学位論文要旨



No 118350
著者(漢字) 野崎,浩二
著者(英字)
著者(カナ) ノザキ,コウジ
標題(和) Helicobacter pylori感染スナネズミ腺胃発癌モデルにおける修飾要因の解析
標題(洋)
報告番号 118350
報告番号 甲18350
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2157号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 講師 下山,省二
内容要旨 要旨を表示する

研究1Hp単独感染がスナネズミ胃粘膜に及ぼす影響

 Helicobacter pylori(Hp)感染はヒト胃粘膜病変の発生・進展に関与する重要な病原因子である。さらに胃癌患者におけるHp感染率は対照群に対して有意に高率であること、またHp感染率の高い地域では胃癌の罹患率も高率であることが示され、Hp感染が胃癌発生にも大きく影響することが疫学的に証明されたが、動物モデルでの実験的発癌におけるHp感染の役割については、未だ不明な点が多い。一方、スナネズミ(Mongolian gerbils=Meriones unguiculatus)には安定したHp感染が成立し慢性活動性胃炎・消化性潰瘍・腸上皮化生などヒトに類似した病変が発生するため、Hp感染が胃粘膜に及ぼす影響を調べる上で理想的な実験モデルとなると考えられる。この動物モデルにN-methyl-N-nitrosourea(MNU)やN-methyl-N'-nitro-N-nitrosoguanidine(MNNG)を投与した腺胃発癌モデルによる過去の検討では、Hp非感染群に対してHp感染群での発癌率が著明に高く、さらに感染後にHp除菌を施した群では、非除菌群に対して発癌率が有意に抑制されることが報告され、Hp感染がこのモデル発癌に対して促進的に作用することが実験的に示された。また、これらの実験においては高分化型腺癌・低分化型腺癌・印環細胞癌など各組織型の癌が確認され、さらに脈管への転移像も観察されるなど、発癌実験モデルとしての有効性が考察されている。

 一方、この動物モデルにおいては、Hp単独感染によって、粘膜筋板を破り粘膜下へ進展する異所性増殖性腺管が高頻度に発生することが知られており、それらは時に高分化型腺癌との鑑別が困難であるが、その病理組織学的な鑑別診断について明確に記載した報告はみられない。Hp感染単独でもスナネズミ胃粘膜に高分化型腺癌の発生を高率に認めたという報告や、Hp感染単独で低分化型腺癌の発生を1匹のみに認めたという報告も散見され、Hp単独感染による発癌率およびその組織型についての結論は論文により結果が著しく異なっている。粘膜下へ進展する異所性増殖性腺管に対する診断の相違がその要因の一つとして挙げられており、この動物モデルを用いた解析を行う上で、このモデルの胃癌を明確に規定する普遍的な病理学的診断基準の確立が必要と考えられる。従って、本研究ではスナネズミ胃粘膜における異所性増殖性腺管Heterotopic Proliferative Gland(HPG)を定義し、Hp長期感染群及び除菌群におけるそれらの病理学的特徴を解析する目的に以下の検討を行った。

 1群(n=9)と2群(n=4)は非感染群とし実験50週ないし100週で屠殺した。3(n=10)4(n=18)5(n=13)6(n=21)群には7週齢で約1.0x108colony-forming units(cfu)のHp ATCC43504株(cagA+, vacA+)を経口感染させ、それぞれ実験25、50、75ないし100週の時点で屠殺した。7群(n=16)及び8群(n=13)は同様にHpを感染させた後、実験75週ないし50週でLansoprazole、Amoxicillin及びClarithromycin(各10,3,30mg/kgを計4回経胃投与)の3剤併用プロトコールによるHp除菌を行い、共に実験100週すなわち除菌後25週ないし50週で屠殺した。各群とも24時間絶食後、5-bromo-2'-deoxyuridine(BrdU)(100mg/kgBW)を腹腔内投与し、1時間後にether深麻酔にかけ開腹し腺胃を摘出した。得られた腺胃標本にhematoxylin and eosin(HE)染色、Alcian blue-periodic acid Schiff(AB-PAS)染色、paradoxycal concanavalin A(PCS)染色、BrdU免疫染色、及び抗Hp免疫染色の各染色を行った。Hp感染の判定はHE標本および抗Hp免疫染色標本にて行った。腺管構成細胞の分化形質はHE染色所見および、PCS染色にて黄染するIII型の胃型幽門腺粘液を産生する胃型細胞、刷子縁を有する腸型吸収上皮細胞やAB-PAS染色でAlcian blue優位となる腸型杯細胞の有無を観察し判定した。さらに全個体の標本につきmappingを行い、異所性増殖性腺管(HPG)の面積(mm2)及び胃底腺領域で壁細胞が占める面積(mm2)を、対物micrometerを用いて各々40倍の視野での0.015625mm2の格子、ないし20倍視野での0.0625mm2の格子を元に各々の総面積を計測し、腺胃切片長の合計(cm)を分母とする除算を行った。

