学位論文要旨



No 118372
著者(漢字) 野口,真貴子
著者(英字)
著者(カナ) ノグチ,マキコ
標題(和) 日本における助産所出産の特性を生かしたSafe Motherhood戦略の方向性
標題(洋)
報告番号 118372
報告番号 甲18372
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2179号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若井,晋
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 講師 河,正子
 東京大学 講師 春名,めぐみ
内容要旨 要旨を表示する

I.緒言

 1987年のSafe Motherhood Initiativeで、西暦2000年には妊産婦死亡率を半減するという目標が掲げられて以来、妊産婦保健対策が優先事項として展開されてきた。しかし、1997年の専門協議会で、最初の10年間に行われたSafe Motherhood戦略では妊産婦死亡を十分には改善できていないことが明らかにされた。

 従来のSafe Motherhood戦略では、妊娠や出産を常に機能不全になる危険性が高いプロセスととらえ、医療で管理する医学モデルによるアプローチが中心であった。これにより妊娠や出産に関連して発症する合併症の管理や新生児の集中治療ケアが発展し、ハイ・リスクの母児の安全性を高めることができたが、リスクの低い妊娠や出産にも同じように実施される科学的根拠のない、不必要な医療介入の弊害も報告されるようになった。

 医学モデルとは異なる代替的なアプローチとして、妊娠や出産を正常で生理的なプロセスととらえ、女性の産む力を尊重した非介入的な助産モデルがある。出産時のサポートのように女性を支えるケアの有効性は証明されているが、助産モデルを組みいれたSafe Motherhood戦略は、安全性への懸念からほとんど実施されてこなかった。

 助産モデルを導入することで、医学モデルだけでは達成されなかった部分への効果が期待でき、医学モデルの弊害も回避できると考える。そのため本研究は、助産モデルを重視している日本の助産所での妊娠、出産状況から、助産所出産の特性を生かした新しいSafe Motherhood戦略の方向性を検討することを目的とした。

II.研究方法

 日本の助産所出産という現象を総体的にとらえるために、量的研究と質的研究から検討した。まず、研究フィールドとしたある助産所を1993年から1999年に受診した全ケース556例について診療、助産録からデータを収集し、助産所受診ケースの妊娠、出産状況を量的に分析した。次に、1986年から1999年にこの助産所で出産した175名の女性が、産後1週間以内に書いた出産体験記の内容を質的に分析し、助産所出産体験を探究した。

 これらの調査結果から導かれた日本の助産所出産の特性を生かした、新しいSafe Motherhood戦略の方向性を検討した。

III.研究結果

 1.助産所受診ケースの妊娠、出産状況

 1993年から1999年にこの助産所を受診した556例のうち、助産所内での出産が438例(78.8%)、助産所の助産師が介助した自宅出産が77例(13.8%)であった。分娩開始後に搬送して病院出産したものが22例(4.0%)、妊娠期に転院したものが18例(3.2%)、その他が1例(0.2%)であった。

 助産所受診ケース556例のうち初産婦は220名(39.6%)、経産婦が336名(60.4%)で、平均年齢は31.0±4.3歳(平均値±標準偏差)であった。受診ケースの79.0%が、助産所の所在地と同一市内もしくは同一県内に居住していた。

 助産所での妊婦健康診査の平均受診回数は6.4±2.5回で、主に妊娠中期から受診していた。妊婦健康診査を受診したケースの71.4%には、高血圧、蛋白尿、糖尿、浮腫のどれも認められず、妊娠全期を通じての平均体重増加量は8.8±3.2kgであった。

