学位論文要旨



No 118407
著者(漢字) 小山,彰比古
著者(英字)
著者(カナ) コヤマ,アキヒコ
標題(和) α-synucleinトランスジェニック線虫(C. elegans)を用いたパーキンソン病モデル動物創出の試み
標題(洋)
報告番号 118407
報告番号 甲18407
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1040号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

 パーキンソン病(PD)は臨床的に筋固縮、安静時振戦、無動などの運動障害を生じ、病理学的には中脳黒質のドパミン性ニューロンなどの細胞脱落とともに残存ニューロン内にLewy小体(LB)と呼ばれる細胞質内封入体が出現することを特徴とする神経変性疾患である。家族性PDの病因遺伝子産物であるα-synuclein蛋白質が、孤発性PDにも見られるしBの主要構成成分であること、Lewy小体型痴呆症や多系統萎縮症などの関連疾患においてもα-synucleinの蓄積が認められることから(synucleinopathy)、α-synucleinの神経細胞内蓄積は細胞障害、細胞死の原因となる可能性が考えられている。

 現在までにヒトα-synucleinを神経細胞に過剰発現するトランスジェニック(TG)マウス、TGショウジョウバエが作製され、α-synucleinの神経細胞内蓄積、運動障害が認められている。線虫C.elegansは、マウスやハエに比べて遺伝学的解析が容易であること、基本的な神経系を備えていること、全神経細胞が同定され、神経細胞間の結合関係や行動との相関が明らかにされていること、線虫を用いたアルツハイマー病、ポリグルタミン病、筋萎縮性側索硬化症のモデル動物が作製されていることから、神経変性疾患の有力なモデル動物となる可能性がある。

 本研究において、私はPDのモデル動物作出を目的として、神経系にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作出し、α-synucleinの蓄積や神経機能に対する影響について解析した。

 まず、全神経細胞にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作製するために、神経系に高い発現の得られるunc-51プロモーターの下流に、野生型(WT)及び家族性PD変異型(A53T、A30P)ヒトα-synucleinを組み込んだ発現ベクターを作製した。これを線虫野生株(N2)にマイクロインジェクションしextrachromosomeラインを作製した。これらのラインを用いて紫外線照射法により導入遺伝子を染色体挿入したintegrantラインを取得し、過剰発現ラインを樹立した。各α-synuclein発現ラインをウェスタンブロット解析した結果、ヒトα-synucleinは約15kDaの全長蛋白質として発現していた。TG線虫をパラフォルム固定後、パラフィン包埋・薄切し、抗ヒトα-synuclein抗体により免疫染色したところ、全身の神経細胞体と突起に広く陽性像が認められ、特にシナプスに富む神経突起束であるnerve ringに強い染色が見られた(図1A、B)。野生型と家族性PD変異型の間でα-synucleinの発現、局在に相違は見られず、uncoordinated movement(Unc)、mechanosensory defect(Mec)などの異常表現型は見られなかった。

 疾患脳に蓄積したα-synucleinに特徴的なSer129リン酸化を特異的に認識する抗体(anti-PSer129)による免疫染色では陽性反応がnerve ringに限局して観察され(図1C)、アルカリホスファターゼを用いた脱リン酸化処理により染色が消失したことから(図1D)、α-synucleinホモログを持たない線虫C.elegansにおいてもヒトα-synucleinのSer129がリン酸化を受けることが明らかとなった。一方、体壁筋あるいは腸管細胞に特異的にα-synucleinを過剰発現するTG線虫では、大量のα-synuclein蛋白質の発現にもかかわらず、リン酸化は検出されなかったことから(図2)、α-synucleinのリン酸化が神経細胞特異的に生じる可能性が示唆された。

 α-synucleinは本来可溶性の高い蛋白質であるが、synucleinopathy患者脳に蓄積したα-synucleinは高い不溶性を獲得している。TG線虫において、不溶性α-synucleinが生じているか否かを検討するために、8日齢まで加齢を経たTG線虫を各種界面活性剤により段階的に可溶化し各画分をウェスタンブロット解析した。α-synucleinは全長蛋白質として、主に可溶性画分に回収され、不溶性のα-synucleinは検出されなかった(図3)。よってTG線虫では8日齢でもα-synucleinは高い可溶性を保持していることが明らかとなった。

