学位論文要旨



No 118411
著者(漢字) 柳谷,朗子
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギヤ,アキコ
標題(和) ポリオウイルス感染神経細胞における細胞変性効果阻害の機構
標題(洋)
報告番号 118411
報告番号 甲18411
学位授与日 2003.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1044号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 ポリオウイルス(PV)は一本のプラス鎖RNAをゲノムとして持つ、小児麻痺(急性灰白髄炎)の病因となるウイルスである。感染細胞内において、PVゲノムはmRNAとして機能し、PV特異的蛋白質の合成はPVゲノムの非翻訳領域(5'-UTR(5'untranslated region))に存在するInternal ribosomal entry site(IRES)よりキャップ非依存的翻訳開始機構により行われる(Fig.1)。

 PVはヒトとサルのみに感染するという明確な種特異性を示し、この種特異性はポリオウイルスレセプター(PVR:CD155)の存在で決定されている。ヒトPVR(hPVR)遺伝子をもつトランスジェニック(Tg)マウスは、PVに感受性を示す。PVはヒトの腸管上皮細胞および神経細胞などにおいて増殖する。

 また、PVは培養細胞においても増殖が可能であり、PVが細胞に感染すると、細胞膜の透過性の亢進、宿主細胞側の転写と翻訳阻害、クロマチンの縮合といった核の破壊、核内蛋白質の細胞質への移行などが生じ、劇的な細胞変性効果(Cytopathic effect:CPE)が観察される。このCPEの発現にはPV特異的蛋白質である2A protease(2Apro)が重要な因子の一つであり、2AproをHeLa細胞で単独発現させるとCPEが発現する。

 PV感染細胞内において2Aproが翻訳開始因子の一つであるeIF4Gを切断することにより、宿主細胞側のCap依存的な翻訳を阻害する一方、PV特異的蛋白質はIRESより翻訳が開始されて、PVに有利な翻訳が進行することが明らかとなっている(Fig.2)。

 神経細胞での特異的な現象として、PV感染2時間後に抗PV抗体または抗PVR抗体を添加することにより、CPE発現が抑制されることが確認された。本研究では、この神経細胞に特異的なCPE発現阻害機構を分子レベルで解明することを目的とした。

抗PV抗体または抗hPVR抗体によるCPE発現の阻害

 PV感染2時間後に、抗PV抗体または抗hPVR抗体を添加すると、神経細胞特異的にCPE発現が阻害された(Fig.3)。免疫染色法と一段階増殖実験により、抗体処理によるPV複製の阻害はないことが明らかとなり、PVの複製を各処理抗体が阻害することによって、PV感染神経細胞においてCPE発現が抑制されているのではないことが明らかとなった。また、感染24時間後の抗体処理神経細胞では、一度は増殖したPV抗原が減少していることが観察された。

 各抗体添加時間に対するCPE発現阻害作用を検討する為に、PV感染神経細胞において抗体添加時間の経時変化を検討した。子孫ウイルスが出現する感染4時間以後に各抗体を添加するとCPEが発現することが観察された。この結果より、子孫ウイルスの感染によるPV特異的蛋白質の感染細胞内蓄積がCPEの発現に重要であることが示唆された。、また子孫ウイルス感染阻害以外にも、各抗体処理神経細胞において、初回に感染したウイルスに対するクリアランス機構が存在していることが考えられたので、以下の実験ではPV感染神経細胞内における分子の動向を検討した。

各抗体処理PV感染神経細胞における蛋白合成

 各抗体処理PV感染細胞内における蛋白質合成をパルスラベル法により検討したところ、非神経細胞であるHeLa細胞では各抗体の有無にかかわらず、宿主細胞側の蛋白合成が阻害され、PV特異的蛋白合成のみが行われることが明らかとなった。

 一方、神経細胞では抗体が存在しない場合でも、少なくとも感染10時間後まで宿主細胞側の蛋白合成が進行し、各抗体添加の場合は宿主細胞側の蛋白質合成は持続し、かつ感染7時間後にPV特異的蛋白合成が阻害されることが明らかとなった(Fig.4)。

 感染7時間後に、PVmRNAはノーザンブロット法により確認されるので、PVIRESからの翻訳が阻害されていることが示唆された(Fig.5)。以上の結果から、神経細胞内にPV感染に応答して発現する分子が存在し、その作用によってPVIRES活性が阻害されている可能性が示唆された。

