学位論文要旨



No 118401
著者(漢字) 鈴木,成教
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ミチユキ
標題(和) 瞬目反射条件付けにおける小脳LTD及び小脳皮質神経回路の役割
標題(洋)
報告番号 118401
報告番号 甲18401
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1034号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

 瞬目反射条件付けとは、条件刺激(CS)を音、無条件刺激(US)をまぶたへの電気刺激とし、CS-USをペアにして繰り返し与えることにより、CSのみで条件応答(CR)としての瞬きをするようになる学習である。瞬目反射学習のparadigmにはCSとUSが同時に終わるdelay paradigmとCSとUSが時間的に重ならないtrace paradigmがある。ウサギを用いた損傷実験により、前者には小脳が必須であり、後者には小脳に加えて海馬が重要であるということが明らかにされた。しかし、損傷実験の場合、目的の部位と共にその周辺部まで損傷される可能性、目的の部位が完全に損傷されていない可能性、それから目的の部位が不可逆的に除去されることにより、残った部位に何らかの変化が生じる可能性が常に存在し、明確な結論を導くためにはより精度の高い実験が求められた。また、瞬目反射学習の神経基盤としては小脳皮質における長期抑圧(LTD)が重要な役割を果たすというLTD仮説が立てられた。このLTD仮説を検証するために、これまでに小脳LTDに障害を持ついくつかのノックアウトマウスを用いた実験が行われ、delay paradigmにおける学習障害が観察された。さらに、小脳特異的に発現するグルタミン酸受容体サブタイプGluRδ2をノックアウトしたLTD障害マウスにおいては、delay paradigmでは学習が障害されるが、trace paradigmでは野生型マウスと同等な学習がなされる事が見いだされた。このことは、学習にはLTD依存的なメカニズムと非依存的なメカニズムの2種類があり、これらがparadigm依存的に切り替わることを示唆している。しかしながら、ノックアウトマウスにおいては、未知の障害や補償回路が存在する可能性があるため、このparadigm依存的な学習がGluRδ2ノックアウトマウスに特異的なことなのか、それとも野生型マウスを含む一般的な系で起こることなのか、さらなる検討が必要となった。そこで私は、小脳LTDに必須の因子である一酸化窒素(NO)の生産を、その合成阻害薬物により阻害することで、delay paradigmにおけるLTD仮説の検証を行うとともに、瞬目反射学習に及ぼす効果のparadigm依存性を野生型マウスを用いて調べることを目的とした。さらに、AMPA、カイニン酸受容体阻害剤6-cyano-7-nitroquinoxaline-2,3-dione(CNQX)により薬理学的に小脳皮質を阻害したマウスや小脳プルキンエ細胞脱落マウスを用いて、小脳皮質回路が瞬目反射学習にどのように関与しているかを明らかにすることを目的とした。

[方法]

 CSとしては音(1kHz、90dB、352ms)を、USとしてはまぶた皮下への電気刺激(100Hz、100ms)を用いた。刺激電圧の大きさは無条件応答(UR)を起こさせる最小限の大きさに設定した。NO合成阻害薬N G-nitro-L-Arginine methyl ester(L-NAME;15mM、0.5μl/animal)は条件付け開始20分前に小脳左半球のsimplex lobeに定速注入した(0.5μl/min)。

[結果と考察]

1.瞬目反射条件付けにおける小脳LTDの関与

 小脳内に直接L-NAMEを投与した動物群(○)では、delay paradigmのacquisitionの7日間(session 3-9)ほとんど学習率は上がらず、コントロール群(Saline,あるいはD-NAME投与群)に比べて有意に学習率が低かった(p<0.01 by ANOVA in session 3-9)。一方、trace paradigm(trace interval = 0 ms)では、コントロール群と同様に学習した(p>0.05 by ANOVA in session 3-9)。NO阻害剤により小脳LTDが阻害されることが報告されており、これらの結果は小脳LTD阻害によるものと考えられ、GluRδ2ノックアウトマウスの結果から示唆された「瞬目反射学習には小脳LTD依存的なメカニズムと非依存的なメカニズムの2種類があり、これらがparadigm依存的に切り替わる」という仮説を支持している。また、delay paradigmにおいて小脳LTDが重要な役割を演じているという小脳LTD仮説を支持している。しかし、GluRδ2ノックアウトマウスを含めたこれまでの小脳LTD欠損マウスに比べ、delay paradigmにおける学習障害はより顕著である。学習障害の程度が違う可能性として考えられるのは(1)平行線維→プルキンエ細胞のLTD以外のNO依存的な可塑性が小脳内に存在し、学習に関係している可能性、(2)ノックアウトマウスで常に問題とされる補償回路が存在する可能性、が挙げられる。

