学位論文要旨



No 118451
著者(漢字) 坂本,英史
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ヒデシ
標題(和) functional MRIによる外傷後ストレス障害の非侵襲的客観診断法の検討
標題(洋)
報告番号 118451
報告番号 甲18451
学位授与日 2003.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2186号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 吉川,宏起
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 助教授 青木,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

外傷後ストレス障害(PTSD : Posttraumatic Stress Disorder)は、大災害や犯罪被害などの生命保全の危機に関わるような精神的外傷体験の後で、不眠や悪夢、記憶力低下、感情鈍麻、過剰な驚愕、時には白昼夢のような事件の再体験症状など、記憶と情動に関わる多彩な症状を呈し、対人交流や社会職業的機能の低下をきたす精神疾患である。

日本でも阪神大震災、地下鉄サリン事件などを契機に注目されつつあるが、その脳内機序はいまだ明らかになっておらず、その病態の解明と客観的な診断指標の確立が重要な課題となっている。

これまでに行われてきたPTSDに対する脳機能画像研究はおもに、被験者に直接に外傷体験の写真や音を提示し、その時の脳活動をPET・SPECTで測定するものであった。だが元々PTSD患者は外傷体験と関連するものへの回避と恐怖が主要な症状の一つであり、直接的な刺激提示は被験者に強い苦痛を与え、多数の被験者に広く一般的に行うことが困難であった。また結果に関しても各研究間で一致していなかった。これは刺激が強すぎるために各被験者で異なった多様な症状が誘発されてしまうこと、および、PET・SPECTの時空間分解能が必ずしも十分でないことが影響していると考えられた。

目的

本研究の目的は以下の2点である。

時空間分解能が高く、非侵襲的な脳機能解析法である functional MRIを使用してPTSDの機序を解明し、新たな治療への手がかりを得る。

刺激画像を認知閾下の極短時間のみ被験者に提示する subthreshold 刺激提示法を採用し、できる限り少ない侵襲で一般的に施行しうるPTSDの客観的な診断補助指標の確立を目指す。

PTSDの治療として、三環系抗うつ薬やSSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors)などの一定の有効性が認められているものの、難治例も少なくなく、より有効な治療法を確立するためにも、PTSDの機序の詳細な解明が必要と考えられる。

また、これまでのPTSDの診断は主に本人の陳述にもとづくものであるため、診断医や本人の主観的要素が入らざるを得ず、診断の妥当性への疑問が繰り返し論じられてきた。PTSDの診断に客観的な指標を加えることは、PTSDに対する社会的な疑義に答え、患者の利益のためにも重要と思われる。

方法

本研究の方法はNTT東日本関東病院倫理委員会において承認を受けた。被験者はNTT関東病院を受診し、文書による説明同意の得られた日本人のPTSDの患者群17名(平均年齢41.2歳、男性9名、女性8名、全員右利き)と、年齢・性別をmatchさせた健常対照者17名(平均年齢40.1歳、男性9名、女性8名、全員右利き)とした。

被験者はMRI装置内で仰臥し、足下のスクリーンに映し出された下左図のような草花の映像を鏡越しに見る。映像は一見、次々に切り替わる草花だけのように見えるが、実際には極短時間の認知閾下の画像が0.5秒ごとに挿入されている。全4分間の映像は、下右図下段のように30秒ごとに8個のフェイズに分かれており、1, 3, 5, 7番目のフェイズは control 映像、2, 4, 6, 8番目のフェイズは刺激映像で構成されている。

刺激映像フェイズには、救命救急室・火災・交通事故・犯罪など、PTSD診断基準と一致する生命保全の危機を示す認知閾下(33msec)の画像が20種類、500msecごとに挿入されている。一方control映像フェイズには、認知閾下(33msec)の十字図形が500msecごとに挿入されている。

このような課題構成で、生命保全の危機を示す刺激画像を挿入したフェイズと、control映像を挿入したフェイズとの認知的差分をfunctional MRIで撮像し、危機的画像提示による脳機能賦活を測定する。また、functional MRI測定後にPTSDの最も標準的な臨床診断尺度であるCAPS面接を行ってPTSDの諸症状の重症度を評価し、で観測された脳賦活との相関を検討する。

結果

全被験者34名(健常群17名、PTSD群17名)fMRI脳機能画像にたいして、PTSD診断の有無および症状重症度(CAPS評価得点)を説明変数として、それぞれと相関する賦活領域をmultiple regressionにより解析した結果を示す。解析にはPuncorrected<0.001を有意水準とした。

まずPTSD診断の有無と相関する領域として右海馬鉤部・海馬傍回(Talairach coordinates : 20, -18, -18 ; Broadmann Area28 : BA28)にt値4.80 Puncorrected<0.001の有意な賦活が認められた。

