学位論文要旨



No 118381
著者(漢字) 伊東,哲志
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,テツジ
標題(和) テトロドトキシンの合成研究
標題(洋) Synthetic Studies on Tetrodotoxin
報告番号 118381
報告番号 甲18381
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1014号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 長澤,和夫
 東京大学 助教授 眞鍋,敬
 東京大学 助教授 徳山,英利
内容要旨 要旨を表示する

 テトロドトキシン(1)は、主にフグの肝臓や卵巣に存在する、非常に強い毒性を有する低分子アルカロイドである(Figure 1)。テトロドトキシンは筋肉や神経細胞膜に存在する電位依存型ナトリウムチャンネルに対して、選択的かつ高親和的に結合することにより、その毒性を発現することが知られている。構造は1964年に国内外の3つのグループにより決定された。1分子量319(分子式C11H17N3O8)の小さな分子でありながら、8個の連続する不斉中心を有し、ヘミラクトール、グアニジン部位を含む高度に酸素官能基化されたかご状化合物である。このような特異な生理活性及び構造のために、テトロドトキシンは有機合成化学者にとって非常に興味深くチャレンジングな合成標的化合物となっている。1972年に初のラセミ体の合成が岸、後藤らにより達成されて以来2、約30年間多くの合成研究が行われてきたにも関わらず全合成の報告はなかったが、最近磯部、西川らにより光学活性体の全合成が達成されている3。私は、この合成の困難なテトロドトキシンの新規方法論を用いた効率的な全合成経路の確立を目指し、本研究に着手した。

【スピロ構造を利用した合成経路の開発】

 テトロドトキシン(1)の安定性及び溶解性の点で不利であるヘミラクトール、グアニジン部位は合成の終盤で構築するものとすると、core skeleton(2)へと簡略化できる(Figure 1)。この6置換シクロヘキサン2を当面の合成目標に設定した。最初に検討を行った合成戦略の基本となる考えは、2の4級炭素に隣接するアミノ基と側鎖上の水酸基を結んでできる、3のようなスピロ環化合物の側鎖を利用した分子内反応により、シクロヘキサン環上に他の官能基を導入するというものである。

 p-Anisaldehydeを出発原料とし4段階でジオール4へと導いた(Scheme 1)。次に1級水酸基をTBS基で保護した後、スピロ環構築に必要なイミドジカーボネートの形成を行った。従来の方法では、水に極めて不安定なイソシアネートを蒸留により単離精製した後、反応を行わなければならなかった。今回、トリホスゲンとピリジンより発生させたホスゲンをカルバミン酸ベンジルに作用させることにより、ベンジロキシカルボニルイソシアネートを簡便に調整する方法を見いだした。このものをアルコールと反応させてスピロ環化反応前駆体5とした。続いて田口らの報告5に従い、5をLiAl(Ot-Bu)4で処理した後ヨウ素を作用させることにより、ヨウ化アミノ環化反応がジアステレオ選択的(ds=3:1)に進行し、スピロ構造を構築できた。続いてTBS基を脱保護した後、ヨウ素とトリフェニルホスフィンを用いてヨウ化物6へと変換した。6を80%酢酸水溶液中100℃にて加熱したところ、ジメチルアセタール部位の加水分解とそれに続く脱ヨウ化水素反応が進行し、α、β-不飽和ケトンが高収率で得られた。次にシリルエノールエーテルとした後、亜硝酸ナトリウムを用いてニトロアルカン7へと導いた。得られた7を触媒量のDMAP存在下(Boc)2Oで処理したところ、ニトリルオキシドの生成とそれに続く分子内1、3-双曲子環化付加反応が円滑に進行し、4環性化合物8を単一の立体異性体として与えた。ここにシクロヘキサン環上の3つの連続する不斉中心を制御して合成することができた。続いてシリルエノールエーテルを足掛かりとしてセレニドとした後、セレノキシド脱離を行って二重結合を導入し、9を高収率で合成することができた。9をDBUで処理したところ、酸性度の高いイソオキサゾリンのα位の脱プロトン化反応が進行し、3環性化合物10が得られた。次に四酸化オスミウムにより立体障害の少ない一方の二重結合のみを、立体選択的にジオール化した。後処理の際に弱塩基性の亜硫酸ナトリウムを用いることによりオキサゾリジノン環が形成され、生じた2つの水酸基を区別できた。さらに水素化ホウ素ナトリウムによりイソオキサゾリンを還元してイソオキサゾリジンとした。続いて得られたイソオキサゾリジンの窒素原子を選択的にAlloc基で保護して11とした。11のDess-Martin酸化により得たケトンに対し、メタクロロ過安息香酸を作用させたところ、位置選択的なBaeyer-Villiger反応が円滑に進行し6員環ラクトン12が生成した。このものをメタノリシスにより開環したところ、分子内で5員環エーテルの形成が起こり、9位水酸基の反転がみられた。続いてAlloc基を脱保護すると、さらにエーテル環が開裂しイソオキサゾリンを有する13が得られた。以上のようにテトロドトキシン合成の中間体となり得る化合物13をシクロヘキサン環上の3つの立体化学を制御して合成できたが、ヨウ化アミノ環化反応の立体選択性、9位水酸基の立体反転など効率性の点で満足できるものではなかった。そこでこれとは全く異なる方法論を用いた合成経路を検討することとした。

