学位論文要旨



No 118382
著者(漢字) 井上,尊生
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,タカナリ
標題(和) 合成小分子とレーザー光によるタンパク質不活性化の時空間制御
標題(洋)
報告番号 118382
報告番号 甲18382
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1015号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 助教授 折原,裕
内容要旨 要旨を表示する

合成小分子とレーザー光によるタンパク質不活性化の時空間制御

 <背景・目的>

 生体分子の機能解明には、遺伝学・薬理学・生化学的に、分子機能を不活性化(loss of function)する手法が有効である。レーザー分子機能不活化法(Chromophore-Assisted Laser Inactivation,CALI、Nature、348,548,Jay、D.G,et aL)もそうした生体分子不活性化法の一種であり、時空間解像度の高さが特徴である。すなわちCALIを用いると、適切な発生段階に、適切な場所で、標的分子を瞬時にかつ特異的に不活性化する事が可能である。したがって、ノックアウトにより胎生致死となる場合や代償機構が働いてしまう場合など、いままで解析が困難であった生体分子もCALIによってその機能を明らかにする事が可能であると考えられる。しかしながら、従来のCALIでは抗体をプローブとするため、不活性化部位を制御できない事、細胞への導入が困難な事など種々の問題点があった。そのためCALIは有用性が示されながらも汎用されるには至っていなかった。そこでこれらの問題を解決するために、抗体の代わりに合成小分子プローブを用いる。合成小分子であれば、標的分子への距離、親和性の異なる様々な分子や、膜透過型分子を合成する事ができるからである。イノシトール三リン酸受容体(inositol 1,4,5-trisphosphate receptor,IP3R)を標的分子とし、IP3の1位のリン酸にクロモフォアであるマラカイトグリーンを結合させたCALI用プローブ、MGIP3を新規に合成した(図1)。つづいて、モルモットの平滑筋組織を用いてCALIを適用し、MGIP3がCALI用プローブとして有効に機能することを確認した。本来、CALIが最も効力を発揮するのは組織レベルではなく単一細胞レベルである。細胞は一様な構造体ではなく、細胞内局所での限定されたそして効率的な機能発現が重要であると近年考えられてきている。しかし、細胞内局所でのみタンパク質を効率的に不活性化する手法がCALIをおいて他にない。これらの利点を考慮し、本研究は小分子を用いたCALIにより細胞内局所でのみ標的分子を効率良く不活性化できる新手法の開発を目的とする。

 <小分子を用いたCALIの原理>

 クロモフォアで標識した合成リガンドを細胞に導入しレーザー光を照射する(図2)。レーザー光のエネルギーを吸収するとクロモフォアはラジカル種を生成する。ラジカル種は非常に高い反応性を有しているため、周囲の生体分子と無差別的に反応しこれらを不活性化する。またラジカルは水溶液中での寿命が非常に短いため近傍のタンパク質のみ、すなわちリガンドと結合した標的分子のみを特異的に不活性化する。

 <研究内容>

 1.培養B細胞を用いてのCALI

 CAH用プローブMGIP3が培養B細胞(DT40)に発現しているIP3受容体を認識するかを検討した。その結果、IP3より約7倍弱いながら、IP3受容体を認識する事が確認された(図1)。続いてDT40細胞にCALIを適用した。まず、細胞のカルシウムシグナルを顕微鏡で蛍光観察下、CALI用レーザーを照射できるシステムを構築した。DT40細胞のIP3受容体活性を測定後、MGIP3を添加し、レーザーを照射した。その後、再びIP3受容体活性を測定し、レーザー照射前の活性と比較したところ顕著な受容体活性の低下が認められた(図3)。同様の実験をMGIP3非添加またはレーザー非照射で行った場合や、IP3受容体への親和性が非常に低いMGIP3の光学異性体(1L-MGIP3)を添加してレーザー照射した場合には受容体の活性に変化は認められなかった。さらに、MGIP3を加えてレーザーを照射する際にIP3を共存させ、MGIP3の受容体への結合を阻害すると、活性の低下は抑制された。MGIP3によるCALIの不活性化がIP3受容体特異的なものであるかを調べるために、CALIをした際のCa2+-ATPaseのポンプ活性を同時に測定した。Ca2+-ArPaseはIP3受容体と同じ小胞体膜上に豊富に存在し、カルシウムを小胞体に取り込んでいる。測定の結果、IP3受容体が抑制された条件においてもCa2+-ATPaseの活性は影響を受けない事が示された(図3)。

 2.受容体不活性化の時空間解像度

 MGIP3-CALIによる不活性化の空間解像度を検証するために、レーザーを照射した細胞に隣接する細胞におけるIP3受容体活性を測定した。前述のようにレーザーを照射した細胞(図4A、ア)では顕著な活性低下が認められた一方、隣接する細胞(図4A、イ)の活性には影響が認められなかった。次に時間解像度を検証するために、MGIP3の濃度を固定しレーザーの照射時間を変化させた際の不活性化効率を測定した。その結果、約3秒で細胞に発現している受容体の半分が壊される事が示された(図4B)。

