No | 118371 | |
著者(漢字) | 宮崎,賀織 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ミヤザキ,カオリ | |
標題(和) | マウスにおける妊娠期の砒素曝露による母体-胎仔系への影響 : セレン代謝への影響に着目して | |
標題(洋) | Effects of gestational exposure to inorganic arsenic on maternal-fetal complex in mice, with special reference to selenium metabolism | |
報告番号 | 118371 | |
報告番号 | 甲18371 | |
学位授与日 | 2003.03.28 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(保健学) | |
学位記番号 | 博医第2178号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 国際保健学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | [緒言] 砒素汚染はインド、バングラデシュ、中国など開発途上国を中心に多くの国で報告でされている。砒素毒性に影響を及ぼす多くの攪乱因子が存在しているが、特に開発途上国においては低栄養状態での影響が懸念される。 微量栄養素であるセレンは砒素の胆汁排泄を促進することが動物実験で明らかになっており、砒素の代謝に関連することが知られている。また妊娠期の砒素曝露によりひき起こされる胎仔死亡、奇形といった胎仔毒性をセレンが軽減する知見も報告されている。砒素汚染が多発する開発途上国では、セレン含有量が多い動物性食物の摂取量が少ないことから低セレン栄養状態となるリスクが高いと考えられる。実際にバングラデシュの砒素汚染地域の住民を対象とした著者らの研究で、尿中砒素濃度とセレン濃度に負の相関が認められた。このことは飲料水を介した砒素曝露がセレンの代謝に関連している可能性を示唆している。両元素の相互作用の解明は砒素中毒の発症メカニズムの解明に寄与することができると考える。 胎児は、成人に比べて有害物質に対する感受性が高い場合が多く、砒素曝露による健康影響が懸念されるが、これまでの砒素の健康影響についての報告は、皮膚症状、高血圧などの循環器症状、ガンなどが大部分で発達毒性についての報告はほとんどない。動物実験による発達毒性の報告は、高濃度の砒素投与による奇形・体重減少を指標とし検討したものが多く、ヒトで認められる曝露レベルでの健康影響の評価に有用な知見はほとんどない。 本研究はセレンとの相互作用に着目し、妊娠期の砒素曝露が母体・胎仔組織中セレンおよびセレン酵素(glutathione peroxidase; GPx, thioredoxin reductase; TRxR)活性に与える影響を調べ、ヒトの健康影響の評価に基礎的情報を提供することを目的とした。 [方法] 現実の人間集団における砒素曝露の健康影響評価に有用になるよう、経口曝露により、砒素汚染地域の飲料水中に存在している3価の無機砒素[As(III)]を、妊娠マウスに投与した。複数の用量レベルを設け投与試験を行い、母体死亡、体重減少にみられる母体毒性、胎仔死亡・奇形にみられる胎仔毒性が顕在化しない投与量を検討した。投与試験の結果得られた母仔毒性の見られない砒素の投与条件下で、母仔組織中のセレンおよびセレン酵素への影響を調べた。またセレン供給を制限すると、その影響が顕著になる予想されたため、セレン欠乏条件下での砒素の母仔組織中のセレンおよびセレン酵素への影響についての検討も行った。 ICR系妊娠マウスに、亜砒酸ナトリウムの形で0〜308μmol/kg/dの8段階の投与量を設け、各投与量n=4〜6とし、妊娠7日目から16日目まで経口投与を行った。投与期間中の母体の死亡の観察、体重の測定を行い、妊娠17日目に解剖し、胎仔死亡、奇形、胎仔体重など胎仔毒性について検査するとともに、母体および胎仔の肝臓、脳を採取し、砒素濃度を測定した。 投与試験において母体・胎仔毒性の見られなかった最大投与量115μmol/kg/dおよびその半量(58μmol/kg/d)の砒素を投与した群で母仔の肝臓および脳中セレン濃度およびセレン酵素(GPx,TRxR)の活性を測定した。 妊娠0日目よりセレン欠乏餌を摂取させた妊娠マウスに、同様に妊娠7日目から16日目まで砒素の投与を行い、母仔の肝臓、脳、胎盤においてセレンおよびセレン酵素の活性を測定した。