学位論文要旨



No 118367
著者(漢字) 吉川(鈴木),弥生
著者(英字)
著者(カナ) キッカワ(スズキ),ヤヨイ
標題(和) 微小管関連蛋白1A(MAP1A)の分子遺伝学的研究
標題(洋) Molecular Genetic Analysis of Microtubule-Associated Protein 1A
報告番号 118367
報告番号 甲18367
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2174号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 助教授 金井,克光
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
内容要旨 要旨を表示する

概要

 本研究では、微小管関連蛋白1A microtubule-associated protein 1A(MAPIA)について、標的遺伝子組み替え法によりノックアウトマウス(遺伝子欠失マウス)を作成し、当該遺伝子の機能を研究した。

序論

 神経細胞の細胞骨格は、微小管、アクチンフィラメント、中間径フィラメントの三者及びその関連蛋白から構成されるダイナミックな編み目構造である。これらは、神経細胞の特異な形態の形成・維持、および神経細胞内物質の輸送、また物質同士のコネクタとして重要な役割を果たしている。

 微小管関連蛋白 microtubule-associated proteins(MAPs)は、生体組織や細胞の破砕液から、微小管に結合して分離される蛋白群である。脳に特有のMAPsとして、MAP1a、MAP1b、MAP2、タウ蛋白があげられる。

 MAP1aは高分子量MAPの一つで、分子量は約350kDa(ヒト)である。神経細胞内では主に樹状突起と細胞体に分布する。ヒトMAP1A cDNAは、2805残基のアミノ酸からなる蛋白前駆体をコードしており1、翻訳後に重鎖と軽鎖に分割される(図)。

 MAP1a重鎖部分の一次構造を見ると、2カ所のチュブリン(微小管)結合領域および1カ所のグアニル酸キナーゼguanylate kinase(GK)結合領域が存在している。GK結合領域はMAP1aに特徴的で、この部位は膜関連グアニル酸キナーゼmembrane-associated guanylate kinase(MAGUK)ファミリーに属する一群の分子に結合する。MAGUKは神経シナプスの後部に存在する蛋白で、神経伝達物質受容体などのシグナル伝達蛋白をシナプス後肥厚部(postsynaptic density;PSD)に効率よく集積させ、細胞骨格蛋白と結びつける足場蛋白scaffolding proteinである。一例としてPSD-95が挙げられるが、MAP1aは生体内でPSD-95と結合しており、NMDA型受容体(NR2B)、Kv1.4などのイオンチャネル型受容体はMAP1aとPSD-95の結合を強めることが近年報告された2。

 微小管関連蛋白MAPsは、それぞれ発生の時期に応じた特有の発現パターンを持つ。MAP1aとMAP1bは軽鎖を共有するなど構造的に類似した蛋白であるが、MAP1bが胎児期と新生児期を通じて強く発現し生後20日にかけて漸減するのに対し、MAP1aは出生48時間前から検出されはじめ生後20日に最大濃度(胎児期の10倍)に達する3。従って、成体に多いMAP1aは樹状突起を中心とした神経細胞の形の安定化に関与していると考えられてきた。

 MAP1aはこれまでに、遺伝性痙性対麻痺4、Fragile X症候群5などの精神神経疾患との関連が指摘されてきた。2002年には、マウスで難聴・視力低下・肥満を起こす遺伝子異常Tubbyの聴力障害を緩和する蛋白modifier of tubby hearing gene(moth1)としてMAP1aが同定された6。

 以上の研究にもかかわらず、MAP1aの機能は未だ明確にされていない。ニカ所の微小管結合部位の存在、成体で多いという発現パターンからは樹状突起の形の安定化への関与が考えられるが、MAGUKとの結合能を持つことからはシナプス後部で何らかの機能を果たしていることが示唆される。そこで、本研究ではMAP1A遺伝子を欠失させた遺伝子組み替えマウスを作成し、その解析を通じてMAP1a蛋白の機能を明らかにしょうとした。

材料と方法

 MAP1A遺伝子をES細胞ゲノムライブラリよりクローニングし、塩基配列を解読した。これをもとに、全長17.2kbのターゲティングベクターを作成した。標的遺伝子組み替えにより、MAP1A遺伝子を欠失させたMAP1Aノックアウトマウス(MAP1A-/-マウス)を作成した。