 3.単一細胞内局所におけるIP3受容体不活性化

 ラット副腎褐色細胞腫(PC12細胞)を用いて単一細胞内局所におけるIP3受容体不活性化を試みた。PC12細胞を神経成長因子により分化誘導後、ガラスピペットを用いてMGIP3を細胞内に添加した。そして細胞体から細胞突起によって隔てられた成長円錐にのみレーザーを照射した後、IP3受容体活性を調べる為に、細胞外液にブラジキンを添加した。その際の細胞体と成長円錐におけるカルシウムシグナルをFura-2によるイメージングにより解析した(図5)。その結果、レーザーを照射した成長円錐でのプラジキン応答が、レーザー非照射の場合に比べて、有意に低下することが確認された。MGIP3非添加で同様の実験を行った場合は、レーザー照射に伴う変化は見られなかった(図6)。

 <考察>

 クロモフォア一分子あたりの不活性化効率を小分子プローブまたは抗体プローブを用いた場合で比較したところ、小分子プローブを用いることで少なくとも40倍以上向上する事が明かとなった。この結果はIP3受容体、MGIP3、抗体のそれぞれの分子の大きさとジオメトリーを考えると妥当である。すなわち、クロモフォアと標的分子との距離がMGIP3では約17Å以内と見積もられるのに対し、抗体は85Åと大きい。抗体を用いたCALIと比べてMGIP3-CALIの高効率である事の他の理由として、MGIP3-CALIの「触媒的不活性化」が考えられる。IP3受容体がほとんど活性化しない程度の低濃度MGIP3を添加した場合でも、レーザーの照射時間が十分であれば、受容体の不活性化が認められた。この現象はMGIP3がリガンドであり、IP3受容体との解離速度が抗体の解離速度と比べて非常に速い事で説明できる。つまり、MGIP3は解離速度が速いため、レーザー照射時間内にMGIP3一分子が会合できる受容体数が多く、そのぶん多くの受容体を破壊できると考えられる。

 PC12細胞は神経細胞のモデル細胞としてよく研究されている。本研究において、PC12細胞内の局所において標的分子を不活性化できる事を示したが、単一細胞内の各部位によって役割分担がされている神経細胞の研究にMGIP3-CALIを適用する事で、新たな知見を得られると考えられる。

 <まとめ>

 本研究において私は、合成小分子とレーザー光によるタンパク質機能不活性化法を確立し、細胞下レベルでかつ秒のオーダーという従来の不活性化では成し得なかった高い空間解像度で標的分子を不活性化する事に成功した。合成小分子を用いたCALIの成功は本研究が世界でも初めてであり、様々な生体反応の解析手段として非常に有用となる事が期待される。

図1 IP3とMGIP3の構造およびIP3受容体活性能

図2 小分子CALI模式図

図3 DT40細胞におけるIP3受容体特異的な不活性化

■IP3受容体のカルシウム放出活性 □Ca2+-ATPaseのカルシウム取り込み活性

図4 MGIP3-CALIにより細胞レベルで短時間にIP3受容体を不活性化

(A1は培養B細胞の蛍光像。白丸はレーザー照射範囲を表す。)

図5 PC12細胞の透過光像(左)とカルシウム蛍光指示薬の蛍光像(右)

(左写真の影はガラスピペットを、右写真の白丸はレーザ照射範囲をそれぞれ示している。)

図6 分化したPC12細胞の成長円錐でのlP3受容体不活性化

(成長円錐におけるブラジキニンに対する反応性を同細胞体での反応性で規格化して表した。)

審査要旨 要旨を表示する

 生体分子の機能解明には、遺伝学・薬理学・生化学的に、分子機能を不活性化する手法が有効である。レーザー分子機能不活化法(Chromophore-Assisted Laser Inactivation、CALI)も生体分子不活性化法の一種であり、時空間解像度の高さが特徴である。すなわちCALIを用いると、適切な発生段階に適切な場所で、標的分子を瞬時にかつ特異的に不活性化する事が可能である。したがって、ノックアウトにより胎生致死となる場合や代償機構が働いてしまう場合など、いままで解析が困難であった生体分子もCALIによってその機能を明らかにする事が可能であると考えられる。しかしながら、従来のCALIでは抗体をプローブとするため、不活性化部位を制御できない事、細胞への導入が困難な事など種々の問題点があった。そのためCALIは有用性が示されながらも汎用されるには至っていなかった。これらの問題を解決するために、抗体の代わりに合成小分子プローブを用いることを計画した。合成小分子であれば、標的分子への距離、親和性の異なる様々な分子や膜透過型分子を合成する事ができるからである。イノシトール三リン酸受容体(inositol 1,4,5-trisphosphate receptor、IP3R)を標的分子とし、IP3の1位のリン酸にクロモフォアであるマラカイトグリーンを結合させたCALI用プローブ、MGIP3を新規に合成した。次に、モルモットの平滑筋組織を用いてCALIを適用し、MGIP3がCALI用プローブとして有効に機能することを確認した。本来、CALIが最も効力を発揮するのは組織レベルではなく単一細胞レベルである。細胞は一様な構造体ではなく、細胞内局所での限定されたそして効率的な機能発現が重要であると近年考えられてきている。しかし、細胞内局所でのみタンパク質を効率的に不活性化する手法がCALIをおいて他にない。これらの利点を考慮し、本研究は小分子を用いたCALIにより細胞内局所でのみ標的分子を効率良く不活性化できる新手法の開発を目的とした。