2.小脳皮質神経回路の薬理学的阻害がCR表出に及ぼす効果

 delay paradigmおよびtrace paradigm(trace interval = 0 ms)においてsalineを小脳内投与して7日間条件付けを行って学習を成立させ(session 3-9)、その後AMPA、カイニン酸受容体の阻害剤であるCNQX(3mM、0.5μl/animal)を小脳内投与して条件付け(session 10)を行った。CNQXによりAMPA、カイニン酸受容体が阻害されると、登上線維(US入力)および平行線維(CS入力)からの小脳皮質のプルキンエ細胞(唯一の出力細胞)への興奮性入力が阻害され、小脳皮質からの出力が阻害されることとなる。結果としては、どちらのparadigmにおいてもCNQX投与により、学習率は有意に低下した(p<0.01 by paired-t test、session 9 vs.10)。これは、delay paradigmにおいてもtrace paradigmにおいても、CRを表出するためにsimplex lobe周辺の小脳皮質回路が重要な役割を演じていることを示している。L-NAME投与の実験の結果と併せて考えると、trace paradigmにおいて、小脳LTDがなくても学習は出来るが、CRを表出するメカニズムの一つとして小脳皮質の神経回路が関与していることが示唆された。これまで、HVI lobe(simplex lobeに相当するウサギの部位)を損傷した時に、一過的に学習率が低下するという結果が報告されている。しかし、この場合小脳深部核まで損傷されている可能性や、不可逆的に損傷部位がなくなったことにより、残った部位に何らかの変化が起こる可能性もあり、純粋な小脳皮質損傷の影響を観察できていない可能性もあった。今回の薬理実験では可逆的に小脳皮質回路を阻害することにより、traceparadigmにおけるCRの表出に対する純粋な小脳皮質阻害効果を明らかにすることに初めて成功したと思われる。

3.プルキンエ細胞脱落によるCR表出に対する効果

 Cre-loxP組換え系を利用したプルキンエ細胞除去マウス(NSE-DTA;CrePR1マウス)を用いて、CRの表出において小脳皮質回路がどのように関与しているかを調べることを目的とした。Cre-loxP組替え系を利用した神経細胞除去マウス(NSE-DTAマウス)では神経細胞特異的エノラーゼ遺伝子座に、ジフテリア毒素の遺伝子が組み込まれており、組換えがおこった後に毒素が産生された神経細胞が除去される。また、神経細胞で誘導型Cre組換え酵素を発現するトランスジェニックマウス(CrePR1マウス)では、RU486の投与により、主に小脳プルキンエ細胞で誘導的な組換えが起こる。NSE-DTAマウスとCrePR1マウスを交配し得られたマウス(NSE-DTA;CrePR1マウス)にRU486を投与すると、主に小脳プルキンエ細胞でジフテリア毒素が産生され、細胞が除去される。私は、NSE-DTA;CrePR1マウスを用いてdelay paradigmで条件付けを行い(session 3-8)、学習成立後にRU486を5日間投与し(session 8-session 12)、引き続き条件付けを続け(session 13-20)、プルキンエ細胞脱落に伴う学習率の変化を調べた。NSE-DTA;CrePR1マウスにRU486を投与した動物群を実験群として、NSE-DTA;CrePR1マウスにOILを投与した動物群と、NSE-DTAマウスにRU486を投与した動物群をコントロール群とした。結果としては、プルキンエ脱落とともに学習率が有意に低下することが観察された(p<0.01 byANOVA in session 9-20)。これはdelay paradigmにおいてCRの表出に小脳皮質の神経回路が必要であることを示唆している。これまで、Purkinje cell degenerationマウス(プルキンエ細胞のないミュータントマウス)においてdelay paradigmにおける学習障害が報告されていたが、プルキンエ細胞が生後2週間ぐらいから脱落し始めるため、条件付けに用いた成体マウスにおいては補償回路が存在する可能性がある。今回の研究では、正常に働いていたプルキンエ細胞を比較的短期間に脱落させることにより、代償機構が働きにくい状況下でのプルキンエ細胞脱落の効果を調べることができた。また、CRの表出に小脳皮質が必要であるという結論を、小脳皮質損傷実験よりも精度の高い系により明確に導くことが出来た。