各抗体処理神経細胞内におけるPV2A 2AproproによるeIF4G切断活性

 CPE発現の原因の一つとして宿主細胞側蛋白合成阻害が報告されており、その阻害には、PV2Aproが翻訳開始因子のeIF4Gを切断することが原因の一つであると考えられている。各抗体処理PV感染神経細胞における2Aproの活性をeIF4Gの切断を指標として検討した。

 HeLa細胞の場合、各抗体処理の有無にかかわらず、eIF4Gの切断が感染5時間までに確認された。一方、神経細胞では各抗体処理により、感染5時間後にeIF4Gは一度完全に切断されるが、感染11時間後には再び完全長のeIF4Gが出現し、またこの時点で2Aproは存在していることが明らかとなった(Fig.6)。

PV2A 2Aproproの細胞内局在

 2AproのeIF4G切断活性が抑制される原因の一つとして、2AproがeIF4Gの切断の場である細胞質に存在しない可能性があるので、PV感染細胞内における2Aproの細胞内局在を検討する為にHA tag付き2Aproを発現するリコンビナントウイルスを作製した(Fig.7)。

 このウイルスを感染後、各抗体処理をして2Aproの細胞内局在を免疫染色法により検討した。その結果、各抗体処理神経細胞では感染5時間後、細胞質と核の両方に存在していた2Aproが、感染11時間後では核内に2Aproが局在し、eIF4Gの切断の場である細胞質に存在しないことが明らかとなった(Fig.8)。

 この2Aproの核内におけるコンパートメント化が、2AproがeIF4G切断活性を失った原因の一つであることが考えられた。

HA tag付加2A 2Apropro単独発現

 哺乳細胞発現ベクターを用いて、C末端にHA tagを付加した2Aproを神経細胞またはHeLa細胞において、一過性に発現させた。免疫染色法によりHA tag付加2Aproの細胞内局在を検討したところ、トランスフェクション2日後、HeLa細胞ではCPEの特徴を示し、HA tag付加2Aproは細胞質と核の両方に存在していた。一方、神経細胞はCPEを発現せず、HA tag付加2Aproは核に局在していることが明らかとなった(Fig.9)。以上の結果より、単独発現でも2Aproは核局在することが明らかとなり、また神経細胞は2Apro単独発現ではCPEを発現しないことが明らかとなった。

PV感染による核膜孔複合体の構成分子であるNucleoporin p62の分解

 ウエスタンブロット法により、PV感染神経細胞内における核膜孔構成分子の一つであるNucleoporin p62の分解を経時的に検討した。その結果、抗体未処理神経細胞の場合、感染11時間までにNucleoporin p62は分解するが、各抗体処理の場合はNucleoporin p62が分解されないことが明らかとなった(Fig.10-A)。Nucleoporin p62の分解がCPE発現とどのような相関にあるかを検討するために、単独発現でもCPEを誘導できる2Aproを一過性に細胞で発現させた(Fig.10-B)。

 その結果、HeLa細胞では、トランスフェクション2日後までにはCPEの特徴を示したのにもかかわらず、Nucleoporin p62は分解しないことが明らかとなった。このことから、PV感染細胞内におけるNucleoporin p62の分解は他のPV特異的蛋白質により生じる可能性が示唆された。以上の結果から、Nucleoporin p62の分解はCPE発現に関与していない可能性が考えられた。

【総括】抗体未処理神経細胞の場合、感染5時間後に2Aproは細胞質と核の両方に局在するので、eIF4Gは切断されている。また、この間、PVIRESからの翻訳は効率的に行われ、PV特異的蛋白質が細胞内に蓄積される。感染11時間後でも2Aproは細胞質と核の両方に存在しているので、eIF4Gは切断されたままであり、完全長のeIF4Gによる翻訳が回復することができず、CPEを発現する(Fig.11)。一方、各抗体処理神経細胞の場合、感染5時間後に2Aproは細胞質と核の両方に局在し、細胞質にあるeIF4Gは切断されている。感染7時間後にはPVIRESからの翻訳が阻害されて、新たにPV特異的蛋白、特に2Aproは合成されなくなる。感染11時間後には、2Aproは核に局在しているので、完全長のeIF4Gが細胞質に出現することが可能であり、完全長のeIF4Gによる翻訳が回復されて、CPE発現阻害が生じる可能性が示唆された(Fig.12)。

