学位論文要旨



No 118366
著者(漢字) 榎本,喜久子
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,キクコ
標題(和) 表皮分化を誘導する転写因子(hSkn-1a)の発現によって変動する遺伝子群の解析
標題(洋)
報告番号 118366
報告番号 甲18366
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2173号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 助教授 岩瀬,博太郎
 東京大学 講師 小宮根,真弓
 東京大学 講師 天野,史郎
内容要旨 要旨を表示する

 表皮は人体と外界との隔壁としての機能を果たしている層状の組織で、大部分は角化細胞から構成されている。角化細胞は基底層で表皮の幹細胞(基底細胞)として分裂し、ケラチンを形成しながら上行していき(有棘細胞、顆粒細胞)、最終的には核や小器官を自己消化により失って表層から脱落していく(角質細胞)。基底層から角層に至る分化の様子は連続的な変化を捉えるのに最適な研究素材であり、組織学的に良く調べられている。分化の過程では、各層に特徴的な蛋白質の発現がみられる。基底層ではケラチン5(K5)、ケラチン14(K14)、有棘層ではインボルクリン、トランスグルタミナーゼタイプ1(TG1)、顆粒層ではケラチン1(K1)、ケラチン10(K10)、ロリクリン、インボルクリン、プロフィラグリン、TG1、small proline-rich proteins(SPRR)などが発現しており、マーカー蛋白質とされている。

 角化細胞の分化に伴う遺伝子群の発現変動は、極めて厳密に制御されていると考えられるが、その実体はほとんど明らかになっていない。マーカー蛋白質の発現にAP-1、AP-2、SP1、等の転写因子が関わることが知られているが、これらの転写因子群が表皮の形成過程を制御しているわけではない。最近、表皮に特異的なPOUドメイン転写因子であるhSkn-1aが、表皮の分化・形成の調節因子であることを示す報告がなされた。不死化した未分化な角化細胞であるHaCaT細胞に、レトロウイルスを用いてhSkn-1aを強制発現させると、3次元立体培養の状態で表皮様の構造を形成すること、さらに、ドミナントネガティブとして働くC末欠損hSkn-1aを初代角化細胞に導入すると、正常な分化が妨げられることが報告された。また、hSkn-1aのノックアウトマウスの解析からhSkn-1aが表皮の正常な分化と創傷治癒過程に不可欠であることが示された。すなわち、hSkn-1aは分化開始の引き金を引き、その後の細胞分裂の一時的な促進と最終課程での細胞死、及びマーカー蛋白質群の発現に至る一連の過程を誘導すると考えられる。従って、hSkn-1aが転写を直接支配している伝子群を明らかにすれば、分化カスケードの上流を解析する糸口を得ることができる。本研究では、hSkn-1aの発現に呼応して、速やかに発現量が変動する遺伝子群を探索した。

 分化過程を詳細に研究するうえで最も大きな技術的制約となるのは、最終分化にいたる細胞は本質的に培養不能なことである。実際、hSkn-1a発現プラスミドをHeLaに導入すると細胞増殖の停止を引き起こし、hSkn-1aを発現し続ける細胞株を作ることはできなかった。この制約を克服するために、hSkn-1a発現カセットを組み込み、培養液中にテトラサイクリンまたはドキシサイクリンを添加することによってhSkn-1aの発現を誘導できるHeLa細胞株(HeLa/Tet-On/hSkn-1a)を樹立した。この細胞株を使うことによって、十分な数の細胞に同時にhSkn-1aを発現させ、その後の遺伝子発現の変化を追跡することができた。

 HeLa/Tet-On/hSkn-1aでは、培養液にドキシサイクリン(2μg/ml)を加えると、添加2時間後からhSkn-1aが発現し、その発現は4日目をピークに6日目まで高いレベルで維持された。hSkn-1aを誘導したHeLa/Tet-On/hSkn-1aをON細胞、培養液中にドキシサイクリン添加しない細胞をOFF細胞とした。ON細胞において、顆粒層から有棘層に特異的なマーカー蛋白質であるK10とTG1の発現が上昇した。また、hSkn-1aの発現に伴い、扁平化して増殖を停止した細胞の出現や培養の倍加時間の延長が起こった。これらの変化は、HeLa/Tet-On/hSkn-1aはhSkn-1aの発現によって分化の過程を歩み出すことを示している。

 HeLa/Tet-On/hSkn-1aのOFF及びONにして24時間及び72時間後のmRNAを試料とし、mRNA量の増加ないし減少する遺伝子群を探索した。まず、カテゴリーを規定しない7600個の遺伝子を載せたDNAマイクロアレイで一次スクリーニングを行い、発現量の変化が大きかったものを中心に79個の遺伝子を選びだした。マイクロアレイは多数の遺伝子を短時間に解析できるという利点があるものの、現時点では必ずしも十分な精度と検出感度を持っていないため、選んだ遺伝子群を対象に、より定量性、再現性の高いATAC-PCR法によって、二次スクリーニングを行った。塩基配列がATAC-PCRに適さなかったり、mRNAのレベルが低くて解析できなかった遺伝子29個は、RT-PCRで発現量を比較した。ATAC-PCRとRT-PCRの結果から、33個の候補遺伝子を選択した。OFF細胞、ONにしてから1、3、6、8、10日目の細胞、さらに3日間ONにした後3日間OFFにした細胞でのこれらの遺伝子発現の経時的変化を定量的RT-PCRによって解析した。定量的RT-PCRはもっとも再現性が高く、微量の遺伝子発現を解析することができる方法である。定量的RT-PCRによって、表皮分化マーカーK10、TG1の発現上昇が再確認された。さらにhSkn-1aにより、Connexin 43(Cx43)、ras homolog gene family,member H (ARHH)は発現が上昇し、Homo sapiens myxovirus resistance 2 (Mx2)、ral guanine nucleotide dissociation stimulator(RALGDS)、K18は低下した。この変動はドキシサイクリンによるものではなく、hSkn-1aの発現に特異的であった。