審査要旨 要旨を表示する

 瞬目反射条件付けとは、条件刺激(CS)を音、無条件刺激(US)をまぶたへの電気刺激とし、CS-USをペアにして繰り返し与えることにより、CSのみで条件応答(CR)としての瞬きをするようになる学習である。瞬目反射学習のparadigmにはCSとUSが同時に終わるdelay paradigmとCSとUSが時間的に重ならないtrace paradigmがある。小脳皮質における長期抑圧(LTD)が瞬目反射学習の神経基盤であるというLTD仮説が提唱されている。このLTD仮説を検証するために、小脳特異的に発現するグルタミン酸受容体サブタイプGluRδ2をノックアウトしたLTD障害マウスを用いて瞬目反射学習実験が岸本らにより行われた結果、delay paradigmでは学習が障害されるが、trace paradigmでは野生型マウスと同等な学習がなされる事が見いだされた。このことは、学習にはLTD依存的なメカニズムと非依存的なメカニズムの2種類があり、これらがparadigm依存的に切り替わることを示唆している。しかしながら、ノックアウトマウスにおいては、未知の障害や補償回路が存在する可能性があるため、このparadigm 依存的な学習がGluRδ2ノックアウトマウスに特異的なことなのか、それとも野生型マウスを含む一般的な系で起こることなのか、さらなる検討が必要となった。

 そこで鈴木成教は、小脳LTDに重要な役割を果たすことが報告されているNOを、その合成阻害薬物により阻害することで、野生型マウスにおいて可逆的小脳LTD障害を引き起こし、学習能力のparadigm依存性を調べることとした。さらに、AMPA、カイニン酸受容体阻害剤6-cyano-7-nitroquinoxaline-2,3-dione(CNQX)により薬理学的に小脳皮質を阻害したマウスや小脳プルキンエ細胞脱落マウスを用いて、小脳皮質回路が瞬目反射学習にどのように関与しているかを明らかにした。

1.瞬目反射条件付けにおける小脳LTDの関与

 小脳内に直接L-NAMEを投与した動物群では、delay paradigmのacquisitionの7日間においてほとんど学習率は上がらず、コントロール群に比べて有意に学習率が低かった。一方、trace paradigm (trace interval = 0ms)では、コントロール群と同様に学習した。NO阻害剤により小脳LTDが阻害されることが報告されており、これらの結果は小脳LTD阻害によるものと考えられ、GluRδ2ノックアウトマウスの結果から示唆された「瞬目反射学習には小脳LTD依存的なメカニズムと非依存的なメカニズムの2種類があり、これらがparadigm依存的に切り替わる」という仮説を支持している。また、delay paradigmにおいて小脳LTDが重要な役割を演じているという小脳LTD仮説を支持している。しかし、GluRδ2ノックアウトマウスを含めたこれまでの小脳LTD欠損マウスに比べ、delay paradigmにおける学習障害はより顕著であった。学習障害の程度が違う可能性として考えられるのは(1)平行線維→プルキンエ細胞のLTD以外のNO依存的な可塑性が小脳内に存在し、学習に関係している可能性、(2)ノックアウトマウスで常に問題とされる補償回路が存在する可能性、が挙げられた。

