学位論文要旨



No 118355
著者(漢字) 加藤,昌弘
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサヒロ
標題(和) 乳癌の遺伝子異常 : 特にHsRad51遺伝子との関連について
標題(洋)
報告番号 118355
報告番号 甲18355
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2162号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 助教授 菅野,純夫
 東京大学 講師 北山,丈二
 東京大学 講師 角田,卓也
 東京大学 講師 斉藤,光江
内容要旨 要旨を表示する

研究目的

 癌は遺伝子の変化による病気であり、癌の発生、進展の過程は、増殖、分化やゲノムの統合性維持に重要な遺伝子の変化が積み重なって、多段階の過程を経て生じた結果である。しかし乳癌においては多段階発癌モデルが、未だ確立していない。その理由として、乳癌では前癌病変の判別および上皮細胞から癌細胞までの過程を段階的に判定することが困難なこと、また、乳癌で変異が生じる遺伝子がほとんど明らかになっていないことがあげられる。乳癌発症機構を解明するために乳癌発症に直接関与している遺伝子を同定することは現在の最重要課題であると考えられる。

 乳癌には同一家系内で高頻渡に発生する家族性乳癌が存在し、全乳癌のうちの約5%が遺伝的素因を有する遺伝性乳癌とされる。遺伝性乳癌に関して、BRCA1およびBRCA2の乳癌原因遺伝子がクローニングされ、遺伝性乳癌、遺伝性卵巣癌、遺伝性乳癌卵巣癌の原因遺伝子であるとされている。遺伝性乳癌患者の約60%にBRCA1もしくはBRCA2の遺伝子異常が認められる。BRCA1、BRCA2の胚細胞変異が乳癌を引き起こす機構は明らかでない。約40%前後の遺伝性乳癌の原因となる遺伝子が未だ同定されておらず、未知の遺伝性乳癌原因遺伝子の存在が示唆される。

 最近、BRCA1、BRCA2遺伝子とHsRad51遺伝子との相互作用が報告された。Brca1、Brca2とRad51のノックアウトマウスはともに胎生致死で、組み換え修復機構に異常があるなど非常に類似した表現型を持っている。またノザンブロッティングのパターンからも、HsRad51遺伝子の各組織における発現は、ヒトBRCA1、BRCA2各遺伝子の発現パターンと非常に類似している。これらの事から、BRCA1、BRCA2、Rad51はともに協調的に働いてDNA損傷時の組み換え修復において機能し、遺伝的安定性の維持に関与し、遺伝子異常が組み換え修復の異常を引き起こし、その結果、ゲノムの安定性が維持されなくなり、最終的に癌化へつながると推測される。このようにHsRad51遺伝子の遺伝子変化が遺伝性乳癌の発育に関与している可能性が示唆される。

 一般乳癌に関する遺伝子変化として遺伝子増幅、過剰発現(erbB2、c-mycなど)、遺伝子変異、欠損(p53、FHIT、PTENなど)、染色体欠損などが少数報告されているのみで原因遺伝子というべきものはまだ同定されていない。BRCA1、BRCA2の体細胞変異も極めて稀である。乳癌発症機構の解明のために乳癌発症に直接関与している遺伝子を同定することは現在最重要課題であると考えられる。

 本研究において

 (1)ヒトRad51遺伝子が第3の遺伝性乳癌原因遺伝子であるか

 (2)ヒトRad51遺伝子が一般乳癌で変異を生じる遺伝子であるか

 を検討するためにHsRad51遺伝子変異をスクリーニングした。

対象

 遺伝性乳癌家系20家系さらに若年発症、両側性乳癌、多臓器癌の既往を有する乳癌患者25例を対象とした。乳癌組織における体細胞変異を検討するために、一般乳癌200例、一般大腸癌100例を対象として、それぞれ組織よりDNAを抽出し、検討を加えた。

方法および結果

ノザンブロッティング

 ノザンブロッティングでヒト正常組織でのHsRad51の発現を検討した。HsRad51は精巣、胸腺に豊富であり、ついで小腸、胎盤、大腸、膵臓、卵巣に発現していた(A)。RT-PCRによると乳腺組織にも発現がみられた(B)。HsRad51の発現パターンはBRCA1、BRCA2の発現パターンときわめて類似していた。

PCR-SSCP

 ヒトRad51遺伝子の全コーディング領域ならびに関連するエクソンとイントロンの境界領域に関して、genomic DNAを材料とし、PCR-SSCP法を用いてその配列を調べた。その結果、2例の両側性乳癌患者において、エクソン6に単一の胚細胞遺伝子変異を同定した。

 2症例の内訳は、52歳、同時性両側性乳癌の女性(病理組織;非浸潤性乳管癌)と44歳、同時性両側性多発乳癌の女性(病理組織;浸潤性乳管癌)であった。ともに家族歴はなかった。両患者のDNAはRad51のcodon150の第2ヌクレオチドがGからAへと変化し、アミノ酸がアルギニンからグルタミンヘと変化した。両者とも正常アレルも残存しており、heterozygousであった。2例ともは正常アレルに欠失はなかった。

機能解析

 HsRad51遺伝子は組み換え修復の際に、HsRad51自身重合し、Rad52、Rad54と結合することが報告されている。またBRCA1、BRCA2、p53などの遺伝子蛋白との結合が知られている。HsRad51 codon150の胚細胞変化がこれらの蛋白との結合に影響を与えるのか酵母two-hybrid法で相互作用を検討したが、有意な差は認められなかった。HsRad51の相同遺伝子であるE.Coli.のRecAを参考とし、立体構造を調べたが、codon150に相当する部位は常に外側に位置し、他の蛋白との結合に影響を与える可能性が推測された。またGFP蛋白との融合蛋白を作製し、その細胞内局在を検討したがcodon150の変化による細胞内の局在の差は認めなかった。