 作成したマウスは、サザン・ブロッティング、ウェスタン・ブロッティング、行動解析などを行い遺伝子型、表現型を解析した。組織学的には、光学顕微鏡(HE染色、Bodian染色、凍結切片法による免疫染色)および電子顕微鏡による解析を行った。海馬初代培養細胞を用いて、種々の細胞骨格蛋白やシナプス蛋白の詳細分布を検討した。免疫沈降法により、MAP1a蛋白とMAGUK蛋白、細胞骨格蛋白などとの相互作用についても解析した。

結果

 MAP1Aノックアウト(KO)マウスは、出生時には明らかな外表奇形などの異常を示さず、胎児期の死亡も見られなかった。しかし、生後1週より徐々に活動量の低下・哺乳不全・発育の遅れが認められ、3週齢では、同腹の野生型に比べ体重で平均31%、脳重量は平均14%の低下を示した。生後14-17日に行った行動学的検査では、MAP1A-/-マウスは握力、温度知覚、運動能、空間探索行動の明らかな低下を示し、さらに、生後19-25日に限定して全体の65%(20匹中13匹)が死亡した。

 しかし、脳組織標本を光学顕微鏡で観察したところ、脳の全般的な組織構築は保たれており、呼吸中枢や摂食中枢などを含め明らかな組織異常や部位欠損は見られなかった。また、電子顕微鏡下に脊髄前角・坐骨神経・海馬CA1領域での微小管の分布や密度を観察したが、顕著な異常は認められなかった。さらに、海馬CA1領域の非対称性シナプスで比較したところ、野生型マウスとノックアウトマウスとの間でシナプス密度、シナプス形態に明らかな差は見られなかった。

 MAPIa蛋白の欠失が他の蛋白の発現に影響を及ぼしているかどうかを調べるため、脳破砕物でのウェスタン・ブロッティングを行ったが、他の微小管関連蛋白(MAP1b、MAP2、タウ蛋白)、細胞骨格蛋白(チュブリン、アクチン)、MAGUK(PSD-93、PSD-95)、NMDA型受容体(NR2B、NR2A、NR1)、AMPA型受容体(GluR1)、前シナプス蛋白(Synapsin I)の量に野生型マウスとノックアウトマウスとの間で有意な差は認められなかった。

 野生型マウスとMAP1Aノックアウトマウスの差は、凍結脳組織切片を抗NMDA型受容体(NR2B)抗体で染色したときにあらわれた。海馬CA1領域において、野生型マウスではほとんど染色が認められないのに対MAP1A-/-マウスでは錐体細胞の細胞体と尖側樹状突起に染色が認められた(下図左)。

 正常脳組織では、NMDA型受容体がシナプス後膜表面に発現される時にはPSD-95などの足場蛋白や周囲の細胞骨格と結合して堅牢な構造物を作るため、抗原決定基がマスクされ、通常の方法で染色を行っても染色が認められない7。MAP1A-/-マウスでは、NR2Bの染色が野生型に比し強くなっており、細胞骨格と結合していないfree populationの割合が増えていると考えられた。

 抗原決定基がマスクされている場合、ペプシンなどの酵素で抗原賦活処理を行うことにより染色することができる。野生型マウスでペプシン処理を行うと、放線状層においてNR2Bが粒状に強く染色されるようになった。しかし、MAP1A-/-マウスではペプシン処理後の染色は野生型に比べ薄くなっていた(上図右)。

 海馬初代培養細胞ではNMDA受容体が斑点状に染色されるが、MAP1A-/-マウス由来の海馬細胞では斑点が樹状突起本幹に分布し、シナプスが存在する樹状突起棘への分布が減少していた(下図)。統計的には、シナプスに分布しているNMDA受容体の割合が平均で野生型94%、ノックアウト79%となり、有意な差が認められた。

 抗MAP1a抗体を用いた免疫沈降実験では、MAP1aの他にPSD-95、NR2B、チュブリン、アクチンが共沈し、これらの分子が生体内で結合していることが明らかになった。さらに、抗PSD-95抗体、抗NR2B抗体で免疫沈降反応を行ったところ、MAPIA-/-マウスでは野生型マウスに比しアクチン、チュブリンの沈降量が明らかに減少していた。

