recombinaseの存在下でβ-ガラクトシダーゼを発現するアデノウィルスベクターAxCALNLlacZとの共感染による遺伝子発現に関してAxAFPZ単独感染を行った場合との比較検討を行った。この方法は低感染量においては有効であったが、高感染量では効果は乏しく、AFPプロモーターにおいてはAFP産生細胞に対する特異性は保たれていたが、なお遺伝子発現量は不十分と考えられた。

3.AFPプロモーターの強度を高める目的で、転写活性因子VP16LexAとAFPプロモーターを組み合わせる系を考案し、これに従い新規プラスミドを合成し、AFP産生細胞株において特異的に転写活性因子VP16LexAを発現するアデノウィルスベクターAxAF1VP16LexAを作製した。同時に、転写活性因子VP16LexAの結合部を有し、AFPプロモーターとCre遺伝子を組み合わせて新規プラスミドを合成し、VP16LexAが結合することにより増強するAFPプロモーターの作用でCre recombinaseを高発現するアデノウィルスベクターAx7L-AF1NCreを作製した。

4.AFP産生細胞とAFP非産生細胞それぞれに関し、2種類の新規アデノウィルスベクターAxAF1VP16LexA、Ax7L-AF1NCreを用いてAxCALNLlacZとの共感染させることとした。この系は、転写活性因子によるAFPプロモーターの増強法とCre/loxP二重感染法との組合せ効果を有すると考えられ、その効果を従来法と比較検討した。X-gal染色を行った結果、AFP産生肝癌細胞HuH7に対して、AxAF1VP16LexA、Ax7L-AF1NCre、AxCALNLlacZ同時感染の場合には染色の程度に明らかな差が認められなかった。AxAF1VP16LexAを先行感染させた場合には、その感染量がMOI30の場合には明らかな差を認めなかったが、Ax7L-AF1NCreをMOI100で感染させた群、MOI160で感染させた群と比較し、AxAF1VP16LexA(MOI60)とAx7L-AF1NCre(MOI100)を共感染させた群では染色細胞数、染色の程度とも明らかに増強していた。一方、AFP非産生肝癌細胞HLFにおいてはいずれの群でもほとんど染色されなかった。ルミノメトリーによる定量評価では、AFP産生細胞HuH7に対してAxAF1VP16LexAを感染させた群では非感染群に比べβ-ガラクトシダーゼ発現量が2.8〜3.1倍に上昇していた。AxAF1VP16LexA感染群においてAFP産生細胞HuH7におけるβ-ガラクトシダーゼの発現は、AFP非産生細胞HLFに比べ57〜330倍と特異的に発現していることがわかった。これは対照となる非感染群に対して84〜520倍の発現がみられたことに遜色が無かった。

 以上、本論文は肝癌細胞において、AFPプロモーターと転写活性因子を用いた、新たな特異的遺伝子発現の増強法を示した。また、本研究における大きな特徴は、プロモーター強度増強が得られた一方、AFP産生細胞に対する非常に高い遺伝子発現特異性が損なわれていないという点である。今なお臨床応用への道のりは険しいが、本研究の結果は他の遺伝子導入法あるいは次世代のベクターにおいても応用可能であり、原発性肝癌あるいはAFPを産生する他の癌腫に対する今後の遺伝子治療に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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