学位論文要旨



No 118400
著者(漢字) 下薗,哲
著者(英字)
著者(カナ) シモゾノ,サトシ
標題(和) 新規イメージングシステムの開発と線虫咽頭筋の興奮-収縮連関の解析への応用
標題(洋)
報告番号 118400
報告番号 甲18400
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1033号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 菊地,和也
内容要旨 要旨を表示する

[序]

 線虫は発生・分化、行動など様々な生物現象を解明するために広く用いられているモデル動物である。主に遺伝学的手法を駆使して研究されており、生体機能に異常をきたす様々なミュータントが作製されその原因遺伝子が同定されている。一方で、細胞が小さいこと、および体が固いクチクラに覆われていることなどから生理学的な実験は困難であった。従来は遺伝子の変異と形態や運動、細胞系譜の変化といった目視で確認できる形質が対応付けられてきた。今回、線虫における生理学的解析法を開発し、その手法を用いて線虫の摂食行動を担う咽頭筋のカルシウムダイナミクスを解析することを目的とした。

 線虫の咽頭筋は機能的に3つの部分(corpus、isthmus、terminal bulb)に分けられる(Fig.1)。corpusとanterior isthmus、terminalbulbでpumpingというリズミカルな収縮運動と、posterior isthmusでpumpingの数回に一回の割合でperistalsis(蠕動)が生じることにより餌である大腸菌を腸へ送り込んでいる。isthmusは一種類の筋肉細胞(pm5)が束になって構成されているので、pm5は前半分と後ろ半分で異なった運動を行っていることになる。その基礎となる細胞内カルシウムイオン濃度制御機構に特に着目して解析を行った。

[方法・結果]

I、インディケータ及びイメージングシステムの開発

 線虫はクチクラに体を覆われているため有機化合物のインディケータをロードすることは困難である。遺伝子にコードされたカルシウムインディケータとしてcameleonが開発されている。このインディケータは一波長励起二波長測光タイプであり、動きのあるサンプルのイメージングには適している。cameleonを用いてこれまでに咽頭筋のカルシウムイオン濃度を解析する試みはあったが、一部分(terminal bulb)においてのみカルシウムイメージングが可能であった。cameleonのシグナルの変化が比較的小さいことが原因であると考えられている。一方、遺伝子にコードされたカルシウムインディケータとして新たにpericamが開発されている。pericamはcameleonと比較して大きなS/Nを示す。その中の一つ、inverse pericamはpericamファミリーの中で最も明るく、カルシウムイオン濃度変化に伴って大きなシグナル変化を示す。しかしながらinverse pericamは1波長励起1波長測光タイプである。咽頭筋におけるカルシウムシグナルを捉えるためには、動きによるアーティファクトを避けるために二つの波長を同時に取得し、そのレシオを計算する必要がある。そこでinverse pericamにリンカーを介して赤色の蛍光タンパク(DsRed2)を融合させ、2波長測光タイプのインディケータを作製した。このインディケータをHeLa細胞に発現させ、ヒスタミンを投与したところカルシウム振動が観察され、定量的なレシオイメージングができることが示された。

 このインディケータを構成する二つの蛍光タンパクは励起波長が異なるため、別々の波長で励起する必要がある。コンベンショナルな光学系を用いては2波長で同時に励起することはできない。そこで一つの光源から出た光をハーフミラーで二つに分け、それぞれの蛍光タンパク質の励起に適した波長のバンドパスフィルタを通し再びハーフミラーで両者を合わせることにより同時2波長励起の照明光学系を構築した(Fig.2)。以上のインディケータ、2波長励起照明系、及び同時2波長検出系としてW-Viewを用いることによりラット心筋の収縮に伴うカルシウムイオン濃度変化を測定したところ、動きのあるサンプルからカルシウムイオン濃度変化を高いS/Nで検出することが可能であることがわかった。

