学位論文要旨



No 118395
著者(漢字) 井上,貴雄
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,タカオ
標題(和) C. elegansを用いた細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼの生理機能解析
標題(洋)
報告番号 118395
報告番号 甲18395
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1028号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 一條,秀憲
内容要旨 要旨を表示する

 【序】

 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼ(II型PAF-AH)は、N末端にミリスチン酸を結合し、また、他の蛋白質とのホモロジーを持たない非常にユニークなホスホリパーゼである。本酵素はリン脂質性メディエーターであるPAF(platelet activating-factor)のアセチル基を加水分解する酵素として、当教室において同定されたが、PAFを持たない生物種C.elegansにも保存されていることから、PAF以外のリン脂質を基質とし、より普遍的な生命現象に関与していることが予想された。私は修士課程において、C.elegansにおけるII型PAF-AH、paf-2が胚発生において上皮細胞に特異的に発現していること、また、paf-2欠損変異体は胚発生中期において上皮組織形成に異常を来し、胚性致死となることを見い出した。本研究では、胚発生中期以降におけるpaf-2の生理機能を解析するとともに、正常およびpaf-2変異体の脂質をmass spectrometryにより網羅的に解析し、本酵素の生理的基質の同定を試みた。

 【方法と結果】

 Heat-shock inducible RNAiによるpaf-2発現抑制系の確立

 C.elegansにおける遺伝子発現抑制ではRNAiが汎用されるが、double-strand RNAを外から導入するinjection法やfeeding法では、発現抑制の時期を厳密にコントロールすることが難しい。そこで、heat-shockプロモーターを用いて、C.elegansの細胞内でdouble-strand RNAを合成する遺伝子発現抑制系を検討した。まず、heat-shockプロモーターの下流にsenseおよびantisenseのpaf-2を組み込み、これらのコンストラクトをC.elegansにco-injectionした。さらに、得られたモザイク個体をUVで処理することにより、導入したトランスジーンをゲノムに組み込んだトランスジェニック体(Tg)を作製した。このTgを4齢幼虫においてheat-shock処理し、24時間後(成虫)におけるpaf-2の発現をウェスタンブロットおよびPAF-AH活性により検討した。この結果、Tgではほぼ完全にpaf-2の発現を抑制できることが明らかになった【Fig.1】。また、TgではほとんどPAF-AH活性が検出されなかったことから、C.elegansにおけるPAF-AH活性はpaf-2が担っていることが明らかになった【Fig.1】。

 胚発生中期以降におけるpaf-2の発現抑制

 次に、上に示したトランスジェニック体(Tg)を用いて、胚発生中期以降においてpaf-2の発現を抑制し、その表現型を解析した。胚発生後期において、Tgをheat-shock処理したところ、胚性致死と1齢幼虫期における成長の停止が観察された。微分干渉顕微鏡および蛍光抗体染色を用いてTgを詳細に解析した結果、上皮細胞のシート構造が部分的に壊れており、体の様々な部位に奇形を生じることが明らかになった【Fig.2】。この奇形を伴う形態異常は、上皮細胞の内側にある組織が、上皮組織の外側に押し出されたことが原因であると予想された。また、Tgの発生を1齢幼虫に同調させ、幼虫期においてpaf-2の発現を抑制したところ、成長の遅延、産卵数の減少が観察された。産卵数が減少したことから、生殖器官に注目して解析を行ったところ、Tgでは卵母細胞が減少し、卵母細胞の形態に異常を示すことが分かった。この結果は、paf-2が成虫において生殖腺に強く発現している事実と合致していた。以上の結果から、paf-2は上皮組織の形成とその保持に加え、卵母細胞の形成にも関与していることが明らかになった。

 Mass Spectrometryによるリン脂質組成の網羅的解析

 以上の解析から、C.elegansにおける上皮組織形成および卵母細胞形成には、paf-2が制御する脂質分子を介した未知のメカニズムが存在すると考えられた。そこで次に、paf-2の標的となる脂質分子の同定を試みた。paf-2変異体では、脂質代謝に何らかの異常が生じていると考えられるので、paf-2変異体と野生株の脂質組成は異なっているはずである。そこで、これらのC.elegansにおける全脂質を抽出し、最近開発されつつあるソフトイオン化法によるmass spectrometryを利用して、リン脂質の網羅的解析を行った。この結果、全く予想外なことに、paf-2変異体では主に高度不飽和脂肪酸(PUFA)の1つであるEPA(エイコサペンタエン酸)を含むホスファチジルコリン(PC)とホスファチジルエタノールアミン(PE)が減少することを見い出した【Fig.3】。

 II型PAF-AHは、PAFのアセチル基を含めた短鎖脂肪酸しか基質にできないことがこれまで報告されていたが、上の結果を受けて、もう一度in vitroにおけるII型PAF-AHの基質特異性について検討した。その結果、II型PAF-AHはグリセロール骨格の1位と2位の両方にPUFAを含むリン脂質を基質とすることが明らかになった。このことから、C.elegansにおいてII型PAF-AHは、PUFAを含むリン脂質代謝を制御していることが示唆された。

