学位論文要旨



No 118361
著者(漢字) 位高,啓史
著者(英字)
著者(カナ) イタカ,ケイジ
標題(和) 遺伝子ベクターとして機能する高分子ミセル型ナノ構造体に関する研究
標題(洋)
報告番号 118361
報告番号 甲18361
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2168号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永井,良三
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 講師 宮田,哲郎
 東京大学 講師 引地,尚子
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 近年分子生物学の進歩を背景に、非致死性の加齢疾患、変性生疾患に対する遺伝子治療も視野に入り始めている。しかし、その実現に向けて最も大きな問題点のひとつは、遺伝子デリバリーシステムである。遺伝子導入効率の問題から、従来はウィルスベクターを用いる手法が中心であったが、死亡事故の発生等、その安全性には未だ問題点が大きい。特に整形外科領域のような非致死性生疾患の治療を目的とする場合はこの点は特に大きな障壁となり、安全な非ウィルス性遺伝子デリバリーシステムヘのニーズは非常に大きいと考えられる。

 一方、現状の非ウィルス性システムとしては、カチオン性リン脂質とDNAとの(lipoplex)およびカチオン性高分子(ポリマー)との会合体(polyplex)がこれまで活発に研究されているが、遺伝子導入効率や体内、生理的環境下での安定性に問題があり、in vivoベクターとしての使用には大きな障害が残る状況である。

 これらの点を解決すべく、近年新しい型のpolyplex型システムとして、高分子ミセル型ナノ構造体を利用した遺伝子デリバリーが考案された。これは水溶性のポリエチレングリコール(PEG)とカチオン性連鎖であるポリリシン(PLL)とを連結したブロック共重合体(PEG-PLL)を用い、天然のポリアニオンであるDNAと混合することによって調製されるポリイオンコンプレックス(PIC)型高分子ミセルである。その特徴として、凝縮した分子形態に転移したDNA分子の周囲を、親水性でフレキシビリティーに富んだPEG層が覆うという、二層構造からなる水溶性会合体となっており、粒径は90〜100nm、DNA分子のヌクレアーゼ耐性が非常に高まっていることが分かっている。

 本研究は高分子ミセルの遺伝子デリバリーシステムとしての生物学的機能、およびその臨床応用への可能性を明らかにすることを目的に、以下の検討を行った。

2.培養細胞に対する高分子ミセル型ナノ構造体による遺伝子導入

 293細胞に対する遺伝子導入を行ったところ、高分子ミセルでは、カチオン電荷とpDNAとの混合比(r)によって大きく遺伝子発現が異なり、r=2、クロロキン100μM存在下では、lipoplexを上回るレベルの遺伝子発現が得られた。また、高分子ミセルと同一のカチオン鎖であるPLLとpDNAとのcomplex(Plys-polyplex)を大きく上回る遺伝子発現が得られ、その構造が遺伝子導入に対して有効であることが示された。細胞毒性に関しても、lipoplex、Plys-polyplexとくらべ、高分子ミセルでは、非常に細胞毒性の低いことが示された。lipoplex、Plys-polyplexはいずれもカチオン性のcomplexであるため細胞に対する毒性が大きくなる一方、高分子ミセルは周囲をPEGで覆われているため、その表面電荷はほぼニュートラルであり、そのため非常に細胞毒性が低い結果となったものと考えられた。

 次いで、遺伝子発現を増加させる試薬として、クロロキン同類のヒドロキシクロロキンに関して検討した。293細胞に対する実験では、遺伝子発現を増加させる効果はヒドロキシクロロキンはクロロキンと同様であり、100μMの培地中濃度で最も効果が高かった。一方、両者とも濃度依存性に細胞毒性が見られたが、50μMおよび100μMでの添加後2時間では、ヒドロキシクロロキンが有意に毒性の低い結果となった。

 以上の検討から、最もよい遺伝子発現の得られる可能性が高い条件を用いて、整形外科領域における遺伝子治療への展望として、macrophage、骨芽細胞、Schwann cellの各初代培養株細胞、およびヒト間葉系幹細胞に対する、高分子ミセルを用いた遺伝子導入を行った。いずれの細胞においても、導入効率は細胞種によって異なるものの、レポーター遺伝子の発現が観察された。

