学位論文要旨



No 118373
著者(漢字) 崎坂,香屋子
著者(英字)
著者(カナ) サキサカ,カヤコ
標題(和) ニカラグア国グラナダ県におけるO-23ヶ月の子どもの栄養不良の決定要因に関する研究
標題(洋) Determinants of child malnutrition aged 0-23 months in Granada, Nicaragua
報告番号 118373
報告番号 甲18373
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2180号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 全世界で依然として150百万人の子どもが栄養不良の状態にある。5歳未満の子どもの死亡の半数は栄養不良が関連し、また多くが呼吸器感染症、下痢症等の感染症の罹患によるものである。中米ニカラグア国は一人当たりGDPが480米ドルで世銀分類で低所得国にあたる。ニカラグアはソモサ政権期(1936-1979)に中南米で最も低い医療水準にあったが、社会主義体制となったサンディニスタ政権期(1979-1990)に教育、保健医療に予算が多く配分され、保健推進員(community health workers: CHWs)の活用等により乳幼児死亡率が大きく改善された。しかし1990年以降の民主政権下で保健医療予算は世銀IMFの構造調整政策を採用した影響で漸減した。保健所の閉鎖、医療スタッフの削減等により特に貧困層の人々の健康への改善努力は鈍化した。低所得国の貧困地域では簡易で低価格、即ち費用対効果が高く、かつ長期に維持可能な方策を見出す必要がある。本研究では0-23ヶ月の子どもの栄養不良の決定要因を解明し、保健医療サービスにおいて人員、施設増加等のハードインフラあるいは受益者の研修機会等のソフトインフラの何が必要なのかを検証しようとした。分析課題として都市部、郡部別の居住地域と母親の受診行動が子どもの栄養状態により影響するという仮説を設定した。

目的

 本研究の目的は、1980年代に内戦で疲弊し,一人当たりGDPが依然として480米ドル(2001)である中米ニカラグア国において母子保健の改善のために疾病罹患、地域保健推進、栄養の問題点を明らかにし、廉価で継続性のある方策を明らかにすることである。

対象と方法

1.2001年4-5月(乾期)にグラナダ県(首都から67km)4市において204人の5歳未満の子どもを持つ母親に対し、子供の疾病罹患状況および関連要因を明らかにするために構造化された質問項目(structured questionnaire)に基づき世帯訪問で面接調査を行った。母親の社会経済状態、世帯環境、過去2週間の調査対象児の疾病罹患についての聞き取り及び試験紙による飲用水の簡易大腸菌検査を行った。4市から25%ずつの標本率に基づいてランダムに村を抽出した。抽出した村では5歳未満の子どもがいる世帯の全戸訪問を実施した。

2.2001年5月に同じグラナダ県4市で活動するCHWs86人に対し、活動内容、満足度、インセンティブについて構造化された質問項目に基づき面接調査した。予防接種強化週間に活動中の4市のCHWs全員を対象とした。

3.2002年3月に上記1の結果を踏まえ、グラナダ県ナンダイメ市を対象として756組の0-23ヶ月の子どもとその母親を対象として、構造化された質問項目に基づき、世帯訪問での面接調査及び対象児の身長、体重を測定した。ナンダイメ市は保健所のある市中心から3km以内が都市部、3km以上が郡部、と明確に区分されており、保健所から最大20km迄の世帯を対象とした。WHO(1983)のガイドラインに沿って栄養不良児の比率を先行研究から35%とし、必要サンプリング数をそれぞれ364ずっとした。2段階クラスターサンプリング手法を用い、都市部、郡部においてそれぞれ県保健局の2歳未満児の予防接種者リストを参照し、都市部は5地区全戸訪問、郡部は北部である都市部を除く南、西、東部からそれぞれ10村ずつ計30村抽出した。対象村では全戸訪問を行った。子どもの栄養状態はWHOとCDCの開発したz-scorsを算出して比較した。データ入力および統計学的分析にはSPSS 11.0版とEpi-Info 2000を用いた。