 分娩時の平均在胎週数は妊娠39週6日±8日で、平均分娩所要時間は初産婦で19時間38分±13時間23分、経産婦は7時間45分±6時間16分で、中央値はそれぞれ17時間44分と6時間0分であった。平均分娩時出血量は471.4±303.4mlで、中央値は400mlであった。出産時に会陰切開などの産科医療介入は行われていない。会陰裂傷発生率は46.0%だが、第III度裂傷はなかった。83.9%の出産に、女性の家族や友人による出産時の立ち会いがあった。フリー・スタイル出産であるため特定の体位に限定せず、女性の希望や状況に応じてよつんばいや座位、スクワッティング、側臥位、立位など、分娩体位は多様であった。

 助産所受診ケースから出生した児509名のアプガースコア(生後1分)の平均値は9.3点で、重症仮死は2例(0.4%)、軽症仮死は5例(1.0%)あった。

 他の医療機関への紹介や受診、搬送という医療機関との連携率は、妊娠期8.1%、分娩期11.0%、産褥期7.6%、新生児期5.8%であった。連携を実施した176例のうち、1次医療機関との連携は109例(61.9%)、2次医療機関は53例(30.1%)であった。連携が必要となった理由で多かったものは、妊娠期では予定日超過、陣痛期では分娩遷延や微弱陣痛、児娩出後には癒着胎盤や会陰裂傷、新生児では黄疸であった。連携先医療機関では、それぞれのケースの症状や状態に応じて医師の診察や医療処置が行われていた。研究対象期間に子宮内胎児死亡が1例あったが、妊産婦死亡や新生児死亡は発生していなかった。

 2.助産所出産体験

 175名のうち171名が、体験した出産全体に肯定的な評価をしていた。肯定的な助産所での出産体験は、4つのカテゴリーと23のサブカテゴリーから構成されていた。

 【出産に向けての思い】というカテゴリーは、女性が妊娠期に描いていた出産像や出産の希望が含まれていた。【助産婦のサポート】には、助産モデルを実践する助産師が示されていた。女性が出産という心身の変化にある自分自身や自分を支えている周囲の人々の存在、分娩進行に認識を深める様子は、【出産時における知覚】に認められた。さらに【出産からの学び】では、出産体験を通して自身の成長を自覚し、周囲の人との関係の大切さに気づき、自然や社会の在りかたに意識を高めているというエンパワーした女性を認めた。

 肯定できなかった出産体験を記述していた4名も否定的な内容ばかりではなく、【助産婦のサポート】、【出産における知覚】、【出産からの学び】に含まれている内容も認められた。全面的に肯定できなかった理由には、【期待と異なった出産体験】、【出産時の自分に対する反省】という正常から逸脱した分娩経過や自分の行動に対する厳しい自己評価があった。

IV.考察

 研究フィールドの助産所での妊娠、出産状況、出産体験より導かれた助産所出産の特性から、助産モデルを導入したSaf6Motherhooc1戦略を検討した。

 助産所では、継続的なプライマリー・ケアが提供されていた。女性が生活している身近でケアを受けられることが妊産婦死亡を改善し、継続したかかわりも母児の安全を支えることが明らかにされているので、1次レベルでの継続ケアを展開できるようにすべきである。

 また、助産所は家庭的な環境で、女性を尊重するサポートが行われていた。家庭的な出産環境やサポートが手術的な分娩を減らし、女性の満足度を高めるなどの効果は証明されているため、助産モデルの概念に基づいた出産環境やケアの導入は有益だと考える。

 助産所出産体験を通じて女性は自身への評価を高め、人と支えあう関係の大切さや子どもを産み育てるという女性の役割、健康を支える食生活の意味、そして自然の摂理や現代社会の矛眉に気づいていた。出産体験が女性をエンパワーする契機となりうることから、出産のケアを充実することは、女性の潜在能力を拡大させていくことに通じると考える。

 助産所では会陰切開や慣例的な会陰部の剃毛、血管確保、浣腸などの処置は実施されず、自然の経過を促す助産ケアが行われていた。必要時には医療機関と連携して必要な医療を受けられる方策を兼ね備えているが、自然なプロセスと女性の産む力を尊重する助産所は、女性が自律性を維持でき、慣例的で不必要な医療介入を回避できる出産環境といえる。