3.生理的環境下における高分子ミセル型ナノ構造体による遺伝子導入

 種々の非ウィルス性遺伝子デリバリーシステムにおいて、生理的環境下での安定性は遺伝子導入効率と密接に関連する。高分子ミセル型ナノ構造体は、凝縮されたpDNA周囲をPEGが覆うという2層構造を取り、周囲環境に影響されない安定性を持つことが期待される。この評価のため、fluorescein、X-rhodamineの蛍光2重標識したpDNAを用い、そのcomplex内での形態変化を2蛍光分子間のエネルギー移動fluorescence resonance energy transfer(FRET)によって評価する新手法を考案した。

 まず、PEG-PLLとpDNAによる高分子ミセルの形成、およびミセル溶液へのアニオンの添加によるpDNAの放出に伴って、FRETによる蛍光スペクトル変化が観察された。さらに、他のlipoplex、Plys-polyplexにおいてもスペクトル変化は同様に見られ、fluorescein、X-rhodamineそれぞれの蛍光強度比を計測することにより、complexの評価が可能であった。

 血清中での各complexの安定性評価のため、20%血清の存在下での蛍光測定を経時的に行うと、高分子ミセルではr=1,2とも、血清存在下においても約12時間に渡り蛍光強度比はほぼ一定に保たれた。一方Plys-polyplexでは数時間のうちに変化が生じ、lipoplexでは血清添加直後より急激な変化を示した。各complexを血清中でpreincubationした後遺伝子導入に用いると、lipoplexでは遺伝子発現には大きな減少を生ずる一方、ミセルではその影響は軽微であり、FRETによって観察される血清中での安定性と非常によく相関した。

 一方、高分子ミセルの血清中での安定性は、PLLとpDNAとの混合比(r)に関係しない結果となったが、遺伝子導入効率は混合比によって大きく異なった。この原因として、血清中にincubationした各complexからpDNAを抽出し、電気泳動を行ったところ、r=1,2によってpDNAのtopologyが大きく異なる結果となった。r=2ミセルでは血清中でのincubation後もsuper coiled pDNAが良好に保たれたのに対し、r=1ではsuper coilのバンドは消失し、大部のpDNAはlinearまで変性され、r=1ミセルにおける遺伝子導入効率の低さは、このpDNAのtopologyの違いが原因となっている可能性が考えられた。一方、lipoplexでは意外なことに、pDNA topologyは極めて安定に保たれ、血清存在下におけるlipoplexの遺伝子導入効率の減少は、内包されるpDNAの変性では説明できなかった。

 次に、標識pDNAを用いて調製した各complexを用いて、細胞への取り込みをフローサイトメトリーにて解析したところ、血清中でのpreincubation後、lipoplexでは取り込みが大きく減少した。これが血清存在下でのlipoplexでの遺伝子発現減少の原因と考えられ、この取り込みの変化はlipoplexの巨大粒子化が原因となっているものと推測された。一方、ミセルでは細胞の取り込みにほとんど変化が見られず、血清中での安定性および血清存在下での優れた遺伝子導入能と非常によく相関した。

4.考察

 高分子ミセル型ナノ構造体は、生理的環境下での安定性に非常に優れることが確認された。その安定性は、生理的環境下での遺伝子ベクターとしての機能とも密接に関係しており、高分子ミセルがin vivoの遺伝子デリバリーに対して、非常に有効な手段となりうることが確認された。一方、高分子ミセルによって得られる遺伝子導入効率は、現状ではウィルスベクターに及ばない。これを改善する目的で用いたヒドロキシクロロキンは、その遺伝子発現に対する効果は従来からのクロロキンと同程度であり、一方細胞毒性はクロロキンよりやや低かった。ヒドロキシクロロキンは、実際に関節リウマチ等の疾患治療として全身投与されている薬剤であり、これと高分子ミセルによるデリバリーを組み合わせることにより、効率的な遺伝子導入を達成することは、十分検討に値する手段と考えられる。