結果

 1の調査においては過去2週間に調査対象の子どもの51.2%に呼吸器感染症の症状が、22.5%に下痢が認められた。ロジスティック回帰分析の結果、関連要因として呼吸器感染症には世帯の居住地、住居の環境要因,下痢には子どもの月齢(24ヶ月未満)が同定され、24ヶ月未満の子どもとその世帯の詳細な調査の必要性が示唆された。

 2の調査においては、CHWsの70%以上は自発的に志願し、世帯訪問、予防接種活動等を行っており活動満足度も高かったが(79%)、30歳以上で(p<0.001),活動歴4年以上、6年以下の教育水準のCHWs(p<0.05)は報酬、交通費支払い等よりも研修機会を強く望んでいることが明らかとなった。

 3の調査(n=756,urban:364+rural:392)においては以下のことが明らかにされた。

1)30.1%の子どもが長期間にわたる、すなわち慢性的栄養不良を示唆する<-2SDHAZ(stunting)であった。他方、飢饉などの緊急事態に見られる急性栄養不良の指標である<-2SDWHZ(wasting)は5.0%にとどまっていた。'現在の'栄養不良の指標としての<-2SDWAZ(underweight)は全体の10.3%であった。

2)長期の栄養状況を反映する<-2SDHAZ(stunting)の決定要因は出生時低体重、女児、母親の非識字または就学経験なし、低収入世帯、12ヶ月を超えての母乳の継続等であった。居住地、受診行動は関連がなかった。他方現在及び近い過去の栄養状況を反映する<-2SDWAZ(underweight)の決定要因は女児、12ヶ月を超える母乳の継続、子どもの定期健診への参加なし、であった。出生時低体重、疾病の既往、居住地は関連がなかった。

3)都市部、郡部間では社会経済状況(母親の就学年数・職業、世帯月収)および世帯環境(電気、水供給、衛生施設、所有財)には有意な差が見られ、出産場所、母乳哺育期間、家族計画の方法等にも有意な差があった。しかし子どもの疾病時の利用医療施設の選択、月平均医療費、健康教育の参加回数に居住地別で有意な差は見られなかった。

4)世帯月収を4層に分けて解析したところ、利用医療施設は第1選択では有意な差が見られ最富裕層は民間施設を、中間2層は保健所を、最貧層は有意に多く自己投薬等を行っていた(p<0.01)。しかし第2選択になると有意差はなく、中間層、最貧層とも民間施設の利用率が増加した。層別の平均医療費の世帯月収に占める割合には有意な差があった(p<0.001)。

5)90%を超える母親は過去6ヶ月以内に子どもの健診を受診しており、出産(>85%)、疾病時、予防接種での保健所利用率は高く、満足度も貧困層(58.0%),中間層(58.2%-64.5%)富裕層(69.3%)共に高かった。しかし、富裕層はより質の高い医療サービスを期待し、貧困層は廉価の医療サービスを期待していた。貧困層はより子どもの健康維持に自信がなく、健康教育への期待が富裕層より高かった。

考察と結論

1)30.1%の子どもが長期にわたる慢性的栄養不良とされる<-2SDHAZであったが、急性的栄養不良を表す<-2WAZ比率は10.3%にとどまっており、更に食糧不足など紛争後や飢餓、飢饉を示唆する<-2WHZの比率はわずか5.0%であった。これは調査対象地においては子どもの発育に必要な総熱量の摂取には問題なく、質や栄養バランスなどに問題が惹起されている可能性があると考えられる。

 また長期での栄養不良の観点からは解析により母親の非識字や低収入など社会経済要因、出生時低体重、母乳の12ヶ月以上の継続や女児といった取り組むべき具体的課題が示唆された。現在および急性的栄養不良を表す<-2WAZでは出生時低体重、社会経済要因よりも子供の健診に参加せず、が発現要因として有意であったために定期健診(モニタリング)の実施などの措置が有効であることが示された。

2)しかし本調査のz-scoreの結果は過去10年以内に調査地を含む地域、あるいは近隣県で実施された調査結果と近似するものであった。当該国の経済成長、乳幼児死亡率の改善にもかかわらず2歳未満児の栄養状態においては大きな改善は見られなかった。しかし乳児死亡率等の水準は一人当たりGDP水準で4倍のエルサルバドル等の近隣中米諸国とほぼ同水準まで改善しており、当該国の保健医療に対する努力は効果を上げていると考えられる。