II、線虫咽頭筋からのカルシウムシグナルの検出

 上記インディケータを線虫に咽頭筋特異的プロモータmyo-2の制御下に発現させた。今回開発した光学系を用いて測定したところcorpus、isthmusおよびterminal bulb全てからシグナルを得ることに世界で初めて成功した。緑色蛍光成分(inverse pericam)および赤色蛍光成分(DsRed2)の蛍光強度変化を解析したところ、得られたシグナルは筋肉の動きによるアーティファクトではなくカルシウムイオン濃度変化を反映していることが分かった。corpus、anterioristhmusおよびterminal bulbはpumpingに一対一に対応したカルシウムイオン濃度変化を示した。しかしながら、posterioristhmusのカルシウムシグナルはpumpingの振動数が遅いときはその他の部位と同様pumpingに対応したカルシウムトランジエントを示したが、他の部位に比べてブロードであった。また、pumpingの振動数が速いときはterminalbulbなど他の部位のカルシウムシグナルにローパスフィルタをかけたような波形を示した(Fig.3)。この性質がperistalsisがpumpingの数回に一回生じることの原因ではないかと考えられた。そこでposterior isthmusのカルシウムシグナルと実際の筋肉の動きに着目したところ、両者は良く対応することが分かった。次に咽頭筋の興奮-収縮連関に影響を与えうるミュータントを用いて解析を行った。

III、ミュータントを用いた咽頭筋カルシウム制御機構の解析

1、unc-68(e540)を用いた解析

 unc-68はリアノジン受容体をコードする遺伝子である。リアノジン受容体は小胞体に存在し、細胞質のカルシウム濃度上昇に関わるカルシウムチャネルである。小胞体からのカルシウム遊離は哺乳類動物の筋肉における興奮-収縮連関において主要な働きをしている。線虫咽頭筋群でリアノジン受容体はposterior isthmusおよびterminal bulbに局在することから、posterior isthmusの特徴的なカルシウムダイナミクスの要因である可能性が考えられた。このミュータントのカルシウムダイナミクスを解析したところ、posterior isthmusのカルシウムトランジエントはワイルドタイプと同じくブロードであった。このことから小胞体のリアノジン受容体を介したカルシウム遊離以外のメカニズムによってposterior isthmusはローパスフィルタ様の動作を示すことが明らかとなった。

2、eat-5(ad464)を用いた解析

 corpusとterminal bulbはisthmusを介したelectrical couplingによって同期した収縮を行っている。eat-5は、ギャップジャンクションチャネルを構成するconnexinの無脊椎動物の機能的なホモログであるinnexin(invertebrate connexin)ファミリーに属し、corpusとisthmusの間のギャップジャンクションの機能発現に重要な働きをしている。そのミュータントはelectricalcouplingに障害が起こり、terminal bulbのpumpingはcorpusのpumpingの数回に一度の割合でしか起こらなくなる。このミュータントの咽頭筋のカルシウムダイナミクスを解析したところ、corpusとterminal bulbにおいてはそれぞれの部位におけるpumpingに対応してカルシウムトランジエントが生じ、posterior isthmusのカルシウム濃度変化は(corpusではなく)terminal bulbと完全に同期していた。この結果はisthmusのカルシウムイオン濃度が上昇するにはelectrical couplingが生じisthmusが脱分極することが必要であることを示している。

[まとめ]

 私は本研究において2波長励起2波長測光タイプのカルシウムインディケータおよび2波長で同時にコンベンショナルな光学系を用いて励起するシステムを開発した。そのシステムを用いて線虫咽頭筋よりカルシウムイメージングを行い、線虫の摂食行動を構成する運動であるpumpingとperistalsisの元となるカルシウムダイナミクスを計測することに初めて成功した。その結果、単一の筋肉細胞内でカルシウムイオン濃度が巧妙に制御され、異なる運動を行っていることが明らかとなった。線虫の咽頭筋はリアノジン受容体の他、L型膜電位依存性カルシウムチャネル、IP3受容体など哺乳類においてもカルシウムの制御に関与する分子が発現している。遺伝学的手法と組み合わせてカルシウムダイナミクスを解析することで細胞内カルシウムイオン濃度制御の分子機構が更に詳しく明らかになると思われる。

