学位論文要旨



No 118405
著者(漢字) 荒井,健
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ケン
標題(和) エンドセリン1によるMAPキナーゼ活性化におけるGタンパク質の選択性
標題(洋)
報告番号 118405
報告番号 甲18405
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1038号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

【はじめに】

 心肥大は心不全などの危険因子となるため、その形成機構の解明は臨床の面からも注目されている。エンドセリン1(endothelin-1;ET-1)は血管内皮細胞などから産生される物質で、主要な心肥大形成因子として知られている。ET-1は細胞膜上にある受容体を通じて細胞内へと情報を伝達するが、詳細な情報伝達機構は明らかとなっていない。これは、ET-1受容体と共役することが示唆されるGタンパク質(Gi、Gq、G12の3つのファミリー)のうち、GqおよびG12ファミリーの特異的阻害剤が存在しないことによる。特に、G12タンパク質およびG13タンパク質から成るG12ファミリーの役割はほとんど不明である。本研究では、アデノウイルス・ベクターを用いてGタンパク質の機能を阻害するペプチドを培養ラット心筋細胞に導入し、ET-1によるGタンパク質を介した情報伝達機構の解明を試みた。

【実験内容】

1.ET-1によるJNK、ERK活性化におけるG12ファミリーの役割

 JNKおよびERKはMAPキナーゼに属するSer/Thrキナーゼであり、ET-1は受容体を介してこれらのキナーゼを活性化する。そこで、はじめにET-1によるJNK、ERKの活性化にG12/G13タンパク質が関与しているかを検討した。前述のように、G12/G13タンパク質を選択的に阻害する薬物は存在しない。そこで、ET-1受容体とこれらGタンパク質の共役を阻害するために、各々のGタンパク質のαサブユニットのカルボキシル末端領域(Gα12-ctおよびGα13-ct)を過剰発現させ、G12/G13タンパク質を介する情報伝達を抑制した。図1に示すように、ET-1処置によりJNKおよびERKの活性は顕著に上昇する。このJNK活性化はGα12-ctおよびGα13-ctの過剰発現により抑制されたが、ERKの活性化は抑制されなかった。そのため、ET-1によるJNK活性化はG12/G13タンパク質を介するが、ERK活性化は別のGタンパク質を介して行われることが示された。

 Gタンパク質は、受容体刺激によりαサブユニットとβγサブユニットに解離し、それぞれが情報伝達系(キナーゼ類)に対して働きかける。そこで、次にG12/G13タンパク質のどちらのサブユニットがJNK活性化へと働きかけるかを検討した。Gα12/Gα13の関与は、これらタンパク質と特異的に相互作用しその機能を阻害するp115RhoGEFのRGSドメイン(p115-RGS)の過剰発現により検討した。Gβγの関与は、GRK2(G-proteincoupled receptor kinase2)のカルボキシル末端(GRK2-ct)の過剰発現によりGβγの機能を阻害することで検討した。図2に示すように、ET-1によるJNK活性化はp115-RGSの発現により抑制されたが、GRK2-ctの発現では変化が観察されなかった。したがって、ET-1はG12/G13タンパク質のαサブユニットを介してJNKを活性化することが明らかとなった。

2.ET-1によるJNK、ERK活性化におけるGq、Giタンパク質の役割

 Gqタンパク質およびGiタンパク質もET-1受容体と共役しており、ET-1による種々の細胞応答はこれらのGタンパク質を介することが知られている。しかし、ET-1におけるJNKまたはERKの活性化に対するGqタンパク質またはGiタンパク質の関与は完全には解明されていない。そこで、Gαq-ct(受容体とGqタンパク質の共役を阻害)および百日咳毒素PTX(Giタンパク質を不活性化)を用いてこれら2種のGタンパク質の機能を検討した。ET-1によるJNK活性化はGαq-ctの過剰発現により抑制されたがPTXの前処置では変化が見られなかった。一方、ERKの活性化はGαq-ctの過剰発現では影響を受けなかったがPTXの前処置で顕著に抑制された。このため、ET-1によるJNK活性化はG12/G13タンパク質だけでなくGqタンパク質も介して行われること、またERKの活性化は主にGiタンパク質を介することが明らかとなった。さらに、Gαqの機能を選択的に阻害するGRK2のRGSドメイン(GRK2-RGS)を用いた検討から、G12/G13タンパク質と同様に、Gqタンパク質もそのαサブユニットを通じてJNK活性化へといたる情報伝達を行うことが確認された。また、ERKの活性化はGRK2-ctの過剰発現により抑制されたことから、Giタンパク質から分離したβγサブユニットがET-1によるERK活性化に関与することも明らかとなった。