考察及び結論

 本研究では、MAP1aがNMDA型受容体のシナプスヘの分布に重要な役割を果たしていることが示された。MAPIAノックアウトマウスではPSD-95を介したNR2Bの細胞骨格への結合が減少しており、そのためNR2Bが樹状突起棘に分布しにくくなっているものと考えられた。

 MAPla蛋白の発現量が生後20日に最大となること、マウス脳において神経突起同士のネットワークがこの時期にほぼ完成すること8、およびMAP1aノックアウトマウスの死亡例がこの時期に集中することを考えると、MAPla蛋白はNMDA型受容体の樹状突起棘への分布作用を通じて神経シナプスの形成に関わっている可能性がある。

図1:MAP1a蛋白の一次構造

図2:海馬組織の免疫染色。

(左)ペプシン処理なし、(右)ペプシン処理を行った後に染色。

図3:海馬初代培養細胞の前シナプス蛋白(Synaptophysin:赤)、NMDA型受容体(NR2B:緑)による染色

図4:本研究から予想される神経細胞シナプス構造の模式図。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、高等生物の神経細胞において重要な役割をはたしていると考えられる、微小管関連蛋白1A microtubule-associated protein 1A(MAPIA)について、標的遺伝子組み替え法によりノックアウトマウス(遺伝子欠失マウス)を作成し、その解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.MAP1Aノックアウト(-/-)マウスは、出生後1週より徐々に活動量の低下・哺乳不全・発育の遅れが認められた。生後14-17日に行った行動学的検査では、MAP1A-/-マウスは握力、温度知覚、運動能、空間探索行動の明らかな低下を示し、さらに、生後19-25日に限定して全体の65%(20匹中13匹)が死亡した。

 2.MAP1Aノックアウトマウスにおいては、脳の全般的な組織構築は保たれており、微小管の分布や密度、さらに海馬CA1領域でのシナプス密度、シナプス形態に明らかな異常は見られなかった。

 3.しかし、凍結脳組織切片を抗NMDA型受容体(NR2B)抗体で染色した際には明らかな異常が認められ、野生型マウスではほとんど染色が認められないのに対し、MAP1Aノックアウトマウスでは錐体細胞の細胞体と尖側樹状突起に染色が認められた。これはMAP1Aノックアウトマウスでは細胞骨格と結合していないNMDA型受容体の割合が増えていることを示すものと考えられた。また、ペプシン処理を行った後の組織切片を染色すると、野生型マウスでは放線状層においてNR2Bが粒状に強く染色されるようになった。しかし、MAP1A-/-マウスではペプシン処理後の染色は野生型に比べ薄くなっていた。

 海馬初代培養細胞ではNMDA受容体が斑点状に染色されるが、MAP1A-/-マウス由来の海馬細胞では斑点が樹状突起本幹に分布し、シナプスが存在する樹状突起棘への分布が野生型に比べ有意に減少していた。これらの結果より、MAP1A-/-マウスではNMDA受容体のシナプスヘの分布に異常が生じていること、また、MAP1A-/-マウスの示した神経学的異常はNMDA受容体の異常に由来する可能性が示唆された。

 4.抗MAP1a抗体を用いた免疫沈降実験では、MAP1aの他にPSD-95、NR2B、チュブリン、アクチンが共沈し、これらの分子が生体内で結合していることが明らかになった。さらに、抗PSD-95抗体、抗NR2B抗体で免疫沈降反応を行ったところ、MAP1A-/-マウスでは野生型マウスに比しアクチン、チュブリンの沈降量が明らかに減少していた。これより、ノックアウトマウスではNMDA型受容体と細胞骨格との結びつきが低下しており、そのためにNMDA型受容体のシナプスヘの分布に異常が生じている可能性が示唆された。

 以上より、本論文では、MAP1A遺伝子欠失マウスの解析を通して、MAP1a蛋白がNMDA型受容体のシナプスヘの分布に重要な役割を果たしていることを明らかにした。本研究は、これまで未知に等しかった、細胞骨格蛋白とシグナル受容体蛋白との関連を明らかにし、シナプス形成のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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