Fig.1 ポリオウイルス(PV)の構造

Fig.2 PV感染細胞内における蛋白合成

Fig.3 抗PV抗体または抗PVR抗体処理による神経細胞特異的なCPE発現阻害

Fig.4 PV感染神経細胞内における蛋白合成

Fig.5 ノーザンブロット法によるPVmRNAの検出

Nuclei:Red、PV:Green

Fig.6 神経細胞における2Aproの発現量と2AproによるeIF4Gの切断

Fig.7 HA tag付加2Aproを発現するリコンビナントウイルスの構造

Fig.8 神経細胞内における2Aproの局在

Nuclei:Red、HA tag付加2Apro:Green

Fig.9 HA-tagged 2Aproの一過性発現

Neuclei:Red、HA tag付加2Apro:Green

Fig.10 Nucleoporin p62の分解

Fig.11 抗体未処理神経細胞におけるCPE発現機構

Fig.12 各抗体処理神経細胞におけるCPE発現阻害機構

審査要旨 要旨を表示する

 ポリオウイルス(PV)がヒトに感染すると、最終的に中枢神経系に到達し、そこで主に脊髄前角の運動神経細胞で複製し、その細胞を破壊する。その結果、感染者の四肢にマヒを生じさせる。したがって、PVの神経細胞毒性発現の研究は、PV病原性研究の最も重要な位置を占める研究といって差し支えない。しかしながら、現在のところ、PVの神経細胞破壊の分子メカニズムは、ほとんど明らかにされていない。

 多くのPV複製研究は、HeLa細胞(ヒトの子宮頚癌由来)を使用して行われてきた。HeLa細胞にPVが感染すると、その後どのような処理をしても必ず細胞死に到ることが知られている。ところが、神経細胞(ヒト神経芽腫由来)は、感染数時間後に抗PV血清を添加すると、細胞変性効果(CPE)の発現が抑えられるという報告がある。神経細胞には特殊な能力が備わっていることを示すデータである。

 同様の実験を、PV感染神経細胞(SK-N-SH細胞)と感染阻止活性を持つ単クローン抗体(抗PV抗体または抗PV受容体抗体)を使用して行った。CPE発現阻止は抗PV抗体のみならず抗PV受容体抗体添加によっても観察された。抗体添加時期を感染後4時間以降にすると、CPEが発現することから、最初の感染による子ウイルスが再び感染することにより神経細胞のCPEが発現すると考えられた。

 そこで、本研究では、一度のPV感染では、なぜCPEが発現しないかに焦点を絞り、分子レベルの解析を行った。まず、PVの産生量を抗体添加および非添加の条件で比較し、産生量に差は見られないことを示した。次に、同じレベルのPV産生量があるにもかかわらず、抗体の添加により何故CPE発現が阻止されるかを検討した。

 まずパルスラベル法により、宿主細胞側タンパク質合成量およびPV特異的タンパク質合成量の経時変化を調べた。その結果、抗体添加によりPV側タンパク質合成が感染後5〜7時間以降は阻害されることを見出した。すなわち、神経細胞はPV感染に応答し、PV IRES(internal ribosome entry site)の活性を抑えるシステムを持つことを示している。この現象は、HeLa細胞では観察できないので、神経細胞特有のウイルス抵抗性であると思われる。

 CPE発現の中心的役割を果たしているのはPVタンパク質2Apro(プロテアーゼ)と考えられている。事実、2Apro単独発現でもHeLa細胞はCPEを発現する。そこで、PV感染神経細胞における2Apro発現と、その結果切断される翻訳開始因子eIF4Gの状態を経時的にウェスタンブロッティングで解析した。その結果、感染初期には2Apro発現およびeIF4Gの完全切断を示すデータが得られたが、感染後11時間ではeIF4Gの完全長のものが出現していることが明らかとなった。この時期には2Aproは依然として細胞内に残存していた。そこで、2Aproの細胞内局在性を調べ、2Aproが核内に移行していることを明らかにした。

 以上の結果は、PV感染に応答し、神経細胞はPV IRESの活性阻害物質を産生し、一度の感染ではウイルス複製の重要な過程であるタンパク質合成を阻害してしまうこと、また、ウイルスタンパク質合成が阻害されるまでに産生された2Aproを細胞質から核へ移行させ、細胞質内に新たに合成されるeIF4Gが切断されなくなり、完全長のeIF4Gが復活することを示唆している。その結果として神経細胞は生存しつづけると思われる。

 以上の研究成果は、神経細胞が持つ抗PV作用の分子メカニズム解明にはじめて迫るものであり、PVの神経毒性発現の一端を明らかにしたものとして高く評価できる。博士(薬学)の学位論文に十分値すると判定した。

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