学位論文要旨



No 118406
著者(漢字) 長内,理大
著者(英字)
著者(カナ) オサナイ,アリヒロ
標題(和) 化学療法標的分子としてのカイチュウミトコンドリア複合体IIの生化学的解析
標題(洋)
報告番号 118406
報告番号 甲18406
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1039号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

(序)

 寄生性線虫カイチュウの成虫は、哺乳類の小腸内という、酸素分圧が大気中の1/4(5%)の環境に適応するためにNADH-フマル酸還元系と呼ばれる、酸素を必要としない独特の嫌気的呼吸鎖を進化させている(図1)。この特殊なエネルギー産生系は、哺乳類のいわゆる酸化的リン酸化との相違から、抗寄生虫薬の標的となり得ることが考えられる。実際、私の所属する研究グループは、カイチュウのこの系の構成成分の1つである複合体Iを選択的に阻害するナフレジンが、寄生線虫の卵の産生を抑えるという事実を見いだしている(Omura et al.2001)。一方、NADH-フマル酸還元系のもう1つの構成成分である複合体IIも、コハク酸-ユビキノン(UQ)酸化還元酵素(SQR)として機能する哺乳類複合体IIとは逆反応のフマル酸還元を触媒する事から(図2)、複合体Iと同様、抗寄生虫薬の標的になると考えられてきたが、それを直接示す生化学的研究はこれまでなされていなかった。これは、カイチュウが呼吸鎖の中で用いているロドキノン(RQ)の短鎖イソプレン誘導体が合成されておらず、またキノールが容易に自酸化するためロドキノール-フマル酸還元活性の測定ができなかったこと、ミトコンドリアには、内在性の基質や他の酸化還元酵素が多数存在していて正確な酵素活性の測定が困難であり、逆にミトコンドリア内膜から可溶化した複合体IIは非常に酵素活性を失いやすいことなどに起因している。

 本研究では、これらの問題を解決し複合体IIを標的にする抗寄生虫薬を開発する目的で、高純度かつ高活性の酵素を大量に精製した。さらに、この標品を用いて詳細な酵素学的な解析を行い、カイチュウ成虫複合体IIは、ウシ心筋複合体IIと比べフマル酸に対する親和性が高いこと、真菌の複合体IIの阻害剤であるフルトラニルがカイチュウ複合体IIを特異的に阻害することを見いだした。さらに、酵素の触媒機構や、阻害剤の阻害機構を直接的に解析する目的で結晶化を試み、微結晶を再現性よく得た。

(方法と結果)

1.カイチュウ成虫ミトコンドリアの調製

 これまで、カイチュウのミトコンドリア調製では、MSE液(0.21Mマンニトール、0.07Mスクロース、0.1mM EDTA)を用いた方法が報告されているが、カイチュウの筋肉ではこの方法では懸濁液の粘性が高くなり、大量に筋肉を処理するのに適さないことから、種々の条件を検討した。その結果、骨格筋のミトコンドリア調製で報告されているChappell-Perry液(0.1M塩化カリウム、50mMトリス塩酸緩衝液(pH 7.4)、1mM ATP、5mM硫酸マグネシウム、1mM EDTA)を用いた方法で1kgのカイチュウ成虫筋肉より、タンパク質にして1000mgのミトコンドリアを調製することが可能となった。

2.カイチュウミトコンドリア複合体IIの精製

 カイチュウ成虫複合体IIの精製については、すでに高宮らによる報告がある(Takamiya et al. 1986)。しかし、この方法は回収率が低く、しかも複合体IIIの混入も認められ本研究の目的に用いる事はできない。そこで、界面活性剤による可溶化の条件、各種カラムクロマトグラフィーによる精製法を検討した結果、以下の方法を確立した。すなわち、ミトコンドリア(タンパク質1000 mg)を2.5%(w/v)スクロースモノラウレートで可溶化し、超遠心後の上清をDEAEセファロースカラム、SOURCE15Qカラムで精製した(表1、図3)。本法は高い再現性を示し、また得られた標品は、cDNAの塩基配列から予想される分子量70,000、30,000、15,000、13,000の4つのサブユニットのバンドのみを含む、極めて高純度の複合体IIであった。最終標品の酸化還元差スペクトルから算出したヘムbおよびFADは、複合体1.0μmoleあたり、それぞれ、1.0μmole、1.1μmoleとなり、精製したカイチュウ複合体II1分子には、ヘムbならびにFADがそれぞれ1分子結合していると推測された。

3.カイチュウ複合体IIの酵素学的解析

 カイチュウ複合体IIが、哺乳類由来の複合体IIと性質がどのように異なるかを知る目的で、酵素学的解析を行った。ロドキノール-フマル酸還元酵素(QFR)活性については、京都大学の三芳によって合成された短鎖イソプレン側鎖のロドキノン誘導体を用い、嫌気的条件下で行った。ミカエリス定数(Km)を指標として基質に対する親和性の相違を調べた結果、カイチュウ複合体IIは、ウシ心筋複合体IIと比べてフマル酸に対し高い親和性を持っていることがわかった(表2)。