 その結果、構成細胞の全てが胃型の形質を有する粘膜下異所性増殖性腺管の平均面積(/単位切片長)は、1-8群でそれぞれ0.000,0.000,0.067,0.106,0.027,0.032,0.006および0.005(mm2/cm)であった。さらに胃腸混合型または腸型の形質を有する粘膜下異所性増殖性腺管の平均面積(/単位切片長)はそれぞれ0.000,0.000,0.021,0.035,0.622,0.644,0.209および0.035(mm2/cm)であった。粘膜下異所性増殖性腺管全体の平均面積(/単位切片長)はそれぞれ0.000,0.000,0.088,0.140,0.649,0.676,0.215および0.038(mm2/cm)であり、6群と7群(P<0.05)、および6群と8群(P<0.0001)の間に統計学的有意差を認めた(Mann-Whitney's U test)。壁細胞の占める領域の平均面積(/単位切片長)はそれぞれ2.169,2.513,1.294,0.790,0.721,0.720,1.836および2.181(mm2/cm)であり、1群と4群(P<0.0001)、2群と6群(P<0.0005)、6群と7群(P<0.0001)、および6群と8群(P<0.0001)との間に統計学的有意差を認めた(Mann-Whitney's U test)。

 組織学的には、非感染対照群(1郡および2群)には異所性増殖性腺管の発生は観察されず、Hp感染25週群(3群)では、III型胃型粘液を産生し胃型の性質を有する異所性増殖性腺管が周囲を膠原繊維で囲まれつつ粘膜筋板を破って粘膜下へ増殖する像が高頻度に観察された。Hp感染50週群(4群)では構成細胞の一部に腸型の細胞を有する胃腸混合型の異所性増殖性腺管が観察された。Hp感染75週ないし100週群(5郡および6群)ではPaneth細胞を有する腸単独型の異所性増殖性腺管も観察された。さらに胃底腺領域の壁細胞数の減少や偽幽門腺化生も顕著となった。一方、Hp感染75週ないし感染50週で除菌を行った群(7群および8群)では粘膜筋板の断裂、上皮細胞を有さない粘液のみが粘膜下や固有筋層に存在する像、さらに間質の線維化や再生性変化等の像を呈し、これらの組織所見は過去の胃粘膜傷害からの回復過程を示すと考えられた。

 異所性増殖性腺管には胃型、胃腸混合型、さらにはPaneth細胞を有する腸単独型の各形質が存在し、Hp短期感染群(3群)ではgastritis cystica profundaに類似する胃型の異所性増殖性腺管が高頻度に観察され、Hp長期感染群(5郡および6群)では粘液結節性腺癌に類似した腸型の異所性増殖性腺管が高頻度に観察された。それらは構造異型を示しつつも明らかな細胞異型を呈さず、この動物種における胃癌から鑑別診断された。さらに除菌群では異所性増殖性腺管の面積は縮小し粘液のみを残存する像も観察され、この病変の可逆性が考察された。異所性増殖性腺管(HPG)の特徴として、1細胞の極性の保持、2胃型からPaneth細胞を伴う腸型への細胞分化、3粘液貯留を有する大腺腔の形成、4粘膜下以深の上皮の脱落・壊死、5炎症細胞浸潤や膠原繊維増生などの所見が観察された。異所性増殖性腺管における前癌病変としての性質の検討を通じてHp感染が発癌に及ぼす影響や多段階発癌の過程に関する情報が得られると考察された。