【ビシクロ[2.2.2]オクタン骨格を利用した合成経路の開発】

 さらなる効率的な合成経路の確立を目指し、以下のような逆合成解析を行った(Scheme 2)。1のヘミラクトール、グアニジン部位は合成の終盤で構築するものとし、core skeleton(2)のβ-ヒドロキシアルデヒド部位はAのジヒドロフラン環より誘導するものとした。Aのジヒドロフラン環はテトラヒドロフラン環の酸化により、上部ジオール部位はアルデヒドよりそれぞれ導くことを計画し、ケトアルデヒド体Bを前駆体として考えた。Bのケトン及びアルデヒド部位は、ビシクロ[2.2.2]オクタン骨格を有するCのジオール部位を酸化的に切断して得るものとし、Cを重要中間体として設定した。このものはDのビシクロ[2.2.2]オクテノン骨格を巧みに利用すれば、立体選択的に合成可能であると考えた。さらにこの骨格は、ジヒドロフランとフェノールの酸化により得られるジエンEとのDiels-Alder反応6により構築するものとした。

 2-Nitrovanillin(14)を出発原料とし、4段階の変換によりジエンの前駆体であるフェノール15へと導いた(Scheme 3)。15をメタノール中ビストリフルオロアセトキシヨードベンゼンで処理することにより電子欠乏性のジエンが生成した。このものに2、3-ジヒドロフランを作用させることで、Diels-Alder反応が進行しビシクロ[2.2.2]オクテノン骨格を構築できた。次にニトロ基を酢酸存在下亜鉛粉末により還元してアミン16を得た。続いて二重結合を過マンガン酸カリウムにより酸化して、ジオール体を単一の化合物として得た。次に得られたジオールを、酸性条件下オルトギ酸トリメチルを用いて環状オルトエステル17として保護した。17を水素化ホウ素ナトリウムで処理したところ、環状オルトエステルが立体障害となりケトン部位を立体選択的に還元することに成功した。続いて生じた水酸基に対し、水素化ナトリウム及び臭化ベンジルを作用させてベンジル基で保護を行い18とした。次に、80%酢酸水溶液中で100℃にて加熱することによりジメチルアセタール部位をケトンへと変換した。この際環状オルトエステルも同時に加水分解されたが、再びオルトギ酸トリメチルを用いて保護した。生じたケトンを環状オルトエステルの立体障害を利用して立体選択的に還元し、19へと変換した。得られた水酸基をメトキシメチル基で保護し、さらにオルトエステルを穏和な条件下2段階で脱保護して重要中間体20へと導いた。20を四酢酸鉛で処理したところ、ジオールの酸化的開裂反応が速やかに進行しケトアルデヒド体を与えた。このものは不安定であったので、精製せずに水素化ホウ素ナトリウムによりケトン及びアルデヒドを同時に還元した。この際ケトンの還元は立体選択的に進行し、生じた2級水酸基は望む立体配置を有していた。続いて1級水酸基をTBS基で、2級水酸基をアセチル基でそれぞれ保護して21とした。その後、2つのベンジル基を、水酸化パラジウムを触媒とした加水素分解により同時に除去してヒドロキシカルボン酸へと変換した。このものをトルエン中で加熱処理することにより6員環ラクトンの形成を行った後、TBS基をフッ化水素酸により脱保護し3環性化合物22を高収率で合成することに成功した。次に、得られた22の水酸基を足掛かりとし、Grieco-西沢の方法に従いセレニル基を導入し、セレノキシド脱離を経てエキソオレフィンへと導いた。さらに四酸化オスミウムによるジオール化、環状カーボネートの形成を行い23とした。以上のようにテトロドトキシン(1)のcore skeleton(2)上のほとんど全ての官能基を有する化合物23を、効率的かつ立体選択的に合成することができた。現在、1の全合成の達成を目指し検討中である。