また症状重症度(CAPS評価得点)と相関する領域として左中前頭回(Talairach coordinates : -42, 42,14 ; Broadmann Area46 : BA46)にt値4.80 Puncorrected<0.001の有意な賦活が認められた。

考察

本研究の課題提示により短期的にも長期的にも不快気分や症状悪化を呈した例はなく、むしろ従来の構造面接によるCAPS診断で外傷体験を想起して頭痛や不快などを生じた場合があり、今回の課題提示法は従来法と比べても被検者への精神的苦痛が小さいことが示唆された。

今回の研究で、危機的画像を認知閾下で極短時間提示した時に、PTSDの有無と相関して右側海馬領域に有意な賦活が認められ、また症状重症度と相関して、左側中前頭回に有意な賦活が認められた。

これまでのPTSDの脳構造画像研究の多くのものが、海馬の萎縮を報告しているが、今回の我々の研究はPTSDと海馬領域の機能異常の関連を明瞭に示唆する初めてのものである。今回の我々の研究では、PTSDの重症度と有意に相関する賦活が左のBA46野に見られた。BA46野は前頭前野の中でも、知覚や記憶を統合的に判断し行動を決定するワーキングメモリの中央実行系を構成していると考えられている。PTSD群では健常群よりWechsler記憶スケールの成績が有意に低いことが報告されており、また臨床の現場でもPTSD患者から「些細な刺激で集中が乱され仕事ができなくなってしまう」という訴えを聞くことも多い。健常者では、ほとんど認知ネットワークが起動されないような微細な危機刺激に対しても、PTSD患者では、BA46野の賦活が惹起されてしまうため、意識にのぼらないほどの些細な危機刺激のためにワーキングメモリのリソースが消費されてしまい作業能力の低下を来している、という仮説が考えられる。

今回の研究結果で得られた前頭前野と海馬体の脳機能測定は今後PTSDの客観診断の補助指標として応用しうる可能性がある。さらにfMRIの非侵襲性を生かし、同一被験者での症状改善度を経時的に測定する研究の推進も重要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は非侵襲的な脳機能画像撮像手段であるfunctional MRIを利用して、外傷後ストレス障害(PTSD : Posttraumatic Stress Disorder)の脳内機序を解明する手がかりを得るととともに、できる限り少ない侵襲で一般的に施行しうるPTSDの客観的な診断補助指標の確立を目指したものである。本研究では、PTSDの患者群17名と、年齢・性別をmatchさせた健常対照者17名を対象とし、被験者はMRI装置内で仰臥し、足下のスクリーンに映し出された映像を見るよう指示される。映像は一見すると草花のみであるが、認知閾下の危機刺激映像フェイズとcontrol映像フェイズで構成されている。危機刺激映像フェイズには救命救急室・火災・交通事故・犯罪など、PTSD診断基準と一致する生命保全の危機を示す画像が極短時間(33msec)だけ挿入されている。一方control映像フェイズには、認知閾下(33msec)の十字図形が500msecごとに挿入されている。このような課題構成で、危機刺激映像を挿入したフェイズと、control映像を挿入したフェイズとの認知的差分をfunctional MRIで撮像し、認知閾下の危機的画像提示による脳機能賦活を測定した。さらに、functional MRI測定後にPTSDの最も標準的な臨床診断尺度であるCAPS構造面接を行ってPTSDの諸症状の重症度を評価し、観測された脳賦活との相関を検討し、下記の結果を得ている。

全被験者34名(健常群17名、PTSD群17名)のfMRI脳機能画像にたいして、PTSD診断の有無および症状重症度(CAPS評価得点)を説明変数として、それぞれと相関する賦活領域をmultiple regressionにより解析した結果は以下のようになった。

まずPTSD診断の有無と相関する領域として右海馬鉤部・海馬傍回(Talairach coordinates: 20, -18, -18; Broadmann Area28)にt値4.80 puncorrected<0.001の有意な賦活が認められた。

また症状重症度(CAPS評価得点)と相関する領域として左中前頭回(Talairach coordinates: -42, 42,14; Broadmann Area46)にt値4.80 puncorrected<0.001の有意な賦活が認められた。

以上、本論文では、危機的画像を認知閾下で極短時間提示した時に、PTSDの有無と相関して右側海馬領域に有意な賦活が認められ、また症状重症度と相関して、左側中前頭回に有意な賦活が示された。

これまでのPTSDの脳構造画像研究の多くのものが、海馬の萎縮を報告しているが、海馬領域の機能異常を明確に報告した研究はなく、本研究はPTSDと海馬領域の機能異常の関連を明瞭に示した初めてのものである。また、PTSDの重症度と前頭前野の機能異常の関連を初めて示唆するものである。本研究はPTSDの脳内機序の解明に重要な手がかりを与え、またPTSDの客観的な診断補助指標の確立に道を開き得ると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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