研究2高濃度食塩およびHp感染による胃発癌への関与

 Hp感染率の高い地域では胃癌の罹患率も高率であり、Hp感染は胃癌の発生に大きく影響することが明らかとなってきたが、Hp感染以外にも胃発癌に関与する重要な因子として高濃度の食塩摂取や喫煙などの生活習慣との関連性も指摘されており、これらの環境要因とHp感染が胃癌リスクにそれぞれどのように作用するか、あるいはそれらの相互作用について検討する必要性が考えられる。従って、本研究においては、スナネズミ腺胃発癌モデルにおけるHp感染および高濃度食塩投与群を作成し、Hp感染と食塩摂取が胃癌発生に及ぼす影響についての実験的検討を行った。

 1-4群には20ppmのMNUを自由飲水にて隔週で計5週間投与し、5-8群は非投与対照群とした。さらに実験11週において1,2,5,6群はHp ATCC43504株(cagA+, vacA+)(約1.0x108cfu)を経口感染させ、3,4,7,8群は非感染対照群とした。また、実験12週以降は1,3,5,7群の動物には10%の高濃度食塩含有食を継続供与し、2,4,6,8群の動物は通常食を継続供与した。Hp感染の判定はHE標本および抗Hp免疫染色標本にて行った。さらに各動物の血清抗Hp血清抗体価をELISAにて測定し、血清ガストリン値をradioimmunoassayにより測定した。

 Hp感染個体の腺胃では出血斑やびらんを伴う慢性活動性胃炎が観察され、胃底腺領域は退色調で浮腫状であり、胃底腺領域と幽門腺領域の境界部を中心に粘膜の過形成、腸上皮化生および粘膜下異所性増殖性腺管が観察された。

 腫瘍形成は主に胃底腺と幽門腺の境界部小弯に観察され、血管やリンパ管への脈管長襲を伴う癌も観察された。各群の発癌率は1群(9/28=32.1%)(高分化型腺癌6、低分化型腺癌2、印環細胞癌1)、2群(2/17=11.8%)(高分化型腺癌1、印環細胞癌1)、3群(0/27=0%)、4群(0/20=0%)、5群(0/11=0%)、6群(0/6=0%)、7群(0/4=0%)、8群(0/4=0%)であった。2群(11.8%)や3群(0%)と4群(0%)の間には有意差は認めなかった。1群の発癌率は3群(P<0.005)ないし4群(P<0.01)に対して有意に高率であった(Fisher's exact test)。2-4群間には有意差は認めなかった。抗Hp血清抗体価や血清ガストリン値はHp感染+高濃度食塩投与の両因子の存在により著明に上昇していた。

 このモデル実験系において、MNU投与+Hp感染+高濃度食塩投与群(1群)において高い発癌率が観察された。Hp感染と高濃度の食塩投与は協調的に発癌を強く促進すると考察され、高濃度食塩自体の胃粘膜傷害作用に加え、食塩の暴露に伴うHpの動態の変化も発癌の促進に寄与している可能性が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒト胃粘膜病変の発生・進展、さらには胃癌発生において重要な役割を演じていると考えられるHelicobacter pylori(Hp)感染の役割を動物モデルでの実験的発癌を通じて解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.Helicobacter pylori(Hp)感染が安定して成立しヒト胃粘膜病変に近似しうる病変を発生するスナネズミのHp ATCC43504株(cagA+, vacA+)(1.0x108cfu)感染群、及びLansoprazole、Amoxicillin及びClarithromycin(各10,3,30mg/kgを計4回経胃投与)の3剤併用プロトコールによるHp除菌群を作成し、さらにこれまでその存在が報告されつつも病理学的特徴の記載がなされていなかった異所性増殖性腺管Heterotopic Proliferative Gland(HPG)を定義してその病理学的特徴につき検討を加えた。その結果、異所性増殖性腺管には胃型、胃腸混合型、さらにはPaneth細胞を有する腸単独型の各形質が存在し、Hp短期感染群ではgastritis cystica profundaに類似する胃型の異所性増殖性腺管が高頻度に観察され、Hp長期感染群では粘液結節性腺癌に類似した腸型の異所性増殖性腺管が高頻度に観察された。異所性増殖性腺管(HPG)の特徴として、1細胞の極性の保持、2胃型からPaneth細胞を伴う腸型への細胞分化、3粘液貯留を有する大腺腔の形成、4粘膜下以深の上皮の脱落・壊死、5炎症細胞浸潤や膠原繊維増生などの所見が観察された。それらは構造異型を示しつつも明らかな細胞異型を呈さず、この動物種における胃癌から鑑別診断されることが判明した。さらに除菌群では異所性増殖性腺管の面積は縮小し粘液のみを残存する像も観察され、この病変の可逆性が示された。