【主な文献】

(1) (a) Goto, T.; Kishi, Y.; Takahashi, S.; Hirata, Y. Tetrahedron 1965, 21, 2059; (b) Tsuda, K.; Ikuma, S.; Kawamura, M.; Tachikawa,K.; Sakai, K.; Tamura, C.; Akamatsu, O. Chem. Pharm. Bull. 1964, 12, 1357; (c) Woodward, R. B. Pure Appl. Chem. 1964, 9, 47. (2)(a) Kishi, Y.; Aratani, Y.; Fukuyama, T.; Nakatsubo, F.; Goto, T.; Inoue, S.; Tanino, H.; Sugiura, S.; Kakoi, H. J. Am. Chem. Soc. 1972,94, 9217; (b) Kishi, Y.; Fukuyama, T.; Aratani, M.; Nakatsubo, F.; Goto, T.; Inoue, S.; Tanino, H.; Sugiura, S.; Kakoi, H. J. Am. Chem.Soc. 1972, 94, 9219. (3) Ohyabu, N.; Nishikawa, T.; Isobe, M. 第44 回天然有機化合物討論会講演要旨集, 2002, 24. (4) Itoh, T.;Watanabe, M.; Fukuyama, T. Synlett 2002, 1323. (5) Fujita, M.; Kitagawa, O.; Suzuki, T.; Taguchi, T. J. Org. Chem. 1997, 62, 7330.(6) Liao, C.-C.; Peddinti, R. K. Acc. Chem. Res. 2002, 35, 856.

Figure 1

Scheme 1

Reagents and Conditions: (a) allylmagnesium bromide, ether, 0 °C; (b) O3, CH2Cl2-MeOH (1:1), -78 °C; NaBH4, 0 °C; (c)Li, EtOH, THF-liq. NH3, reflux; (d) cat. PPTS, MeOH, rt, 77% (4 steps); (e) TBSCl, imidazole, CH2Cl2, 0 °C, 89%; (f) triphosgene,benzyl carbamate, pyridine, CH2Cl2, 0 °C, 97%; (g) LiAl(Ot-Bu)4, THF; I2, rt; (h) TBAF, THF, rt; (i) PPh3, I2, imidazole, benzene, rt,54% (3 steps); (j) 80% aq. AcOH, 100 °C, quant.; (k) TBSOTf, Et3N, CH2Cl2, 0 °C; (l) NaNO2, DMF, 66% (2 steps); (m) (Boc)2O,cat. DMAP, CH3CN, 90%; (n) PhSeCl, pyridine, CH2Cl2-MeOH, 0°C, 79%; (o) m-CPBA, 1,2-dichloroethane; NaHCO3, reflux,quant.; (p) DBU, THF, rt, quant.; (q) cat. OsO4, NMO, acetone-H2O-t-BuOH, rt; sat. Na2SO3; (r) NaBH4, MeOH, rt, 89% (2 steps); (s)Alloc-Cl, sat. NaHCO3-CH2Cl2, rt, 85%; (t) Dess-Martin periodinane, CH2Cl2, rt; (u) m-CPBA, NaHCO3, CH2Cl2, rt; (v) K2CO3,MeOH, rt; (w) cat. Pd(PPh3)4, pyrrolidine, CH3CN, rt, 45% (4 steps).