Fig.1 線虫喉頭筋の模式図。

喉頭筋が収縮することによりlumenが開き大腸菌を取り込む。

Fig.2 2波長同時励起2波長同時測定用のイメージングシステム。

上半分が励起、下半分が測定部分(W-View)である。

Fig.3 pumpingの振動数が早い時の喉頭筋の各部位からのカルシウムシグナル。

1-4がisthmus、5-7がterminal bulbである。矢頭はpumpingに対応するカルシウムシグナルである。isthmusの根元(4)に近づくにつれ個々のpumpingに対応するピークは消失し、ローパスフィルタをかけたようなカルシウムイオン濃度変化を示す。

審査要旨 要旨を表示する

 線虫は発生・分化、行動など様々な生物現象を解明するために広く用いられているモデル動物である。主に遺伝学的手法を駆使して研究されており、生体機能に異常をきたす様々なミュータントが作製されその原因遺伝子が同定されている。一方で、細胞が小さいこと、および体が固いクチクラに覆われていることなどから電気生理学的な実験は困難である。そこで、従来は遺伝子の変異と形態や運動、細胞系譜の変化といった目視で確認できる形質が対応付けられてきた。この線虫に対して、イメージング法は有力な生理学的実験法であると考えられる。しかしながら、動物個体に対するイメージング法は、個体が動くことから、大きい困難を抱えていた。このような背景のもとに、下薗哲は、動きのある線虫に対しても適用可能な新しいカルシウムイメージング法を開発し、その手法を用いて線虫の摂食行動を担う咽頭筋のカルシウムダイナミクスを解析した。

 線虫の咽頭筋は機能的に3つの部分(corpus、isthmus、terminal bulb)に分けられる。corpusとanterior isthmus、terminal bulbでpumpingというリズミカルな収縮運動と、posterior isthmusでpumpingの数回に一回の割合でperistalsis(蠕動)が生じることにより餌である大腸菌を腸へ送り込んでいる。isthmusは一種類の筋肉細胞(pm5)が束になって構成されているので、pm5は前半分と後ろ半分で異なった運動を行っていることになる。その基礎となる細胞内カルシウムイオン濃度制御機構に特に着目して解析を行った。

I、インディケータ及びイメージングシステムの開発

 線虫はクチクラに体を覆われているため有機化合物のインディケータをロードすることは困難である。遺伝子にコードされたカルシウムインディケータとしてcameleonが開発されている。このインディケータは一波長励起二波長測光タイプであり、動きのあるサンプルのイメージングには適している。cameleonを用いてこれまでに咽頭筋のカルシウムイオン濃度を解析する試みはあったが、一部分(terminal bulb)においてのみカルシウムイメージングが可能であった。cameleonのシグナルの変化が比較的小さいことが原因であると考えらる。一方、遺伝子にコードされたカルシウムインディケータとして新たにpericamが開発されている。pericamはcameleonと比較して大きなS/Nを示す。その中の一つ、inverse pericamはpericamファミリーの中で最も明るく、カルシウムイオン濃度変化に伴って大きなシグナル変化を示す。しかしながらinverse pericamは1波長励起1波長測光タイプである。咽頭筋におけるカルシウムシグナルを捉えるためには、動きによるアーティファクトを避けるために二つの波長を同時に取得し、その比を計算する必要がある。そこでinverse pericamにリンカーを介して赤色の蛍光タンパク(DsRed2)を融合させ、2波長測光タイプのインディケータを作製した。このインディケータをHeLa細胞に発現させ、ヒスタミンを投与したところカルシウム振動が観察され、定量的なレシオイメージングができることが示された。

 このインディケータを構成する二つの蛍光タンパクは励起波長が異なるため、別々の波長で励起する必要がある。コンベンショナルな光学系を用いては2波長で同時に励起することはできない。そこで一つの光源から出た光をハーフミラーで二つに分け、それぞれの蛍光タンパク質の励起に適した波長のバンドパスフィルタを通し再びハーフミラーで両者を合わせることにより同時2波長励起の照明光学系を構築した(Fig.2)。以上のインディケータ、2波長励起照明系、及び同時2波長検出系としてW-Viewを用いることによりラット心筋の収縮に伴うカルシウムイオン濃度変化を測定したところ、動きのあるサンプルからカルシウムイオン濃度変化を高いS/Nで検出することが可能であることがわかった。