4.阻害剤の複合体IIに対する作用

 次に、複合体IIの活性を阻害することが報告されている阻害剤について、カイチュウ複合体IIに対する作用を調べた。その結果、ウシ心筋複合体IIの活性を阻害すると報告されているTTFA(テノイルトリフルオロアセトン)は、カイチュウ複合体IIを阻害しなかった。また、複合体IIが作用点であると報告されている抗線虫薬、チアベンダゾール、レバミゾールは、本酵素に対して阻害活性を示さず、これは、以前の報告が、比活性、純度ともに低いミトコンドリアを標品として用い、酵素活性の測定法も非特異的であったことに起因すると考えられる。一方、真菌の複合体IIを阻害すると報告されているフルトラニルは、0.1mMでカイチュウ複合体IIの活性を70%阻害した(表3)。

5.フルトラニルの複合体IIに対する作用

 上記の結果から、フルトラニルについて、ウシ心筋複合体IIを用い、その相違について、さらに詳細に検討した。その結果、フルトラニルは、カイチュウ複合体IIについては、SQR活性、QFR活性ともに、IC50が約1μMで阻害するが、ウシ心筋複合体IIは、両反応ともIC50が40-50μMと高く、カイチュウ複合体IIをより選択的に阻害することがわかった。また、フルトラニルは、カイチュウ複合体II、ウシ心筋複合体IIともに触媒部分のみの活性を測定するSDH(コハク酸脱水素酵素活性、図2)を阻害しないことから、その作用点は、キノンへの電子伝達に関わる膜アンカー部分であると考えられた(表4)。

6.カイチュウミトコンドリア複合体IIの結晶化

 薬剤開発の戦略のひとつとして、複合体IIを結晶化し立体構造の情報を得て、これに基いた薬剤開発を行うことを考え、本酵素の結晶化を試みた。結晶化には、酵素を安定に保つ必要があるが、カイチュウ複合体IIは、24時間室温に放置すると、活性が50%低下する。種々の条件を検討した結果、マロン酸を1mM添加することにより、酵素活性を2週間、20℃で安定に保つことができた。そこで、マロン酸を添加物として加え、2000通りの結晶化条件を試みた。その結果20%ポリエチレングリコール3350を沈殿剤とし、0.2M塩化ナトリウム、0.3% C12E8、0.2%ドデシルマルトシドを含む条件で、約30μmの微結晶が再現性よく得られるようになった(図4)。

(考察とまとめ)

 カイチュウミトコンドリア複合体IIは、哺乳類のSQRと比べ、逆反応を触媒するQFRとして機能し、ロドキノンを基質にするなどの特徴的な性質を持っており、以前より抗寄生虫薬の標的分子として注目されていたが、生化学的、酵素学的実験が困難なことから、それを裏付ける研究は遅れていた。今回、カイチュウ筋肉から、ミトコンドリアを大量に効率よく調製し、このミトコンドリアから高純度の複合体IIを精製する方法を確立した。精製された複合体IIは、高い活性を保持しており、これによって、詳細な酵素学的解析、結晶化の実験が可能となった。その結果、カイチュウ複合体IIがウシ心筋複合体IIと比べ、フマル酸に対し親和性が高い事、阻害剤に対する感受性が異なる事を見出した。特に、フルトラニルは、複合体IIを阻害することによって真菌の増殖を抑えるとされている化合物で、本研究でカイチュウ複合体IIを特異的に阻害したことは、この化合物が抗寄生虫薬のリード化合物として有望であることを強く支持する結果である。さらに、カイチュウ複合体IIの結晶化を試み、再現性よく微結晶を得る条件を見出した。複合体IIの立体構造は、これまで細菌類で2種類報告されているが、ミトコンドリア複合体IIの立体構造に関する情報は著しく不足しており、この結晶をもとに立体構造の解明が進めば、カイチュウのみならず、ミトコンドリア複合体IIの触媒メカニズムを解明する一助になると期待される。

(文献)

Omura S. et al. (2001) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 98, 60-62

Takamiya S. et al. (1986) Biochim. Biophys. Acta 848, 99-107

図1 哺乳類ならびにカイチュウの電子伝達系

図2 ミトコンドリア複合体II

表1 カイチュウ複合体IIの精製

図3 SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動

表2 基質に対するKm値

表3 カイチュウ複合体IIに対する阻害剤の作用

表4 フルトラニルに対する感受性

図4 カイチュウ複合体IIの微結晶

審査要旨 要旨を表示する

 カイチュウは、医学的重要性は低いものの、虫体が大きく、また寄生虫独特の代謝系を発達させていることから寄生虫の中では比較的生化学的解析が容易であり、寄生虫研究のモデル生物として非常に有用である。本論文では、カイチュウ複合体IIに焦点を当て、抗寄生虫薬の開発と言う観点から、哺乳類とは著しく異なるミトコンドリア複合体IIを生化学的に詳細に解析している。