 今後の展開として、ブロック共重合体のカチオン部分にポリリシン以外の機能性分子を用いることが考えられ、プロトンスポンジ効果を持つポリエチレンイミン等を用いたブロック共重合体によって、効率よい遺伝子導入の実現が期待される。また、粒子外殻への機能性分子(リガンド)の連結により、特定のレセプターを持つ標的細胞、組織への指向性を持たせることが可能と考えられる。また、工学的手法によるscaffoldとの組み合わせ等によって、ティッシュエンジニアリングヘの応用の可能性も視野に入る。以上のように、新しいin vivo遺伝子デリバリーシステムとして、高分子ミセル型ナノ構造体は今後大きく発展する可能性を秘めているものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、高分子ミセル型ナノ構造体の遺伝子デリバリーシステム応用の可能性を明らかにすることを目的として、その培養細胞への遺伝子導入、生理的環境下における機能を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.水溶性のポリエチレングリコール(PEG)とカチオン性連鎖であるポリリシン(PLL)とを連結したブロック共重合体(PEG-PLL)を用い、天然のポリアニオンであるDNAと混合することによって調製される高分子ミセル型ナノ構造体によって、293細胞に対する良好な遺伝子導入が可能であった。この高分子ミセルによる細胞毒性は非常に低かった。また、培地中に血清の存在する条件下でも、その遺伝子発現に対する影響は少なかった。

 2.遺伝子発現促進試薬として、関節リウマチの治療薬であるヒドロキシクロロキンを検討したところ、クロロキンと同等に、高分子ミセルによる遺伝子導入に対する著しい効果を示した。また、ヒドロキシクロロキンの細胞毒性は、クロロキンと比べ低く、遺伝子治療に応用しうる可能性が示唆された。

 3.マウス由来のマクロファージ、骨芽細胞、ラット由来のシュワン細胞の各初代培養株細胞、およびヒト間葉系幹細胞に対し、高分子ミセル型ナノ構造体による遺伝子導入を行ったところ、いずれの細胞においても遺伝子発現が得られ、高分子ミセルが種々の細胞種に対する遺伝子導入に応用可能であることが示唆された。

 4.種々の非ウィルス性遺伝子デリバリーシステムにおいて、生理的環境下での安定性は遺伝子導入効率と密接に関連する。高分子ミセル型ナノ構造体は、凝縮されたDNA周囲をPEGが覆うという2層構造を取り、周囲環境に影響されない安定性を持つことが期待される。この評価のため、fluorescein、X-rhodamineの蛍光2重標識したpDNAを用い、そのcomplex内での形態変化を2蛍光分子間のエネルギー移動fluorescence resonance energy transfer(FRET)によって評価する新手法を確立した。本手法により、高分子ミセル、リポプレックス(脂質を用いた非ウィルス性システム)、ポリプレックス(カチオン性高分子を用いたシステム)の各DNA complexの血清中での安定性を評価し、高分子ミセル型ナノ構造体が非常に長時間安定であることが示された。

 5.この高分子ミセル型ナノ構造体の安定性は、血清存在下での遺伝子導入効率と非常によく相関した。一方、他のcomplexでは、血清とのincubationによって、遺伝子発現は大きく減少した。その原因を検討したところ、いずれのcomplexにおいても、内包されたDNA分子の変性は観察されなかったが、血清存在下での細胞によるcomplexの取り込みが、高分子ミセルと他のcomplexとで大きく異なった。即ち、高分子ミセルでは、生理的環境下においても安定した性状が、生物学的機能に対しても重要な働きをしていることが示唆された。

 以上、本論文は、高分子ミセル型ナノ構造体の優れた遺伝子導入能、生理的環境下での安定性を明らかとし、in vivo遺伝子デリバリーシステムヘの応用の可能性を示した。本研究は、遺伝子治療の臨床応用に必須とされる、非ウィルス性遺伝子デリバリーシステムに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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