投与量はセレン欠乏の影響を考慮して58μmol/kg/dのみとした。 [結果および考察] 母体毒性の見られない115μmol/kg/d以下の投与量では胎仔毒性も認められなかったが、139〜308μmol/kg/dの投与量では母体毒性、胎仔毒性ともに観察された。母仔ともに組織中の砒素濃度の量依存的な上昇が観察された。また母仔毒性が顕在化しない投与量においても砒素の蓄積がみられた。特に注目すべき点は、胎仔脳での砒素濃度が母体と同レベルでみられた。同レベルの砒素を蓄積した母仔脳で、仔の脳のみに病理的変化を認めた先行研究の結果を考慮すると、胎仔脳に与える影響が懸念される結果となった。 母仔毒性が顕在化しない投与量において砒素投与群では母体・胎仔とも肝臓中のセレン濃度が低下した(図1)。脳では母体・胎仔とも影響は認められなかった。母体肝臓において砒素投与によるGPx活性の低下が認められたが、その他の組織では影響は観察されなかった。一方、胎仔の肝臓で砒素投与によるTRxR活性の上昇が見られた。すなわち、砒素曝露による母体と胎仔への毒性が顕在化しない投与量でも、妊娠期の砒素曝露は母仔ともにセレン代謝に影響し、その内容は母仔で異なることを示した。 セレン欠乏によって組織中砒素濃度が上昇する傾向がみられ、母体肝臓および胎仔脳では統計的に有意な上昇がみられた(表1)。セレン欠乏および充足群においてセレン濃度およびGPx活性への砒素の影響に顕著な違いは認められなかった。欠乏群では砒素投与によりTRxR活性は胎仔の肝臓(表2)と脳において低下が見られたが、セレン充足群ではこのような低下を認めなかった。また胎盤においてTRxR活性は胎仔肝臓と同様に砒素投与によってセレン充足群で活性の上昇、欠乏群で活性の低下が観察された。 本実験では、セレン欠乏状態では砒素が組織中に蓄積しやすいことを示した。また母仔とも死亡や体重減少といった粗く特異性の低い指標には差が認められなかったが、セレンの栄養状態によって胎仔におけるTRxR活性への砒素の影響は異なった。一方母体では砒素の影響にセレンの栄養状態による顕著な違いはみられなかった。セレン欠乏群の胎仔で見られたTRxR活性の低下は、酸化ストレスやアポトーシスに繋がることが幾つか報告されており、胎仔組織の障害が懸念される結果を示した。 [結論] 本研究では、妊娠期の砒素曝露によって母体毒性(母体死亡・体重減少)、胎仔毒性(胎仔死亡・奇形)が顕在化しない投与量においても、母仔の肝臓と脳に砒素が検出され、母仔のセレンの代謝およびセレン酵素活性への影響が認められた。また、セレン欠乏は調べた全ての組織への砒素の蓄積を増加させた。さらに、セレン欠乏下で胎仔の肝臓と脳でTRxR活性の阻害が認められ、胎仔組織の障害が懸念される結果を示した。本研究で認められたような砒素とセレンの相互作用は、砒素汚染地域の住民においても起こっている可能性があり、特にセレン摂取量が低い集団において、両元素の動態と健康影響を研究する必要性があると考えられる。 図1.砒素曝露による母仔肝臓中セレン濃度への影響 Significantly different from the control group (p<0.05). 表1.低セレン餌が母仔組織中砒素濃度(nmol/g tissue)に及ぼす影響(平均±SD) a.Two-way ANOVA, **p<0.001, #0.05<p<0.1, NS, not significant (p>0.1). b.Significantly different from Se-sufficient group of the same As exposure, §0.05<p<0.1, §§p<0.001, by one-way ANOVA. 表2.低セレン餌と砒素投与が母仔肝臓のGPx及びTRxR活性に与える影響(平均±SD) a.GPx活性はnmol NADPH oxidized/mg protein/min, b.TRXR活性はnmol DTNB reduced/mg protein/minとして示した。c.Two-way ANOVA, **p<0.001, *p<0.05, #0.05<p<0.1, NS, not significant (p>0.1). d.Significantly different from control group fed the same diet, §p<0.05, by one-way ANOVA. e.Significantly different from Se sufficient group of the same As exposure, +p<0.05, ++p<0.001, by one-way ANOVA. | |