考察

 組み換え修復機構に異常が起こると発癌に至ることは未だはっきりと証明されてはいない。しかし、組み換えに関与しNijmegen breakage症候群の原因遺伝子NBS1は遺伝子異常が起こると、発癌の可能性が増加し、イオン化放射線に対する感受性が増加することが知られている。このことから、組み換えの過程に異常が起こると、発癌をもたらす可能性が示唆される。HsRad51は乳癌原因遺伝子であるBRCA1、BRCA2と蛋白複合体を形成し、これら3遺伝子の組織発現のパターンも非常に類似していることから、これらの遺伝子産物は共通のDNA損傷に対する修復過程の一因子であると考えられる。DNA損傷に対する修復過程は遺伝情報が安定して存在するためには非常に重要であり、もしこの機能が損なわれると遺伝子変異の割合が増加し、DNA損傷が蓄積され、その結果、発癌の危険性が増すと想定される。この想定に基づき、HsRad51が乳癌関連遺伝子である可能性を検討した。そして、両側性乳癌の二人の患者にHsRad51のArgがGlhへと変わる。codon150の一塩基置換を発見した。この胚細胞変異はHsRad51の翻訳領域にあり、Rad51と乳癌との関連を示す初めての遺伝子変化であった。ところが、非常に稀な構造多型である可能性は否定できず、これを検討するために、HsRad51遺伝子の機能解析を行った。結果としてcodon150遺伝子変化に伴う機能の変化は検出できなかった。相同組み換えに関与するRad52遺伝子群にはほとんど遺伝子変異が存在しないとされ、わずかにRad54遺伝子の異常が報告されるのみである。これは細胞が生存していくためには、組み換え修復機能が極めて重要、必須であり、機能異常は細胞死に直結することを意味すると考えられる。HsRad51遺伝子の変化も機能には大きな変化を与えず、なんらかの他の形で乳癌発症に影響する可能性が考えられる。現在、一塩基置換のような遺伝子変化と発癌のリスクに重要な関連があるとの考え方から、遺伝子多型の検討が重要視されている。HsRad51の5非翻訳領域の一塩基置換135Cは乳癌の危険性を増加し、BRCA2浸透率に影響を与えるとされる。このようにHsRad51と乳癌の間には密接な関連が有り、Rad51の遺伝子異常は乳癌の原因となりうると考えられる。HsRad51のcodon150一塩基置換が非常に稀な構造多型であるとしても、この変化が乳癌の発症と関連している可能性が考えられる。さらにこのHsRad51の遺伝子変化を有する2人の患者がいずれも遺伝子の関与が示唆される同時性両側性乳癌の患者であった。他の一般乳癌、一般大腸癌の患者を300人以上検索したが、この遺伝子変化を有する患者は存在しなかった。この遺伝子変化は乳癌に関連した変異を示していると判断した。

 本研究で、HsRad51遺伝子の胚細胞変異が乳癌発症の原因である可能性を提示した。しかし、まだ第三の遺伝性乳癌原因遺伝子と言うべき遺伝子は不明のままであり、一般乳癌の関連遺伝子の同定も十分で無い。これを同定するためにさらなる研究が必要であろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はヒト乳癌発症において重要な役割を演じていると考えられるHsRad51遺伝子に関して

(1)ヒトHsRad51遺伝子が第3の遺伝性乳癌原因遺伝子であるか

(2)ヒトHsRad51遺伝子が一般乳癌で変異を生じる遺伝子であるか

 を検討するために家族性乳癌家系genomic DNAおよび乳癌、大腸癌の癌組織由来のDNAを用いてHsRad51遺伝子変異の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

 1、ノザンブロッティングでヒト正常組織でのHsRad51の発現を検討した。HsRad51は精巣、胸腺に豊富であり、ついで小腸、胎盤、大腸、膵臓、卵巣に発現していた。RT-PCRによると乳腺組織にも発現がみられた。HsRad51の発現パターンはBRCA1、BRCA2の発現パターンときわめて類似していた。

 2、ヒトHsRad51遺伝子の全コーディング領域ならびに関連するエクソンとイントロンの境界領域に関して、PCR-SSCP法を用いてその配列を調べた。その結果、2例の両側性乳癌患者において、エクソン6に単一の胚細胞遺伝子変異を同定した。両患者のDNAはHsRad51のcodon150の第2ヌクレオチドがGからAへと変化し、アミノ酸がアルギニンからグルタミンヘと変化した。両者とも正常アレルも残存しており、heterozygousであった。2例ともは正常アレルに欠失はなかった。2例の患者が一例はまれな非浸潤癌が乳房全体にしかも両側性に拡がる患者もう一例は両側性多発性乳癌といずれも遺伝性の異常を想定させる症例であった。

 3、家族性乳癌、一般乳癌にHsRad51遺伝子変異はまれで、主要な原因遺伝子ではないと考えられた。

 以上、本論文は家族性乳癌家系、一般乳癌において、HsRad51遺伝子の胚細胞、体細胞変異の解析から、乳癌発症機構におけるHsRad51遺伝子の関連を明らかとした。本研究は新たな遺伝性乳癌原因遺伝子の同定ならびに乳癌発症に直接関与している遺伝子を同定し、乳癌発症に寄与する遺伝子の解明するのに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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