学位論文要旨



No 118396
著者(漢字) 加納,亮
著者(英字)
著者(カナ) カノウ,アキラ
標題(和) 上皮細胞の防御応答に伴うムチン及びO-結合型糖鎖の生合成調節
標題(洋)
報告番号 118396
報告番号 甲18396
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1029号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

序論

 糖鎖は構造的に多様であり、細胞や組織の表面に豊富に存在することが知られている。粘膜上皮細胞は消化管や呼吸器、泌尿生殖器などにおいて外界と直接接する細胞であり、この細胞が産生するムチン分子は、高頻度にO-結合型糖鎖による修飾を受けたタンデムリピートを持つ糖蛋白質である。ムチンは粘液の主要な構成成分として微生物やアレルゲン物質の付着から組織を防御していると考えられている。また、ムチンは糖鎖構造を含めて、上皮の種類に特異的であることが知られている。したがって、外界に対する防御応答に際して、ムチンの種類やその糖鎖が変化するかどうかは大きな問題である。ムチン糖蛋白質上の糖鎖生合成の第一段階は、UDP-GalNAc:polypeptide N-Acetylgalactosaminyl transferase(ppGalNAc-T)によってペプチド鎖のセリンあるいはスレオニン残基にN-アセチルガラクトサミン(GalNAc)が付加することで開始される、ヒトppGalNAc-Tは現在1-4、6-13の12種類が報告されており、合わせて18のアイソマーの存在が示唆されている。当研究室でのこれまでの研究を含めて、これらppGalNAc-Tの各アイソマーの組織発現分布や、各アイソマーの特定のペプチド配列に対する基質特異性が次第に明らかになりつつあるが、これらppGalNAc-Tの各アイソマーの発現が上皮の防御応答に伴って変化するのか、その結果として細胞表面に分泌される糖蛋白質の糖鎖がどのように変化するかなどについては全く知られていなかった。

 そこで私は、Th2系サイトカインが分泌型ムチン産生を促進する可能性に注目し、この時にppGalNAc-Tの発現が変化するか、その結果としてムチン上の糖鎖の種類が変化するかを解明する目的で以下の研究を行なった。

1.ppGalNAc-Tおよびムチン遺伝子発現定量系の構築と大腸癌細胞株での比較

 (目的)細胞応答における各遺伝子の発現変化を記述するために、微量かつ多種類の遺伝子mRNA量を網羅的かつ定量的に測定できる。competitive RT-PCR法に基づいて、PCR法でcompetitor DNAを作製する手法を用いてppGalNAc-Tおよびムチン遺伝子発現量の定量系を構築する。(方法)ヒトについては、既知のppGalNAc-Tアイソマーのうち8種(ppGalNAc-T1-4、6-9)とムチン遺伝子のうち7種(MUC1-4、5AC、5B、6)について定量的PCR系を確立した。また、ヒト遺伝子との相同性に基づき、新規のマウスppGalNAc-T2、T7の遺伝子配列をクローニングした。両者のヒトホモログとの相同性はアミノ酸配列レベルで90%を越えていた。マウスについては、これら新規のppGalNAc-Tを含めたアイソマー6種(mouse ppGalNAc-T1-4、6、7)とムチン遺伝子7種(mouse MUC1-4、5AC、5B、6)について定量的PCR系を確立した。(結果と考察)この遺伝子発現定量系を用いて、ヒト大腸癌細胞株LS174TとT84およびマウス大腸癌細胞株colon38についてRNAを抽出し、逆転写後ppGalNAc-Tとムチン遺伝子の発現量定量を行なった。LS174T細胞ではppGalNAc-T8を除く全てのppGalNAc-Tを、またT84細胞はppGalNAc-T9を除く全てのppGalNAc-Tの遺伝子発現を定量できた。ppGalNAc-T4の遺伝子発現量はLS174T細胞に比べてT84細胞の方が高かった。colon38細胞からマウスppGalNAc-T1-4、7の遺伝子発現を定量的に検出した。また、LS174T細胞からMUC1、2、5AC、5B、6の遺伝子発現を定量的に検出した。competitive RT-PCR法により、ppGalNAc-Tおよびムチンの網羅的遺伝子発現定量を可能とした。

