学位論文要旨



No 118409
著者(漢字) 高杉,展正
著者(英字)
著者(カナ) タカスギ,ノブマサ
標題(和) ショウジョウバエ細胞を用いたγ-セクレターゼ複合体形成機構の解析
標題(洋)
報告番号 118409
報告番号 甲18409
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1042号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病(AD)は老年期痴呆の中でも最も頻度の高い疾患の一つである。ADの主要な病理学的特徴としては、大脳皮質、海馬における顕著な神経細胞の脱落に加えて、神経原線維変化、老人斑と呼ばれる異常構造物の蓄積が見られることが挙げられる。中でもアミロイドβ蛋白(Aβ)を主要な構成成分とする老人斑は、AD患者脳で最も初期にあらわれる病理学的変化であることから、Aβが脳内において蓄積することがAD発症に大きな役割を果たすとする「アミロイド仮説」が考えられている。

 γ-セクレターゼはβ-amyloid precursor protein(βAPP)の膜内配列を切断し、Aβの産生を担う膜結合型プロテアーゼである(Fig-1)。我々は家族性AD病因遺伝子産物であるpresenilin(PS)が分子内切断を受けること、断片化を受けたPS蛋白は安定化され、高分子量複合体を形成し、この安定化されたPS複合体こそがγ-セクレターゼの本態であることを明らかにしてきた。現在ではPSはγ-セクレターゼの活性中心サブユニットとして働くものと考えられている。一方、PSと結合し、γ-セクレターゼ活性化に必要とされる他の構成因子としてnicastrin(NCT)、APH-1、PEN-2が報告されている。しかしこれらの因子の個別の機能や、PS複合体形成における役割については未解明な点が多い。本研究において、私はショウジョウバエS2細胞を用い、ショウジョウバエPS(Psn)、nicastrin(dNCT)、dAPH-1、dPEN-2が、γ-セクレターゼの形成と機能に与える影響をRNA interference(RNAi)法による蛋白発現ノックダウン及び過剰発現系を用いて解析した。

 まずショウジョウバエにおいてもPSの代謝機構が保存されているかを検討するため、S2細胞、マウス神経芽細胞腫由来のN2a細胞にPsnを発現させてその代謝について解析した。S2細胞における内因性Psn及びN2a細胞に発現させた外因性Psnは、ともに分子内切断を受けて断片化して安定化され、高分子量複合体を形成していたことから、PSの代謝機構はショウジョウバエにおいても保存されていると考えられた(Fig-2)。

 次にγ-セクレターゼ複合体の各構成因子がPsnの代謝及びγ-セクレターゼ活性に与える影響を検討するため、βAPPのC末端99アミノ酸の配列にシグナル配列を付加したC100蛋白を恒常発現するS2細胞に対し、γ-セクレターゼ構成因子のRNAiを行い、Psn及びC100の代謝、Aβ分泌量への影響を検討した。S2細胞に多量に存在する断片型Psn(Fig-3A、*CTF)及び微量の全長型Psn(FL)は、PsnのRNAiによってともに消失した。一方dNCTおよびdAPH-1のRNAiでは、断片型Psnのみが選択的に消失した。dPEN-2のRNAiでは、断片型Psnの消失に加え、さらに全長型Psnの蓄積が観察された。いずれのRNAiによってもγ-セクレターゼの基質となるC100、その代謝産物と考えられるα-stubの蓄積が観察された(Fig-3A)。同時に培地中に分泌されるAβを測定すると、いずれのRNAiによってもAβ分泌が抑制され、γ-セクレターゼ活性が消失しているものと考えられた(Fig-3B)。これらの結果からdNCT、dAPH-1、dPEN-2はγ-セクレターゼ活性および、断片型PSを含む活性型γ-セクレターゼ複合体の形成に必須な因子であることが明らかとなった。