 哺乳類の神経系において、α-synucleinは細胞体には存在せず、シナプス前末端に局在する。線虫においても、神経細胞に発現したα-synucleinが、シナプス末端に富む神経突起束であるnerve ringに豊富に分布したことから、α-synucleinが軸索輸送を受ける可能性が示唆された。そこで、シナプス小胞の軸索末端への輸送に関わるモーター蛋白質UNC-104の機能低下変異体との交配を行った。unc-104変異の導入により、α-synucleinは神経細胞体に強く蓄積するようになり、リン酸化α-synucleinの局在はnerve ringから神経細胞体に移行した(図4A)。また、ウェスタンブロット解析の結果、unc-104変異の導入により、α-synucleinのリン酸化が亢進していることが示された(図4B)。このことから、線虫の神経細胞に発現させたα-synucleinはUNC-104依存的に軸索輸送を受けていること、軸索輸送障害を受けたα-synucleinは神経細胞体に蓄積し、リン酸化が亢進することが示唆された。

 線虫は体表への接触刺激を認識し(touch sense)、回避行動を取る性質を持ち(touch response)、この行動は6個のtouch neuronにより支配されている。α-synuclein過剰発現がtouch neuronの機能に与える影響を解析するために、touch neuron特異的な発現の得られるmeo-7プロモーターを用い、野生型及び家族性PD変異型α-synucleinを発現するTG線虫を作製した。免疫染色により、α-synuclein蛋白質がtouch neuronの細胞体及び突起に強く発現していることを確認した(図5A)。各発現遺伝子につき独立した3ラインについて、体表刺激による回避行動を観察したところ(touch assay)、野生型α-synucleinを発現するラインでは。control(Phsp-16::EGFP)と比較して有意差がなかったのに対し、家族性PD変異型α-synucleinを発現するラインではtouch responseの低下が有意に観察され、この傾向は特にA30P変異で顕著であった。Touch neuron特異的にα-synucleinを発現するラインにおいて観察されたtouch senseの低下が、touch neuronの細胞死の結果生じたものであるか否かを検討するために、mec-7プロモーターの下流にEGFPを組み込んだ発現ベクターを、各α-synuclein発現ラインにマイクロインジェクションし、touch neuronを蛍光により可視化した。その結果、touch senseの低下の観察されるラインにおいて、touch neuronが消失していないことが明らかとなった。よって、α-synucleinの過剰発現によるtouch senseの低下が、神経細胞死の結果生じたものではなく、神経機能低下によるものであると考えられた。

 本研究において、私は代表的な神経変性疾患であるPDの病態モデル樹立を目的として、神経細胞にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作製した。全神経細胞にα-synucleinを過剰発現するラインでは、神経細胞体及び突起、特に神経突起とシナプスに富むnerve ringに強いα-synucleinの発現が見られ、これは哺乳類脳における分布に類似していた。また、PD脳に蓄積したα-synucleinに特徴的なSer129のリン酸化は、nerve ringのみに限局して観察された。一方、体壁筋、腸管ではα-synucleinのリン酸化は起こらず、α-synucleinのリン酸化は神経細胞に特異的な現象であることが示唆された。さらにシナプス小胞の軸索輸送に関与するモーター蛋白質UNC-104の機能低下変異の導入により、α-synucleinが細胞体に蓄積し、リン酸化が亢進したことから、α-synucleinの神経末端における局在にUNC-104蛋白質が関与し、その障害は蓄積と過剰リン酸化の一要因となる可能性が示唆された。