2.薬理学的な小脳皮質神経回路阻害によるCR表出に対する効果

 delay paradigmおよびtrace paradigm (trace interval = 0ms)においてsalineを小脳内投与して7日間条件付けを行って学習を成立させ、その後AMPA、カイニン酸受容体の阻害剤であるCNQXを小脳内投与して条件付けを行った。CNQXによりAMPA・カイニン酸受容体が阻害されると、登上線維(US入力)および平行線維(CS入力)からの小脳皮質のプルキンエ細胞(唯一の出力細胞)への興奮性入力が阻害され、小脳皮質からの出力が阻害されることとなる。結果としては、どちらのparadigmにおいてもCNQX投与により、学習率は有意に低下した。これは、delay paradigmにおいてもtrace paradigmにおいても、CRを表出するためにsimplex lobe周辺の小脳皮質回路が重要な役割を演じていることを示している。L-NAME投与の実験の結果と併せて考えると、trace paradigmにおいて、小脳LTDがなくても学習は出来るが、CRを表出するメカニズムの一つとして小脳皮質の神経回路が関与していることが示唆された。これまで、HVI lobe(ウサギにおけるsimplex lobe)を損傷した時に、一過的に学習率が低下するという結果が報告されていた。しかし、この場合小脳深部核まで損傷されている可能性や、不可逆的に損傷部位がなくなったことにより、残った部位に何らかの変化が起こる可能性もあり、純粋な小脳皮質損傷の影響を観察できていない可能性もあった。今回の薬理実験では可逆的に小脳皮質回路を阻害することにより、trace paradigmにおけるCRの表出に対する純粋な小脳皮質阻害効果を明らかにすることに初めて成功したと思われる。

3.プルキンエ細胞脱落によるCR表出に対する効果

 Cre-loxP組換え系を利用したプルキンエ細胞除去マウス(NSE-DTA;CrePR1マウス)を用いて、CRの表出において小脳皮質回路がどのように関与しているかを調べることを目的とした。Cre-loxP組替え系を利用した神経細胞除去マウス(NSE-DTAマウス)では神経細胞特異的エノラーゼ遺伝子座に、ジフテリア毒素の遺伝子が組み込まれており、組換えがおこった後に毒素が産生された神経細胞が除去される。また、神経細胞で誘導型Cre組換え酵素を発現するトランスジェニックマウス(CrePR1マウス)では、RU486の投与により、主に小脳プルキンエ細胞で誘導的な組換えが起こる。NSE-DTAマウスとCrePR1マウスを交配し得られたマウス(NSE-DTA;CrePR1マウス)にRU486を投与すると、主に小脳プルキンエ細胞でジフテリア毒素が産生され、細胞が除去される。鈴木成教は、NSE-DTA;CrePR1マウスを用いてdelay paradigmで条件付けを行い、学習成立後にRU486を5日間投与し、引き続き条件付けを続け、プルキンエ細胞脱落に伴う学習率の変化を調べた。NSE-DTA;CrePR1マウスにRU486を投与した動物群を実験群として、NSE-DTA;CrePR1マウスにOILを投与した動物群と、NSE-DTAマウスにRU486を投与した動物群をコントロール群とした。結果としては、プルキンエ脱落とともに学習率が有意に低下することが観察された。これはdelay paradigmにおいてCRの表出に小脳皮質の神経回路が必要であることを示唆している。これまで、Purkinje cell degenerationマウス(プルキンエ細胞のないミュータントマウス)においてdelay paradigmにおける学習障害が報告されていたが、プルキンエ細胞が生後2週間ぐらいから脱落し始めるため、条件付けに用いた成体マウスにおいては補償回路が存在する可能性がある。今回の研究では、正常に働いていたプルキンエ細胞を比較的短期間に脱落させることにより、代償機構が働きにくい状況下でのプルキンエ細胞脱落の効果を調べることができた。

 以上の通り、本研究は、小脳LTDがdelay paradigmでは必須であるが、trace paradigmでは必要でないという結論が、野生型マウスを含めて、一般的に広く成立することを証明し、また、CRの表出に小脳皮質神経回路、あるいはプルキンエ細胞が必須であることを示したものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判定した。

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