 次にPEN-2のRNAiにより蓄積した全長型Psnについてグリセロール速度勾配遠心法により解析した。コントロールのS2細胞では、全長型Psnが200kDa以下の低分子量領域(LMW)に分画されるのに対し、dPEN-2のRNAiにより蓄積した全長型Psnは、コントロール細胞における断片型Psnと同様に200kDa以上の高分子量領域(HMW)に存在していた(Fig-4A)。次にRNAiを2種類ずつ組み合わせ、dPEN-2のRNAiによる全長型Psnの蓄積機構におけるdNCT、dAPH-1の機能について分子遺伝学的に解析した。その結果全長型Psnの蓄積は、dPEN-2にdNCTまたはdAPH-1いずれのRNAiを組み合わせることによって消失した(Fig-4B)。これらの結果から、まず全長型Psn、dNCT、dAPH-1によって安定な高分子量複合体が形成されるが、γ-セクレターゼとしては不活性型であること、そしてこの未成熟な複合体が断片型Psnを含む活性型γ-セクレターゼとなる過程にdPEN-2が必要とされることが予想された。

 γ-セクレターゼ構成因子の機能をさらに解析するため、dNCTまたはdAPH-1単独、及びdNCTとdAPH-1を共発現するS2細胞系を樹立し、Psnの代謝について検討した。dAPH-1発現細胞ではコントロールまたはdNCT発現細胞に比して、全長型Psnの増加が見られた。dNCT/dAPH-1共発現細胞ではさらに多くの全長型Psnの蓄積が観察されたが、いずれの細胞においても断片型Psnの量に変化は見られなかった(Fig-5A)。次にdNCT/dAPH-1共発現細胞の膜画分をCHAPSOで可溶化し、免疫共沈降実験を行った。S2細胞に内因性に存在している7回膜蛋白質Smoothened(Smo)はどの因子とも共沈しなかったが、Psn、dNCT、dAPH-1は各々を認識する抗体により共沈され、これらの因子は複合体を形成していると考えられた(Fig-5B)。この膜画分をグリセロール速度勾配遠心法により分画すると、蓄積した全長型Psn、dNCT、dAPH-1は高分子量領域に存在していた。以上の結果より、過剰発現したdNCT、dAPH-1と内因性全長型Psnは相互作用し、高分子量複合体を形成するが、最終的な活性化には至っておらず、さらになんらかの活性化因子が必要であると考えられた。(Fig-5C)。そこで次にdNCT/dAPH-1の共発現により蓄積した全長型Psnに対してdPEN-2が及ぼす効果について検討するため、コントロールのS2細胞(mock)、及びdNCT/dAPH-1共発現細胞に、CAT(コントロール)またはdPEN-2をC100と一過性に共発現させた。その結果、dNCT/dAPH-1共発現細胞にさらにdPEN-2を発現させたときのみ、断片型Psnが増加した(Fig-6A)。またdNCT/dAPH-1の共発現はAβ分泌を増加させなかったが、さらにdPEN-2を遺伝子導入すると、Aβ分泌量が有意に上昇した(Fig-6B、*:p<0.01)。これらの結果から、Psn、dAPH-1、dNCTで構成される高分子量複合体に対し、dPEN-2が加わることにより活性型γ-セクレターゼが形成されるものと考えられた。

 本研究で私は、ショウジョウバエγ-セクレターゼの活性はdNCT、dAPH-1、dPEN-2を必要とすること、dNCT、dAPH-1はPsnと相互作用し、Psnの高分子量複合体形成過程に関与することを明らかにした。さらにdPEN-2はPsn、dNCT、dAPH-1から構成される高分子量複合体に作用し、γ-セクレターゼの最終的な成熟過程を制御する可能性が考えられた(Fig-7)。またdNCT、dAPH-1、dPEN-2の共発現によりγ-セクレターゼ活性が上昇したことから、これらの三種のcofactorとPsnがγ-セクレターゼ活性の基本的な構成因子と考えられる。今後さらに個々のγ-セクレターゼ構成因子の機能解析を行うことにより、その性質を明らかにし、新たなAD治療法開発につながることが期待できる。