2.ヒト大腸癌LS174T細胞におけるムチン及びその糖鎖の生合成へのTh2系サイトカインの影響

 (目的)上皮組織においてムチン分泌を主に担う杯細胞の分化形質を持つヒト大腸癌細胞株LS174Tをin vitroにおけるモデルとして用い、アレルギー反応時にリンパ球から分泌されることが知られているIL-4がムチン遺伝子及びppGalNAc-T遺伝子12種類によって異なる影響を与えるかどうかを明らかにする。(方法)LS174T細胞がIL-4レセプターα鎖のmRNAを発現していることをRT-PCR法により確認した。20ng/mlの濃度でリコンビナントヒトIL-4を培養液中に添加してLS174T細胞を培養し、RNAを得て(I.)で開発した方法によってmRNA量を定量した。FITC標識MUC2タンデムリピート24merを基質として、細胞マイクロソームを酵素源としてGalNAc転移酵素反応を行ない、生成物を逆相HPLC分析ののち質量分析によってGalNAc付加数を決定し、IL-4による細胞のペプチドヘのGalNAc転移能の変化を調べた。また、IL-4によって細胞が分泌する糖蛋白質上の糖鎖の構造が変化するかを検討する目的で、LS174T細胞をIL-4を添加した無血清培養液中で24時間培養し、その培養上清から分子量10万以上の画分を粗精製し、プレートに固層化してレクチンまたは抗糖鎖抗原抗体に対する結合性をELISA法で調べた。(結果と考察)24時間後にMUC2をはじめとする分泌型ムチン遺伝子(MUC2、5AC、5B、6)の発現が上昇した。また、ppGalNAc-TのmRNA発現を調べたところ、ppGalNAc-T1、T4、T7の発現が有意に上昇した。一方でppGalNAc-T2、T3、T6、T9の発現は有意な変化をしなかった。経時的な検討によって、T1、T4、T7の遺伝子発現上昇のピークはIL-4添加6時間後にあることがわかった。これは分泌型ムチン遺伝子がIL-4添加24時間後において発現上昇することと異なっていた。また、IL-4を添加した場合に、MUC2タンデムリピートペプチド配列へのGalNAc付加数の多い生成物が相対的に多く検出され、IL-4によって細胞が生合成するペプチド上のGalNAc付加の様子が変化することが示唆された。シアル酸の付加していないGal-GalNAc構造を認識するレクチンであるPNAと、GalNAcを認識するレクチンであるVVA-B4の分泌糖蛋白質への結合性は、IL-4を添加した場合に上昇した。一部のppGalNAc-T発現が変化した結果、糖蛋白質へのO-グリカンの導入のされ方に変化が生じると考えられた。

 ppGalNAc-T4とT7の、MUC2のタンデムリピート配列に対してGalNAc転移活性を検討した報告では、T4は既にGalNAcが付加したペプチドに対してより強い活性を示し、またT7は既にGalNAcが付加したペプチドのみに転移することがわかっている(Bennett E.P.,et al.FEBS460:226-(1999))。IL-4によってこれらのアイソマーの発現が変化した結果、ペプチドに付加したGalNAcの数が変化したことが考えられる。

3.食物アレルギー性下痢マウスモデルにおけるMUC2およびppGalNAc-T発現変化の検討

 (目的)in vivoにおける腸管アレルギーモデルとして、権らが確立した食物アレルギー性下痢マウスモデルを用い、(I.)で開発した方法によってマウスムチンおよびppGalNAc-Tの遺伝子発現を発症前後で比較することを目的とした。(方法)卵白アルブミン(OVA)をアジュバントと共に皮下投与した後、経口的にOVAを週3度投与すると8回目の投与から下痢が起きた。本条件下では腸上皮に好酸球の浸潤が強く見られ、また下痢を起こしたマウスの大腸から抽出したリンパ球はIL-4、IL-5、IL-13の産生量が高く、またIL-4とIL-13の遺伝子発現が高く、IFN-γの遺伝子発現が低いことがわかっている(Kweon,M et al.J.Clin.Invest.106:199(2000))。この食物アレルギー性の下痢を起こしたマウスから大腸上皮細胞を抽出し、マウスMUC2ムチン遺伝子の発現量を調べた。(結果と考察)下痢発症マウスでは、コントロールに比べてマウスMUC2のmRNA発現量が上昇していた。またppGalNAc-Tに関しては、マウスppGalNAc-T1の発現量が下痢発症マウスで高かったが、他のアイソマーについては発現量が低く定量的な検出ができなかった。