2.高濃度食塩およびHp感染による胃発癌への関与を検討する目的にて、スナネズミ腺胃発癌モデルにおけるHp感染および高濃度食塩投与群を作成し、Hp感染と食塩摂取が胃癌発生に及ぼす影響についての実験的検討を行った。1-4群には20ppmのMNUを自由飲水にて隔週で計5週間投与し、5-8群は非投与対照群とした。さらに実験11週において1,2,5,6群はHp ATCC43504株(cagA+, vacA+)(約1.0x108cfu)を経口感染させ、3,4,7,8群は非感染対照群とした。また、実験12週以降は1,3,5,7群の動物には10%の高濃度食塩含有食を継続供与し、2,4,6,8群の動物は通常食を継続供与した。Hp感染の判定はHE標本および抗Hp免疫染色標本にて行った。さらに各動物の血清抗Hp血清抗体価をELISAにて測定し、血清ガストリン値をradioimmunoassayにより測定した。その結果、Hp感染個体の腺胃では出血斑やびらんを伴う慢性活動性胃炎が観察され、胃底腺領域は退色調で浮腫状であり、胃底腺領域と幽門腺領域の境界部を中心に粘膜の過形成、腸上皮化生および粘膜下異所性増殖性腺管が観察された。腫瘍形成は主に胃底腺と幽門腺の境界部小弯に観察され、血管やリンパ管への脈管長襲を伴う癌も観察された。各群の発癌率は1群(9/28=32.1%)(高分化型腺癌6、低分化型腺癌2、印環細胞癌1)、2群(2/17=11.8%)(高分化型腺癌1、印環細胞癌1)、3群(0/27=0%)、4群(0/20=0%)、5群(0/11=0%)、6群(0/6=0%)、7群(0/4=0%)、8群(0/4=0%)であった。2群(11.8%)や3群(0%)と4群(0%)の間には有意差は認めなかった。1群の発癌率は3群(P<0.005)ないし4群(P<0.01)に対して有意に高率であった(Fisher's exact test)。2-4群間には有意差は認めなかった。抗Hp血清抗体価や血清ガストリン値はHp感染+高濃度食塩投与の両因子の存在により著明に上昇していた。このモデル実験系において、MNU投与+Hp感染+高濃度食塩投与群(1群)において高い発癌率が観察された。Hp感染と高濃度の食塩投与は協調的に発癌を強く促進し、高濃度食塩自体の胃粘膜傷害作用に加え、食塩の暴露に伴うHpの動態の変化も発癌の促進に寄与している可能性が示された。

 以上、本研究はスナネズミHp感染モデルにおいて、高頻度に発生する粘膜下への異所性増殖性腺管の解析から、これらの異所性増殖性腺管のうち少なくとも一部は、除菌により排除されうる、過度の炎症によって生じた再生性変化であると考えられ、除菌後も自律性増殖を示す癌との鑑別が必要であることを明らかにした。さらに、高濃度食塩モデル実験系において、食塩投与よりもHp感染の影響の方がより強力な発癌促進作用を有し、さらに高濃度食塩とHp感染の両因子の存在により胃癌発生は協調的に強く促進されることを明確に示した。本研究は、これまで実験的に明らかにされてこなかった、モデル動物における癌および異所性増殖性腺管の概念を明確に示し、Hp感染による胃癌発生への影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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