Fig-1 γ-セクレターゼによるβAPPの切断

Fig-2 Psnの代謝

A:S2、N2a細胞でのPsnの発現

B:グリセロール速度勾配遠心法による分画

Fig-3 RNAiによるγ-セクレターゼ構成因子の機能解析

A:Psn、C100のウェスタンブロット解析 B:サンドイッチELISA法によるAβ分泌量の測定

Fig-4 dPEN-2 RNAiにより蓄積する全長型Psnの生化学的解析

A:グリセロール速度勾配遠心法によるCHAPSO可溶膜画分の分子量別分画(上段:コントロール、下段:dPEN-2RNAi処理)

B:二重RNAi処理後のPsnのウェスタンブロット解析

Fig-5 dNCT、dAPH-1発現細胞の生化学的解析

A:dNCT、dAPH-1及び両者を共発現細胞のウエスタンブロット解析

B:Psn、dNCT、dAPH-1の免疫共沈降実験

免疫沈降、ウエスタンブロットに用いた抗体をそれぞれ上・下段に示した。

C:dNCT、dAPH-1共発現細胞のCHAPS0可溶膜画分のグリセロール速度勾配遠心による分画

Fig-6 dPEN-2の発現がγ-セクレターゼ活性に与える影響

A:dNCT、dAPH-1、dPEN-2共発現細胞のウェスタンブロット解析

B:サンドイッチELISA法によるAβ分泌量の測定

Fig-7 γ-セクレターゼ形成機構モデル

審査要旨 要旨を表示する

 γセクレターゼはβ-amyloid precursor protein(βAPP)の膜内配列を切断し、アミロイドβペプチド(Aβ)の産生を担う膜内プロテアーゼである。Aβはアルツハイマー病(AD)脳に蓄積する老人斑アミロイドの主要構成成分であり、γ-セクレターゼの作動機構解析はAD発症機序の解明に重要である。これまでに家族性AD病因遺伝子産物であるprsenilin(PS)が分子内切断を受けること、断片化を受けたPS蛋白は安定化され、高分子量複合体を形成し、そしてPS複合体がγ-セクレターゼの本体であることが示されてきた。現在PSはγ-セクレターゼの活性中心サブユニットとして働くものと考えられており、PSと結合し、γ-セクレターゼ活性化に必要とされる他の構成因子(cofactor)としてnicastrin(NCT)、APH-1、PEN-2が報告されている。しかし各因子の個別の機能や、PS複合体形成における役割については未解明な点が多い。本研究において申請者はショウジョウバエ細胞(S2細胞)を用いて、ショウジョウバエPS(Psn)、nicastrin(dNCT)、dAPH-1、dPEN-2がγ-セクレターゼの形成と機能に与える影響を、RNA interference(RNAi)法による機能喪失実験、及び過剰発現による機能獲得実験により解析した。

(1)dNCT、dAPH-1、dPEN-2はγ-セクレターゼ活性に必須である

 γ-セクレターゼ複合体の各構成因子がPsnの代謝及びγ-セクレターゼ活性に与える影響を検討するため、βAPPのC末端99アミノ酸の配列にシグナル配列を付加したC100蛋白質を恒常発現するS2細胞に対し、γ-セクレターゼ構成因子のRNAiを行い、Psn及びC100の代謝、Aβ分泌量(γ-セクレターゼ活性)への影響を検討した。正常なS2細胞に多量に存在する断片型Psn及び微量の全長型Psnはコントロールとして用いたGFPのRNAiでは変化しなかったが、Psn、dNCT、dAPH-1、dPEN-2のRNAiにより断片型Psnが消失し、基質となるC100、α切断を受け、γ切断を免れた代謝産物と考えられるα-stubの蓄積が観察された。またdPEN-2 RNAiでは全長型Psnが蓄積していた。同時に分泌されるAβを測定すると、Psn、dNCT、dAPH-1、dPEN-2に対するRNAiによりAβ分泌が抑制され、γセクレターゼ活性がほぼ消失した。これらの結果からdNCT、dAPH-1、dPEN-2はγ-セクレターゼ活性、ならびに活性型γ-セクレターゼ複合体の形成に必須な因子であることが明らかになった。