 小分子を用いたCALIの原理について説明すると、クロモフォアで標識した合成リガンドを細胞に導入しレーザー光を照射する(図)。レーザー光のエネルギーを吸収するとクロモフォアはラジカル種を生成する。ラジカル種は非常に高い反応性を有しているため、周囲の生体分子と反応しこれらを不活性化する。またラジカルは水溶液中での寿命が非常に短いため近傍のタンパク質のみ、すなわちリガンドと結合した標的分子のみを特異的に不活性化する。

1.培養B細胞を用いてのCALI

 CALI用プローブMGIP3が培養B細胞(DT40)に発現しているIP3受容体を認識するかを検討した。その結果、IP3より約7倍弱いながらIP3受容体を認識する事が確認された。続いてDT40細胞にCALIを適用した。まず、細胞のカルシウムシグナルを顕微鏡で蛍光観察下、CALI用レーザーを照射できるシステムを構築した。DT40細胞のIP3受容体活性を測定後、MGIP3を添加しレーザーを照射した。その後、再びIP3受容体活性を測定し、レーザー照射前の活性と比較したところ顕著な受容体活性の低下が認められた。同様の実験をMGIP3非添加またはレーザー非照射で行った場合や、IP3受容体への親和性が非常に低いMGIP3の光学異性体(1L-MGIP3)を添加してレーザー照射した場合には受容体の活性に変化は認められなかった。さらに、MGIP3を加えてレーザーを照射する際にIP3を共存させ、MGIP3の受容体への結合を阻害すると、活性の低下は抑制された。不活性化の特異性を調べるために、CALIをした際のCa2+-ATPaseのポンプ活性を同時に測定した。Ca2+-ATPaseはIP3受容体と同じ小胞体膜上に豊富に存在し、カルシウムを小胞体に取り込んでいる。測定の結果、IP3受容体が抑制された条件においてもCa2+-ATPaseの活性は影響を受けない事が示された。

2.受容体不活性化の時空間解像度

 MGIP3-CALIによる不活性化の空間解像度を検証するために、レーザーを照射した細胞に隣接する細胞におけるIP3受容体活性を測定した。前述のようにレーザーを照射した細胞では顕著な活性低下が認められた一方、隣接する細胞の活性には影響が認められなかった。次に時間解像度を検証するために、MGIP3の濃度を固定しレーザーの照射時間を変化させた際の不活性化効率を測定した。その結果、約3秒で細胞に発現している受容体の半分が壊される事が示された。

3.単一細胞内局所におけるIP3受容体不活性化

 ラット副腎褐色細胞腫(PC12細胞)を用いて単一細胞内局所におけるIP3受容体不活性化を試みた。PC12細胞を神経成長因子により分化誘導後、ガラスピペットを用いてMGIP3を細胞内に添加した。その後、細胞体から細胞突起によって隔てられた成長円錐にのみレーザーを照射し、IP3受容体活性を調べる為に細胞外液にブラジキンを添加した。その際の細胞体と成長円錐におけるカルシウムシグナルをFura-2によるイメージングにより解析した。その結果、レーザーを照射した成長円錐でのブラジキン応答が、レーザー非照射の場合に比べて有意に低下することが確認された。MGIP3非添加で同様の実験を行った場合は、レーザー照射に伴う変化は見られなかった。本研究において、PC12細胞内の局所において標的分子を不活性化できる事を示したが、単一細胞内の各部位によって役割分担がされている神経細胞の研究にMGIP3-CALIを適用する事で新たな知見を得られると考えられる。

 以上、本研究において井上は、合成小分子とレーザー光によるタンパク質機能不活性化法を確立し、細胞下レベルでかつ秒のオーダーという従来の不活性化法では成し得なかった高い時空間解像度で標的分子を不活性化する事に成功した。合成小分子を用いたCALIの成功は本研究が世界でも初めてであり、様々な生体反応の解析手段として非常に有用となる事が期待される。これらの成果は細胞生物学、生物有機化学に広く貢献するものであり、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

図 小分子CALI模式図

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