結語

 本研究では、ppGalNAc-Tおよびムチン遺伝子について網羅的な遺伝子発現定量系を確立し、上皮細胞がTh2系サイトカインであるIL-4によって分泌型ムチンのmRNA量を上昇させ、特定のppGalNAc-Tの発現を誘導することを示した。また、そのとき分泌されるムチンに対するレクチン結合性が変化することを明らかにした。IL-4によりppGalNAc-Tの発現が変化することで、O-結合型糖鎖の伸長に関わる他の糖転移酵素と競合する可能性も考えられる。IL-4以外のサイトカイン、あるいは微生物感染などの場面において、上皮細胞がどのように糖転移酵素の発現を変化させるか、また生合成し分泌するムチン上の糖構造がどのように変化するのか、さらに解析することが必要と考える。

Fig.1:Competitive PCRの概念図。

cDNAからPCRによってStandard DNAとcompetitor DNAを作製し、プラスミドにサブクローニングして精製したものを定量後competitive PCRに用いた。

Fig.2:IL-4添加によるLS174T細胞のppGalNAC-T発現変化の経時的検討。

検討したアイソマーにおいては、T1,T4,T7のmRNA発現が上昇し、そのピークは6時間後であった。〓6時間後、〓12時間後、〓24時間後。未処理群のmRNAを1とした相対値で表記した。

Fig.3LS174T細胞の分泌糖蛋白質に対するモノクローナル抗体91.9H(抗スルホルイスa)と2種のビオチン化レクチン(PNA、Gal-GalNAc構造を認識、とVVA-B4、GalNAc構造を認識)の結合性のELISA法による検出とそのIL-4処理による変化。

図中では1mgの分泌蛋白質をプレート上にコートした場合について表記した。

Fig.4:食物アレルギー性下痢誘導マウスの大腸上皮におけるMUC2ムチン遺伝子の定量的測定。

下痢誘導マウスではMUC2ムチン遺伝子の発現が上昇していた。Diarrhea:アジュバント皮下投与後、OVAを経口投与した群、S.C.:アジュバント皮下投与のみの群、Naive:未処置マウス

審査要旨 要旨を表示する

 ムチンは粘液の主要な構成成分として微生物やアレルゲン物質の付着や物理的な刺激から上皮組織を防御していると考えられている。また、ムチンは糖鎖構造及びそのコアのポリペプチドの種類が、上皮の種類に特異的であることが知られている。したがって、外界に対する防御応答に際して、ムチンの種類やその糖鎖がどのように変化するかは極めて重要な未解決の問題である。「上皮細胞の防御応答に伴うムチン及びO-結合型糖鎖の生合成調節」と題する本研究では、種類の異なるムチンコアのポリペプチド遺伝子及び糖鎖部分の生合成の第一段階である、UDP-GalNAc:polypeptide N-Acetylgalactosaminyltransferase(ppGalNAc-T)遺伝子のアイソマーの発現レベルが上皮の防御応答時に変化すること、またそれに伴って産生されるムチンに構造的な変化が起こることを明確に示した研究成果が述べられている。具体的には、 (1)ヒト大腸上皮組織においてムチン分泌を主に担う杯細胞の分化形質を持つヒト大腸癌細胞株であるLS174T細胞において、Th2系サイトカインによってムチンコアポリペプチド及びppGalNAc-Tの発現が変化するか、またその結果としてムチンコアペプチドヘの糖鎖の付加状態が変化するか、を解明すること、 (2)マウスのアレルギー性の下痢モデルで、上皮細胞に同様な変化が見られるかどうかを検証すること、の2点を目的としている。またその前提として、高感度で特異的に異なる多種類のムチンコアポリペプチド及びppGalNAc-Tの遺伝子の発現レベルを比較するためにこれらの遺伝子の定量的な競合RT-PCR法を構築している。