 分娩開始時点で70%から80%が該当するリスク要因の低い女性の出産では、助産師によるケアの安全性は証明されている。助産所では、正常な妊娠や出産を助産モデルでケアし、そのケアの過程で正常から逸脱する可能性が認められた場合には、適切に医療機関と連携していた。これは、助産モデルと医学モデル双方の利点を生かせる在りかたと考える。

 このように、助産所では科学的に有効なケアが行われ、出産体験が女性の内的な変化の契機となりうることが示されたので、助産所出産には妊娠や出産のケアを向上するための示唆があり、これを積極的にとりいれるべきだと考える。日本の助産の概念とケアを展開した国際協力事業団によるブラジル家族計画母子保健プロジェクト(1996〜2001年)が、世界一高い帝王切開率のブラジル、セアラ州に女性を支える人間的な出産をもたらしたように、日本の助産所出産の特性は国際的にも貢献できると考える。この日本における助産所出産の特性を生かした新しいSafe Motherhood戦略には、以下の4点が重要と考える。

1)女性の産むカを支える継続的なプライマリー・ケアの提供。

2)原則的に正常妊娠、正常分娩を対象とした地域に根づいた家庭的な出産環境の整備。

3)必要時、状態に応じたレベルのケアに搬送できる医療機関との協力関係の整備。

4)助産モデルに則った助産技術と、医学モデルとの連携を判断できる医学知識をあわせもつケア提供者の育成。

 これらの項目を包括したプログラム開発が、次の目標である。そのためまず、助産モデルを組みいれたSafe Motherhood戦略に関する共通理解を得るために、助産モデルの効果を実証する研究や国際的な論議を高める広報普及活動の推進が課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、妊娠や出産を正常で生理的なプロセスととらえる助産モデルを重視した日本の助産所出産の特性を明らかにすることから、助産モデルを組みいれたSafe Motherhood戦略の方向性を検討し、以下の結果を得ている。

1.地域に根づいた助産所では、助産師が女性と1対1で、妊娠期から産後まで継続的にケアを行う体制がとられていたことから、継続したプライマリー・ケアの提供という母児の安全性にも寄与する助産所出産の特性が明らかにされた。

2.助産所の助産師は、確かな助産技術を備え、自然の摂理を尊重し、女性と同等の立場で受けとめ、見守り、心をこめて接する、母親のようにあたたかいサポートを行っていたことから、家庭的な出産環境でのサポートという助産モデルに基づく助産所出産の特性が具体的に明らかにされた。

3.助産所出産で女性は、自分自身や自分を支えている周囲の人々、分娩進行への認識を深め、出産体験を通じてエンパワーされていた。出産体験が女性のエンパワーメントの契機になることから、21世紀の国際協力の理念である人間開発アプローチの一環として出産をとらえるという意義が示された。

4.助産所では、不必要な産科医療介入をしない出産が行なわれていたことから、過度な医療化の弊害をさけるという、助産モデルによる出産の在りかたが明らかにされた。

5.助産所は正常妊娠、正常分娩を対象とする出産環境という特性があるが、必要時には適切に医療機関と連携することで、医療処置や医師の診断を受けていた。そのため、必要なレベルのケアに搬送できる医療機関との協力体制、医療の必要性を判断できるケア提供者、正常からの逸脱を早期に発見できる個別的な継続ケアの意義が示された。

 これら5項目の助産所出産の特性は、従来のSafe Motherhood戦略ではあまり重視されなかった内容であるため、このような日本の助産所出産の特性を生かしたSafe Motherhood戦略の重要性と必要性が提示された。

 以上、本研究は、初めてSafe Motherhood戦略という国際保健の視点から日本における助産所出産の特性を、量的研究方法と質的研究方法を用いて総体的に明らかにしたため、学位の授与に値すると考えられる。

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