(1)カイチュウ成虫ミトコンドリアの大量調製ならびにカイチュウ複合体IIの精製

 カイチュウは、実験室での培養法が確立しておらず、現在でも屠殺中の豚より収集していることから、本論文ではまず、同量のカイチュウから効率良くミトコンドリアを調製する方法を確立している。本論文では、従来用いられてきたMSE液(マンニトール、スクロースを用いた等張液)に代え、Chappell-Perry液という哺乳類骨格筋ミトコンドリア調製に用いられる方法を応用して、活性、タンパク質量とも収率の高いミトコンドリア調製の方法を確立した。精製法に着いても、これまで報告されている方法は、純度、活性とも低く、本論文で目標としている詳細な生化学的解析や結晶化による構造解析の実験には適さないことから検討を加え、新たにDEAE-sepharose fast flowカラム、SOURCE15Qカラムの2種の陰イオン交換カラムを用いた方法を確立している。この方法では、最終標品の純度はほぼ100%であり活性も高い。また、これまで哺乳類の複合体IIの精製で問題となっていた、ヘムbやFADなどの補欠分子族の逸脱も認められず、本論文で行う生化学的解析、結晶化実験に適した方法といえる。

(2)カイチュウ複合体IIの酵素学的解析

 前述の精製で得られたカイチュウ複合体IIの精製標品を用いて、次に酵素学的解析が行われている。まず、この酵素が触媒しうるコハク酸酸化、フマル酸還元のそれぞれの基質である、コハク酸、フマル酸、ユビキノン、ロドキノンについてミカエリス定数を求め、カイチュウ複合体IIは、ウシ心筋複合体IIに比べフマル酸に対して非常に高い親和性を持っている事を見いだした。次に種々の生物種の複合体II阻害剤によるカイチュウ複合体IIの阻害を調べている。この結果、これまでカイチュウ複合体IIを阻害するとされていたチアベンダゾールが活性測定に用いる人工的電子受容体DCIPへの非特異的な電子の流れを阻害し、キノンへの電子伝達を阻害しないこと、ウシ心筋複合体IIの阻害剤であるTTFAやカルボキシンはカイチュウ複合体IIを阻害しないこと、同じフマル酸還元活性を触媒するピロリ菌複合体IIを阻害するオキサンテルはカイチュウ複合体IIを阻害しないことを見いだした。これらはすべて、カイチュウ複合体IIが酵素学的に独特な性質をもつ事を示し、複合体IIが抗寄生虫薬の標的として優れていることを示唆するものである。さらに、真菌複合体IIの阻害剤で農薬として現在も用いられているフルトラニルは1μMという低い濃度でカイチュウ複合体IIを50%阻害するが、ウシ心筋複合体IIでは、IC50が50倍以上高く、この化合物が複合体IIを標的とした抗寄生虫薬のリード化合物として有望であることを示した。

(3)カイチュウ複合体IIの結晶化

 本論分は、複合体IIを標的とした抗寄生虫薬の開発を目標としていることから、次に立体構造に基づく薬剤開発を目指して複合体IIの結晶化を試みている。複合体IIは4つのサブユニットからなる膜タンパク質であり酵素学的に不安定であることから、これまで細菌類で2種結晶構造解析の報告があるのみである。本論文では、補欠分子族を失うことなく、また高い活性を保持したまま複合体IIを精製し、また拮抗阻害剤であるマロン酸の添加によって活性を長く安定に保つことを見いだした。その上で、界面活性剤を含めた種々の結晶化条件を検討し、大きさ30μMの結晶を再現性よく得る条件を見出している。この結晶をもとに立体構造の解明が進めば、複合体IIを標的とした抗寄生虫薬の開発に大きく貢献すると考えられる。

 以上、本論分においては、抗寄生虫薬開発の第一段階として標的となる複合体IIの精製、薬剤か葉津において重要な基礎情報となる酵素学的な解析、阻害剤の検討、さらに、立体構造に基づく薬剤開発を目指した結晶化実験が行われている。精製においては、これまで問題となっていた補欠分子族の逸脱による活性の低下を克服し、阻害剤の検討においてはフルトラニルがカイチュウ複合体IIを選択的に阻害することを見いだしている。また、困難とされている複合体IIの結晶化についても、結晶を再現性よく得る条件を見出した。

 これらの知見は寄生虫の巧みな宿主適応機構の解明につながるばかりでなく、現在、特に発展途上国で最も重要視されている問題のひとつである寄生虫対策に大きく貢献するものであり、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があると認められる。

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