 次に、Cx43、ARHH、Mx2の転写調節領域を調べるために、これらの遺伝子の5'側の領域を含むDNA断片をヒト胎盤ゲノムライブラリーから単離した。得られたDNA断片の第1エクソンにホタルルシフェラーゼをつないだプラスミドを作成し(pCx43-luc、pARHH-1uc、pMx2-1uc)、HeLa/Tet-On/hSkn-1a細胞に導入し、ONまたはOFFの条件で50時間培養後、細胞抽出液のルシフェラーゼ活性を測定した。3種のプラスミドのすべてにおいてルシフェラーゼ活性が検出され、用いたDNA断片がプロモーターを含むことが明らかになった。pCx43-lucでは、ONとOFFの状態で転写活性に差は無く、裸のDNAをトランスフェクションする実験では、Cx43の転写調節に関する情報を得ることは困難なことがわかった。pARHH-lcu4ucからのルシフェラーゼ活性は、OFFに比べONで大きく増加し、pMx2-lucでは、OFFに比べてONでは低下した。これらの遺伝子の実際の転写変動と平行する成績で、今後転写調節に関わるプロモーター内のシス因子の解析に利用できることが示された。レポーターアッセイに用いたこれら3つの遺伝子の転写調節領域には、複数のhSkn-1a結合可能配列が存在しており、hSkn-1aの直接の制御をうけている可能性が示唆された。

 Cx43、ARHH、Mx2遺伝子産物の機能については不明な点が多い。Cx43蛋白質はギャップジャンクションの構成成分であり、細胞が分化に伴って基底層から上行することと関連しているのかもしれない。ARHHとMx2の遺伝子産物はGTPase活性を持つ。GTPaseは一般に分子スイッチとして働いているので、細胞増殖や細胞死に関わるシグナル伝達で何らかの役割を果たしているかもしれない。今後、これらの遺伝子のプロモーターにhSkn-1aが直接働いて、転写の活性化ないし不活性化を起こす分子機構を明らかにすると共に、調節因子としての役割が想定されるARHHとMx2遺伝子産物の機能を明らかにすることで、表皮形成に至る分化の初期過程で起こる遺伝子発現の変動とそれを調節する機構を知ることができよう。さらに下流の変化を支える遺伝子群の探索も可能になると期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は表皮の分化において重要な役割を果たしていると考えられるhSkn-1aによって変動する下流遺伝子を検索及び解析することによって、分化の初期過程を解明する糸口をつかむことを目的とした。培養液中にドキシサイクリンを添加することによってhSkn-1aの発現を誘導できるHeLa細胞株(HeLa/Tet-On/hSkn-1a)を樹立して、hSkn-1a発現に伴う遺伝子発現の変動を調べ、次の結果を得ている。

 1.HeLa/Tet-On/hSkn-1aでは、培養液にドキシサイクリン(2μg/ml)を加えると、添加2時間後からhSkn-1aが発現し、その発現は4日目をピークに6日目まで高いレベルで維持された。hSkn-1aを誘導したHeLa/Tet-On/hSkn-1aにおいて、顆粒層から有棘層に特異的なマーカー蛋白質であるK10とTG1の発現が上昇した。また、hSkn-1aの発現に伴い、扁平化して増殖を停止した細胞の出現や培養の倍加時間の延長が起こった。これらの変化から、HeLa/Tet-On/hSkn-1aはhSkn-1aの発現によって分化の過程を歩み出すことが示された。

 2.hSkn-1a発現と共にmRNA量が変動する遺伝子として、まず、DNAマイクロアレイを利用して7600個の遺伝子から出発し、次いでATAC-PCR及びRT-PCRによるスクリーニングで33個の遺伝子を選んだ。さらに、定量的RT-PCRによって、hSkn-1a発現後、速やかにmRNA量が増加する遺伝子としてConnexin43(Cx43)とras homolog gene family,member H (ARHH)を、減少する遺伝子として、Homo sapiens myxovirus resistance 2 (Mx2)、ral guanine nucleotide dissociation stimulator(RALGDS)及びケラチン18(K18)を選び出した。

 3.hSkn-1a下流遺伝子の候補として選び出されたCx43、ARHH、Mx2についてその発現制御に対するhSkn-1aの影響を調べるために、ヒト胎盤ゲノムライブラリーよりそれぞれのプロモーター領域を含むDNA断片を単離し、ホタルルシフェラーゼをつないだプラスミドを作成し、レポーターアッセイを行ったところ、ARHH及びMx2ではhSkn-1aによるルシフェラーゼ活性の変動がみられた。レポーターアッセイにいたこれら3つの遺伝子の転写調節領域には、複数のhSkn-1a結合可能配列が存在しており、hSkn-1aの直接の制御をうけている可能性が示唆された。

 以上、本論分はドキシサイクリンによりhSkn-1aを誘導できる細胞株HeLa/Tet-On/hSkn-1aを用いて、DNAマイクロアレイ、ATAC-PCR、RT-PCR、及び定量的RT-PCRによるスクリーニングを行った結果、hSkn-1a下流遺伝子としてCx43、ARHH、Mx2、RALGDS及びケラチン18を選び出し、とくにプロモーター解析を行ったCx43、ARHHについてはhSkn-1aの直接の制御を受けている可能性が示唆された。本研究は表皮分化の制御システムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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