 また、touch neuron特異的に家族性PD変異型ヒトα-synucleinを過剰発現することによりtouch responseの低下が引き起こされた。家族性PD変異はα-synuclein蛋白質の凝集性を促進することがin vitroの実験において示されており、構造異常を生じたα-synucleinの細胞内蓄積が機能障害を誘発した可能性が示唆された。以上のごとく、私が作出したα-synuclein TG線虫モデルは、α-synucleinのリン酸化、神経機能障害など、PDをはじめとするヒトsynucleinopathyにおける生化学的・機能的異常を再現するモデル動物と考えられる。今後このモデルを用いて、α-synuclein蓄積に伴う神経細胞障害や過剰リン酸化の分子機構を解析し、治療法の創出につなげたい。

図1 Punc-51::synA53Tの免疫染色像

(A)N2、(B)Punc-51::synA53Tの抗α-synuclein抗体による染色像。(C)Punc-51::synA53Tの抗リン酸化α-synuclein抗体による染色像。(D)アルカリフォスファターゼ処理後のPunc-51::synA53Tの抗リン酸化α-synuclein抗体による染色像。nerve ringを矢印で示す(scale bar=10μm)。

図2 体壁筋、腸管におけるα-synucleinの発現

(A)(C)Punc-54::synWT、(B)(D)Pges-1::synWTの抗α-synuclein抗体(A)(B)、抗リン酸化α-synuclein抗体(C)(D)による免疫染色像(scale bar=10μm)。

図3 各種界面活性剤による段階的分画

Punc-51::synWTラインを1%Trsi-HCl、1%Tritron X-100、1%Sarkosyl、1%SDSを用いて順次可溶化し、分画した。ヒトα-synuclein特異抗体によりウェスタンブロットした。図4 unc-104変異がα-synucleinに及ぼす影響

(A)unc-104変異を導入したPunc-51:synWTの蛍光免疫染色像。unc-104変異によりα-synucleinが細胞体に蓄積した。(B)unc-104変異を導入したPunc-51::synWTのウェスタンブロット。unc-104変異によりリン酸化α-synucleinが増加した。

図5 Pmec-7ラインのtouch assay

(A)Pmec-7::synA30Pのヒトα-synuclein特異抗体による免疫染色像(scale bar=10μm)。touch neuronを矢印で示す。(B)各種α-synuclein発現ライン20匹ずつに対しtouch assayを行い、正常反応を2、反応低下を1、反応の消失を0として数値化した。5回の試行(100匹)の平均値と標準偏差を示す(*はp<0.01)。

審査要旨 要旨を表示する

 パーキンソン病(PD)は臨床的に筋固縮、安静時振戦、無動などの運動障害を生じ、病理学的には中脳黒質のドーパミン性ニューロンなどの細胞脱落とともに残存ニューロン内にLewy小体(LB)と呼ばれる細胞質内封入体が出現することを特徴とする神経変性疾患である。家族性FDの病因遺伝子産物であるα-synucleinが、孤発性PDにも見られるLBの主要構成成分であること、Lewy小体型痴呆症や多系統萎縮症などの関連疾患においてもα-synucleinの蓄積が認められることから、α-synucleinの神経細胞内蓄積は細胞障害、細胞死の原因となる可能性が考えられている。

 現在までにヒトα-synucleinを神経細胞に過剰発現するトランスジェニック(TG)マウス、TGショウジョウバエが作製され、α-synucleinの神経細胞内蓄積、運動障害が認められている。線虫C.elegansは、マウスやハエに比べてより原始的な動物であるが、遺伝学的解析が容易であること、基本的な神経系を備えていること、全神経細胞が同定され、神経細胞間の結合関係や行動との相関が明らかにされていることから、神経変性疾患の有力なモデル動物となる可能性がある。本研究において、申請者はPDのモデル動物作出を目的として、神経系にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作出し、α-synucleinの蓄積や神経機能に対する影響について解析した。