3)母親の教育、性差については当該国は女性の就学率が男性より高いことから、学校保健あるいは地域の中でより母子保健に関する教育を強化することが効果を挙げると考えられる。

4)月収に対する医療費の占める割合は、先行研究のアジア、アフリカの途上国諸国よりも有意に高かった。また公共医療施設利用率はGDPで同水準のアジアやアフリカの国と比較して著しく高かった。1979-1990年の社会主義時代の保健医療サービスヘの重点投資への継続的効果と考えられる。居住地域は、受診行動に影響を与えていなかったことか保健所から20km圏内では医療サービスが十分利用され、裨益効果があることが示された。

5)富裕層と貧困層では医療サービスヘの満足度および期待に差がみられた。調査結果からは公共医療施設への信頼が広く醸成されていることが見出されたので、公共医療サービスを引き続き強化、支援する方向が重要と考えられる。調査により意欲も高いことが明らかにされたCHWsの継続支援が地域保健強化には効果的であろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、1980年代に内戦で疲弊し,一人当たりGDPが依然として480米ドル(2001)である中米ニカラグア国において母子保健の改善のために廉価で継続性のある方策を検討する目的で3つの研究を行った。具体的には(1)5歳未満の子どもの疾病罹患と関連要因に関する調査(2001)(2)地域の保健推進員(CHWs)の実態調査(2001)(3)0-23ヶ月の子どもの栄養状態と関連要因に関する調査、を測定及び構造化された質問紙を用いて量的手法によって研究した。結果は下記の通りであった。

 1.1の調査では調査対象の子どもの51.2%に呼吸器感染症の症状が認められ、ロジスティック回帰分析の結果、関連要因として呼吸器感染症には世帯の居住地、住居の環境要因が示された。

2.2の調査ではCHWsの70%以上は自発的に志願し、世帯訪問、予防接種活動等を行っており活動満足度も高かったが(79%)、30歳以上で(p<0.001),活動歴4年以上、6年以下の教育水準のCHWs(p<0.05)は報酬、交通費支払い等よりも研修機会を強く望んでいることが明らかとなった。

3.3の調査(n=756,urban:364+rural:392)においては以下のことが明らかにされた。

1)30.1%の子どもが長期にわたる慢性的栄養不良とされる<-2SDHAZであったが、急性的栄養不良を表す<-2WAZ比率は10.3%にとどまっており、更に食糧不足など紛争後や飢餓、飢饉を示唆する<-2WHZの比率はわずか5.0%であった。これは調査対象地では子どもの発育に必要な総熱量の摂取には問題ないこと、他方長期での栄養不良の観点からは解析により母親の非識字や低収入など社会経済要因、出生時低体重、母乳の12ヶ月以上の継続や女児といった取り組むべき具体的課題が示唆された。現在および急性的栄養不良を表す<-2WAZでは子供の健診未受診が発現要因として同定され、定期健診(モニタリング)の実施などの措置が有効であることが示された。

2)母親の教育、性差については当該国は女性の就学率が男性より高いことから、学校保健あるいは地域の中でより母子保健に関する教育を強化することが効果を挙げると考えられる。

4)月収に対する医療費の占める割合は、先行研究のアジア、アフリカの途上国諸国よりも有意に高かった。また公共医療施設利用率はGDPで同水準のアジアやアフリカの国と比較して著しく高かった。居住地域は、受診行動に影響を与えていなかったことか保健所から20km圏内では医療サービスが十分利用され、裨益効果があることが示された。

5)富裕層と貧困層では医療サービスヘの満足度および期待に有意差がみられた。調査結果からは公共医療施設への信頼が広く醸成されていることが見出されたので、公共医療サービスを引き続き強化、支援する方向が重要と考えられる。知識習得意欲が高いことが明らかにされたCHWsの継続支援も地域保健強化には効果的であることが示唆された。

 以上、本論文はニカラグア国における子どもの栄養及び母親の受診行動、医療サービスの実態を明らかにし、低所得国における母子保健改善のための具体的方策を提言した。また、本研究手法は他の発展途上国に対しても適用が期待され、低所得の発展途上国の母子保健改善に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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