 第1章では、PCR法で競合DNA鎖を作製する手法を用い、ppGalNAc-Tおよびムチン遺伝子発現量の定量系を確立しこれを利用してmRNA量を測定した例について述べられている。既知のppGalNAc-Tアイソマーのうち8種(ppGalNAc-T1-4、6-9)とムチン遺伝子のうち7種(MUC1-4、5AC、5B、6)について定量的PCR系を確立した。また、ヒト遺伝子との相同性に基づき、新規のマウスppGalNAc-T2、T7の遺伝子配列をクローニングして用いている。マウスについては、これら新規のppGalNAc-Tを含めたアイソマー6種(mouse ppGalNAc-T1-4、6、7)とムチンコアポリペプチド遺伝子7種(mouse MUC1-4、5AC、5B、6)について定量的PCR系を確立した。この遺伝子発現定量系を用いて、ヒトおよびマウスの大腸癌細胞株についてppGalNAc-Tとムチンコアポリペプチド遺伝子の発現量が非常に低レベルであるにも関わらず正確に定量できることが述べられている

 第2章では、LS174T細胞をin vitroにおけるモデルとして用いて、IL-4がムチン遺伝子及びppGalNAc-T遺伝子12種類に異なる影響を与えるかどうかを明らかにすることを目的に解折を行った結果が述べられている。ヒトIL-4の存在下でそのレセプターを持つLS174T細胞を培養し、これらの遺伝子に相当するmRNA量を定量した。24時間後にMUC2をはじめとする分泌型ムチン遺伝子の発現が上昇した。また、ppGalNAc-TのmRNA発現を調べたところ、ppGalNAc-T1、T4、T7の発現が有意に上昇し、遺伝子発現上昇のピークはIL-4添加6時間後にあることがわかった。一方でppGalNAc-T2、T3、T6、T9の発現は有意な変化をしなかった。種類の異なるppGalNAc-Tの相対発現量の変化がムチンコアポリペプチドに付加する糖鎖の数にどのような影響を与えるかを調べるために、MUC2コアポリペプチドのタンデムリピート1単位に相当する24アミノ酸より成るFITC標識したペプチドを基質として、IL-4非存在又は存在下で培養したLS174T細胞マイクロソームを酵素源としてGalNAc転移酵素反応を行ない、生成物を逆相HPLCで分画し、質量分析によってGalNAc付加数を決定した。IL-4を添加した場合に、MUC2タンデムリピートペプチド配列へのGalNAc付加数の多い生成物が相対的に多く検出され、IL-4によって細胞が生合成するペプチド上のGalNAc付加の様子が変化することが示された。細胞の分泌するムチンと複数のレクチンの相互作用を一部のppGalNAc-T発現が変化した結果、糖蛋白質へのO-グリカンの導入のされ方に変化が生じたことを示唆する結果を得た。ppGalNAc-T4とT7は、既にGalNAcが付加したペプチドに対してさらにGalNAcを転移し、IL-4によってこれらの酵素の発現が上昇した結果、ペプチドに付加したGalNAcの数が変化したと考えられた。

 第3章では、in vivoにおける腸管アレルギーモデルとして卵白アルブミンを用いた食物アレルギー性下痢マウスモデルを用い、マウスムチンおよびppGalNAc-Tの遺伝子発現を発症前後で比較することを目的とし、研究を行っている。このモデルでは、卵白アルブミンをアジュバントと共に皮下投与した後、これを経口的に週3度投与すると8回目の投与から下痢が起きた。下痢発症マウスでは、コントロールに比べてマウスMUC2のmRNA発現量が上昇していた。またppGalNAc-Tに関しては、マウスppGalNAc-T1の発現量が下痢発症マウスで高かった。

 以上のように本研究で学位申請者は、研究遂行時までに発見されていた全てのムチンコアポリペプチド及びppGalNAc-Tの遺伝子について遺伝子発現定量系を確立した。消化管粘膜上皮細胞がTh2系サイトカインであるIL-4に応答して、分泌型ムチンのmRNA量を上昇させるだけでなく、特定のppGalNAc-Tの発現を誘導することによってムチン上の糖鎖密度を変化させうることを示した。さらに、ムチンの糖鎖密度が実際に変化することを無細胞系の実験によって証明した。これらの成果は粘膜における防御応答や、食物アレルギーや消化管への感染における免疫系及びムチンのかかわりを理解して、その知見に基づいて感染症やアレルギーの予防法や治療法の開発を行うために大きく寄与するものである。よって本研究を行なった加納亮は、博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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