1.全神経細胞にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫株の樹立

 全神経細胞にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作製するために、神経系に高い発現の得られるunc-51プロモーターの下流に、野生型及び家族性PD変異型(A30P、A53T)ヒトα-synucleinを組み込んだ発現ベクターを作製した。これを線虫野生株N2にマイクロインジェクション後、紫外線照射によりintegrant lineを取得、back crossを行い過剰発現ラインを樹立した。TG線虫の各種界面活性剤可溶画分をウェスタンブロット解析すると、α-synucleinは15kDaの全長蛋白質として、主に可溶性画分に回収された。線虫個体をパラフォルム固定後、パラフィン包理・薄切し、抗ヒトα-synuclein抗体により免疫染色したところ、神経細胞体と突起に広く陽性像が認められ、特に神経突起とシナプスに富むnerve ringに強い染色が見られた。野生型、家族性PD変異型間で、α-synucleinの発現、局在に違いは見られず、uncordinated movementなどの機能異常は見られなかった。

 疾患脳に蓄積したα-synucleinに特徴的なSer129リン酸化を特異的に認識する抗体(anti P-Syn)による免疫染色を行うと、nerve ringに限局した陽性反応が観察され、アルカリホスファターゼによる脱リン酸化処理により染色は消失した。一方、体壁筋あるいは腸管細胞に特異的にα-synucleinを過剰発現するTG線虫では、大量のα-synuclein蛋白質の発現にもかかわらず、リン酸化は検出されなかった。

 哺乳類の神経系において、α-synucleinは細胞体に集積せず、シナプス前末端に局在する。線虫においても、神経細胞に発現したα-synucleinが、リン酸化の有無に関わらず、シナプス末端に富む神経突起束であるnerve ringに局在したことから、シナプス小胞の軸索末端への輸送に関わるモーター蛋白UNC-104/KIF1Aの機能低下変異体との交配を行った。unc-104変異の導入により、α-synucleinのリン酸化は全身で顕著に亢進し、その局在がnerve ringから神経細胞体に移行した。

2.α-synuclein過剰発現が神経機能に与える影響の解析

 線虫は体表への接触刺激を認識し(touch sense)、回避行動を取る性質を持ち(touch reesponse)、この行動は6個のtouch neuronにより支配されている。α-synuclein過剰発現がtouch neuronの機能に与える影響を解析するために、touch neuron特異的な発現の得られるmec-7プロモーターを用い、野生型及び家族性PD変異型α-synucleinを発現するTG線虫を作製した。免疫染色により、α-synuclein蛋白質がtouch neuronの細胞体及び突起に強く発現していることを確認した。各発現遺伝子につき独立した3ラインについて、体表刺激による回避行動を観察したところ(touch assay)、野生型α-synucleinを発現するラインに比べて、家族性PD変異型α-synucleinを発現するラインではtouch responseの低下が観察され、この傾向は特にA30P変異で顕著であった。

 本研究において、申請者は代表的な神経変性疾患であるPDの病態モデル樹立を目的として、神経細胞にヒトα-synucleinを過剰発現するTG線虫を作製した。全神経細胞にα-synucleinを過剰発現するラインでは、神経細胞体及び突起、特に神経突起とシナプスに富むnerve ringに強いα-synucleinの発現が見られ、これは哺乳類脳における分布に類似していた。また、PD脳に蓄積したα-synucleinに特徴的なSer129のリン酸化は、nerve ringのみに限局して観察された。さらにシナプス小胞の軸索輸送に関与するモーター蛋白質UNC-104/KIF1Aの機能低下変異の導入により、α-synucleinのリン酸化は亢進し、その局在がnerve ringから細胞体へ移動した。α-synucleinの神経末端における局在にUNC-104/KIF1Aが関与すること、その障害は過剰リン酸化の一要因となる可能性が示唆された。touch neeuron特異的に家族性PD変異型ヒトα-synucleinを過剰発現することによりtouch responseの低下が引き起こされた。家族性PD変異はα-synuclein蛋白質の凝集性を促進することがin vitroの実験において示されており、構造異常を生じたα-synucleinの細胞内蓄積が機能障害を誘発した可能性が示唆された。

 以上のごとく、申請者が作出したα-synuclein TG線虫モデルは、α-synucleinのリン酸化、神経機能障害など、PDをはじめとするヒトα-synuclein蓄積症における生化学的・機能的異常を再現するモデル動物と考えられ、パーキンソン病をはじめとするα-synuclein蓄積に伴う神経変性疾患の分子機構解析と治療法の創出に資するところが大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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