 脂肪酸不飽和化酵素の発現抑制

 paf-2変異体においてPUFAを持つリン脂質が減少していたことから、次に、脂肪酸不飽和化酵素の遺伝子を変化させ、その表現型を調べた。まず、feeding RNAi法を用いて脂肪酸不飽和化酵素(fat-2)の発現を抑制し、リン脂質中のPUFA含有量を減少させた。この結果、不飽和化酵素を抑制した場合にもpaf-2変異体と同様に奇形を伴う幼虫が生じること【Fig.2】、成虫期においてもpaf-2変異体と類似した卵母細胞の形成異常を示すことを見い出した。さらに、PUFA含有量が穏やかに減少したfat-3変異体とpaf-2変異体(Tg)と交配して、二重変異体を作製したところ、胚性致死および幼虫期における成長の停止が、著しく増強されることが明らかになった【Fig.4】。この二重変異体では、形態に異常を示す幼虫が顕著に増加することから、上皮組織における異常が致死率に反映されたものと考えられる。以上の結果から、上皮組織を形成する過程にPUFA含有リン脂質が関与していることが強く示唆され、paf-2がPUFAの代謝を制御していることがさらに支持された。

 【まとめと考察】

 私は博士課程において、heat-shockプロモーターによりin vivoでRNAiを誘導する発現抑制系を構築し、C.elegansにおけるII型PAF-AH、paf-2が上皮組織形成および卵母細胞形成において、必須であることを明らかにした。また、paf-2変異体における脂質組成をmass spectrometryを用いて網羅的に解析することにより、paf-2がPUFA含有リン脂質の代謝に関与することを見い出した。さらに、paf-2と脂肪酸不飽和化酵素との遺伝学的解析から、paf-2変異体における脂質変動と表現型が密接に関連することを明らかにした。以上の解析から、paf-2はPUFA含有リン脂質の代謝に関与し、さらにPUFA含有リン脂質が上皮組織の形成と維持、さらに卵母細胞の形成に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

 II型PAF-AHは分解酵素として同定されたが、脂肪酸鎖をリゾリン脂質の水酸基に転移する活性も持っており、リン脂質合成酵素としての側面を持つ。C.elegansにおいてII型PAF-AHは、PUFAをリン脂質に導入し、リン脂質におけるPUFAの含有量を維持する機能を持つと考えられる【Fig.5】。

 PUFA含有リン脂質がなぜ上皮組織形成や卵母細胞形成に必要なのか、高等動物においてもII型PAF-AHが同じような機能を果たしているのかが、今後の課題である。

【Fig.1】Heat-shock inducible RNAiによるpaf-2の発現抑制

【Fig.2】

paf-2 RNAiに見られる形態異常(B)。脂肪酸不飽和化酵素:fat-2の発現を抑制した場合にも同様の表現型が観察される(C)。

【Fig.3】

ESI-MSを用いた全リン脂質の網羅的解析。○はpaf-2変異体において減少したリン脂質の分子種を示している。

【Fig.4】

脂肪酸不飽和化酵素(fat-3)の変異体とTg(paf-2 RNAi)の二重変異体では致死率が著しく上昇する。

【Fig.5】

II型PAF-AHはPUFAをリン脂質に導入し、PUFA含有リン脂質を合成していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼ(II型PAF-AH)は、N末端にミリスチン酸を結合し、また、他の蛋白質とのホモロジーを持たない非常にユニークなホスホリパーゼである。本酵素はリン脂質性メディエーターであるPAF(platelet-activating factor)のアセチル基を加水分解する酵素として同定されたが、PAFを持たない生物種C.elegansにも保存されていることから、PAF以外のリン脂質を基質とし、より普遍的な生命現象に関与していることが予想された。井上貴雄は、修士課程において、C.elegansにおけるII型PAF-AH、paf-2が胚発生において上皮細胞に特異的に発現していること、また、paf-2欠損変異体は胚発生中期において上皮組織形成に異常を来し、胚性致死となることを見い出している。博士課程では、さらにpaf-2の詳細な作用機構について、以下の解析を行った。

 まず、Heat-shockによるコンディショナルなpaf-2発現抑制系の確立し、paf-2が胚発生以後においても上皮組織に維持に重要な機能を果たすことを見出した。次に、正常およびpaf-2変異体の脂質をmass spectrometryにより網羅的に解析し、paf-2変異体では高度不飽和脂肪酸(PUFA)を含むリン脂質が減少していることを示した。また、リコンビナントpaf-2を用いた生化学的解析から、paf-2がPUFAを含むリン脂質を基質とすることを明らかにした。さらに、PUFA合成酵素の変異体を用いた遺伝学的解析から、PUFAを含むリン脂質代謝が上皮組織形成と密接に関与していることを明らかにした。II型PAF-AHは分解酵素として同定されたが、脂肪酸鎖をリゾリン脂質の水酸基に転移する活性も持っており、リン脂質合成酵素としての側面を持つ。以上の結果から、C.elegansにおいてII型PAF-AHは、PUFAをリン脂質に導入し、リン脂質におけるPUFAの含有量を維持する機能を持つと考えられ、II型PAF-AHによって合成されたPUFA含有リン脂質が、上皮組織の形成およびその維持に必須の機能を果たしていることが明らかになった。本研究は、脂質分子の全く新しい生理機能を示すとともに、上皮組織の形成メカニズムに新しい概念を提唱するものであり、博士(薬学)の学位に十分値すると判定した。

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