(2)dPEN-2 RNAiにより蓄積する金型Psnは、高分子量複合体を形成している

 次にRNAiを2種類ずつ組み合わせ、dPEN-2RNAiによる全長型Psnの蓄積に対するdNCT、dAPH-1の影響を遺伝学的に解析した。全長型Psnの蓄積は、dNCT(dNCT+dPEN-2)またはdAPH-1(dAPH-1+dPEN-2)とのRNAiの併用により消失した。さらにdPEN-2RNAi後の膜画分をCHAPSOで溶解し、グリセロール速度勾配遠心法により分子量別に分画すると、コントロールのS2細胞では、全長型Psn(Psn FL)は200kDa以下の低分子量領域(LMW)に存在するのに対し、dPEN-2RNAiにより蓄積した全長型Psnはコントロール細胞における断片型Psnと同様に200kDa以上の高分子量領域(HMW)に存在し、高分子量複合体を形成していた。これらの結果から、最初に全長型Psn、dNCT、dAPH-1の3者からなる安定な高分子量複合体が形成されるが、γセクレターゼとしては不活性型であること、そしてこの未成熟な複合体が断片型Psnを含む活性型γ-セクレターゼとして成熟する過程にdPEN-2が必要とされることが予想された。

(3)dAPH-1単独、あるいはdAPH-1/dNCTの過剰発現により安定な全長型Psnが蓄積する

 γ-セクレターゼ構成因子の機能を過剰発現により解析するため、dNCTまたはdAPH-1単独、あるいはdNCTとdAPH-1を共発現するS2細胞系を樹立し、Psnの代謝について検討した。dAPH-1発現細胞ではコントロール、dNCT発現細胞に比して全長型Psnが増加し、dNCT/dAPH-1共発現細胞ではさらに増加したが、断片型Psnの量に変化は見られなかった。

(4)Psn、dNCT、dAPH-1は相互作用し、全長型Psnを含む高分子量複合体を構成する

 dNCT/dAPH-1共発現細胞の膜画分をCHAPSOで可溶化し、免疫共沈降実験を行った。Psn、dNCT、dAPH-1のうち、任意の2者同士が共沈降されることから、これらが複合体を形成することが示唆された。この膜画分をグリセロール速度勾配遠心法により分画すると、蓄積した全長型Psn、dNCT、dAPH-1は高分子量領域に存在した。これらの結果から、Psn、dNCT、dAPH-1は相互作用し、dPEN-2RNAiによって蓄積した全長型Psnと同様に高分子量複合体を形成するものと考えられた。

(5)dNCT、dAPH-1、dPEN-2の共発現により断片型Psnが増大し、γ-セクレターゼ活性が増加する

 dNCT/dAPH-1の共発現により蓄積した全長型Psnに対してdPEN-2が及ぼす効果について検討するため、コントロールのS2細胞及びdNCT/dAPH-1共発現細胞に、CAT(コントロール)またはdPEN-2をC100と一過性に共発現させた。dNCT/dAPH-1共発現細胞にさらにdPEN-2を発現させることにより、断片型Psnが増加した。またdNCT/dAPH-1の共発現はAβ分泌を増加させなかったが、さらにdPEN-2を遺伝子導入すると、Aβ分泌量が有意に上昇した。

 これらの結果から、Psn、dAPH-1、dNCTから構成される高分子量複合体にdPEN-2が加わることにより、活性型γ-セクレターゼが形成されるものと考えられた。

 以上のごとく本研究において申請者は、ショウジョウバエγ-セクレターゼの活性化にはdNCT、dAPH-1、dPEN-2が必要とされること、dNCT、dAPH-1はPsnと相互作用し、Psnの高分子量複合体形成過程に関与することを示した。一方dPEN-2はPsn、dNCT、dAPH-1から構成される高分子量複合体に作用し、γ-セクレターゼの最終的な成熟過程を制御する可能性が考えられた。dNCT、dAPH-1、dPEN-2の共発現によりγ-セクレターゼ活性が上昇したことから、これら3種のcofactorとPsnが、γ-セクレターゼの基本的な構成因子と考えられる。これらの知見は膜内蛋白質分解を担うγ-セクレターゼの形成と作用に関する分子機構を解明するとともに、アルツハイマー病新規治療法の開発にも貢献するところが大きく、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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