Scheme 2

Scheme 3

Reagents and Conditions: (a) MOMCl, i-Pr2NEt, CH2Cl2, rt; (b) NaClO2, NaH2PO4, 2-methyl-2-butene, t-BuOH-H2O, rt;(c) BnBr, K2CO3, DMF, rt, 97% (3 steps); (d) cat. CSA, MeOH, 60 °C, quant.; (e) PhI(OCOCF3)2, MeOH, rt; 2,3-dihydrofuran,MeOH, rt; (f) Zn, AcOH, ether, 0 °C to rt, 48% (2 steps); (g) (MeOCO)2O, MeCN, 50 °C, 87%; (h) KMnO4, BnEt3NCl, CH2Cl2, rt,45%; (i) (MeO)3CH, cat. CSA, rt, 94%; (j) NaBH4, THF, 0 °C; (k) BnBr, NaH, THF-DMF (10:1), 0 °C to rt, 94% (2 steps); (l) 80%aq. AcOH, 100 °C; (m) (MeO)3CH, cat. CSA, rt; (n) NaBH4, MeOH, 0 °C, 80% (3 steps); (o) MOMCl, NaH, THF-DMF (10:1),0 °C; (p) 80% aq. AcOH, rt; (q) Et3N, MeOH, rt, 93% (3 steps); (r) Pb(OAc)4, benzene-CH2Cl2 (3:1), rt; (s) NaBH4, MeOH, 0 °C,83% (2 steps); (t) TBSCl, imidazole, DMF, rt, 84%; (u) Ac2O, pyridine, cat. DMAP, rt, 98%; (v) H2 (1 atm), cat. Pd(OH)2/C, EtOH, rt;(w) toluene, 100 °C; (x) aq. HF, MeCN, 0 °C, 94% (3 steps); (y) 2-NO2PhSeCN, n-Bu3P, benzene-THF (3:1), 80 °C; (z) aq. H2O2,THF, 50 °C, 89% (2 steps); (aa) cat. OsO4, NMO, acetone-H2O-t-BuOH, rt; (bb) CDI, cat. DMAP, CH2Cl2, rt, 85% (2 steps).

審査要旨 要旨を表示する

 テトロドトキシン(1、Figure1)はふぐ毒として知られるアルカロイドであり、電位依存型ナトリウムチャネルを選択的に阻害することで赤性を発現することが知られている。分子量319の小さな分子でありながら、8つの連続する不斉中心を有し、グアニジン、ヘミラクトール部位を含む高度に官能基化されたかご状化合物である。生理活性、構造共に興味深いテトロドトキシンは1964年にその構造が明らかにされて以来数多くの合成研究がなされているが、全合成の報告はわずか2例のみである。伊東は2つの全く異なる新規合成戦略を立案し、この合成が困難なテトロドトキシンの全合成を達成すべく検討を行った。

 まず、伊東は分子内反応を巧みに利用した合成戦略に基づき検討を行った。Scheme1に示したように市販のアニスアルデヒドから6段階で容易に得られるイミドジカーボネート3を田口らの方法に従いLiAl(Ot-Bu)4で処理した後、ヨウ素を作用させることにより分子内ヨウ化アミノ環化反応を行い、スピロ化合物4をジアステレオ選択的(ds=3:1)に構築することに成功した。これは、ヨウ化アミノ環化反応を用いて4級炭素に隣接する窒素原子を導入した初めての例である。さらに5段階でニトロアルカン5とし、分子内1,3-双極子環化付加反応を行って4環性化合物6を単一化合物として合成した。この後Baeyer-Villiger反応を鍵とした10段階の変換で、テトロドトキシンの3つの連続する不斉中心を制御した化合物7の合成を達成した。しかし、この合成戦略は独創的かつ興味深いものではあるが、反応の立体選択性等に問題があったので、伊東は新たな合成経路による検討を行った。

 市販のバニリンより容易に得られるフェノール8を、メタノール中ビストリフルオロアセトキシヨードベンゼンで酸化してジエンを合成し、ジヒドロフランと反応させてビシクロ[2.2.2]オクテノン型化合物9を、立体選択的に得た(Scheme3)。これにより窒素官能基の立体選択的導入を達成した。次に、ニトロ基の還元、二重結合の酸化を経て化合物10とした。伊東はこの化合物の構造上の特徴を最大限に利用して、ケトンを立体選択的に還元し化合物11の合成に成功した。続いて、鍵となるジオールの酸化的開裂反応を行って、シクロヘキサン12を得た。次いで、ラクトン化、上部ジオール部位の立体選択的構築を行いテトロドトキシン上のほとんど全ての官能基を有する化合物13の合成を達成した。

 さらに、伊東は光学活性なジヒドロフラン14を用いてジアステレオ選択的なDiels-Alder反応を行い、ビシクロ化合物15を光学活性体として得ることに成功した(図4)。この手法の開発により光学活性体合成への展開が期待される。

 以上のように、伊東哲志は、テトロドトキシンの全合成を目的として研究を行い、光学活性体合成への道を開いた。従って、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

Figure 1

Scheme1

Scheme2

Scheme3

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