審査要旨 | 本研究は砒素曝露によるヒトの健康影響の評価に基礎的情報を提供する目的で、砒素とセレンの相互作用に着目し、妊娠期の砒素曝露が母仔組織中のセレン、セレン酵素(glutathione peroxidase; GPx, thioredoxin reductase; TRxR)に与える影響を調べたものであり、下記の結果を得ている。 1.砒素汚染地域の飲料水中に存在する3価の無機砒素[As(III)]を経口曝露により、ICR系妊娠マウスに妊娠7日目から16日目まで投与した結果、母体毒性(死亡、体重減少)の見られない115μmol/kg/d以下の投与量では胎仔毒性(死亡、体重減少、奇形)も観察されないことを示した。 2.妊娠期に砒素を投与した結果、母仔ともに肝臓、脳中の砒素濃度に量依存的な上昇が見られ、母仔毒性が顕在化しない投与量においても母仔組織中に砒素の蓄積が見られた。脳においては母仔同レベルの砒素が検出された。 3.母仔毒性の指標として死亡、体重減少といった粗い指標では明らかな母仔毒性が認められない投与量で、母仔組織中のセレン濃度およびセレン酵素活性への影響を調べた結果、母仔毒性の顕在化しない投与量(115μmol/kg/dおよびその半量58μmol/kg/d)において砒素投与群では母仔ともに肝臓中のセレン濃度が低下することが明らかになった。脳では母仔とも影響は観察されなかった。 4.母仔毒性の顕在化しない投与量で、母体肝臓において砒素投与によるGPx活性の低下することを示した。胎仔肝臓、母仔脳においては影響は認められなかった。また胎仔の肝臓で砒素投与によってTRxR活性が上昇することを示した。このように、砒素曝露による母体と胎仔への毒性が顕在化しない投与量でも、妊娠期の砒素曝露は母仔ともにセレン代謝に影響し、その内容は母仔で異なることを示した。砒素はセレンの代謝に関連することが動物実験で明らかになっているが、本研究では妊娠期の砒素曝露が胎仔のセレン代謝に影響することをはじめて示した。 5.セレン充足状態で砒素が母体-胎仔のセレン代謝に影響することが明らかになったため、セレン供給を制限するとその影響が顕著になると予想された。そこでセレン欠乏餌を摂取させた妊娠マウスに同様に砒素の投与を行った。その結果、母仔とも死亡や体重減少といった粗く特異性の低い指標には、セレン欠乏群、充足群に差は認められなかった。 6.セレン欠乏下での妊娠期間の砒素投与は、母仔ともに組織中砒素濃度がセレン充足下での投与に比べて上昇する傾向があることが明らかになった。母体肝臓および胎仔脳では統計的に有意に上昇することを示した。 7.セレン欠乏下での妊娠期の砒素投与の結果、セレン欠乏および充足群において母仔の肝臓、脳および胎盤のセレン濃度への砒素の影響に顕著な違いは観察されなかった。 8.妊娠期の砒素投与によって、母体では砒素のGPx,TRxR活性への影響にセレン欠乏群、充足群で差は見られないことが示された。一方、胎仔ではセレン欠乏群で砒素投与により、肝臓と脳でTRxR活性の低下、脳でGPx活性の低下が明らかになった。胎盤においては、胎仔肝臓での観察結果と同様に砒素投与によりセレン充足群ではTRxR活性の上昇、欠乏群ではTRxR活性の低下を示した。 このように本研究では、妊娠期の砒素曝露は母仔毒性の顕在化しない投与量において母仔ともにセレン代謝に影響することが明確となった。またセレン欠乏状態では砒素が組織中に蓄積しやすいこと、セレンの栄養状態によって胎仔におけるセレン酵素への影響は異なることを示した。セレン欠乏群の胎仔でみられたセレン酵素活性の阻害は酸化ストレスやアポトーシスに繋がると考えられており、胎仔組織障害の可能性が示唆された。本研究で認められた砒素とセレンの相互作用は、砒素汚染地域の住民においても起こっている可能性があり、特にセレン摂取量が低い集団において、両元素の動態と健康影響を研究する必要性を示唆した。 以上、本論文は妊娠期の砒素曝露が母仔のセレン代謝に影響を与えることを示したものである。本研究は砒素曝露によるヒトの健康影響の評価に基礎的な情報を提供し、砒素中毒の発症メカニズムの解明に重要な貢献をしていると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 | |
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