II、線虫咽頭筋からのカルシウムシグナルの検出

 上記インディケータを線虫に咽頭筋特異的プロモータmyo-2の制御下に発現させた。今回開発した光学系を用いて測定したところcorpus、isthmusおよびterminal bulb全てからシグナルを得ることに初めて成功した。緑色蛍光成分(inverse pericam)および赤色蛍光成分(DsRed2)の蛍光強度変化を解析したところ、得られたシグナルは筋肉の動きによるアーティファクトではなくカルシウムイオン濃度変化を反映していることが分かった。corpus、anterior isthmusおよびterminal bulbはpumpingに一対一に対応したカルシウムイオン濃度変化を示した。しかしながら、posterior isthmusのカルシウムシグナルはpumpingの振動数が遅いときはその他の部位と同様pumpingに対応したカルシウムトランジエントを示したが、他の部位に比べてブロードであった。また、pumpingの振動数が高いときはterminal bulbなど他の部位のカルシウムシグナルにローパスフィルタをかけたような波形を示した(Fig.3)。この性質がperistalsisがpumpingの数回に一回生じることの原因ではないかと考えられた。そこでposterior isthmusのカルシウムシグナルと実際の筋肉の動きに着目したところ、両者は良く対応することが分かった。次に咽頭筋の興奮-収縮連関に影響を与えうるミュータントを用いて解析を行った。

III、ミュータントを用いた咽頭筋カルシウム制御機構の解析

1、unc-68(e540)を用いた解析

 unc-68はリアノジン受容体をコードする遺伝子である。リアノジン受容体は小胞体に存在し、細胞質のカルシウム濃度上昇に関わるカルシウムチャネルである。小胞体からのカルシウム遊離は哺乳類動物の筋肉における興奮-収縮連関において主要な働きをしている。線虫咽頭筋群でリアノジン受容体はposterior isthmusおよびterminal bulbに局在することから、posterior isthmusの特徴的なカルシウムダイナミクスの要因である可能性が考えられた。このミュータントのカルシウムダイナミクスを解析したところ、posterior isthmusのカルシウムトランジエントはワイルドタイプと同じくブロードであった。このことから小胞体のリアノジン受容体を介したカルシウム遊離以外のメカニズムによってposterior isthmusはローパスフィルタ様の動作を示すことが明らかとなった。

2、eat-5(ad464)を用いた解析

 corpusとterminal bulbはisthmusを介したelectrical couplingによって同期した収縮を行っている。eat-5は、ギャップジャンクションチャネルを構成するconnexinの無脊椎動物の機能的なホモログであるinnexin(invertebrate connexin)ファミリーに属し、corpusとisthmusの間のギャップジャンクションの機能発現に重要な働きをしている。そのミュータントはelectrical couplingに障害が起こり、terminal bulbのpumpingはcorpusのpumpingの数回に一度の割合でしか起こらなくなる。このミュータントの咽頭筋のカルシウムダイナミクスを解析したところ、corpusとterminal bulbにおいてはそれぞれの部位におけるpumpingに対応してカルシウムトランジエントが生じ、posterior isthmusのカルシウム濃度変化は(corpusではなく)terminal bulbと完全に同期していた。この結果はisthmusのカルシウムイオン濃度が上昇するにはelectrical couplingが生じisthmusが脱分極することが必要であることを示している。

 下薗哲は本研究において2波長励起2波長測光タイプのカルシウムインディケータおよび2波長で同時にコンベンショナルな光学系を用いて励起するシステムを開発した。そのシステムを用いて線虫咽頭筋よりカルシウムイメージングを行い、線虫の摂食行動を構成する運動であるpumpingとperistalsisの元となるカルシウムダイナミクスを計測することに初めて成功した。その結果、単一の筋肉細胞内でカルシウムイオン濃度が巧妙に制御され、異なる運動を行っていることを明らかにした。これらの成果により、本研究は博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判定した。

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