3.JNKおよびERKの活性化にいたる経路の検討

 G12/G13タンパク質はRho経路を制御することが知られている。また、Rhoの活性化にGαqが関与することも報告されている。そこで、ET-1によるJNK活性化にRhoが関与しているかを検討した。Rhoを不活性化するC3 toxinを過剰発現させた培養心筋細胞では、ET-1によるJNK活性化が抑えられていた。一方、ERKの活性化はC3 toxinを過剰発現させても変化が見られなかった。したがって、RhoはGα12/Gα13またはGαqの下流に位置し、JNKの活性化に関与しているもののERKの活性化には関与していないと考えられる。また、ET-1によるERKの活性化は、ERKの上流に位置するMEK(MAPK/ERKkinase)の選択的阻害剤U0126およびPD98059により濃度依存的に抑制された。そのため、ET-1によるERK活性化はMEKを介して行われることが明らかとなった。

4.ET-1による心肥大形成におけるGα12/Gα13タンパク質の関与

 ET-1は主要な心肥大形成因子であり、これまでにGqタンパク質およびGiタンパク質を介して心肥大応答を引き起こすことが報告されている。しかし、G12/G13タンパク質が心肥大応答に及ぼす影響はほとんど検討されていない。心肥大形成時には、心筋細胞はタンパク質の合成を行って量的に肥大するだけでなく、アクチンなどの収縮系を構成するタンパク質の再構築なども行う。そこで、最後にp115-RGSおよびC3toxinの過剰発現により、ET-1による心肥大応答におけるG12/G13タンパク質およびRhoの役割を検討した。図3に示すように、p115-RGSおよびC3 toxinの過剰発現により、心肥大の指標であるタンパク質合成量上昇とアクチンの再構成がともに抑制された。したがって、ET-1による心肥大形成において、新たにGα12/Gα13タンパク質を経由したRho/JNKの経路が存在することが明らかとなった。

【まとめ】

 本研究から、i)ET-1によるJNK、ERK活性化はGタンパク質の種類に依存すること、ii)G12/G13タンパク質のαサブユニットはRho/JNK経路を介し心肥大応答を誘導していること、が明らかとなった。これらの知見は、これまで治療薬の対象として未開拓であったG12/G13タンパク質が心肥大の新規創薬ターゲットとして有用であることを示すばかりでなく、細胞内情報伝達のより詳細な機構を解明する手助けとなるものである。(参考文献:Arai et al.、 2003 Mol Pharmacol63:478-488.)

図1.ET-1によるJNK、ERK活性化におけるGα12-ct、Gα13-ctの効果

生後0-1日齢のSDラットから得た培養心室筋細胞を使用した。LacZ、Gα12-ct、Gα13-ctをコードするアデノウイルス・ベクターを培養1日目の細胞に100 MOIで感染させ、48時間後に10nM ET-1で20分間(A)、または1nM ET-1で10分間(B)刺激した。JNK活性(A)は、JNK1抗体で免疫沈降した後、GST-c-junを基質として測定した。ERK活性(B)はERK2抗体で免疫沈降した後、MBPを基質として測定した。データは平均±標準誤差(N=3、*p<0.05)で表した。

図2.ET-1によるJNK活性におけるp115-RGS、GRK2-ctの効果

生後0-1日齢のSDラットから得た培養心室筋細胞を使用した。LacZ、p115-RGS、GRK2-ctをコードするアデノウイルス・ベクターを培養1日目の細胞に100 MOIで感染させ、48時間後に10nM ET-1で20分間刺激した。JNK活性はJNK1抗体で免疫沈降後、GST-c-junを基質として測定した。データは平均±標準誤差(N=3、*p<0.05)で表した。

図3.ET-1による心肥大応答に対するp115-RGS、C3 toxinの効果

生後0-1日齢のSDラットから得た培養心室筋細胞を使用した。LacZ、p115-RGS、C3 toxinをコードしたアデノウイルス・ベクターを培養1日目の細胞に100 MOIで感染させ、48時間後に実験に用いた。(A)100 nM ET-1で24時間刺激した後、タンパク質合成量を測定した。データは平均±標準誤差(N=3、*p<0.05)で表した。(B)100nM ET-1で48時間刺激した後、アクチン繊維を観察した。

審査要旨 要旨を表示する

 心臓は血行力学的負荷を受けると、心筋細胞を肥大させて心拍出量を正常に保持しようとする。すなわち、心肥大は分裂能力を失った心筋細胞に備わる代償機構(適応現象)と考えられる。しかし、一方で心肥大は心不全などの疾病を発症させる危険因子にもなりうる。したがって、心肥大形成機構を解明することは臨床的にも極めて重要な課題である。心肥大形成は、液性因子や機械的負荷が心筋膜上にある受容体を介して、細胞内へ情報を伝達することで開始される。液性因子であるエンドセリン1(endothelin-1;ET-1)は主要な心肥大形成因子でありながら、いまだに詳細な情報伝達機構が明らかとなっていない。これは、ET-1受容体と共役することが示唆されるGタンパク質(Gi、Gq、G12の3つのファミリー)のうち、GqおよびG12タンパク質の特異的阻害剤が存在しないことによる。本研究で荒井は、培養ラット心筋細胞を用いて、ET-1刺激による心肥大形成におけるGタンパク質の役割および情報伝達経路に関する検討を行った。

 特異的阻害剤が存在しないG12/G13タンパク質およびGqタンパク質の生理機能を検討するためには、各Gタンパク質と選択的に作用(阻害)するペプチド類を細胞内に導入する必要がある。本研究では、はじめにGタンパク質のaサブユニットのカルボキシル末端(Ga-ct)を培養心筋細胞に導入する手法を用いている。この領域は受容体とGタンパク質との共役に重要であるため、Ga-ctの過剰発現はGタンパク質より生じる情報伝達を抑制する。Ga12-ct/Ga13-ctの過剰発現またはGaq-ctの過剰発現はET-1刺激によるJNK活性化を抑制した。一方でET-1刺激によるERK活性化には影響を与えなかった。したがって、ET-1はG12/G13タンパク質またはGqタンパク質を介してJNKを活性化させることが明らかとなった。また、ET-1刺激によるERK活性化は百日咳毒素PTXにより抑制されたため、ET-1はGiタンパク質を介してERKを活性化させることが示唆された。

 Gタンパク質は、受容体刺激によりaサブユニットとbgサブユニットに解離し、それぞれが情報伝達系に対して働きかける。本研究では、これらサブユニットの役割に関しても検討を行っている。G12/G13のaサブユニットの関与は、これらタンパク質と特異的に相互作用しその機能を阻害するp115RhoGEFのRGSドメイン(p115-RGS)の過剰発現により、GqのaサブユニットはGaqの機能を選択的に阻害するGRK2(Gproteincoupled receptor kinase2)のRGSドメイン(GRK2-RGS)を過剰発現させることで、またGbgサブユニットの関与はGRK2のカルボキシル末端(GRK2-ct)の過剰発現によりGbgの機能を阻害することでそれぞれ検討した。

 p115-RGSまたはGRK2-RGSの過剰発現はともにET-1刺激によるJNK活性化を抑制したが、ERK活性化には変化が見られなかった。一方、GRK2-ctの過剰発現はJNK活性に影響を与えなかったが、ERK活性は顕著に抑制した。したがってET-1は、G12/G13タンパク質またはGqタンパク質のaサブユニットを介してJNKを活性化し、Giのbgサブユニットを介してERKを活性化することが明らかとなった。

 心肥大形成時には、心筋細胞はタンパク質の合成を行い量的な肥大を生じるだけでなく、アクチンなどの収縮系を構成するタンパク質の再構築なども行う。培養心筋細胞にp115-RGSまたはC3 toxinを過剰発現させて、Ga12/Ga13タンパク質やRhoを抑制するとET-1刺激によるタンパク質合成量上昇とアクチンの再構成が抑制された。したがって、ET-1による心肥大形成において、新たにG12/G13タンパク質のGaサブユニットを経由したRho/JNKの経路が存在することが明らかとなった。

 以上、本研究は培養心筋細胞を用いてET-1刺激による心肥大形成に至る細胞内情報伝達系を検討し、(1)G12/G13およびGqのGaサブユニットがET-1刺激によるJNK活性化に関わること、(2)ET-1刺激によるERK活性化にはGiのGbgサブユニットを介すること、および(3)これらJNK、ERKの両経路がET-1刺激により誘導される心肥大応答に重要であること、を明らかにしたものである。これらの知見は、複雑な細胞内情報伝達機構を詳細に理解するための手助けとなるばかりでなく、これまで治療薬開発の対象として未開拓であったG12/G13タンパク質が心疾患の新規創薬ターゲットとして有用であることを示したものであり、本研究分野の進展への貢献度は大きく、博士(薬学)の授与に値すると判定した。

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